我が家の子育て記

長女:澄夏(すみか) 2000年8月21日生まれ

 すみちゃんは3歳で体重も12kgを超えました。初あんよが1歳8ヶ月という鈍行で心配しましたが、今はもう大丈夫です。もう服のボタンも留められるし、オムツもほぼ完全に外れました。好物は果物全般、トマト、きゅうり、鶏肉、麺類、納豆(ねばねば)、いくら(ぷちぷち)、乳製品、こんにゃくです。ちなみに便秘知らず。

二女:楓香(ふうか) 2003年10月14日生まれ

 ふうちゃんは生まれたばかりの赤ちゃんです。ママのおっぱいが大好きで3時間我慢することができません。だから順調に太っていて、お相撲さんのようなほっぺたと完璧な二重あごとボンレスハムのような手足の折り目がチャームポイントです。たまにニコニコ笑ってくれます。

見苦しくない程度の親ばかを目指す私です。(^_^;) このページは妻に任せて「新米ママの子育て奮闘記」と題する予定でしたが、ちょっと書き物をする余裕がないらしく当面私が担当します。なお、妻は長女の保育園入園を機に「澄夏とママの一日」という日記を書いています。興味のある方はこちらもどうぞ。大阪の私の両親への報告も兼ねていますのでご了承下さい(フォントも大きめです)。

誕生 頑固な逆子
(2000年8月)
逆子体操はお腹が張るだけで効果がない、と産婦人科の先生には力説されたので、それではと東洋医学にすがってお灸なんぞも試したみたけれど効果なし。
命名は難しい
(2000年8月)
外国人にも読みやすい名前というのも考え実際に図書館で本も借りたのだが、大半は想像を絶するような当て字や強引な読みばかりでとても使い物にならなかった。
1ヶ月 おむつ替えとお風呂はパパの仕事らしい
(2000年9月)
おむつ替えの時、汚物で汚れたお尻やアソコ(なんて表現すればいいの?)を拭いてあげるのだけれど、やっぱり相手が女の子だと思うとちょっとキンチョーする。
アカチャンホンポは平和だ
(2000年9月)
「私はフェチではありません。ちゃんと結婚していて仕事もしている男です。妻が出産したばかりで実家から出られないから仕事帰りの私がおつかいを頼まれてこうして一人で来ているんです」
小児科は上を下への大騒ぎ
(2000年9月)
我が子は髪の生育ではまだまだかなわないが、顔はでっぷりしていてあごが二重で血色もよい。女の子なのにこのまま育てばフィル・コリンズだ。
お宮参りは晴天に限る
(2000年9月)
駅から神社までの道中は歩道が狭いので一列になって歩いたが、義母が日傘を差していたこともあって、なんだか大名行列のよう。
ベッドよりクーファンよりやっぱり抱っこがいちばん
(2000年9月)
手足のジタバタが高じて源純夏ちゃんのような水泳選手になるのならいいが、この二重あごではウエイトリフティングのほうが世界を狙えるような気がする。
2ヶ月 澄夏は多摩川を越えて我が家へ
(2000年10月)
昔「天才バカボン」で、ケンカの弱い子が身体中に納豆を塗りたくって、いじめっ子の中村くんが掴もうとすると滑ってするりとすり抜けるという話があったのを思い出した。
Mr.げっぷへの道は遠い
(2000年10月)
かなりの確率でげっぷではなく下のほうから「ブリッ、ブリブリ!」という断続音が聞こえることがある。澄夏はそんな時、目は虚ろで口をすぼめて突き出すような安堵の表情を見せる。
3ヶ月 入浴にセオリーはあるのだろうか?
(2000年11月)
「お風呂に入れるのはパパの仕事」とは、会社の人からよく聞かされた言葉だ。そんなの別に大したことじゃないんだから奥さんがやればいいのにとずっと思っていたが、やってみると実は結構これが大変だった。
生誕100日記念の「お食い初め」
(2000年11月)
どうせ真似事だからということで順に料理を口元まで箸で持ってきては妻が自分で食っている。無理やり口に入れたりすると腹壊したり大変なことになるらしいが、何だかいじめているようにも見える。
4ヶ月 横浜そごうはえらい
(2000年12月)
横浜には「横浜そごう」が燦然と輝いているのだ。今や授乳室やベビーカーの貸し出しは珍しくない。横浜そごうがなぜ優れているのか? それは託児設備の存在だ。
4ヶ月検診で一発屋の本領発揮
(2000年12月)
育児書でいくら「成長の度合いには個人差があります」なんて書かれても、こういう場で現実を見てしまうと親としては不安になるんだろうなあ。などと思っていたら澄夏は突然すくっと首を上げた。
子連れの旅行は大変だなあ
(2000年12月)
私は常々「温泉・カラオケ・カプセルホテルは日本が世界に誇るべき文化である」と主張しているが、こんな風にのんびりさせてくれる温泉宿は本当に偉いと思う。
5ヶ月 初めての優先搭乗
(2001年1月)
搭乗開始時刻の10分以上前からゲートに並んでいる連中に一瞥をくれ、私はソファに陣取って余裕をかました。そして例のアナウンスが流れると、待ってましたとばかり娘を抱いておもむろに立ち上がった。
ジョンソン・エンド・ジョンソンのタッチケア講習会
(2001年1月)
皮膚が白くなる程度まで圧迫して大丈夫ですとはいうもののなかなか力加減が難しい。腕や足に至っては雑巾を絞るように両手でぎゅうぎゅう締め付けるのだが、骨がどうにかなってしまわないかさすがに心配になる。
6ヶ月 テレビに出ました
(2001年2月)
「このリポートにはお母さんしか出てこなかったが、いうまでもなく父親のスキンシップも大切」と結んでいたのがよい証拠だ(出てるがな!)。
7ヶ月 連夜、妻に暴力を振るう私
(2001年3月)
さて妙なタイトルであるが事実最近は毎晩のように暴力をふるっている。転勤のストレスで酒量が増え、いきおいカッとなると自分を抑制できなくなって妻に拳を振り上げてしまうのだ。
おひな祭りは質素に
(2001年3月)
私の実家には鯉のぼりはあっても雛人形などなかった。だからどのようにお祭りの儀式を行うかなんて全くわからないので、例によって妻主導で物事は運んでいく。
澄夏、都落ち
(2001年3月)
いよいよ大森での最後の夜。澄夏がいなければお洒落なレストランで乾杯してかの地での2年間の思い出を語り合う夕べとなっただろうが、結論としてはほか弁だった。(;_;) 
10ヶ月 梅雨入り前にマイカー購入
(2001年6月)
この状態で梅雨を迎えると俵糧攻めにあうようなものなので、重い腰をあげてマイカーを購入した。元々私は車にあまり興味がない。だからカタログ集めや車種の選定はほとんど妻が行った。
1歳 保育所さがしは簡単ではない
(2001年8月)
空きが出るまでのいわゆる待機児童はその間どうするかというと、祖父母が近所にいるようなケースを除いては無認可の保育所に預けるより他はない。
保育園で風邪の洗礼を受ける
(2001年8月)
せっかく馴染んできた娘だが、ある日突然熱を出して息がゼロゼロいいだした(※大人ならゼーゼーと記述するところだが、なぜかどの育児書にもこう書いてある)。
満一歳の誕生日と妻の職場復帰を祝う
(2001年8月)
以前は騒々しくて疎ましい存在とうつっていた子連れのママを、微笑ましい存在として優しく見守ることができるようになったことなどは自分の中の進歩である。
1歳4ヶ月 日課は保育園の送り迎え
(2001年12月)
運良く「朝出し」がなかった時は祈るような気持ちでバケツを覗き込む。「どうかビニール入りのオムツがありますように・・・」と。(^_^;)
1歳6ヶ月 紙オムツの価格調査
(2002年2月)
パンパースのあのサラサラ感と水分吸収力に勝るものはなく、おしっこお知らせラインのアイデアも秀逸であり、紙オムツ界の王者の座は揺るぎようがない。
保育参加で大モテ
(2002年2月)
これは「保育参観」ではなくて「保育参加」であった。ただし書きには「当日は保育士と同じ立場で保育に参加していただきます。ご両親が参加できないお子さんの世話も行っていただきます」とあった。
1歳8ヶ月 パスポート取得で一人歩き始める
(2002年4月)
運賃がタダのうちに海外へ! パスポートを手にした夜、娘は1歳8ヶ月を前に遅ればせながら一人歩きをはじめた。国際派こどもへのデビュー時期だと悟ったのかも?
1歳9ヶ月 グアム家族旅行記
(2002年5月)
弱冠1歳9ヶ月での海外旅行。ノースウェストの貧弱なサービスに航空不況を嘆く。個人旅行の鉄則「ホテルは街に近いところに取るべし」は子連れにも当てはまることを知った。
2歳 2歳の誕生日は遊園地&動物園
(2002年8月)
歩いてしまえば子育ての第一ステージは一応の終了、ということで細部は覚えていないけれど、娘は東京ドームホテルで2歳を迎えました。
札幌転勤とその後
(2003年8月)
サラリーマンの宿命で厳冬の札幌に転勤。妻は退職、お腹には第二子。私は転んで病院通い。でも札幌の生活はなかなか楽しい。
3歳1ヶ月 娘とふたり旅
(2003年9月)
ついに決行しました、3歳児との一泊二日温泉旅行。親が楽しければ子も楽しいに違いない! 前から行きたかった美深トロッコ王国へ。往復500qはきつかった。
二女誕生 立会い出産体験記
(2003年10月)
一人目で果たせなかった立会い出産を経験しました。これは結構壮絶でした。妻には当分頭が上がりそうもありません。でも無事に自然分娩できてよかった。
二女命名
(2003年10月)
同じ性別の二人目は命名が難しい。上の子との調和を考えないといけないし、夏に対する秋ではバリエーションがあんまりないのだ。