リ ト ワ ニ ア 料 理 Литовская кухня
補遺1
リトワニア料理について述べるとき、古い時代に生まれ、発展に特殊な影響を与えた二つの違う傾向にふれないわけにはいかない。すでに14〜18世紀に、リトワニアの特権層
(高官、ポ一ランドの小貴族) の料理、いわゆる古リトワニア料理が作りだされていたが、その後、その発展は中断した。19世紀の後半から終りの三分の一の時期が、事実上古リトワニア料理の伝統と関連のないリトワニアの農民料理の始まりであった。この新しいリトワニア民族料理にこそ、バルト海沿岸のその他の民族の料理に共通する特徴が多く見られる。
歴史的に形づくられた古リトワニア料理について言えば、調理法の原則と食品素材の組合わせの点で、バルト海沿岸料理と違っていた。しかし、このような理由から、その料理を考えに入れないことは正しくないであろう。それがつくりだした多くの料理が、すでに19世紀にリトワニア料理として、世界の料理に入っていたことを考えなければならない。例えば、リトワニア・ボルシチ、リトワニア・ペリメニ
(コルドーナイ) 、リトワニア・グーシヌィエ・パラトーク (鵞鳥の半身料理)
などである。この古リトワニア料理は、ロシア料理は、味のニュアンスと調理法の点で、リトワニアの農民料理といちじるしく違っている。古リトワニア料理は、ロシア料理から借りたものとリトワニア料理の特殊な混合であり、その後ポーランド料理が加わり、また東方
(タタール) と西ヨーロツパ (ドイツ) の影響によって補充された料理である。
種類が違う料理傾向のこの複雑なからみあいは、一方ではリトワニア料理の発展をひきとめていた、それはつぎのような意味からである。古リトワニア料理が基本的にはリトワニアの地域や伝統的な食品素材を基礎としてはいるが、莫大な財産をもっている多くの民族で構成されたリトワニアアの高官やリトワニア上流社会の味や要求などに適応するようにされていたので、民族的なものではなかったということである。古リトワニア料理の豊富さと、よく知られた洗練された調理法、時には見られる料理の具に入れられる材料の種類の多さ
(たとえば古リトワニア・ボルシチ、ジェマイティスキーのがちょうスープなど)
は、前述したことに由来するものである。
14〜16世紀にリトワニアの国家は、東ヨーロツパでは最強の組織をもつた国のーつで、複雑で、発達した国家構造を有しており、発達した国際的な交流を行っていた、とくに東方の国
(キプチヤック汗国、クリミヤ汗国、オットーマン帝国)とはとくに緊密に交流していた。これらの国々との商業取引や、そこからスパイスやその他の特殊な東方の食品素材
を入手する可能性だけでなく、リトワニアの大公の宮殿に、汗国を追放されたタタールの汗
(王) (タフタムィシ4 世もいた)や小貴族が、また14世紀以後はクリミアから移ってきたクリミアタタールやカライームがリトワニアに長期間たえずくり返し滞在したことや、またいわゆるリボフ部隊がリトワニア軍と大公の保護下に入ったこと、これらのことはすべて、上流社会の古リトワニア料理に対して東方料理が影響を与える広範な可能性を作りだし、結局東方の調理技術の借用と、それらの別な食品素材への適用ををもたらした。例えば、ドルマを基礎にして、
(ぶどうの葉、羊肉、乾あんず、ざくろジュース、クルジュク種羊の脂身の代わりに)
きゃべつ、豚肉、きのこ、スメタナからロールきゃべつが生まれ普及した、またムサクの調理法を利用して、酢漬けきゃべつ入りの川かます、わさび入りの川かますのような古リトワニアの魚料理が現れた。料理の幾つかは、東方料理をそのまま借りたものである
(ペリメニ、ヒンカル) 。
一方ではリトワニア国家の三分の二を、ロシア人と白ロシア人が占めていたということも大きな意味をもっていた。多くが封建諸候の子孫であった上流社会もほぼ同じような構成であった。このこともまた、当時のリトワニアの貴族や貴族の食卓の形成に、すくなからぬ影響を与えた。
最後に、古リトワニア料理に対するリトワニアそのものの貢献は、主に森林の産物が豊富なことであった、その基本的なものは野獣狩と野生蜂蜜の採取だった。そのようなことから、古リトワニア料理では、貴重な野生動物
(猪、大鹿、鹿、熊の肉) と、沼地の水鳥や森の野鳥から作る料理が広く普及したのである。料理全体でこれらの材料がしめる割合は、非常に大きく、さらに野生動物の生の肉だけでなく、主に塩蔵肉、野天干しや燻製肉が広く使われていた。この点に関連して、リトワニアがすでに14〜16世紀に、ドイツやその他の西ヨーロッパの国に、野天干しの野烏や燻製の猪肉を輸出していたことは、きわめて意味深いものである。野生の猪のハムは、15世紀には、税金のかわりにリトワニアの国庫にうけいれられていた。この生産物はそれほど質と保存性がよかったのである。
野生蜂蜜採取の生産物{蜂蜜とその加工品 (田舎ビールーブラーガ、蜂蜜酒、蜂蜜菓子など)
}は、古リトワニア料理では、もっと広く行きわたっていた。これも不思譲なことではない。中世の年代記によれば、リトワニアの蜂蜜を「ドイツ、イギリス、ヨーロツパの遠い国すべてが、わずかなもので我慢している」のであった。リトワニアの生活での蜂蜜の重要さについては、次のことが物語っている、それは、リトワニアは、ヨーロツパでは昔から蜂蜜税と特別な野生蜂蜜採取法と、その組合があった唯一の国だったということである。リトワニニア人は蜂蜜を貨幣の代わりにしていた。
古リトワニアア料理を構成していたこれらのものはすべて、17〜18世紀の間に一つにまとめられ、この時期にはまたポーランド料理の一連の特徴がつけ加えられた、というのは16〜18世紀にリトワニア国家が、ポーランド・リトワニア王国に組入れられたからである。18世紀未に、独立国家としてポーランドとリトワニアが消滅し、古リトワニア料理の主な消費者だった社会層が次第に姿を消してからは、リトワニア料理におけるこの傾向は、事実上それ以上発達しなかつた。その傾向が作りだした料理は、ポーランド料理にかなりとり入れられ、その後は世界の料理にさえ部分的に含まれるようになった、世界の料理では、主に材料の種類を少なくして簡単にする方向で大きな変更が加えられており、その結果リトワニア独特の材料がありふれたものに変えられている
(猪の肉のかわりに豚肉、蜂蜜のかわりに砂糖など) 。
リトワニアの農民料理は、19世紀の半ばまでは、きわめて原始的なもので、本質的には、自然経済の生産物だけを基礎にしていたので、それと古リトワニア料理との直接の関連は事実上なかったし、その二つのものの間にはっきりした連続性は生まれなかった、しかし、古リトワニア料理の幾つかは、部分的にまた簡単な形で、その後のリトワニアの民族料理に入れられた。
リトワニアの農民料理が、古リトワニア料理からひきついだものがあるとすれば、それは塩漬け肉と燻製肉
(野生動物と、とくに豚肉と鵞鳥肉の) である。西リトワニアでは、燻製それも肉だけでなく魚の燻製が最も普及している。リトワニアの燻製の特徴は、燻製の技法よりはむしろ燻製の材料に多くの種類のものを利用することである。リトワニアの燻製の技法は、バルト海沿岸の全体と同じように
(穀物倉庫でいぶすという}幼稚なままのもので、数世紀の間変わらなかったが、燻製材には、リトワニアの森にある多くの樹種
(赤・岩・普通のかしわ、黒・灰色はんのき、とねり こ、にれ、しで、はしばみ、ねずの木)
が使われている、その基礎の上に、洗練された燻製混合物をつくる技能が作りだされ、それが特徴になつた。それとともにきわめて素朴で、ゆったりしたリトワニア農村の生活様式が、時には数日間もつづく、燻製のゆっくりした、段階を追う「やわらかな」形式の開発と保存を助けた。これらのことがすべて一緒になって、リトワニアの燻製加工品の独特な味を作りだしたのである。
新リトワニア料理でも、かってほど多くはないが、蜂蜜の使用が維持されている。
調理法について言えば、新リトワニア料理の幾つかには、古リトワニア料理で発達していた材料をムサカ(
参照105 頁) のように入れることや、焼く方法が残っている。他の新リトワニア料理では、古リトワニア料理に似た点よりは、違う点の方が多い。
新リトワニア料理は、第一に食品の組合せの単純さ、時には組合せが全くないことを特徴としている、それは出来あいの熱物料理よりは半加工品や既成の加工食品
(ソーセージ、塩漬け肉、脂身、パラトーク、トゥバローク、スメタナ、酸乳、バター)
が食事に多く使われることに、特にはっきりとしめされている。この傾向は、リトワニア農民の食卓に、じゃがいもが姿を見せてから、さらに強くなった。前にあげた肉や牛乳加工品、半製品にそえて出される熱いゆでじゃがによって、違う組合せができるようになっただけでなく、ゆでじゃがは、そのような材料と非常によくあうものであった。
じゃがいもをよく使用することと、それを基礎にして、古リトワニア料理にはなかったじゃがいも、じゃがいも・野菜、じゃがいも・挽き割り料理を作りだしたことこそ、新リトワニア料理の古リトワニア料理との重要な違いの二つ目のものである。
きわめて簡単で古リトワニア料理とはっきり違っているが、新リトワニア料理は、単一なものではない、それはジェマイツカヤ
(すなわち西リトワニア) とズークスカヤとアウクシュタイスカヤ (東リトワニア)
料理にはっきり分かれている。西リトワニア料理では、燻製の魚が一定の場所をしめており、その他にきわめてまれだが、吉い民族料理での馬肉の使用を
残しているが、それは東リトワニア料理には全くないものである。
ジェマイチヤは長い間、民族の伝統を最も熱心に残そうとしていたリトワニアの州だったが、西リトワニア料理全体は、使用する食品素材の構成(例えば、コーヒーのような輸入素材の食事への導入)
やまた部分的には調理法 (挽き肉の使用、ルリヨートやパシュチョート型の料理の作成)
と菓子の作り方では、ほとんど全部が、ドイツ料理の大きな影響をうけていた。
全体として新リトワニア料理の特徴は、そこでは前菜が圧倒的であること
(これはスープがきわめてわずかしか使われていないことによって強調されている)とならんで、ニの膳の熱物料理に、じゃがいも・肉、じゃがいも・牛乳、じゃがいも・たまご料理が広く使われていることである。その他の野菜や挽き割りは、もっとわずかしか使われていない。その中でリトワニア民族独自のものは、大麦(精製と挽き割り)
、きゃべつ、かぶらたまな、かぶら、かぶ、にんじん、えんどうである。新リトワニアの熱物料理の調理法の原則は、とくに独創的なものではない、それは煮るか、すでに煮たり半煮えにした肉・野菜、肉・挽き割り料理を焼くことにまとめられる。
本来の前菜だけでなく、食卓の基礎として豚肉、家禽、魚の燻製や塩漬けを使用することは、これらの加工品にそえるじゃがいも、挽き割り料理すべてが、薄味でつくられ、塩を全然入れないことも多い結果となっている。スパイスの利用については、リトワニア料理では、他のバルト海沿岸料理よりかなり多く普及しているが、主にマヨラナ、キャラウェイ、パセリ、ねぎ類、ディルに限られている。キャラウェイとマヨラナは、民族のスパイスである。輸入スパイスのうちでは、古リトワニア料理と菓子に黒胡椒、オールスパイス、レモンの皮、ナツメグが使われている。
リトワニア料理 おわり