青空
日刊スポーツ
「熱血サイト」から

(大阪エリア版 2001年7月20日掲載)

「黒田清新人賞」を未来のジャーナリストへ

 朝顔が咲き始め、暑さが続くと、どうしても、あの1年前の夏を重ね合わさずにいられない。
日刊スポーツの実際の記事
 昨年7月23日、黒田清さんが膵臓ガンのため、帰らぬ人となって、早や1年になる。

 明日21日の夜には、大阪市北区のホテルで、黒田さんの命日を前に、私の事務所と、ゆかりの人たちとで、偲ぶ会を開くことにしている。

 テレビや新聞、雑誌の関係者や古くからの友人、それに、黒田さんが主宰していた「窓友会」の会員さんたちが東京はもとより、北は青森、南は宮崎、熊本といった遠方からも駆け付けて下さる。一夜、黒田さんの思い出にひたれたらと思っている。

 私自身は、一夜どころか、この一年、何かにつけて、黒田さんのことを思い出す日々だった。

 あの大教大付属池田小の事件を、黒田さんだったらどうコメントしただろうか。この熱血サイトの前身で、長期連載していた「ニュースらいだー」に、何を書いただろうか。

 2008年、大阪五輪のマラソンを沿道で応援するのを夢見ていた黒田さんは、招致レース惨敗の報をどう聞いただろうか。これまた、ひいきのタイガースを引き合いに出して、「僕はなんでもどんじりから始めるのが好きやねん」なんて切り返す笑顔が、目に浮かんでくるようだ。

 そんな黒田さんのことを偲んで、一周忌にあわせて、新しい企画をたてた。黒田さんの名前を冠した「黒田清日本ジャーナリスト会議(JCJ)新人賞」というジャーナリズムの賞の創設である。明日の開会に先立って、同じホテルで、記者会見を開き、発表させてもらう予定である。

 黒田さんは読売新聞社社会部記者時代から数々のスクープを飛ばし、その後も反戦反差別ののジャーナリズム活動を貫いた人物である。その業績と名前を長くこの世に残したかった。それに、黒田さんは、若いジャーナリストたちの活躍を願い、「マスコミ丼」と銘打った養成講座なども主宰していた。そんな黒田さんの思いを汲み、ぜひとも新人の登竜門になる賞にしたかった。

 この賞が実現したのも、主宰団体のJCJという、所属やジャンルを越えたジャーナリズム関係者の会と黒田さんのご家族の尽力によるものだ。黒田さんはこのJCJが主催する集会に招かれるなど関わりが深く、特に、会の代表委員だった元共同通信記者で、一昨年亡くなった斉藤茂男さんと、親しくされていた。

 「黒田清新人賞」の受賞者が誕生するのは来年の8月15日。伝統のある「JCJ賞」とともに毎年、敗戦記念日に発表されることになる。明日の会見では、JCJの皆さん、黒田さんのお兄さんと一緒に私からも賞の趣旨と応募規定などをご説明させていただこうと思っている。未来のジャーナリストたちに、黒田さんの厳しいけどやさしい心が引き継がれていくことを願っている。

(日刊スポーツ「熱血サイト」大阪エリア版 毎週金曜日担当)



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