落書きは厳罰にすべきだ
― 刑罰の代わりに奉仕活動を ―
落書き、落書きで大騒ぎである。岐阜の女子短大生に京都の学生、はたまた茨城の高校野球の監督。新興強豪校のこの学校の監督は、夏の甲子園を前に解任されてしまった。この騒動にとうとうイタリアのメディアまで参加して、厳しすぎるだの日本は異常だのと、思わぬところまで波紋が広がっている。
どこが厳しすぎるだ。こんな考えの足りない監督に高校生を指導する資格があるわけがない。ただこの騒ぎ、ちょっとおかしな方に行ってしまってはいないか。そもそもは世界遺産のイタリア・フィレンツェの大聖堂に書かれた落書きから始まった。いくら世界中の人がここに落書きしているからといって、よその国の大事な遺産に落書きするなんてとんでもない、日本人の恥だ、という論理はもちろんわかる。書いた人がお咎めを受けるのも当然だ。
だけど、それを言うなら、私の大好きな京都をはじめ、日本のあちこちにある世界遺産や、様々な古寺古刹の実態はどうだ。バカップルの名前やハートマーク、修学旅行の生徒の名前や学校名があふれ返っているではないか。とりわけ京都のなかでも、私が好んで足を運ぶ機会が多いあの竹林のお庭の惨状は、時として、来るんじゃなかったという気分にまでさせられる。
竹は生き物なので、落書きを削ってしまうと表皮だけでなく、竹そのものが弱ってしまう。仕方なくそのままにしておくと当然、竹は成長するから、竹とともに、バカップル、バカ生徒の字もどんどんデカくなる。書いた本人は人間的に成長するはずがはないと思われるのに、バカが書いた落書きだけはどんどん成長する。こんな光景を見せられたのでは、静けさを求めてやってきた心もざわつくばかりだ。
そこでどうだろう。これを機会に日本の中に落書きは一切許さない。厳罰にするという風土を作り出したらいいのではないか。まず一つは落書きは器物損壊罪で、これを親告罪だとする法的障害をとっ払う。親告罪だと落書きされた当事者の被害届けがないと事件にはできない。だからなかなかその場で逮捕、検挙できない。この親告罪をなくして、片っ端から捕まえてしまうのだ。
そんなことをしたら、それでなくても満杯の日本中の刑務所が落書き犯であふれ返ってしまうという声もあろうが、そこは心配無用。それこそ欧米で長い歴史を持つ、刑罰に代わる奉仕活動の義務づけをすればいいのだ。落書きをしたけしからんヤツに裁判所が6か月とか10か月間という奉仕活動を命ずるのだ。
もちろん奉仕の中身は、落書き消しのボランティア。命じられたら、古寺古刹に世界遺産、日本中にあふれる落書きをせっせと消して歩く。それがいやなら刑務所という檻の中に入ってもらう。あちこちの落書きは消える、刑務所は混み合わない、まさに一石二鳥ではないか。まさか「奉仕活動ハンターイ」なんて落書きする究極の愚か者はいないと思うのだが。
(日刊スポーツ・大阪エリア版「フラッシュアップ」平成20年7月7日掲載)
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