奴奈川神社




<式内社・奴奈川神社>

奴奈川姫の居どころは古事記及び出雲風土記の本文によれば唯高志国と云うのみにて古志国の果たして何処なりやは明らかならず、然れども延喜式神名帳頸城式内社十三社中に奴奈川神社あり、而して奴奈川神社は我西頚城郡内に在るを以て、奴奈川姫の居所も亦大体上本郡内の一村落なりしこと明らかなり。
                                『西頸城郡誌』


式内十三座(頸城郡)の内、西頚城郡内の式内社は下記の通り五社となっております。

1)奴奈川神社    西頚城郡
2)佐多神社     糸魚川市北山
3)江野神社     西頚城郡名立町
4)青海神社     西頚城郡青海町
5)園田神社     西頚城郡名立町

その中で 1)の「奴奈川神社」は未だ所在が分からず論社のみ三社が記されている状態で、その為か論社間の競争が激しく、当社こそ「式内社・奴奈川神社」であると云っている。しかし各社の主張を見れば当然とも思えるが、未だ判定が下っていないような状態である。

<奴奈川神社の論社>
          天津神社境内社・奴奈川神社
          奴奈川神社
          白山神社
糸魚川市一の宮
糸魚川市田伏
糸魚川市能生

式内沼河神社の所在に就いては今尚明らかならず、明治四十四年春予が高田中学在勤中初めて西頚城郡に至り式内奴奈川神社の所在を探りしも遂に要領を得ることなかりき、 と西頚城郡誌に記され、天津社境内の奴奈川神社は大正八年五月八日予が一宮神職吉倉氏より聞く所によれば、明治十七年前は柳田神社と称し十七年に奴奈川神社と改称せりと、(中略)
そして、今の天津社境内の奴奈川神社が式内社なりとは容易に断すべからずとある。
出典:西頸城郡誌

このようにすでに明治の頃から式内社:奴奈川神社の行方が論議されいまもって行方が分からないと云う。



奴奈川神社の論社三社についてもう少し資料を抜粋してみます。

<田伏・奴奈川神社>

新潟県式社考証に 「是は古社あらず、五六十年前神祇道吉田家にて与えたる新号にて、彼家の例に類社三社とて式内の社号は三所まで額に掲げしむ甚猥りなる事なりき」と田伏の縁起、棟札、霊形記などを載せいずれも偽作可笑判定せり。  
出典: 大日本地名辞書

<能生・白山社>

能生駅白山社も奮時は奴奈川神社なる由を稱ふれども是亦維新後の附會に出るものなり、として白山の社に座ば延喜式神名帳に其社名あるべきなりと云えへり是れ全く誣言なり紀貝清直云、(中略)如何に法師の所業とて沼河神社を白山社と改むべきに非ずと此説確論と請ふべし。(下畧)
出典: 西頚城郡誌

<天津神社境内の奴奈川神社>

元禄三年神宮寺住職宥胤の時老僧性如なる者、一宮神社の由緒後年不明に至るを恐れ相沢玄伯氏と課り伝説を筆記せしものを観るも中世以前又は上杉氏以前の事は全然不明なれば、同社境内にある奴奈川神社が式内社なりや否やを決定することは益々困難なり

出典:西頚城郡誌

 以上の事実から論社三社は奴奈川姫を祭神としているが式内社とはとても云えない。神社として延喜式内社の格式、地位を欲するあまり手段を選ばずの工作に驚かされる。
特に理由がどうであろうと伝説を作っていた等は驚き呆れる。
筆者の手元にも、奴奈川姫の伝説というタイトルで『天津神社並奴奈川神社』より、と十三項目の伝説を伝えるコピーらしきものを入手したが不自然な内容のため、ボツとしてある。


沼川郷が西頚城郡たる以上は、延喜式奴奈川神社は本郡内に在るは明らかなり、然れどもそか能生町なるか田伏なるかまた、糸魚川なるかは容易に今、確定すべからず。  
出典:西頚城郡誌
とあり、式内社奴奈川神社は依然として行方が不明である。

傳説は読んで字の如く古来の民間説話にして必ずしも史的事実として取扱ふことを得ざれども、亦似て遥遠なる奴奈川姫の当時を追想するの資に供すべからずとせんや、因って聊か之を記載せん。

本郡田海村「山添神社」も奴奈川姫を祀る、

 ○ 傳へ言ふ姫福来口に機を織りて此処に揺拝し給へりと。(布施秀治高田案内)

 ○ 傳へ云う奴奈川姫福来口に住みて機を織り布を布川に晒されしと(田海村誌)
(中略)
出典:西頚城郡誌



前回「姫を祀っている神社」のページで奴奈川姫を祭神としている神社を紹介しましたが今回、「延喜式内社頸城郡十三座」を紹介します。

尚、ここでの「奴奈川神社」は一社不明の為、全て論社とされています。


<延喜式内社頸城郡十三座>

延喜式神名帳では、頸城郡に以下の小社十三座十三社が記載されている。
@奴奈川神社(論社3社)   ※式内社一社が所在不明の為論社のみ掲載
          天津神社境内社・奴奈川神社
          白山神社 
          奴奈川神社
糸魚川市一の宮
糸魚川市能生
糸魚川市田伏
A大神社(論者6社)
          天津神社 糸魚川市一の宮 糸魚川市一の宮
          大神社 糸魚川市能生 糸魚川市能生
          大野神社 糸魚川市大野 糸魚川市大野
          藤崎神社 糸魚川市能生町藤崎 糸魚川市能生町藤崎
          大神社 中頚城郡吉川町尾神 中頚城郡吉川町尾神
          関山神社 中頚城郡妙高村関山 中頚城郡妙高村関山
B阿比田神社 上越市長浜
C居多神社 上越市五智
D佐多神社(論者3社)
          剣神社 糸魚川市宮平
          佐多神社 糸魚川市北山
          八坂神社 上越市西本町
E物部神社 中頚城郡清里村
F水嶋礒部神社(論者3社)
          水嶋礒部神社 中頚城郡清里村梨平
          水嶋礒部神社 糸魚川市能生筒石
          水嶋礒部神社 中頚城郡清里村青柳
G菅原神社 中頚城郡清里村菅原
H五十君神社 中頚城郡三和村
I江野神社 西頚城郡名立町
J青海神社 糸魚川市青海町
K圓田神社(論者2社)
          圓田神社 西頚城郡名立町
          圓田神社 中頚城郡柿崎町
L斐太神社  新井市宮内
          

※ 論社
神社の社名や祭神、鎮座地が変更されていたり、他の神社に合祀されていたり、また、一度荒廃した後に復興されたりした場合、式内社の後裔と目される神社が複数になることがあり、その場合それぞれの神社を論社という。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(wikipedia)』

『延喜式』神名帳に記載の奴奈川神社は、頸城郡十三座の一座である。
『倭名抄』によれば、頸城郡に十郷あり、奴奈川神社は「沼川/奴乃加波」郷に属していたとある。
しかし、残念ながら奴奈川神社は現在のところ論社の神社しか確認できず、肝心の頸城十三座の一座・奴奈川神社が確認できません。

諸説いろいろあるようですが「ぬな川」・「八千川」と同様、今後の調査課題とします。


<参考文献>
青海事典 新潟県青海町
日本の古典 古事記他
日本古典選 風土記
上杉謙信 花ヶ前盛明著
延喜式神名帳 フリー百科事典『ウィキペディア(wikipedia)』
青海町史
西頚城郡誌
西頚城郡の伝説
日本「神社」総覧 新人物往来社 上山春平著
大日本地名辞書