◇第51回◇
日韓併合問題を考える(その1)
戦前、朝鮮半島(現 韓国、北朝鮮)は日本の植民地だったとよく言われるが、これは間違いだ。
1910年の日韓併合条約によって 朝鮮は日本に併合され、朝鮮半島は日本の一部になっていたもので植民地ではなかった。
また、武力で侵略したり、強制的に併合したものではなく、双方の合意によるものであった。
それを理解するためには、当時の朝鮮の実状とそれを取り巻く国際情勢(特に日本、清国、ロシア)を正しく認識する必要がある。
それまで 李王朝の朝鮮は、長らく清国(今の中国)の属国であった。当時 内部では改革を求める革命勢力が台頭し、あくまで清国に従属し 専制独裁支配体制に固執する政権側との激しい抗争が繰り広げられ、李王朝の政府側は、清国に 反対勢力鎮圧のため出兵を求めるなど 混乱を極めていた。即ち李王朝の政権に統治能力はなかったのである。
一方、日本は、明治維新により 近代化を成し遂げ、日清、日露戦争に勝利する等、国力を高めていた時期でもあった。
朝鮮では、改革を求める革命勢力は、短期間に近代化を成し遂げた日本をモデルに、立憲君主制の近代国家を目ざして政権側と激しい抗争を展開していた。
ロシアは、このような内乱や内ゲバに明け暮れる不安定に乗じて 朝鮮半島に不凍港を求めて進出を企てていた。
日本は、このロシアの企図に危機感を抱くようになった。
当初、日本は 朝鮮を併合することは毛頭考えてもいなかった。
ただ、朝鮮がロシアの進出を阻み得るような まともな独立国になることを期待していたので、腐敗した不安定な専制独裁政権よりも 近代国家を目ざす改革勢力の方を支援する側にまわったのである。
1897年 朝鮮は国号を大韓帝国とし、形だけは独立国家になっていたが、実態は相変わらず内部抗争に明け暮れる内乱状態で、ほとんど国としての体をなしていなかったと言ってよい。
1904年には 大韓帝国政府は、弱体化した清国に替わって 今度は日本政府に革命勢力の武力鎮圧のための出兵を要請してきたが、日本側は これに応じなかった。
この一件を見ても 当時 朝鮮半島がどんな状況にあったかが よくわかる。
このように、朝鮮の混乱状態は自己収拾がつかなくなり、特に改革 革命勢力の中に、日本の保護下に入るべきだとの気運が芽生え、1905年には 日本の保護国となり、1910年の日韓併合条約締結に至るのである。
勿論、日本の保護国になり日韓併合に至る過程には、これに反対する勢力があったことも、日本側の圧力があったことも事実だろう。
しかし、当時置かれた状況の中で、これがベターだと朝鮮側が 選択したことも事実なのである。
実際に1905年に大韓帝国が日本の保護国になった時は、反対する勢力も かなり居たようだが、日韓併合に際しては 多くの朝鮮人は、当時の列強 日本の一員になることに賛同し、反対する者は少なかったのである。
もし 日韓併合が朝鮮側の意向に反し、強制的に行われたとするならば、当時の状況からみても、激しい抗議行動などが発生したはずなのだが、そんな事件は起こらなかったことからみても、日韓併合は、武力を背景に強制的に行われたものでないことは明白である。
現に、欧米諸国は全て 日韓併合を承認している(当時まともな国は、欧米しかなかったのだから、全世界が認めていたことになる ――当時 欧米諸国以外は 大部分が欧米の植民地だった。アジアで独立国と言えたのは、わずかに日本、清国、タイくらいしかなかった)
日本の保護下に入るということは、外交権や軍隊も剥奪された状態だから、植民地になるということだ。
しかし、日本への併合となると事情は全く違ってくる。
これまで長く 明や清の属国であった朝鮮人が 名誉ある日本人になる、即ち当時の言葉で言えば、三等国民から一等国民になるということだ。
だから日本の保護国になる時は、反対勢力も居たが、併合については賛同する者が多く、反対する者は ほとんど居なかったというのは頷ける。
日韓併合は 日本の国益に叶うものとして行われたものだろうが、朝鮮半島を植民地にするか、併合するかでは大違いだ。
植民地という概念は、そこに資源を求め(収奪し)、市場化して本国の利益に資するためのものだ。欧米のアジア、アフリカ、南米などの植民地政策は全てそうだ。
ところが、併合となると、日本が朝鮮を吸収合併するもので、朝鮮半島を 日本の一部として統治していかなければならない。千万人単位の異民族を 日本国民として受け入れねばならない。立遅れている朝鮮の経済や仕組みを本国並みに近代化しなければならない。
しかも 朝鮮には、本国に貢献できる資源や産業があるわけではない。全ての面で遅れている朝鮮を建て直すためには、莫大な投資が必要になる。日本の将来に関わる大事業だ。
植民地なら簡単だ。収奪に必要な範囲で 投資をすればよいだけだ。
したがって、日韓併合の是非については、日本政府内でも相当議論があったものと思われる。
韓国統監府初代統監だった伊藤博文は、日韓併合には消極的だったといわれる。(伊藤博文は1909年現中国東北部のハルピンで安重根という青年に暗殺され、これが結果的に日韓併合を早めたと言われている)
尚、本稿作成に当たっては、金完燮(キム・ワンソプ)氏(韓国人作家 評論家)著作の『親日派のための弁明』を参考にした。 ちなみに韓国では本書は有害図書に指定され、店頭では販売されていないようだ。韓国では、まだ言論や表現、出版の自由は保証されていない。
金完燮は、ドイツは敗戦により 連合国から東西両ドイツに2分割されたが、日本は5分割されたと言う。
本州 四国 九州 北海道、南朝鮮、北朝鮮、台湾、樺太に分割され、南北朝鮮は 夫々独立させ、台湾は中華民国へ、樺太はソ連に夫々帰属させた。面白い見方だと思う。(2003.04.01)
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次回は〔第52回〕「日韓併合問題を考える(その2)」(2003.04.15)
【出来事】
- 3月16日(現地時間) ブッシュ米大統領 ブレア英首相 アスナール・スペイン首相 大西洋のテルセイラ島(ポルトガル領アゾレス諸島)で3国首脳会談
- 3月17日(日本時間18日) ブッシュ米大統領全米テレビ演説 イラクへ最後通告
- 3月20日 米英軍イラク攻撃開始
- 3月22日 第75回選抜高校野球大会開幕(甲子園球場)
- 3月23日 大相撲春場所千秋楽(大関千代大海が12勝3敗で優勝)
- 3月28日 日本初の情報収集衛星打ち上げ成功(種子島宇宙センター)
- 3月28日 プロ野球公式戦 セ・パ両リーグ開幕
- 3月28日 2003年度予算 参議院本会議で可決成立
- 3月31日 大島理森農相 元秘書の献金流用疑惑などの責任を取って大臣を辞任 後任には亀井善之氏(4月1日付)
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