ラ ト ビ ア 料 理
補遺1 
ラトビア料理は、数百年にわたって、他の民族料理の影響をうけてきた。ラトビアの国土は、長い間、様々な国の支配下に置かれていた。このことが、ラトビア料理にたいする他の民族の料理の若干の影響を強めないわけにはいかなかったことは言うまでもない。
  例えば、リヴォニヤとして南部エストニアにまとめられていた北部ラトビア、ビドゼマでは、エストニアの牛乳料理の影響が強く、長い間ドイツ領であり、その後独立国家として存在していた西部ラトビア、クールゼマ(クルリャンディ) では、ドイツの影響が支配的であり、それは燻製の肉や脂身を特に好む点に見られる。また東部ラトビア{ラトガーリヤ (イフリヤント}は、スラプ領に属していたが、たえずリトワニアと白ロシア料理の強い影響を受けていた。 それでもなお、ラトビア民族の大部分に共通する料理をぬきだすことができる、それらの料理が、いわばラトビア民族料理の土台になっている。 それに含まれるのは、冷たい料理、プートラ、酸乳加工品と、何よりも手作りのチーズ (バクシュタイン型といわゆるたまごチーズ) である。この列挙には、スープと、二の膳の熱物料理と区別できない甘味料理が欠けている。
 実際に、ラトビア料理では、スープは独自な発達をしなかつた。それは、あるいはエストニアの牛乳スープに似ているか、ドイツのじやがいも・挽き割りスープに似ているか、あるいはリトワニアのきゃべつ・ビートスープに近い。このような理由から、ラトビア料理のーの膳料理は、作り方(レシピー) の部にふくめていない。
 民族料理の典型的な二の膳の熱物料理について言えば、それは主にプートラにかぎられる。プートラは脂身、燻製肉または魚と酸乳加工品を入れた野菜・穀粒カーシアである。 (プートラについて、もっと詳しいことは、レシピーの所で述べる。)
主に生の牛乳やクリームを利用するエストニア料理と違い、ラトビア料理では酸乳加工品{ 酸乳 (スカーブス ピエンス) 乳漿、スメタナ、トゥバローク、醗酵チーズ}が、熱物料理とは別にして、またそれに入れて広く使われている。また穀粒素材の醗酵、麦芽による甘味づけ、または醗酵は、ラトビア料理だけのものである。そのような料理には酸っぱい燕麦やえんどうのキショーリがある。それはさらに酸乳または燕麦の濃い汁に酸っぱいこけもものジュースを加えることによって酸味が増やされる。この古風な料理にはプーチェリスという名がついている。 しかし、この真に民族的なラトビア料理の利用は、現在の台所では限られている。その場所は、すでにかなり昔から、ドイツ料理から借用した料理によって占められている、とくに肉と魚料理がそうである。肉の熱物料理は、19世紀の未までは農民の台所では、きわめて僅かしか作られず、エストニア人の所のように、煮たもつ料理に限られていた、それはその後20世紀のはじめにいくらか前進し、それにつける民族独自のつけ合わせによつて補充されるような状態だった (たとえば、作り方の部のキダス (参照反すう動物の第一胃の料理) 。その他の肉料理{炒め、煮ソーセージ、カツレツ、クロプス (叩いた肉) }は、ドイツ料理から借りたもので、ラトビア民族料理の特徴がない。エストニア人のようにラトビア人も生の肉よりむしろ燻製の肉や脂身を利用するようになった。それをべースにして、えんどうかビート、燻製の肉を入れた簡単なスープか、これまた簡単な煮た野菜、またはプートラとまぜた燻製の肉 (変種として、手づくりソーセージ) 料理が作られた。こうして、熱物料理はラトビア料理では独創的な発達をしなかった。
 ラトビアの食卓は、事実上三分の二が冷たい料理 (ビ一ト・サラダ、肉や魚の前菜、たまご、チーズ、トゥバローク、酸乳) である。ラトビア料理の冷たい料理を主にした食卓は、様々な要素の影響によって形づくられたものである。何よりも農民 (主として雇農) 世帯とその生活条件によるものである、第一に、雇農は地主からの手当を現物 (ライ麦、麦芽、じゃがいも、脂身、たまご、にしん) で受取っていた、第二に、朝が早い畑作業 (日の出から日没まで) とそれに関連して、食事を作る時間がなかったことと、食品の種類が限られ、きまりきっていたことによってラトビアの農民は、仕事日には、現物で受け取る冷たい出来あいの食物{パン、脱脂牛乳または乳しょうから作った酸乳 (脂肪はバター、スメタナを作るため別荘でとられていた、全乳は、トゥバロークやチーズにあてられた) }、祭の日には、たまご、脂身の片、手づくりチーズ、塩漬けにしんに食事を限らねばならなかった。
 こうして作りだされた、すくなくとも朝食と日中の食事での冷たい料理に対する習慣 (夕食はほとんどいつもプートラをそえた熱い料理だった) は、その後、非常に発達した多くの冷たい料理 (スミョールガスポルデト、カルテ・ターフェルン、ファインコスト) があるスエーデンやドイツ料理の影響を受けて、富裕な農民や都市の市民の間でも発達した。スエーデンやドイツの冷たい料理には、すでに19世紀か、さらにそれ以前に、中味が複雑な様々なソーセージ、ゼリー、ハム (ウェストファリヤ・ハム) 、骨抜きのもも肉、パシュチョートが入られられていた。 この傾向は、ラトビアの民族ブルジョアジーの生活状態の向上につれて、ラトビア料理に次第に定着し、19世紀の末には、基本的な傾向となった、その時、前菜料理は、ロシア料理の影響を受けて、塩漬けや燻製の魚の魚料理や、ソーセージ型の挽き肉料理をまねて作られた、生地にくるんだ野菜の特殊な焼き物料理や、サラダのような野菜の前菜料理によって補充された。このようなきゃべつや、にんじんの入ったピローク、スープが庶民の間にも普及したが、その時までには貧農でもたやすく手に入るようになっていたからである。ラトビアがロシアの構成に入るまで (18世紀初め) 、農民と雇農は、野菜栽培を知らなかった。多くの野菜は、ラトビアではまったく知られていなかつた。たとえば、きゅうりは最初「ロシアりんご」と呼ばれていた。畑仕事がある夏は、−昼夜に5 〜6 回食事をしたが、一回一回がパン、酸乳、わずかな固ゆでたまご、脂身または塩漬けにしんを入れた冷たい野菜の前菜に限られていたからである。
 20世紀の初めまでに、ラトビアの冷たい料理は、スエーデンとドイツの料理をとりいれ、部分的に自分流に変えて、バラエティーにとんだ、興味のあるものになった、それは肉・たまごのパシュチョート、生地にくるんだ焼き物 (参照ザヤチー スイル) 、塩漬けにしん、たまご・牛肉の中で蒸し煮した魚にソーセージを組合せたもの、多様な冷たい野菜の前菜 (サラダと生地にくるんだ焼き物) のような料理で豊かになった。この列挙に、さらに、ドイツ料理の冷たい甘味料理 (穀粒スープ、澱粉をベースにした果実の濃い汁、キショーリ、ビール・スープ、スネジョーク、シヤロートカなど) を加えねばならない。
 酸乳加工品、とくにチーズとならんで、またそれと組合せて、このような冷たい料理は、多様なものとなり、この民族料理に熱物料理がないことをある程度おぎなっていることはいうまでもない。
 ラトビア料理の味は、,すでに述べたように酸乳 (プロストクワシア、スメタナ、トゥパローク、手づくりチーズ) と燻製加工品によってきめられている。それにとってきわめて特徴的なことは、たまごを非常に多量に広く利用していることである、たまごはすべての冷たい前菜、肉・たまごパシュチョート、魚料理、野菜の焼き物、チーズ (たまごチーズ、これではトゥバロークが溶きたまごと一緒にゆでられる) 、甘味料理{たとえば、たまごカーシア、ゴーゴリ・モーゴリ (卵黄・砂糖・ラム酒の混合飲料) 型の純粋の卵料理}に利用されている。
 冷たい料理は、またエストニニア料理よりも、はるかにうすい味の食事構成を決定している。ラトビア料理は、塩漬けやマリネード漬けにしんと燻製の魚 (うなぎ、スプラットいわし) 、ねぎ類を広く利用することを特徴としている。ねぎ類 (玉葱または葵ねぎ) はそのままの形で、冷たい料理の具に入っている。東部ラトビアでは、リトワニア料理にならって、牛乳料理にキャラウエイをかならず入れている。脂身、燻製肉、冷たい肉の前菜は、からしの使用を生みだした。このようにラトビア料理の味は、適度な酸と塩味と考えられる。
  食事の中に熱い汁物料理が不十分なことは、コーヒをかなり飲むことで、ある程度おぎなわれている。
 ラトビア料理の菓子について言えば、それらはドイツから借りて、作りかえたものである。ラトビアでは、ビスケットや砂糖ピロークに人気があるが、−方エストニア料理では、たまごの味つけだけでなく、牛乳、バター・味つけ生地が主流である。
                                         ラトビア料理おわり