◇第12回◇
終戦記念日雑感
今年もまた、8月15日 終戦記念日がめぐってきた。
当時を生き抜いてきた人々には、夫々 さまざまな思い出があることだろう。
それらの多くは 戦争の犠牲になった肉親、戦災、海外からの引き揚げや復員、その後の食糧難等 苦しい思い出が多いことだと思う。(当時北朝鮮にいた私個人の思い出は、このホームーページ第1回〜第4回に書いた通りである。)
また、沖縄戦や広島、長崎の原爆投下は、日本人として いつまでも忘れることができない問題だろう。
それにしても、戦後 我国はよくここまで立ち直ったものだ。
世界第2位の経済大国と言われる現在の繁栄振りを、当時、誰が予測し得ただろうか。
逆に、このままでいいのだろうか、この平和と繁栄がいつまで続くのか 不安にさえなってくる。
しかし、経済的、物質的には豊かになったが、終戦により 失ったものや考えさせられることも数多くあるように思う。
終戦を境に、全ての価値観が180度変った。
とにかく戦前のものは、思想、教育、伝統的なもの等 全てが、善し悪しの別なく 葬り去られてしまった感がある。
また日本人の変わり身の早さにも驚く。
戦時中は鬼畜米英等と言って闘った日本国民は、1日にして1人残らず平和主義者になってしまったのだから。
特に、本土決戦等と言って軍国主義思想を煽っていた者ほど、変わり身が極端で、戦後は逆に左翼思想に転換した者も多く、いかにも生まれながらにして平和主義者だったかのような涼しい顔をしている。
そんなに信念をもって闘ったのなら、アメリカ軍進駐後も ゲリラでも組織して抵抗活動でも起こしそうなものだが、そんな気配すらなかった。
日本人は、強いものには誠に従順であるといえるが、これは また 主体性のなさを物語っている。
連合軍最高司令官マッカーサーは、日本人は 精神年齢12歳と言ったそうだが、うなずける話だと思うし、私は、今でも日本人には12歳の部分が かなりあるように思われる。
ここで思い出すのが瀧川事件である。
昭和8年頃、京大法学部の瀧川教授は、著書刑法読本が、左翼的、自由主義的で時の政府の方針に合わないという理由で大学を追われた。
これに抗議して 京大法学部の教授等が一斉に辞表を提出し、京大法学部が一時麻痺状態に陥ったという事件である。
瀧川教授は戦後京大に復職し、総長になったが、学生達から 瀧川総長は保守反動で右翼的だとして吊るし上げ
られたことがあった。
瀧川教授は「自分は戦前戦後を通して立場や考え方は一貫して変っていない。世の中全体が、戦後右から左に変ったので、私が保守的、右よりに見えるのだろう」と述べておられたが、これは戦後の我国の思想の急激な変化をよく物語っている。
戦後は、自由、平等が過度に強調され、他人の迷惑も考えない わがままで身勝手な自由、能力や努力の成果も考えない悪平等などは、未だに残っている弊害だ。
愛国心とか国のため等という言葉もタブーになった。
それでいてオリンピックの時の日本選手への応援は大変なもので、これ即ち 人々が本能的に持っている素朴な愛国心の発露ではないか。
親孝行も、教育勅語に書いてあったからという理由で重視されなくなった(本ホームページ第6回「教壇」参照)。
家族を愛し、地域社会や所属社会(団体)を愛し、自分の国を愛する人こそ、世界を愛することができる真の平和主義者だと思うのだが…。
戦後、国旗や国歌に対する考え方も変ってきた。戦前は、祝祭日には必ず各家庭で日の丸を掲げたものだが、そんな風景もなくなった。
かって、長野オリンピックの時、優勝した日本選手が表彰台で、掲揚される国旗に対し、外国人選手は脱帽して敬意を表しているのに、脱帽もしなかった事件は、当時、本人はそういう教育を受けていなかったからと大目にみられたが、外国に対しての恥さらしも いいところだった。
本人を責める気はないが、そういう教育をしてこなかったこと自体を もっと大きな問題として取り上げるべきだと思う。
自国の国旗の掲揚や国歌の斉唱に反対する勢力が、これだけいる国は、世界広しと言えども日本だけである。
実に情けない話だ。
終戦時の大変革を通じて日本人の国民性を考えてみた。
一つは、主体性がないことである。そのこと (即ち自ら考えることなく 一握りの政治家に頼りきったことが) が、悪夢の戦争に走らせたと言えなくもない。
また、戦後は防衛や経済をアメリカに依存してきたが、いつまでもそうはいくまいと思う。
国民に主体性がなくとも、政治家に主体性があればいいのだが、戦後の日本外交をみると 国としての主体性を欠き、曖昧な姿勢が随所に見られるのは残念なことだ。
これでは外国の信頼は得られないし、国益も守れない。
主体性のなさとも関係するが、日本人は、付和雷同、群集心理的な傾向が強い国民だと思う。
戦前から戦後への国民の思想や言動が 全体的に一挙に変ったことが よくこれを示しているが、今の小泉総理や田中真紀子大臣の異常な人気振りにも、そのような国民性が窺える。
また、自らの責任は少しも感じないで、すぐ責任転嫁を図る傾向が日本国民にはあるようだ。
戦時中、国民は戦争を自らのこととして、国民こぞって戦争に協力したのに、戦争に負けると今度は一変して、この責任は全て政治家や軍部にあり、我々には全く責任がないと涼しい顔をしている。(もし例えばの話だが、今圧倒的人気を誇る小泉さんだって政策に失敗して支持を失い、いつか悪玉になるかも知れない。その時国民は自分たちが支持したことは棚に上げて、全ては小泉さんが悪いのだと言うに違いない)
バブルで土地の値段が上がれば政治が悪い、逆に不景気で土地が下がっても、これも政治が悪いという
具合である。勿論、国の政策が誤ったのは事実かもしれないが、その政治家を選んだのは国民だし、今 土地を買えば儲かるといって土地購入に走って値段を吊り上げたのは国民自身なのに。
自分を常に局外者に置いて責任転嫁ばかり考えるのはどうかと思う。
古い歴史を持つ日本には、敗戦と共に捨て去った伝統や文化、ものの考え方等の中にも、善いものが沢山ある。それらは早く取り戻し、後世に伝えていくべきである。
また逆に戦後取り入れたもので、社会に弊害をもたらしている部分や好ましくない部分は、早期に是正すべきである。
終戦前後の日ソ関係についても、忘れることはできない。
当時、日ソ間には不可侵条約があったのに、ソ連は一方的に これを無視して8月9日、突如日本に対して宣戦布告して侵攻した。
その前に日本はソ連に、日米戦争終結の仲介を依頼していたのに、駐ソ日本大使が受け取ったのはソ連からの宣戦布告だったとは いかにもマンガ的だが、それでは済まされない。
当時既に広島に原爆も投下され、日本の降伏は時間の問題となっていたのに、ソ連スターリンは なんとかして日本に対して戦勝国となり、領土その他の利権を奪取するための卑劣な行為に出たのである。
しかも、日本兵捕虜数万人を抑留し、極寒の地シベリヤで強制労働をさせ、多数の犠牲者を生じせしめるという非人道的なやり方は永久に許されないだろう。
その後遺症は、未だに国後、択捉等北方4島の形でも残っている。
第2次世界大戦の終結を世界的な観点から見ると、欧米の植民地であったアジヤ、アフリカで新しい国が次々に独立した意義は大きい。
しかし、朝鮮半島を38度線で分割した当時のアメリカ、ソ連の責任は重いと思う。(ドイツについても同じことが言える)
1950年の朝鮮戦争をはじめ、半世紀以上経った今尚、同じ民族でありながら対立しているのだから…。
こんな状況を作り出したアメリカのトルーマンやソ連のスターリンの責任は極めて大きいと思うのだが…、こんなことを指摘する者は、あまり居ない。
朝鮮半島の人々は、朝鮮が二分割されたのも全て日本の責任だと言うに違いない。(朝鮮戦争でさえ、その淵源を辿れば、日本の植民地政策にあると言いかねない)
戦前、アメリカやソ連に亡命していた反日家の李承晩や金日成が、終戦と共に米ソの思惑で南北朝鮮の指導者になったのだから、いまだに南北朝鮮人の対日感情が悪いのも頷ける。
南北朝鮮人の反日感情は、終戦時或いはそれ以前の問題ではなく、戦後50数年間に反日教育や日本文化排斥運動等により 醸成されたものだ。
同じ植民地でも台湾とでは様子が全く違うことが、このことをよく物語っている。
こんなことを政府が言えば、相手を刺激するどころか、韓国とは国交断絶になる代物だが、このように云いたい放題に言えるのも、我国では言論の自由や表現の自由が保障されているお陰であり、改めてその有難味を感じているところである。(2001.08.15)
次回は〔第13回〕
「日本外交と外務省(その1)」(2001.09.01)