ウ ズ ベ ク と タ ジ ク 料 理
ウズベク料理補遺1
タジク料理補遺1
ウズベク料理補遺2('98.9.27)
ウズベクとタジクの民族料理になじむと、すぐ気がつくことは多くの料理の名称が部分的に一致しているだけでなく、何らかのもっと本質的なもの、すなわち食品素材の選択や調理法の多くか一致しているということである。 このような一致の理由は、いうまでもなく自然条件が同じであるということだけで説明がつくものではない。中央アジアの人々が利用できる食品素材の類似性が料理、食品材料の組合わせの独自性を大きく決定していることはいうまでもないが、それ自体は食品調理の原則や手法の一致、同じ調理法の利用を生みだすものではない。ウズベクとタジクの料理が似ている理由は、うたがいもなく、この二つの民族の歴史的な運命とかたくからみあっている。
  すでに4 〜7 世紀に、中央アジアには二つのグルーブの民族 (ナロード) がいた、ーつは古代の農耕オアシス住民の子孫であり、もうーつはよそからきた遊牧民だった。 タジク人は、古代のイラン語系の土着民であり、現在まで多くの世紀にわたってタジクスタンの領域に住んでいる。彼らに現在の名称がついたのは、8 世紀のアラブによる占領以後である。すでに10世紀に、本来の職業が農耕と園芸であったタジク人は民族体 (ナロドノスチ) を形成していた。10世紀末から、すでにそれ以前の数世紀にわたって土着のイラン語系住民の中に徐々にしみ通っていた様々なトルコ語系民族が、中央アジアにおそいかかった。トルコ人は、タジク人を盆地から山地へ追いやるか、部分的にタジク人を同化した。12世紀までにアムダリヤとシルダリヤの二つの川の中間地帯のトルコ語系住民が、ウズベク民族体の基礎をつくりだした。タジク人とともに、彼らは13世紀には蒙古に占領され、それは中央アジアの民族の発展を長い間中断させた。
 16世紀のはじめに、中央アジアはキプチヤック汗国の滅亡後もふみとどまっていた遊牧民と北やキプチヤック・ステップ (カザフスタン汗国) からやってきた遊牧種族に占領された。彼らは土着住民とくにトルコ語系住民と混ざりあって、ウズベク民族体形成の決定的な人種層となった。アムダリヤとシルダリヤの間に定住した、かっての遊牧民は、タジクやその他の土着住民の農耕経済機構とその文化を次第に真似するようになり、それと同時にそれらに影響をあたえるようになった。こうして16世紀以後中央アジアに、プハラとヒワ汗国が形成され、それらは1920年まで存在した (18世紀末から19世紀末まで、もうーつのコーカンド汗国があった) 。これらの国家は、民族的な性格のものではなかった。ウズベク人もタジク人も部分的にプハラ、ヒワ、コーカンドに含まれていた。これらの民族体の人種的な違いは、言語の違いを考えなければ、生活でも精神文化でもはっきりしたものではなかった。これらの封建国家で、都会の住民と農民、商人と手工業者、封建的な大地主や大商人の上層部、回教僧、回教の宗法学者、回教の僧侶兼裁判官、イシヤン (回教寺院の長) と農村の勤労大衆の生活と文化をきびしく区別する社会的な垣根がはるかに大きな意味をもつていた。 それで、これらの汗国の住民の料理も、民族によってではなく、むしろ社会的、階級的なものによって区別されていた。
 農民の食卓では粉物、レピョーシカ、酸乳、少量の野菜、豆類が多く、−方富裕な層は、主に肉料理、野鳥、多くの果実と糖果を食べていたが、中央アジアの様々な民族が緊密に相互に作用しあうなかで多くの世紀にわたってつくりあげられた調理の原別は、結局、共通の財産となり、現在のウズベクスタンとタジクスタンの領域に住むあらゆる階層や民族体で同じものとなった。
 ウズベク人とタジク人の現代料理の特徴は大量の肉とくに羊肉を利用して、豚と脂肪の多い家禽 (がちょう、あひる) を絶対に使わないことである。その他の家禽 (鶏、七面鳥) もたまにしか使われないが、−方野鳥 (きじ、しゃこ、うずら) は、食糧の補充として使われることが多い。
  どちらの民族も地方種の穀物 (小麦、もろこし、米) 豆類 (えんどう、いんげん) 、幾つかの野菜 (かぶ、かぼちゃ、大根、にんじん) 、各種の果実や木の実 (あんず、ぶどう、みざくら、すもも、まくわうり、ピスタチオ、くるみ) を多く使うことが特徴となっている。−方、魚料理はほとんど見あたらず、たまごの使用も限られている。
多くの料理特にーの膳の料理で、酸乳 (カトイーク) とその加工品 (スジマ、クルタ) が利用され、脂肪の利用法が同じ (植物油と獣脂の組合せ) ことや、スパイスとくに玉葱、とうがらし、アジュゴン (ジルィ) 、ターメリック、 ディル、キンザ、はっかが多く利用されることは共通している (にんにくは稀に利用されている) 。スパイスに入らない薬味の中で、へびのぼらずの実とブジュグン (ピスタチオの木につく虫こぶ) がポピュラーなものである。
 しかし、ウズベク料理とタジク料理の一体性は、材料の選択よりも、基本的な調理法の選択に見られる。 熱処理の基本的な手法は、焼くことだが、とくに油炒めが多く、裸火{マンガル (こんろ) またはタンドィル (タヌール) ( かまど) }で焼かれることもある。油炒めの場合、とくに過熱した油が使われる、また肉物だけでなく、粉物や野菜も、同じように炒められる。
 別の調理法の蒸気による蒸し煮を、ウズベク人もタジク人も利用している。 この処理法が、同じ調理道具と同じ型のかまどの利用をうみだした。油炒めは、釜 (厚手の上がひらいた金展製の大鍋) でされ、蒸し煮は特別の「せいろう」でされる。
 タジクとウズベク料理の最後の特徴は、料理を食卓に出すきまりが同じこと、その特別な順序、スープが非常に濃いこと、ニの膳料理が半流動的な濃度であること、穀類、豆類、野菜を肉や生地と組み合わせる (ピラフ、シヤプリ、ハリサ、ハリム) ことである。 このようなものが、ウズベクとタジクの料理をーつにまとめる主な特徴である。両者の違いは、部分的なものであるたとえぱタジク人は、羊肉とならんで山羊の肉をよく使い、ウズベク人よりも野生動物を食べることが多いが、ウズベク人には、その先祖のはるか昔の遊牧生活を思い出させるものとして現在まで伝わっている馬肉や馬乳でつくる料理がいくつかある。 タジク人は、豆類では山地えんどうを好んで使い、ウズベク人は地方種の小さないんげんであるマシュを好んでいる。個々の料理の構成にも違いがあるが、その違いは民族によるものでなく、地域の違いであることが多い。ウズベクスタンまたはタジクスタンの大都市 (ヒワ、ブハラ、サマルヵンド、ホジェンド、ドゥシャンべ等) ではそれぞれ、昔からまわりとは幾分違う具を入れたり、材料を入れる順序を変えたりして、独自のピラフ (タジク人とウズベク入の基本的な民族料理) が作られている。その他、タジクスタンの山岳部や入口の密な地方では、タジクの民族料理だけにあって、ウズベク料理に似たものがない料理 (たとえばハリサ、フーシャン) が昔から残っており、今まで伝えられている。それはタジク料理がウズべク料理にくらべて、はるかに古く、複雑で洗練されたものであることを証明している。タジク料理の部では、このような料理にふれることにする。ウズべク料理の部では、純粋のウズベク料理とウズベクとタジクに共通する料理、例えばよく作られる各種のスープ (シェルパ) や炒めたピロシキ (サムサ) を検討する。
 人口は、ウズベクスタンがタジクスタンの約二倍あるので、ウズベク料理に地方料理が多いのは当然である。それで中央アジアの料理の検討を、ウズベク料理から始めるのも当然であろう。
 だが、作り方 (レシピー) に移る前に、中央アジア料理のうちの、スープ、肉、野菜、粉、甘味料理のよう料理群の特色をもっとくわしく検討しなければならない。
 これらの料理の作り方は、とくにヨーロッパの同種の料理とくらべると、きわめて特殊なものである。 スープは、ウズベクとタジクの料理でかなり大きな場所を占めている。その特色は、濃度が非常に密で、われわれが普通考えるスープよりはむしろカーシアを想わせるものである、ということである。それだけでなく、このスープは脂肪分が多く、脂肪の表皮があるが、それは肉を入れない時でも、クルジュク種羊の脂身やまたは濃縮バターが入れられるからである。 これらの純粋に外見上の違いの他に中央アジア料理のスープには、材料の構成と調理法にも特散がある。その特徴は、スープに地方産の挽き割り{マーシュ (中央アジアの小さいいんげん) やジュガル (ソルゴー) }、とうもろこし、米、それらを組舎せたものを使うことである。野菜ではにんじん、かぶ、かぼちゃがスープに必ず入れられるが、ヨーロッバのスープよりもはるかに多く入れられる。ねぎ類の使用量も非常に多く、ヨーロツパの二倍から五倍である。中央アジアのスープの作り方について言えば、その主要な特色は次のものと思われる。第一に「炒め」スープ (はじめに固体の部分を炒めてそれから水を入れる) であり、第二に酸乳スープを作るために、カトイークやスジマを使うことである。最初の方法は、肉スープを作る時の時間をかなり短くするし、第二の方法は、スープに独特な酸味をつけ、そのカロリーを高め、消化をよくする。
 ウズベクとタジクでよく作られる型のスープは、シュルパ (シュルポ) 、マスタバ (マストバ) 、アタラ (アトラ) 、ウグラ (ウグロ) 、ピエバ (ピィヨバ) 、酸乳スープ (カトィクリ) である。さらにタジクの酸乳スープでは、牛乳の割合が、ウズベクの半分だか、乳物料理の脂肪分は、カトィークのかわりにスメタナを利用したり、濃縮バターを入れたりして多くなっている。タジク料理には、
ウズベクとタジクに共通のスープ (ビエバ、アタラ、ジュガルからつくるスープ) の作り方に多くの変種がある。しかし、この変種は、料理そのものを変えるものでなく、スーブに幾分違った二ュアンスの味をつけるにすぎない。 スープの幾つかはウズベク料理だけにしかない、それはクルトワ、ショピルマ、カクルム、シフモンである。これらのスープは乳製品の利用を基礎にし、おそらくウズベク人の先祖である遊牧民の時代に作られたものであろう。穀粒から作られる別のスープ (いんげん豆スーブ、カシュク、ブリンチョバ) は、タジクだけに見られ、古代の農耕文化と関連がある。
 スープと肉料理は密接な関連がある、それは、多くのスープが肉やポストドゥムバ (クルジュク種羊の皮) と一緒に作られるからである、とくにウズベクではそうされている。 肉の加工で共通する特色は、肉を骨から切りはなさない習慣である。スーブでも、二の膳料理でも、肉はかならず骨をつけて煮られたり炒められる。例外はケバブ (焼肉) だけで、それも上質のひれ肉でつくられるときだけである。家禽や野鳥を調理するときの独特な手法は、熱処理の前か後にかならず皮をはぐことである。保存できる肉料理{カブールダク、ハシブ (ハシバ) }を作ることも、二つの民族に共通している。それは冷たいまま食べるか、スーブやピラフの材料として利用される。肉料理の多くは、−種類の肉で作られ、ねぎ類の他には、何のつけ合わせもつけない。肉とゆでた生地の組合せも独特なものである。その中で最も普及していて、中央アジア以外の所にも知られているのは、マントゥイ (−種の大型ペリメニ) 、ラグマン、シマ、マンパル (ラプシアの一種で、肉とまぜて作られる) である。どの料理にも、ウズベクとタジクに、さまざまな変種がある。
 野菜利用の特色についてもいささかふれねばならない。ウズベクにも、タジクにも独立した野菜料理は、ほとんどない。野菜はスーブに利用され、肉料理やピラフの前菜として使われることがある、その場合、生で使われる (ねぎ類、だいおう、大根) が、穀類や肉または粉物料理の特殊な材料とされることが多い。ピラフやシャブリの具、サムサのつめ物、ラグマンやシマのバッジアである。この場合野菜は、肉と同じようにあつかわれる、すなわち大量の脂で炒めてから肉、穀粒または生地とまぜられる。
 すでにふれたように、ウズベクとタジク料理では、蒸したり、ゆでたり、とくに焼いたり、炒めたりした生地で作る粉物料理が非常に広く利用されている。各種の粉物料理が、中央アジア料理のほとんど半分を占めていると言っても言いすぎではないだろう。さらにその多く、とくに多くの種類があるレピョーシカは、100 パ一セント粉物料理で、パンのかわりや、カトィークと一緒に独立の料理として使われている。大部分の粉物料理とくにレピョーシカ (ノニ、パトィロフ、ロチレ、チェバチ、カトラムィ) とサムサは、特別のかまど{タンドィル (タヌール) }で焼かれる、赤く焼けたそのかまどの壁に、水につけておいた粉物をはりつけて焼くのである。このことだけからも、中央アジアの粉物料理を、違った条件 (例えば、ガスこんろのオーブン) で作ることは難しい、その場合必要な温度がえられず、したがってタンドィルのような濃度と味の料理が出来ない。それで、本書では限られた数の粉物料理の作り方と、タンドィルがなくても、オーブンで焼けるものと、中央アジアの調理法の特色をしめすことができるような例、たとえば生地の醗酵やこね方の特色だけをあげることにする。ウズベクとタジク料理で用いられている粉物料理を焼くその他の三っの方法は、中央アジア以外でも可能である。それはバターを入れず、バターを塗っただけの大鍋で焼くこと、炭火の上にのせた二つのフライパンの間で焼くこと、過熱したバターで炒めることである。
 ウズペクとタジク料理の甘味料理は特殊なもので、バラエティーにとみ、数も多い。ウズベク人もタジク人も中東のその他の民族 (アラブ、ペルシア、トルコ) の多くのように、最後のしめくくりの料理としてのデザートを知らない、と言えば十分であろう。ヨーロッパの食卓では、食事の終りに出される糖菓、飲物、果実が、東方では、食事中に二度、時には三度食される、それらは食前、食後、食事の中途に出される。
 いうまでもないが最近この習慣は、ウズベク人とタジク人の間では、徐々にすたれはじめている、というのは次第に多くの人が、食前に甘いものを食べると食欲がなくなるということに気がついたからである、だが、伝統と習慣によって、東方の食卓では今もあいかわらず、食前に数種類の糖菓、甘い飲物、生や乾燥、天日ぼしの果実とくに乾ぶどうや乾あんず、メロンや西瓜、炒めたり塩漬けにされた木の実が出されている。 生の果実、液果、ぶどう、メロンのように、ウズベクスタンとタジクスタンのすベての食事に、茶もついている。茶で食事をはじめ、脂肪の多い肉の前菜や粉物とくに二の膳料理の口なおしを茶でして、茶で糖菓の口なおしをしながら食事を終る。
 地方によって、さまざまな型の茶が飲まれている。ウズベクスタンの大部分とくに農村地帯、東部と南部 (サマルカンド、ナマンガン、アンジジャン、フエルガナ、コーカンド) では緑茶が好まれているタシケントやその周辺の北部ウズベクスタンでは、下等な紅茶がよく飲まれている。カラ・カルパク (共和国の西部) では緑茶と紅茶が飲まれているが、多く牛乳が入れられている。タジクスタンでは、緑茶が主に夏飲まれ.、紅茶は、どこでも冬飲まれている。ついでに言えば、中央アジアでは、 (紅) 茶は砂糖なしで飲まれる。
 食卓用に作られるその他の特徴ある飲物のうちで、砂糖を入れたシャーベット (シャルバチ) {果実の煎汁 (または「ザバル」) }をあげることができる。もちろん、ウズベクスタンでは、タジクスタンほどシャーベットは普及していない。それで、シャーベットについては、タジク料理の項で述べることにする。
 独自の糖菓は、次の六っのグルーブに分けられる、キョーム (果実、野菜のシロップ) 、ベクメス (糖蜜タイプの、濃縮した粘りのある果実や液果のジュース) 、ナバト (着色料やスパイスを加えたぶどう糖の結晶と煮つめたぶどう糖をまぜたもの) 、木の実や乾ぶどうをベースにした糖菓、各種のハルバとハルバ状糖菓であるそのうちの大部分は、はっきりした民族的な特徴のない東方の糖菓として、中央アジア以外の所でも知られている。実際ナバトやハルバのような糖菓は、中東のいたるところで作られている、その「祖国」はイランやソ連邦の中央アジアの共和国内の多くの中心地である。ウズベクとくにタジクの菓子 (カンダラトチ)1は、昔から東方では有名なもののなかに入っていたことを言わねばならない。しかしこれらの有名な糖菓の作り方は、きわめて特殊なもので、特別のかまどや道具、複雑な熟練 (例えば粘りのある砂糖シロツプを手ですばやく糸のようにのばす) を基礎にするもので、家庭でそれを作ることはできないか、きわめて難しい。本物のハルバを作るにはたとえば、ごまやトルケスタンのサポニンを含んだ根 (なでしこ科のコリユチェスニーク) の濃縮液や各種の着色料 (たとえばターメリック) が必要である。
 それで、本書では家庭でとくに苦労せずに作れ、したがって商店でほとんど見かけないような糖菓の作り方だけをあげることにする、それはサポニンを含まない、さまざまな木の実・果実をまぜたものとハルバまがいのものである。この場合、多くのものがその他の中央アジアの共和国に広まっていても、ウズベクスタンとタジクスタンの特徴となるような糖菓を、できるだけ選ぶようにした。同時に、ウズベクスタンでもポピュラーだが、それ以上にタジクスタンを特徴づけるような糖菓の作り方は、タジク料理の項にあげておいた、しかし、菓子物の作り方の民族による違いは、中央アジアの民族では、きわめてすくない。

  ウズベクとタジクの項おわり