ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン 料 理
補遺1 
アゼルバイジャン料理の特色は、次の点にある、他のザカフカス料理にいくらか似た特徴{同じ型のかまど(トィンドゥル) 、調理器具、食品素材の存在}をもちながらも、それらを基礎にして、幾分違ったメニュー、全体としては別な味をアゼルバイジャン料理が作りだしている、ということである。それで、現代のアゼルバイジャン人の日常メニュ−には、他から借用したもの、例えばアルメニア料理からのドールマのようなものが沢山あるが、アゼルバイジャンの民族料理の基本的な構成は独自のものである。
 アゼルバイジャン料理の多くにはチュルク系の名前がついていて、名称では近東と中央アジアのチュルク語系民族の料理ときわめて似ているが、その主要なもの、調理法や味の特徴では、イラン料理にはるかに近い。 それは、次のような事情からである。すでに西暦紀元前6 〜4 世紀に、現在のアゼルバイジャンの国土は、古代ぺルシアのアケメネス王朝の手におさめられた。紀元後 3〜4 世紀以後、現代のアゼルバイジャンの国土は、イランの強力な国家を基礎とするサザン朝ぺルシアの領有になった。それで、イランとアゼルバイジャンでの封建的関係、それとともに多くの世紀にわたってこれらの国に生きつづけた物質文化の主要な特徴の確立が同時に進行したのである。その後、アゼルバイジャンは、8世紀のアラブ人の占領、イスラム教の導入、11〜12世紀の蒙古の侵入を経験した。これらのすべては、人種構成に影響をあたえながらも、イランの特徴を保っていたすでに形成された物質文化にはほとんど影響を与えなかった。それだけでなく16〜18世紀にもう一度、アゼルバイジャンはイランに組みこまれ、ふたたび生活に対するぺルシアの影響が大きくなった。その影響は、19世紀はじめの30年間アゼルバイジャンがロシアに組み入れられるまでだけでなく、その後19世紀末にアゼルバイジャン民族が最終的に形成されるまで残っていた。
  ペルシアの領有の時期、とくに18世紀の後半から19世紀の半ばまでの一時期、アゼルバイジャンが約15の封建諸侯・汗国に分裂していたという事実が、現在も見られるアゼルバイジャン料理の若干の地域的特色の確立をうながしたのである。
  南部アゼルバイジャン、レンコラン・タルイシスク地方では、果実を詰め物にした野鳥 (主に雉) やその他の家禽の裸火での調理、くるみ・果実のつめ物をした魚をトィンドゥルで焼くことがこの地方の特色になっている。チュルクの影響が強いダゲスタンに近い北部アゼルバイジャンでは、肉・生地物料理のヒンカルが主な料理である。大都市{バクー、シェマハ(シルバンの古都) 、キーロババード(昔のギヤンジ) }では肉・生地物とピロークの一種であるデュシュバル、クタボフとイランの糖菓であるシャケルブル、クラビエ, パフラヴィ、ハルフ、シェルベート、ラハトールクマが伝統的に作られている。
 多くの世紀にわたってアゼルバイジャン料理が作られてきた食品素材の選択は、若干の重要な細部の点で、グルジアやアルメニアのものと違っている。 アゼルバイジャン料理の基本的な肉は羊肉であり、仔羊の肉が好まれる。しかし、羊肉は、ここではウズベクのような独占的な地位を占めていない。羊肉とならんで、仔牛の肉が多く使われている、古いアゼルバイジャン料理では、野鳥{ファザン(きじ) 、トゥラーチ(きじ) 、しゃこ、うずらも目立った地位を占めている、野鳥は今ではますます家禽(鶏、はろほろ鳥、なによりもひな鳥) に代えられている。若い肉を使う傾向は、肉が一般に裸火で調理されることで説明できる(年取った肉、とくに牛肉はそれにむかない) 。肉は、酸っぱい果実(さんざしの実、プルーン、ざくろ) と一緒に調理されることが多い、さんざしの実は仔牛の肉、プルーンは羊肉、ざくろのジュースは野鳥と組合わされる。
 アゼルバイジャン料理では、基本的な食品素材である肉や果実のために開発された調理法で作られる魚が、他のザカフカス料理よりもはるかに大きな場所を占めている。例えば魚が羊肉のようにマンガル(火ばち) の裸火で焼かれる、すなわちシャシリーク風に作られ、果実や木の実(へん桃) と組合される、またトインドゥルで焼かれたり、燻製にされる。蒸気浴の方法(水煮ではない) で魚を調理することは独特のものである。
 これらのことはすべてアゼルバイジャン料理では、白身の魚 [アショートル(ちょうざめの一種) 、クツーム(こい科の魚)]が伝統的なものであるということと多く関連がある。その魚は、その長所によって、前にあげたような調理法の利用を可能にしているのである。
 野菜、果実とくに青物スパイスと食用野草が、食事に広く使われ、時にはアルメニアやグルジア料理よりも広く、しかもその多くが煮たり、炒めたりせずに、生のままで使われている。それらが肉またはたまごと一緒に作られる時も、青物の割合は、時によっては料理全体の半分以上になる(チュチュ、アジヤブサンド) 。その場合、肉は十分に煮こまれるので肉・野菜料理が肉汁入りの穀粒カーシアになることが多い、(サブザ・ガブルマ) 。
 現在のアゼルバイジャン料理の野菜の中で、よく見かけるのはじゃがいもである。例えば、スープのピチに入っている。だが古典的なアゼルバイジャン料理は、言うまでもなく、じやがいもを知らず、使えなかった、じゃがいもの利用は、かなり新しくソビェト権力の時代になってからである。それ以前は、じゃがいものかわりに、粟が使われていた。栗こそアゼルバイジャンの肉用の酸味のある自然(果実) のソース [ゴラ(未熟のぶどう) 、アブゴラ(短期間醗酵させた後の未熟ぶどうのジュース) 、ナルとナルシャーラフ (ざくろとその煮つめたジュース) 、スマフ(めぎの実) 、アフタ(さんざしの実) 、生と乾したプルーン}に一番よくあうのである。だからアゼルバイジャン独特の味を出すためには、肉や肉・野菜料理に、じゃがいもだけではなく、栗を使う方がよい。
 アゼルバイジャン料理全体の特徴は、主に地上の野菜を使うことである。根菜類(ビート、にんじん、大根) を使うことはきわめてすくない。そのかわり、ありとあらゆる野草{スパイス、風味づけ、くせのないもの) 、野草(朝鮮あざみ、アスパラガス、円錐形の小さい結球のあるいわゆるデルベンツカヤ・サラダきゃべつ、ヌート(えんどう) 、さやいんげん}が大事にされている。果実や木の実{粟、フンドゥーク(はしばみの実) 、へん桃、レシーネ(はしばみの実) 、くるみ}も好まれ、野菜とならんで使われている。例えば、アゼルバイジャン料理では、果物がバターで炒められる、とくにカイス(乾あんず) 、プルーン、桃がそうされる。
 アゼルバイジャン料理では、葉ねぎが玉葱より多く、しかも大量に、普通、炒め肉料理の前菜として使われる。にんにくも全く同じように利用されているが、その地方種には、特有の辛みがなく、ねぎの葉と一緒に食事に入れられる。その他の薬味草ではクレス(草原、山地) 、ポレーねぎ、パセリの葉、エストラゴン、ちりめんはっか、りんごはっか、メリッサ(香水はっか) 、コリアンダー(キンザ) が多く見られ、きだちはっかはやや少なく、ディルとアジュゴン(ジーラ) はさらに少ない。−方古典的なスパイスの利用は、アゼルバイジャン料理では、かなり限られている。肉、魚、野菜料理に黒胡椒、デザートや菓子に肉桂、カルダモン、ピラフ、魚、シャーベットにグルジアで使われているイメェレティンスキー・サフラン(カルドベネディクトとは違うイラン・サフラン*と呼ばれている本物のサフランが使われている。古代メディアとぺルシアで非常に珍重されていたサフランこそ、アゼルバイジャンの民族スパイスである。とうがらしと一般に辛みのあるスパイスは、グルジァとダゲスタンに接する地域をのぞいて、アゼルバイジャン料理では、あまり使われない。
   *このサフランはアゼルバイジャンで栽培されており、アゼルバイジャンはソ連邦における     サフラン栽培の中心地になっている。
 香料植物では、バラの花びらが食事に利用されているが、このことは栗の使用と同じようにアゼルバイジャン料理を隣のザカフカス料理とは違うものにしている。シロップにバラをしみこませ、それからジャムを作り、バラ油をシャーベットに使っている。
 肉料理やピラフにそえる煮物の葉に使われるくせのない野草の中では、アゼルバイジャンではクイルプイギン**と呼ばれている みちやなぎが好まれている。
   **みちやなぎのアジア種は、ヨーロッパのものとは大きさ、汁の多さ、やわら
     かな葉で違っている。
 アゼルバイジャン料理の基本的な特色は、味にくせのないあっさりした食品、例えば、煮た米、栗またはみちやなぎ.塩をしない若い肉、たまごまたは魚と、はっきりした酸味のある植物や乳加工品との組合せと考えられる。それによって、−面ではあっさりしたものと酸味のあるもののコントラストがつき、−面では、強い酸味が、やや酸っぱい、さわやかなものに和らげられる。それはドブガのような料理や、肉料理と魚料理にざくろやプルーンを使うことや、さらにプルーンや桃から、中央アジアのようにウリユーク (乾あんず) やシェプタラー (とくに甘いウリユーク) ではなく、薄い酸っぱさを特徴とするカイス (クラーガ) を作ることによって確かめられる。
 アゼルバイジャンの多くの料理は、他の民族料理にもある (シャシリーク、ドルマ、チャナヒ、ピラフ、ぺリメニ) 。だがそれらは、調理法に特徴がある。たとえば、アゼルバイジャンの三種のペリメニ (ぎょうざ) ( デュシュバラ、クールゼ、ギーミヤ・ヒンカル) 、それぞれ大きさ、形、生地やつめ物の構成、つめ物のつめ方に違いがある (この点の詳しいことは、肉・生地物料理の作り方を参照) 。
 アゼルバイジャンのピラフは、お祝い料理だがそれにも特色がある。ウズベクと違つてそれは中央アジア・タイプでなく、イラン・タイフ°に属する。ピラフ用の米はその他の材料 (肉、野鳥、魚、たまごまたは果実や野草ひっくるめてガラと言われる) とは全く別に調理され、食卓に出され、食べる時に皿の上でもその両方が混ぜられることがない。米が基礎であり、ピラフの半分以上を占めるので、この料理全体の味は、米の調理のしかたに大きく左右される。米を煮る時、米粒が割れないように、やわらかすぎず、べたつかないように、−粒一粒が形をとどめ、軽く、平均にふくらむように煮るのがこつである。このようにしてはじめて、米には、うまさがないと言われているが、米だけで美味しいものになる。そのために、とくに米は金属製の小型トィンドゥルで、蒸気で煮られるが、その他の伝統的な方法 (参照、作り方) で煮られる、その他にピラフ用の米として、どんな米でもよいのではなく、特殊な、地方種の米が使われることが多い。
  アゼルバイジャン・ピラフの食卓への出し方、食べ方にも独特な伝統がある。米は出来たての熱いものではな<、肉がその中でさめない程度の温かさになって出される。同時に別の皿でピラフの肉または肉・果実の部分とまた別に薬味草を出す。このようにアゼルバイジャン・ピラフはひっくるめてーつの料理になる三っの別々の部分で作られる。肉を米 (またはラバーシュにつめた米) の後に食べそれにつづいて薬味草を食べる。肉をたまごにかえたピラフだけが、違った形で食卓に出される、それは最初皿に米を平らにしてのせ、その上にたまご・植物調味料をのせるが、それをさじで両方が等分になるように、皿からとれるようにしなけれぱならない。本来のアゼルバイジャンの正餐は、東方のすべての正餐と同じように長く (約3 時間ときにはそれ以上) 続くものである。それは普通、ザクースカ (前菜) ではじまる。そのザクースカはアショートル (ちょうざめ) の背肉の燻製に青ねぎ、ポレーねぎ、大根、生のきゅうりまたはクレスをそえたものである。それをチュリヨーク (カフカスの平形パン) の口直しに食べ、アイラン (コーカサスの酸乳) を飲むのである。その際、野菜と葉物は切らずにいつも丸のままで、それぞれ別にして出される。その後、酸味のある炒めた果実がつづく、プルーンが一番多く、桃と半々のこともある。その後スープ (ピチ、ドブガ、キュフタ、ボスバシュ) のどれかーつが出される。ドブガの後に、羊肉で作ったゴブルマがつづく、実 (み) に羊肉が入っているピチの後に (さんざしの実を入れた仔牛肉) ガリヤーかドルマが出されることもあるが、一番多いのは串焼きのひな鶏かきじである。この二の膳料理には全部、青物スパイス (クレス、キンザ、にんにく、エストラゴン、はっか) が沢山そえられる。その後にやっと主な料理であるピラフがつづく、それは同時に二の膳から三の膳へ移る料理の役割を果たしている。ピラフの性格は、その前の料理によってきまる。前の料理に羊肉が入っている時は、ピラフに野鳥か家禽の肉がつけられる。もしも野鳥の肉がピラフの前に出されていたり、一番膳に羊肉が入っていた場合 (ピチ) 、ピラフはたまご、野草 (みちやなぎ) または果実で作られる。前の二の膳にたまご、青物または仔牛肉が入っている場合 (チュグー、ガリヤー) 、ピラフには.、羊肉をそえる。
 ピラフの後、デザートとの中間料理として乾あんず、乾ぶどう、へん桃、ざくろジュースからつくられる濃いソースがつづくことがある。デザ一トはいつもきわめてバラヱティーに富んでおり、細かく割った砂糖が欠かせないが、その他に各種のジャム、果汁の糖汁、シャーベット、ハルバ、糖蜜をつけた焼菓子やカイマクがある、それは最後の料理で、茶にそえて出される。
  アゼルバイジャンでは、茶は正餐の時だけでなく、その他の食事の時にも好んで、大量に飲まれている。非常に強い、下等の紅茶だけが飲まれているが、それもイランのように飲むのに陶製の器 (ピアーラ、または茶碗) が使われず、ミニチュアの壺を思わせる梨のような形をした口のせまい器 (いわゆるアルムード) が利用される。
  大量の青物スパイス、果実、酸味のあるジュースをほとんど一年中、また若い肉や野鳥の肉、酸・乳・葉菜料理の利用は、アゼルバイジャン料理を、健康によい。有用なものにしている。
 アゼルバイジャン料理では、塩の使用が限られていることも重要である。アゼルバイジャン人は、肉さへも全く塩をしないか (基本的な民族料理のーつであるケバブには全く塩をしない) 、果物ジュース (ざくろ、プルーン) やナルシャラフで薄く酸味をつける方を好んでいる。
   
                    アゼルバイジャンの項 終り