◇第28回◇
きびしく 育てる
今年2月、NHKの番組「視点、論点」で、お茶ノ水女子大学教授 藤原正彦氏が「きびしく育てる」という題で持論を展開されていたので、その内容をほぼ忠実に紹介したい。
『私は一介の数学者ですが、最近教育関係の委員会に かりだされることが多くなりました。
ある日の委員会で、子供達の基礎学力の低下ということが議題になりました。
そこで皆さんは、きめ細かな指導を行うべきだと言われましたが、私はそれだけでは不十分だ、きめ細かで きびしい指導を、即ち「きびしい」を入れてくださいと申しました。
するとある教育学者は、きびしい指導をすると子供達が傷つく恐れがあると反論しました。私は非常にびっくりしました。
現在日本の教育界をそれが覆っている、子供達を傷つけてはいけないということが日本を覆っていると思ったわけです。
もう少し美しい言葉で申しますと個性と自由の尊重ということですね。私流に言うとそれが甘やかすということです。これが日本の教育界を覆っている。
ところがほとんどの自由とか個性は悪なんです。
ほとんどの自由は一応はあることになっているわけですが、実際には、ほとんどない。それは六法全書の厚さを見れば大体分かる、ほとんどの自由は規制されている。
個性と言っても妹をぶん殴る個性、弱い者をこき使う個性、宿題をやらない個性などあらゆる個性があるわけです。
このように子供を傷つけてはいけない という お気遣いをしていると、子供の我慢力とか忍耐力とかが培われなくなる。
我慢力とか忍耐力ができてないと、これは非常に多くの教育上の問題をもたらします。
例えば学級崩壊というのがある、1時間座って我慢する力がない、大抵の授業はつまらないですから 我慢して聞かないといけないわけすね。
最近理数離れということが言われています。理数離れというと「教え方の工夫をもっとせよ」とか言われるが、先生方は随分努力して、すばらしい工夫をして授業をしている。
やはり理数離れの本質は我慢力と忍耐力不足なんですね。
なぜならば、国語や社会の教科書は寝転がって読んでもすぐ分かります。しかし算数とか数学の問題は見ても解けません、考えても解けません、解けないのは不愉快、不快です。
我慢しないと数学とか理科はできないということです。したがって我慢力がないと離れていく。
最近の調査で 日本の子供達は世界一本を読まない、読書嫌いということ、テレビなどは見てすぐ分かりますね。しかし読書は活字を一つ一つ追わないといけないわけです。これもやはり忍耐、我慢力が必要になるわけす。
その外にも、甘やかしているお陰ですぐにめげる、ふてくされる 或いは逆上するということがありますね。
この間も ホームレスの人が中学生何人かに注意をしたら、逆上してそのホームレスの人を殺してしまいました。そのうちのある1人はあとで、「生まれてから叱られたことがなかった」と言ったそうです。
要するに我慢力、忍耐力がないということは、非常に多くの教育上の問題を起こしていると思われるわけです。
それでは如何にしてきびしくするかということですが、私は三つ位のことが言えると思います。
第一は幼少時においては、「叱る」「ぶつ」です。どんどん叱ってどんどんぶつということです。これが躾です。
躾は子供を傷つけずにはいられないですね。それは子供なりにしていれば、子供は一番傷つきませんが、子供のしたいことを、してはいけないと言うわけですから、当然傷つくわけですね。
欧米では、多分私の知ってる欧米人でスパンク ( お尻などをぶつ ) をされたことがない人は1人もいません。
要するに悪いことをした時は お尻をきちんとぶたれるわけです。
殴るとかぶつとかとは違う「スパンク( SPANK )」という言葉が ちゃんとあるのです。
これは親として当然の義務であるわけです。
ただ叱るとかぶつということがなくとも、厳しい教育はできます。
私は自分の父を思い出した場合、父から一度もぶたれたことは思い出せないのです。
滅多に叱らなかった。しかし、私の父親は非常に厳しい父親というふうに覚えているわけです。
どうしてかといいますと、これが第二番目の「いやなことを強いる」こと、私は父にいやなことを随分強いられました。
父自身は 江戸末期に生まれた私の曾祖父に育てられた。
例えば父は6歳の時、家から一里、約4キロも離れた町に、夜、山道をおりて灯油を買いに行かされたと いつも言っていました。「途中できつねが出たりして、とてもこわかった」と、しかし私の曾祖父はそのような夜の恐さを我慢する、忍耐する、そうゆう力をつけさせようと、わざと6歳の子供を出したわけです。
私も似たような教育を父にされました。
私が反抗期には、それに当然 抵抗するわけです。そうすると父は問答無用でした。
命令は命令だと、それだけ言いました。
したがって、私なんかにとって引きこもりとか不登校等はあり得ないですね。
家にいたら父や母に怒鳴られてこき使われる、学校に行ってつまらない授業を聞いていた方がまだ楽で楽しいわけですから。
厳しい子供への接し方の第三番目は「価値観の押しつけ」ということです。価値観を押しつけないといけないということです。
私の父の場合は、私は父に卑怯を憎むという その価値観を徹底的に押しつけられました。
例えば男が女をぶん殴ると文句なしに男が悪い、理由はない と、理由の如何を問わずいけない と、弱い者いじめもいかんと、喧嘩の時は武器をもってはいかんとか、一番厳しいのは弱い者がいじめられているのを見たら必ず助けろ、身を挺して助けろと、これは厳しいですね。
強いやつが弱い者をぶん殴っているところに身を躍らせていく訳ですから…自分が殴られる可能性もありますしね、袋たたきにあう可能性もあります。
しかし、弱い者がやっつけられるのを、見て見ぬふりをするのは お前自身が卑怯なのだと、私にとっては、子供の時から卑怯と言われることは生きることに値しないのと同じことでしたから、これは大変な厳しい条件でしたね。
ほかに嘘をついてはいけないとか親孝行とかそういうことも言われましたが…。
文部省の調査によりますと日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツの5カ国を調べたところ、嘘をついてはいけないとか、弱い者いじめはいけないということは、日本の親が最もとび抜けて口にしないという調査結果も出ています。
この頃は、親の価値観の押しつけがなくなったということです。
これは非常に由々しき現象だと思うわけです。
子供は当然、親の価値観の押しつけに対し同調する場合もあるし、反撥する場合もありますね。同調してそれを自分のものにしていけばそれは一番いい、しかし親の価値観が明かにおかしい、承服できないという場合は反撥しますね。
その時には、それに変る新しい価値観というものを模索するわけです。それはそれで模索の末に自分自身の価値観というものを獲得していくわけです。
しかし、押しつけられないで、価値観というものを親に提示されないままでいった場合に、子供は身動きがとれないわけです。価値観など存在すら分からないという、そういう状態になるわけです。
価値観というのは別の言葉でいうと行動基準ということです。或いは道徳と言ってもいい、或いはあらゆる判断の座標軸と言ってもいいかと思います。
こいうものが、今どんどん日本からなくなっているということですね。
卑怯などという言葉は ほとんど死語に近くなってきていますね。
ただ日本の子供達にも、一つだけ価値観があるようですね。
これは他人の迷惑になることは、してはいけない…ほとんど日本の子供達は、これだけで生きているようなところがありますね。
したがって、電車の中で化粧しても誰にも迷惑をかけてないではないか、援助交際だって誰にも迷惑かけていない、そう言われるとそれはそうなのだが…他人に迷惑をかけてはいけないというのは当然ですが、それが全てではない筈ですね。
このように価値観を押しつけるために、最も重要なことは師弟関係を確立するということです。
親子の間、先生と子供の間の師弟関係、これは平等ではないのです。基本的人権では平等ですが、師弟関係では違うということです。
その師弟関係に則って論理的に説明できなくとも、きちんと押しつけるということです。これが最も重要なことではないかと思います』(02.02.21
NHK教育TV .22 NHK総合TV「視点、論点」より)
藤原教授は、子供に対して“価値観は押しつけるべきものだ”と述べておられる点は傾聴に値する。
仮に押しつけられた価値観が子供にとって理不尽なものであっても、子供は自ら考えて自分なりの価値観を考え出すからだ。
子供には、刺激を与えることが大切で、「叱ること」「ぶつこと」や「価値観の押しつけ」もその一環だと思う。
なぜ叱られたのか、なぜぶたれたのか、押しつけられた価値観は自分にとってどうなのか、子供は子供なりに考えるからである。
また、我慢、忍耐力を強調されているが、これが身についてはじめて、"集中力"や"熱意"更には"根性"とか"執念"(やり遂げるということ) というようなものも育まれていくのではないだろうか。
藤原教授の意見は、必ずしも今の我が国の教育界の多数意見ではないように思える。その事が問題だと思う。(2002.04.15)
次回は〔第29回〕
「憲法について考える」(2002.05.01)
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