2006 ライブコンサート in チャーチ
 
 
カトリック北野教会 聖堂
 
ひとりうたによる典礼劇「ダニエル物語」  マリア頌歌集「モンセラートの朱い本」
 

 
 2006年度 北野教会聖堂における定例ライブは、1月16日から12月18日まで定例47回と出前を3回おこなった。聴衆は計118人。
 たったひとりでやる「ダニエル」、仲間3人でやる「モンセラート」、それぞれにおもしろい。ひとりの日があって3人の日があって、わたしの中でバランスがとれているのである。
 週一回のライブをはじめて5年経った。もう74才、年とったなあとつくづく思う。
 

 
2006ライブ日記
 
12月18日(月)定例 47「ダニエル物語」
 聴衆4。晴れ。今年最後のライブ。ということで女房が来てくれた。昔からの知り合いが一人はじめてきてくれた。何回目かのひとがひとり。通りがかりの知らない人がひとり。
 ダリウス王入城の場面で一行抜かしてしまった。なんとか取り繕う。クリスマスにちなんだところで音を取り違える。高音で喉に無理がかかる。おかげで最後のTe Deumはいっぱいいっぱい。なんとか歌い終えることができた。今年のしめくくり。長めの鈴の音が聖堂に残る。
 
12月11日(月)定例 46「モンセラートの朱い本」
 聴衆1。快晴。今日はモンセラート今年最後の日。お客さんがひとりいたが、お断りして第8曲Mariamを何度か繰り返して練習させていただく。回数が増すと、だれるところ、歪んでくるところが起こってくる。慣れるのは良いが、甘え、ひとりよがりはいけない。音楽を第1義に立て、その中でどれだけ己を消し去れるか。それが芸能であろう。
 
 「良いお年を、来年もよろしく」と3人たがいに言って別れた。
 年を経て 古びるもの生まれるもの また新しく過ごしたい。
 
12月4日(月)定例 45「ダニエル物語」
 聴衆3。晴れ。今日は喉の調子がいつもとすこし違う。声が自然に出て伸びが良い。するとコントロールが容易であるのを感ずる。プロはそうした調整がいつもできるのだろうな。アマチュアのわたしはいつも成り行きまかせだ。声を作らないこと、自然であることがモットーだが、いつも今日のような調子でうたいたい。
 昨日から教会歴は待降節に入った。きょうは、いつも省いているキリスト降誕の節を加えて歌った。「よき知らせ、ベツレヘムにおさな子生まれたもう。救い主イエズ・クリストの誕生です」。今年ももうすぐクリスマス。
 
11月27日(月)定例 44「モンセラートの朱い本」
 聴衆1。雨。“Veni Creator Spiritus 創り主なる聖霊よ来てください”。朱い本のはじめにうたっているこのグレゴリオ聖歌は明治開国以来カトリック教会で連綿と歌い継がれた最もなじみ深い聖歌である。(勿論キリシタンの時代にも歌われたであろうけれど)名曲である。
 
 ある方からさくらの紅葉のたよりが寄せられた。桜は花のたよりは聞いても、紅葉のたよりははじめて聞いた。「落ち葉掃き」しみじみと季節を感じるいい言葉である。
 北野教会の前庭にある大きな桜の木が雨に濡れてこんもりと紅葉しているのに気がついた。今年もおわりに近い。
 
11月20日(月)定例 43「ダニエル物語」
 聴衆6。曇り。2時30分、聖堂に2人の方がおられる。うたを歌ってもお邪魔ではないですかと断ってグレゴリオ聖歌をうたいはじめる。そこにおられる人たちと気持ちが一つになるのを感じる。
 定刻になってダニエルをはじめる。竹琴のふれに続いて「キリストあなたに讃美」。グレゴリオ聖歌は好調だったのに声が詰まるような感じ。今日は6人もの人が聴いてくださっている。喉をだましだましなんとか歌い終えた。最後の鈴の音が鳴り終えたとき、聖堂内は沁みいるような静寂が残る。しばらくその静寂に身をゆだねたのち、お客さん一人ひとりに声をかける。
 
 今、暦の上では小春月と呼ばれるそうだ。晴れても降っても、この時期の気象は穏やかで、どこかしみじみと人と風景を包み込む。引っ越した我が家の近くの長居公園はいま紅葉真っ盛り。
 
11月13日(月)定例 42「モンセラートの朱い本」
 聴衆4。晴れ。第1曲 O Virgo splendens がはじまった。今日は鈴の音がこころに沁みる。お客さんの一人の方の今年亡くなられた奥さんのことを思いながらうたった。
 
 引っ越しのご挨拶に返事が届いた。“転居なさったとのこと、びっくりしました。毎週のライブ、今も続いているとは、これもびっくりです。”
 
11月6日(月)定例 41「ダニエル物語」
 聴衆4。晴れ、夕方一時雨。はじめての知らない人が一人、3回目だがダニエルははじめての人が一人、いつ来てくださるかと心待ちにしていた人が2人。間違った。ちょっと緊張していたようだ。“間違ってすみません”“間違ったかどうかはわたしたちにはわかりません。おもしろかったです。オペラの原型ですね。いい経験になりました。”
 
 引っ越しが済んだ。きょうははじめて新居から北野教会へ出かけた。乗り換えなしの地下鉄一本で便利。なにもかも新しい生活がはじまった。
 
10月30日(月)定例 40「ダニエル物語」
 聴衆1。晴れ。開演前、静かに祈る人が2人おられた。邪魔にならなければいいがと思いながら小さな声でグレゴリオ聖歌をうたいはじめた。歌い終わって前庭で一服していると最後までおられた方が寄ってきて声をかけてくださった。“ひとりで静かに過ごしたいと思っていたのですが、うたがはじまると気持ちが落ち着いてきました。良い時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。どういう歌でしょうか?スペイン語ですか、何語ですか?”
 ダニエルのお客さんは別の人がひとり。はじめてすぐに入って来られ、終わってしばらくして声をかけようと振り向くともうおられなかった。
 
10月23日(月)定例 39「モンセラートの朱い本」
 聴衆5。雨。開演前のグレゴリオ聖歌、ひとりの人が熱心に聴いてくださった。おわりにしようと思ったらもう1曲サルヴェレジナをとリクエストされた。約1ヶ月ぶりのモンセラート、良いテンポではいることができたが、わたしの喉は調子悪い。
 
 今日のお客さんの中に、昔ラテン語のミサで、ミサ答えをやっていたという方がおられた。「ミサ答え」とは、司祭の唱える祈りにラテン語で応唱するというむずかしい役目である。今となってはそんなことのできる人は数えるほどしかいない。終わってから、ラテン語は久しぶりでとても懐かしかったとおっしゃった。
 
10月16日(月)定例 38「ダニエル物語」
 聴衆1。晴れ。はじめる直前にひとりの若い女の方が入ってこられる。ダニエル台本とちらしを指して“これは今からですか?”“はいどうぞ前の方にお座りください”。時間なので席に着かれるのを待ってすぐにはじめる。だれか一人でもいてくださると、うたうわたしの気持ちが違う。その方は通りすがりで時間がなかったのか半分過ぎたところで席を立たれ、わたしに黙礼して聖堂を出ていかれたが、その後も同じ気持ちでうたうことが出来た。今日は良いうたが歌えたと思う。
 
 終わってから教会の前庭で数人の信者さんたちとお話する。
 私、“こんてむつすむんじ(キリストに倣いて)の中にこんな言葉があります。[なんとて人に優れたりとは思うぞ。] どんなに学問をして知識があっても、立派な地位にいても、良い声で歌が上手でも、それらはすべて誇るにたることではありません。”
 
10月9日(月)定例 37「ダニエル物語」
 聴衆0。晴れ。すばらしい秋晴れの体育の日。きょうはモンセラートの日だがギターの河野さん都合が悪く休みなので、「ダニエル物語」とする。祭日で聖堂に何人かのひとの出入りはあったが、落ち着いて聴いてくださったひとはだれもいなかった。
 
 開演前のグレゴリオ聖歌の30分、じっと聴いてくれていた子連れの外人のお母さんがいた。ダニエルをはじめるまで庭ですこしおはなしする。“お国どこですか?”“フィリピンです”“ラテン語はわかりますか?”“すこしだけ、アヴェマリアぐらいはわかります。”“お嬢ちゃんなまえはなんていうの?としはいくつ?”“アンジェラ、よっつ”“良い名前やねえ、天使だよ”。保育園にかよっているそうだ。日本へ来て1年だそうだが、お母さんより娘のほうが日本語が上手。
 若いお母さんは、祭壇の十字架のキリストの足元に手を置いて、しばらくじっと祈っていた。フィリピンではそういう習慣があるのだろう。こういう信仰は私達にはまぶしい。その姿を想い描いて、だれもいない聖堂で、集中してダニエルをうたうことができた。
 
10月2日(月)定例 36 「ダニエル物語」
 聴衆1。曇り。始める前にダニエルを聴こうと来られたご婦人が一人。ダニエルははじめてとのことなので、すこし説明させていただく。歌い終わってお訊ねした。“いかがでしたか?”“とてもおもしろかったです。” 彼女は10年ほどオランダでリコーダーを勉強なさっているそうだ。コンサートもなさる由。しばらくお話させていただいた。アマチュアのわたしなどに興味を示してくださる。
 オランダでの彼女の先生は、音楽の基本としてグレゴリオ聖歌を勉強しなさいと言われるそうだ。そこでわたしのグレゴリオ聖歌のCDを買ってくださった。そのCDの歌詞対訳をお渡しすると、これは役に立ちそうですとおっしゃってくださった。
 
 今日は湿度が高くて太鼓の鳴りが悪かった。
 
9月25日(月)定例 35「モンセラートの朱い本」
 聴衆0。晴れ。ダニエルはわたし一人だからどうにでも自由になる。モンセラートは3人。この三人というのがむずかしい。わたしは気ままに自由に歌いたいのだから、なおさらむずかしい。技術的な問題ではなく、言葉では決められない気持ちの問題。ぴたっとひとつになるにはなお年月がかかるのだろう。それぞれの想いも大事にしたいのだし。
 
 きのうまでの4日間東北を旅行した。往路、敦賀から秋田港への船からすごい夕焼けを見た。その夕焼けを想いながらO Virgo splendensをうたった。
 
9月18日(月)定例 34 「ダニエル物語」
 聴衆1。晴れ。始めたとき、聖堂にはわたし一人。歌いながら昔のことがいろいろ思い浮かんだ。情景、会話、人の顔。あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあ..........。
時去りて あの日のことを 想い出す                    
 
 しばらくして、祭壇に向かってうたうわたしの後ろに、人の気配を感じた。そこからは、そのひとを意識してひたすらダニエルに打ち込むことができた。おかげさまで、今日もいい一日を過ごすことができた。
 
9月11日(月)定例 33「モンセラートの朱い本」
 聴衆1。晴れ。朝夕大分涼しくなったが、昼からの聖堂は暑い。クーラーを止めて歌っていると汗がにじんでくる。ギターの河野さんが、ギターケースにいれてたはずの楽譜がないという。とうとう終わりまで楽譜なしでアドリブをまじえてやってしまった。楽譜がないというのもいいものだと思った。中世ならではの自由さである。もうこれだけ長くやっていると楽譜がなくてもやれていいはずである。ただ、厖大な歌詞のついた歌はそうはいかない。モンセラートをやりはじめてもうゆうに100回は越えていると思うが、まだまだ道を探しながら山を歩いているようなものである。
 
9月4日(月)定例 32 「ダニエル物語」
 聴衆3。晴れ。はじめる前から静か〜な感じの方がひとりおられた。時間になって、静か〜に歌いはじめる。その人の中で音楽がどう醸されていくのか、試しながらうたっているみたい、と思った。
 終わってから、何回か来られたことのある人が、グレゴリオ聖歌を一曲一緒に歌ってほしいとおっしゃる。リクエストはタントゥムエルゴ。
 ♪Tantum ergo Sacramentum .......。
 
8月28日(月)定例 31「モンセラートの朱い本」
 聴衆1。晴れ。河野さんとわたしと船越さん。2回夏休みをとって、今日は少しは涼しかろうと思っていたが、なんのなんの暑い暑い。1ヶ月ぶりの朱い本、ちょっと忘れ気味。2曲目のあたまのピッチがギターと合わない。いつも1曲目の終わりの音を上がらないように気をつけているのだがそれを忘れていた。ギターのチューニングが低めだったということもあるが、うたはちょっと高いところで鳴っているし、ギターの間奏がおわるまで気持ち悪かった。
 終わってからのお客さんとの対話。
 “いかがでしたか?”
 “とても素朴ですね。よかったですよ。お世辞ではありません。”
 “素朴ということは、この曲をよくわかってくださったということです。ありがとうございました。”
 
 昨夜、大阪府と奈良県の県境生駒山の麓にある枚岡神社で行われた「おわら風の盆」奉納公演を見てきた。マイクを使わない鼓弓と三味線と太鼓とうたと、踊りの列が、参道を静かに進んでゆく。今年2年目だそうだが、まだあまり観衆は多くない。優雅なおわらを満喫した。もう10年にもなるだろうか、富山の八尾まで見にでかけた事があるが、ひとの多さにうんざりした。今はもっとひどいのだろう。枚岡の奉納おわらがあまり人気にならず、ひそやかにつづいてほしいと願う。
 
 
 
8月7日(月)定例 30 「ダニエル物語」
 聴衆1。晴れ。たいへん暑い。お盆前最後の定例ライブ。京都から私のダニエルを聴くために来られたご婦人がひとり。今は夏休みで京都に来ているが、普段は東京在住、チェンバロをなさっている由。5年ばかり前に東京で行われた、マイケル・シスク演出ニューヨーク古楽アンサンブルによるダニエル劇上演をご覧になったそうだ。それでは説明はいりませんねとことわって、演奏をはじめる。聴いているひとの中に、うたが、すーっと入っていく感じ、素晴らしい。いつもの事ながら、わたしのダニエルは私一人でつくっているのではないのだ。
 終わってからおっしゃった。“これはこれでとてもいいです”。
 
 先日の東成ボランティアビューローでのダニエルを聴いて次のような感想を述べた方がおられる。“聴いていて、自分が無になっていくように思った”。わたしにとって、こんなうれしい言葉はない。
 
 さあ来週から2回、夏休み。
 
7月31日(月)定例 29 「ダニエル物語」
 聴衆1。晴れ。きょうのお客さんは、いまから7年前ORCが「ダニエル物語」を日本語翻案初演したときの仲間、貴族その他をやってくれた人である。印象深いテノールであった。とても懐かしい。よくわかっている人なので、安心してうたえた。歌が進むにつれ、聴衆である彼とともに乗っていくのが感じられた。はじめる前はちょっとしんどかったのだが、終わってみるとすっかり元気になっていた。
 
7月28日(金)午後2時 「ダニエル物語」東成ボランティアビューロー トレーニングルーム
 聴衆7。晴れ。私の所属する朗読ボランティアグループ「虹の会」の催し。ということで、朗読の部分をお客さんの一人にお願いした。いつもと違う新鮮な感じがしておもしろかった。
 きょうは聖堂でもないし、教会を理解する人はひとりもいないので、はじめる前に少し説明して、つぎのように付け加えた。“みなさんヨーロッパ旅行に行かれたことお有りでしょうか?ヨーロッパのツアーに参加するとまるで教会めぐりみたいでしょう。きょうはそんな感覚でダニエルを聴いてください。”
 
7月24日(月)定例 28「モンセラートの朱い本」
 聴衆3。曇り。河野さんとわたしと船越さん。いつも少しいてすぐ帰る人がいるが、その人が今日は比較的長くいてくださったので、はじめてお客さんの数に加える。いつか最後まで聴いてくださる日があるかも知れぬと期待する。他に高校3年生の女の子と常連の原さん。高校生が来てくれたと言って、ギターの河野さん大喜び。
 
 この間、久しぶりに、30年ぐらい前に読んだ斉藤隆介の絵本を買ってきた。「ひさの星」、絵は岩崎ちひろ。ひさという無口なおなごわらしが、川に落ちた小さな子を助け、自らは水に沈んで命を落とし、星になるというお話である。
 斉藤隆介は、あとがきにこんなことを書いている。
 
 ちいさいもの、弱いもの、仲間たちは、自分の命を捨てても守らなければならない!と声高く叫んでその道をつき進む人は立派です。しかし、黙ってその道を歩いてゆく人もいます。ひとにほめられたりしたら頬を赤くするのです。そういう人たちが、私には星のように輝いて見えます。声高く叫ぶ人の声がかれ、歩くのをやめる時も、この人たちは黙って歩き続けます。時には死に向かってさえも。
 今は声高く叫ばなくてはならぬ時かもしれません。しかしその人たちの心のシンに、星のように黙って輝くやさしさが、ほんとうの強さの核となって、更にその歩みを続けさせてほしいと私は願います。
 
7月17日(月)定例 27 「ダニエル物語」
 聴衆3。雨。演奏をはじめてすぐにクーラーのスイッチを切るのを忘れたことに気が付いた。蒸し暑いしこのまま続けようかとも思ったが、うなりが気になるので歌いながら止めに行った。静かになって、うたう声が聖堂の響きに溶け込んでいくのを感じた。今日は湿気が多いはずなのに、太鼓がしっかり張って比較的よく鳴った。まったく駄目な日もあるのに、なぜだろう、不思議だ。
 
 きょうは海の日、良い名前だ。世界につながる海を思った。地球の平和を思った。
 
7月10日(月)定例 26「モンセラートの朱い本」
 聴衆0。晴れ。河野さんとわたしと船越さん。だれもお客さんがいないので第一曲を何度もやり直す。河野さんがどうしても合いにくいのでこの曲は船越さんとわたし二人で歌うことにする。
 
 聖堂の入り口に赤い小さな折鶴が一羽たたずんでいた。いま教会では、平和を願って千羽鶴を折る運動が進められている。それがはたして、平和に効果があるのかどうか疑問だが、たくさんの人がそれを願うことは大事なことであろう。
 わたしは願いを込めて歌をうたおう。効果があるかどうかは判らないが。
 
7月3日(月)定例 25 「ダニエル物語」
 聴衆0。風邪を引いてしまった。熱は36度7分、普段は36度ぐらいだから微熱と言えるだろう。久しぶりである。ちょうど中頃のダリウス王の入城まで歌って止め、最後のTe Deumをうたって終わりとした。ライブ開始以来始めてのことである。
 
 聖堂にはいろんな人が来られる。今日もひとりの人がしばらくおられたが、歌いながら、その人が悩みを持っておられることを感じた。そこに居合わせても、その人の悩みにわたしは立ち入ることは出来ない。
 
 もう何年も前だが、演奏中ずっと泣いている女の子がいたことがあった。演奏が終わると、その人はわたしのところへ寄ってきて、涙を拭きながら訊ねた。「お願いしたら、ゆるしてもらえますか」
 
6月26日(月)定例 24 「モンセラートの朱い本」
 聴衆1。晴れ。河野さんとわたしと船越さん。もう何回も聴いてくれた人が久しぶりに来てくれた。お互い歳だから、しばらく見ないとどこか悪いのではと気にかかる。
 始める前、ギターの河野さんから「太鼓は俺に合わせようとしないでどんどん自分のリズムを刻んでくれ」と注文があった。無心にリズムを打った。音楽に流れが出て、きょうは良い出来であった。
 大分旅行、精華教会出前と忙しかった先々週の疲れがやっと取れたようだ。
 
6月19日(月)定例 23 「ダニエル物語」
 聴衆0。晴れ。だれもいなくて、きょうは淡々と自分の気持ちのままに歌った。だれか聴く人がいるとその人の気持ちをくみ取りたい。そのためには自分のこころに余裕が要る。疲れて一杯一杯では駄目。
 
6月18日(日)10時30分「モンセラートの朱い本」京都 カトリック精華教会
 聴衆23。曇り。河野さんとわたしと船越さん。この教会でダニエルは2度やっているが、モンセラートははじめて。わたしの疲れのせいかテンポが悪い。太鼓も鳴らない。たくさんの人が聴いてくださったのに残念。
 
6月15日(木)午後2時 「ダニエル物語」大分 カトリック宇佐教会
 聴衆11。晴れ。前夜大阪南港を発った船は雨の中を航行し10時半別府に着いた。船は良い。風呂に入ってぐっすり眠っているまに別府に着く。迎えの車で雨の上がった大分を北上し、1時間ちょっと走って宇佐教会到着。きょうは北大分の三つの教会の会合があるとかで、みなさんと一緒に昼食をいただく。小さな聖堂でダニエル物語をはじめる。3人の神父さんほか5人が外人。日本語のダニエルが解ってもらえるか心配だった。出来はあまり良くない。太鼓は湿気で全然鳴らないし、うたもなぜか力んでしまった。
 
 翌日は阿蘇へ連れて行って貰った。梅雨時で雨の予報だったが、2日間天気に恵まれた。
 
6月12日(月)定例 22 「モンセラートの朱い本」
 聴衆0。晴れ。河野さんとわたしと船越さん。お客さんはだれもいないので、次の日曜日のための練習にあてる。
 今週はいそがしい。出前演奏が二つ。15日、大分の中津教会でダニエル物語。18日、奈良の精華教会でモンセラート。
 
6月5日(月)定例 21 「ダニエル物語」
 聴衆0。晴れ。グレゴリオ聖歌を聴いて帰る人がいる。もう何度もである。口数の少なそうな人なので、まだ声をかけたことはない。この人の気持ちに添うようにそっとうたわせていただいた。歌い終わってしばらくすると静かに帰られる。
 今日はわたしひとりなのに、なぜか気が散った。うたいながらいろんな事が頭をよぎった。最後のテ・デウムになったとき、救急車のピーポーがしばらくつづいた。なにかいたわってくれているような気がした。
 
 
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