◇第25回◇
ラジオ少年の巻(少年時代の思い出 U)
私は、昭和23年九州O市のA中学(当時は、まだ新制中学と呼んでいた)に入学した。
その頃、少年向けの科学雑誌(「子供の科学」等)を読んでいるうちに、ラジオに興味を持っようになった。
我が家は引揚者で、当時はラジオを買う余裕はなかった。
雑誌には、鉱石ラジオや電池式の1〜2球式真空管ラジオの作り方などが載っていた。
しかし九州の田舎町のラジオ店には、そんな特殊な部品は売っていない。
そのうち、新聞広告で「ラジオ教育研究所」(在東京)というところの通信教育を見つけ、これを受けてみることにした。
毎月1冊配本され、5ヶ月5冊で終了である。
大変わかり易く書かれており、中学生の私にも十分理解できた。
電波とはどういうものか、なぜ真空管に検波や整流機能、増幅機能があるのか、更には各種抵抗やコンデンサーが果たす役割なども概ね理解できた。
(今でも真空管の原理については、説明できると自負している)
ここまでくると、どうしても自分でラジオを作ってみたくなるのが人情である。
ラジオは、真空管やスピーカーをはじめ色々な抵抗やコンデンサー等々複雑な数多くの部品で成りたっており、町のラジオ店でそれらの部品を買い揃える勇気がなかった。
さいわい、上記ラジオ教育研究所で部品一式を斡旋するというので、親にねだってそれを利用することにした。
作ることにしたのは、当時一般的だった高周波1段増幅4球式ラジオで、送られてきた部品は、キャビネット(ケース)を除いて、シャシー、真空管、スピーカー、トランス、各種抵抗やコンデンサー等多岐にわたるが、ビス ナットに至るまで全てを網羅しており、ほとんど買い足す必要はなかった。
シャシーに部品を取り付け、配線図を見ながらハンダずけをしていくのだが、これが実に楽しいのである。
一応作業は終わった。あとはコンセントにつなぎ、スイッチを入れるだけである。
一刻も早くスイッチを入れたい。
うまく鳴るだろうか、最初から自信はなかった。これが ものにならなければ、大金を出してくれた親に申し訳がたたない、責任を感じた。
はやる気持を抑えながら、スイッチを入れた。途端に臭い匂いとともに煙がでてきた。
これは大変!急いで電源を切った。配線が間違っているのだろうと、配線をチェックしたところ、案の定電源回路に配線の間違いを発見し、直した。
今度は大丈夫のはずだ。
恐る恐るスイッチを入れた。
しばらくするとラジオ特有のかすかなブーンという音(ハム音という)が聞こえてきた。これで八分通り成功だ、この時は本当に感激した。
バリコンを廻し、周波数を合わせると見事にNHK福岡放送局の放送を受信した。
この時ばかりは感激し、本当に天にも昇る心地であったことを、今でも思い出す。
その後、ラジオも進化し、まもなく5球スーパーラジオというのがはやった。これも作ってみた。スーパーラジオというのは、電波信号を一度中間周波数に変換して効率よく増幅するものだが、分離や感度がよく、またダイナミックスピーカーの普及とも相まって音質もよく、当時としては画期的な方式であった。
オールウェーブ受信機を作って、夜間 ロンドンのBBCやオーストラリアのメルボルンの日本語短波放送を聞いたりしたのも楽しい思い出である。
ラジオ店でアルバイトをしたこともある。
学校が終わるとそのままラジオ店に行き、ラジオを組み立てるのである。
報酬は現金では貰わず、今で言えばオーディオ部品、例えば電蓄のフォノ モーターや高級スピーカーなどを現物でもらった。
私が作ったラジオが、店のショウ ウィンドウにいつまでも陳列され、なかなか売れなかったのが気になったのを覚えている。
私の同級生に、私と同じ趣味を持つ者が他に2人いた。彼等も熱心なラジオマニアで、理論的にどの程度理解しているかは別として、器用で、ラジオ作りはむしろ私より上手だった。
この3人で、学校に無線部を作った。当時、私の中学校では運動部も含めてサークル活動などなかった時代であり、我が中学 唯一のサークルになった。
新築した校舎の2階片隅の小部屋(物置?)を部室として確保することもできた。部室は我々の溜まり場となったが、ラジオの知識がない者も冷やかしで入部して来たため、部員は6〜7人位だったと思う。
一見真面目な部活動だったし、電気や特にラジオについては、理科の先生よりはるかに知識を持っていたため、我々は先生の絶大な信頼を得ていた。
追記
私は、中学から高校時代にかけて、ラジオをバラしたり、組み立てたりして 短波も聞ける、電蓄(電気蓄音機 当時レコードはまだ78回転時代)も聞ける、当時としては性能の良い装置を作ったりしたが、常にケースなしの真空管丸出しの裸ラジオで体裁が悪く、この点では 家族にはあまり評判が良くなかった。
尚、私のこの趣味も高校2年生位までで止めてしまった。したがって、私のラジオの知識も真空管時代までで終わりである。
その後ラジオは、昭和30年代後半には トランジスターへと進化していったが、私はトランジスターや ましてやIC 集積回路を使ったオーディオ装置、テレビ等については無知である。
昔の真空管ラジオ時代は、故障すればラジオ屋に持っていけば、そこで修理をしてくれた。何度も修理しながら使ったものだ。
今では、テレビが故障し、電気店に持っていっても、そこでは修理してくれない、メーカーに送ったりするため時間もかかり、費用もかかる。(今はプリント配線などのため、故障した部品だけを取り替えるわけにはいかず、故障部分のユニット全体を取り替えねばならない等)
「新しく買い換えた方がいいですよ」と言われることが多い。時代も変ったものだ。
次回は、この生半可な知識を使っての、いたずら失敗談を書いてみたい。(次回につづく)(2002.03.01)
次回は〔第26回〕
「うちわで あおげ」の巻(少年時代の思い出V) (2002.03.15)
【出来事】-
2月17日アメリカ ブッシュ大統領来日(19日まで滞在)
- 2月18日 小泉首相 ブッシュ大統領と日米首脳会談
- 2月20日 衆院予算委員会 田中真紀子、鈴木宗男両議員を参考人招致
- 2月25日(現地時間24日) 冬季オリンピック ソルトレーク大会閉会
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