沼津宿、原宿、吉原宿


 1999年5月9日     三嶋〜富士     約27q     44,000歩


三島駅前 9時40分


    【沼津】
      駿河国駿東郡。江戸から30里、京へ95里。一ヶ月ぶりに東海道に挑戦
     しました。天気は初夏、一寸汗ばむ陽気でした。三島駅に早早到着した
     のは、「歩くぞー」と言う意気込みの現れではないのです。世界の新幹線の
     おかげです。今回以降しばらくこだま号利用しました。度々、こだま号を
     利用して思ったことは通過待ちの際、車窓から見るひかり、のぞみなか
     でも500系の速いこと、そして2列車も通過待ちする忍耐強いこだま号に
     拍手。
      さて、三島駅前から南に進むと右側に楽寿園があり前回は夜で閉園
     していたので、今回は見学するつもりでいたのですが私の「こんどにしょう」
     の一言で次回となりました。しかし、こんどとオバケは出ないのが世の常で 
     す。
    【農兵節】
      楽寿園の先にある白滝公園、無料の湧水コーナーがあり富士の湧水が
     飲める。ここに、農兵節の碑がある。富士の白雪のーへ、富士のさいさい、
     白雪や朝日に溶ける溶けて流れてのーへ、、、、三島女郎衆はのーへ、お
     化粧が長い、、、この歌実は、軍事教練用に用いられたものとか。幕末に
     韮山代官が農兵の調練に用いたものが歌詞が変化し現代に残った。
    【失敗】
      沼津へ向けて歩き始めて、すぐ道を間違えてしまった。南へ進むべきと
     ころ北へ進んでしまった。柿田川湧水で軌道修正すればよかったのだが
     地図を見ない亭主と、意見具申をしない妻は沼津バイパスを歩いていま
     した。国道1号線の明治資料館辺りには、沼津宿の表記があったのでまだ
     間違いに気が付きませんでした。
    【原】
      駿河国駿東郡。江戸から31里、京へ94里。歩き始めて2時間半くらいして
     一寸おかしい、と二人とも薄々気が付き始めました。ジュースの自販機の一
     台すらないのです。左方遥か彼方に見える東海道線を目指して軌道修正。
     しかし、東海道線の踏み切りを渡り、旧東海道に出たときは原は遥か後方
     でした。
    【大失敗】
      しばらく進むと、いきなり目の前に大きな貨物船が現れ吃驚しました。右側
     は、東海道線吉原駅左に道路を挟んで貨物船、「田子の浦ゆうち出でてみれ
     ば真白にそ富士の高嶺に雪はふりける」などと想いをめぐらしていたのでよ
     けい驚いた。もっとも、万葉集の当時の田子の浦は、此の先の薩捶峠辺りの
     海を指すらしい。
    【吉原】
      駿東郡富士郡。江戸から34里、京へ90里。宿場町は、時として移動する。今も
     街の中心が移動することはある。昔は、地震による津波、川の氾濫等自然災
     害により宿場が移動したり、街道が移動することがある。吉原も何回かの津波
     被害により富士市の中心へ移った。
    【またまた失敗】
      東海道線吉原駅から左富士神社を目指して歩いたが、ない。岳南鉄道の踏
     み切りを渡り、潤井川を渡る頃は東西南北、左右、上下全く分らず市立中央
     病院あたりで迷子になりました。富士見大通りを新富士に向かっているのは分
     りました。次回の為に新富士駅と富士駅を確認しておきました。20分はかから
     ない距離でした。


       
      東田子の浦駅13:15           富士市内15:30       新富士駅16:00


    【!!!】
      富士駅から東海道線で三島まで行き、新幹線に乗り換えて帰京しました。車内
     で飲んだ缶ビール、一寸苦かった。しかし、間違いなく京都に近づきました。
      (-_-;)

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