◇第7回◇
ゆとり教育について
最近、学校教育において、ゆとりある教育ということが盛んに強調されている。
ゆとりある教育で子供の自主性や個性を伸ばし、創造性を高めていくことが大切だ、詰め込み教育では子供達の学習意欲を阻害し、自主性や個性を殺してしまい、画一的な人間に育ててしまうことになる……というのが、ゆとり教育論者の主張である。
この方針に沿って、小中学校の週休2日制の推進、また今回は新しい学習指導要領による来年度以降の教科書検定も終わり、学習内容が30%削減されるという。
この学習レベルの引き下げは、学力低下につながるのではないかと議論をよんでいる。
例えば算数では、小数点2桁以下の掛け算はやらない、円周率は3でよい、電卓を教室に持ち込んでよい等、特に算数、理科等で著しいという。
学習レベルの引き下げは、落ちこぼれ生徒をなくすためにも必要だという。
ゆとりある教育で、本当に生徒たちの学習意欲を増進させ、各人の個性を育みながら社会人として必要な知識、知能を身につけさせることができるだろうか。
伸び伸びとした教育を否定する気はないが、詰め込み教育を頭から否定することは間違っていると思う。
知識を持つということは、知識を頭に詰め込むということであり、十分な知識の上に創造力も生まれる。
先に述べた算数の例についても、小数点2桁以下の計算は実生活上必要ないし、便利な計算機があるのだからそれを使えばよいということのようだが、これには賛成できない。
複雑な計算を手計算で行うことによって、その仕組みが理解できるし、何よりもこれを繰り返すことで、頭のトレーニング、頭脳の発達に大いに役立つからである。
計算機は実務で使うものだ。
もともと 子供達にとって 勉強はつらいものであり、勉強そのものが好きだという子供は ほとんどいないと思う。勉強が好きだと言う子供は、他人より勉強ができることからくる優越感か、将来の目的を持った極めて稀な優れた子供だろう。
ゆとりある教育で、子供達に自主的な学習意欲を持たせるということは、本来無理なのである。
また、個性を伸ばすためと言うが、小学生に本当の自分の個性や得意分野が分かる筈がない。その頃の思いは一時的なものに過ぎない。
自分の個性や得意分野から、自らの進むべき方向が意識出来るのは、中学の後期から高校時代というのが一般的だと思う。
しかし、実際には自分の個性や特性には無関係に、或いはそれが分からないまま、将来の安定した生活を得るため、できるだけ良い学校に進学したいと願うのが大多数ではないだろうか。
子供の頃からの夢が叶って その道で生活ができるという恵まれた人は、ほんの一握りの特殊なケースと言っていい。
いずれにしても、義務教育では、社会人として必要な知識や学力を十分学ばせ、身につけさせることが大切である。
それができて 初めて 本当の意味での自分の個性や得意分野、将来の進むべき方向が意識できるのだと思う。
小中学校のゆとりある教育で、学習意欲が増進され、創造性を高めることができる等とは到底考えられないし、逆に全体の学力低下を招くだけだ。
学習指導要領は、ある程度のレベルの高さを保つべきだ。
学習指導要領により学習レベルを下げても、できる子、できない子は必ず出てくるし、落ちこぼれも出てくる。
それはある程度は止むを得ないことだと思う。
全員が、同じレベルの学力ということはあり得ないし、またそうすべきではない。
人間社会は、良かれ悪しかれ競争社会である。小さい時から、ある程度の競争意識も身につけておいた方が良い。
学校での落ちこぼれよりも、社会に出てからの落ちこぼれの方が、はるかに不幸だからだ。
誤った平等主義の典型として、運動会の徒競走が挙げられる。
同じ速さの者同士で走らせたり、極端な場合は横に手をつないで一斉にゴールさせるというやり方である。こんなナンセンスなことはない。
勉強はあまりできないが、走るのが早い子は、運動会では優越感を味合うことができるし、これが自信にもつながる。
よく勉強ができ、教室ではいつも優越感を持っている遅い子は、ここでは敗北感を味わい、敗者の気持も理解できるようになる。
これこそが本当の平等だと思うのだが…。
文部省は、今回の学習指導要領の学習レベルの引き下げは、最低限の指針であって、できる子には もっと高い指導をしてもいい等と言っているが、これは言い訳に過ぎない。
全体の学力低下につながることは必至であり、心ある親達は、更に塾に通わせてこれを補おうとするだろうし、塾に行ける子、行けない子の差別化を一層推し進めることになる。
社会は常に進歩しており、これを構成する人々も常に進歩していかねばならない。
すでに、大学関係者の中からは、最近の新入学生の学力低下を嘆く声も聞かれる。
この際、学習レベルの引き上げを図ると言うのならまだ分かるが、ついていけない子がいるので安易に引き下げるというのは、どうしても納得できない。
落ちこぼれが多いなら、これを如何にして減らしていくかということを検討するする方が先ではないか。
文部省の方針は理解に苦しむ。
資源のない日本では、これからも科学技術立国を目指していかなければならない。そのためには、義務教育においても 更にレベルアップを図っていかねばならないはずだ。
教育問題は、国民全体の資質を高め、健全な民主主義を維持していくためにも極めて重要な国家的課題である。民主主義の最大の悪弊、衆愚政治に陥らないためにも。(2001.06.01)
次回は〔第8回〕
「どう考える 日本経済の現状」(2001.06.15)