何を隠そう、スポーツはあまり得意なほうじゃない。新人記者時代、高校野球の地方大会の取材に行けといわれ、「インフィールドフライってエビフライの仲間だと思ってました」とやってデスクをあきれさせたことがあるくらいだ。 そんな私だが、12日に行われたボクシングWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ、徳山昌守選手対名護明彦選手戦は、大いに気になっていた。 というのも、8年前の92年夏、初防衛に成功した徳山選手の母校、東京朝鮮高級学校のボクシング部を「サンデープロジェクト」の取材で追いかけたことがあったからだ。その東京朝高出身の世界チャンプが誕生したときも驚いたが、この試合を会場で観戦した事務所の連中と雑談していて、実は徳山選手が当時の3年生部員だったとわかり、二度びっくりした。 取材では、ボクシング部の合宿にも同行した。伊豆で2日間、部員たちの練習を間近で見、休憩時間は一緒に遊んだりもした。練習時間は1日5時間。普通の人ならものの数分で音をあげてしまいそうな厳しい練習に汗を流している少年たちの、キラキラした目が強く印象に残っている。その中の1人だったのだ。 同じ年、宮崎であったインタハイ(全国高校総合体育大会)にも同行取材した。 といっても彼らは出場しに行ったのではなく、「見学」に行ったに過ぎなかった。弱かったからではない。それどころか幻の高校チャンプといわれるような、超高校級の部員だっていた。 なのになぜ出場できなかったのか。全国高校体育連盟(高体連)は東京朝高や大阪朝高といった朝鮮高級学校を当時、高校とは認めず学校教育法一条に定める高等学校ではないとしてインタハイと国体への出場を拒み続けていたからである。 だから、そのインタハイでも、彼らが交流試合で倒した相手が都代表として出場していた。悔しさを胸にしまい、心からの声援を送っていた彼らの姿を、いまも思い出す。 その重い門戸がようやく開かれたのは2年後の94年。以来、東京朝高、大阪朝高のボクシング部は毎年、インタハイに選手を送り続けている。なお「元年」の94年のインタハイでボクシングフライ級を制したのが、今回の世界戦の挑戦者で、沖縄・興南高3年の名護選手だというのもなんだか因縁めいている気がする。 さて、今回も世界戦は残念、私は東京にいて見ることが出来なかった。でも、すっかり徳山ファンになったスタッフが観戦、いたく感動していたのは試合直後のインタビューでいつも、対戦相手をまず称える、徳山選手の優しさだった。 さあ次の防衛戦は前王者の韓国の●仁柱選手との再戦が濃厚だ。ピョンヤンでの開催という声もある。強くて心優しい徳山選手が韓国と北朝鮮、そして日本の架け橋のゴングを鳴らしてくれたら楽しいなあ。 注:●部分はチョ(そう)と読み、曽という字に似ていて上の部分が「+」になります。日本語ページには表示できないため説明にかえさせていただきました。 (日刊スポーツ「熱血サイト」大阪エリア版 毎週金曜日担当) |