◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………
【2003/04/15】



◇第52回◇
日韓併合問題を考える(その2)

 日韓併合後、日本政府は、全ての面で立遅れている朝鮮の近代化に力を注いだ。
道路や橋梁の建設、鉄道の敷設等のインフラの整備。鉄道は内地は狭軌だったが、朝鮮では広軌を採用し 内地よりも近代的な列車を走らせた。
産業や農業の育成、振興等々。
教育制度については、本土並みに小学校の義務教育化を行い 各地に学校を建設した。小学校はもとより、中学校、師範学校をはじめ国立大学(京城帝国大学)も作り、教育の振興普及を図った。
 朝鮮人でも有能な者は、役所や会社でも管理職等の要職に登用された。
日本の朝鮮への力の入れようは、例を挙げるときりがないが、日本政府は多い時では 国家予算の20パーセントもの資金を投入したと言われている。
今、日本では、遅れているといわれる北海道や沖縄に 夫々開発庁を設けて支援しているが、当時 朝鮮や台湾の振興策はその比ではなかっただろう。
かっての欧米諸国が、植民地に対して こんな政策を採っただろうか。

 私は、小学校低学年時代を、北朝鮮の元山というところで過ごしたことがある。
父が役人であったため官舎に住んでいた。
隣にも同じ官舎があり、同じ役所の朝鮮人の某課長さんが住んでいたが、そこには 1人息子がいて元山中学(旧制中学)に合格したと言って大変喜んでいた。
元山中学は、当時 朝鮮では名門で入学試験は難関だったらしい。中学には朝鮮人の教師もいたようだ。(最近発行された元山中学の同窓会誌による)
 元山では、近くに住んでいた一級上の朝鮮人 井原君(日本名)ともよく遊んだ。喧嘩もしたが 相手が強くて泣かされたこともあった。彼の家は貧しかったが、夕食に呼ばれたこともあった。
 小学校は、内地人と朝鮮人は別だったが、中学以上は朝鮮人、内地人の区別なく開放されていた。
小学校は、当初は言葉の問題もあり 日本人と朝鮮人を一緒に学ばせることは無理だったと思う。これを以って差別とはいえない。朝鮮人の小学校と言えど、当時の内地の小学校には 引けを取らない施設だったように思う。

 正月には 父の部下達が大勢来て、我が家は宴会場になるのが常だった。
母が接待していたが、よく出身地などが話題になっていた。「あなたはどちらのご出身ですか」「私は鹿児島県です」という具合に…。ある時「私は○○郡出身です」と答えた朝鮮人がいたが、母は「ああ半島のご出身ですか」と言い、決して朝鮮出身とか朝鮮人という言葉は使わなかった。
朝鮮人と言うのは差別用語と受け取られるので気を使っていたのだろう。朝鮮人を差別してはいけないという風潮があったのだと思った。
 余談だが、元山には松濤園しょうとうえんという朝鮮随一の立派な海水浴場があり、学校から引率されてよく行ったものだ。北朝鮮の拉致被害者 市川修一さんは、この海水浴場で 心臓麻痺で死亡したと北朝鮮が発表した所だ。

 小学校高学年時代(5年生まで)には 元山より北の咸興という所に移り住んでいた。
学校から引率されて朝鮮人の農家に 田植えの手伝いに行ったこともあった。
いわゆる勤労奉仕のようなものだ。あまり役に立たず、かえって邪魔になったかもしれないが、昼食に出された大きな白米のお握りが大変美味しかった記憶がある。
その時の話によると、昔(併合前)は朝鮮では田植えはなく、直き蒔き方式だったが、田植えは日本から導入されたものだと聞かされた。
 咸興の高台から海の方向を見渡すと、はるか彼方に、何本もの煙突からの煙にかすむ工場地帯が見えた。
日本窒素肥料株式会社が 興南に建設した肥料工場だ。当時は東洋一の化学工場と言われていた。
 終戦は、咸興で迎えた。
その時 耳にしたのは、ソ連軍が機械類等目ぼしいものを、戦利品として貨車で本国へどんどん運んでいるとか、日本人技術者が居なくなって汽車が動かなくなったなどという噂を聞いた。
 終戦から引揚げまでの体験は、本ホームページ第1回〜第4回に書いた通りである。

 日韓併合時代に、日本は朝鮮人を弾圧したり、強制労働など不当なことをしたと韓国は言っているが、私が当時 見聞したかぎりでは、決してそんな事はなかったし、内地人も朝鮮人も同じように平穏に暮らしていたように思う。
ただ戦時中は、国家の非常時であり、内地でも学徒動員で女学生までが軍需工場等へ駆り出される等 国民全体が苦難を強いられていた時代という背景も 考えねばならない。

 当時、日本が行なった朝鮮半島の振興策は、着実に成果を挙げたと思うし、その後の朝鮮半島 (特に韓国) の近代化にも貢献しているものと思う。
朝鮮戦争で建物や施設等は、大方は破壊されてしまっただろうが、意識するとしまいと、有形無形のかたちで韓国の近代化に受け継がれているはずである。

 歴史をどう認識し、評価するかは、評価する人の立場や国によっても、また時代によっても違うだろう。
しかし、歴史上の事実だけは 正しく認識されなければならない。誤った事実認識は正されねばならないし、まして為にするために 真実を故意に捻じ曲げるが如きは、決して許されてはならない。
 日韓併合は、日本の立場から見ると、結果的には国益を著しく害し、失敗だった。
しかし、朝鮮の人々にとっては、別の見方もできるだろう。

 最後に、韓国の朴正煕元大統領(在任期間1961〜1979)が、石原慎太郎氏(現東京都知事)との会合で、韓国要人達を前に語った要旨を紹介する。
 『日韓併合は、我々が自分達で選択したんだ。即ち私達の先祖が選択した。日本が侵略したのではない。
もしその時、清国を選んでいたら 清はすぐ滅びて もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こっただろう。ロシアを選んでいたら 半島全体が共産主義国家になっていた。日本を選んだということは ベストとは言わないけれどセコンドベストとして私は評価している。
石原さん 大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育を この朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ』 と言い
更に 『私は貧農の息子で、学校に行きたいと思っても行けなかった。日本が義務教育の制度を敷いてくれたお陰で学校に行くことができた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よく出来るな。日本の市谷の陸軍士官学校に推薦するから行けと言われて入学。首席で卒業し、生徒を代表して、答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。
白人がやった植民地支配に比べて 日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う』 と述べている。(2003.04.15)

 次回は〔第53回〕「アメリカのイラク戦争」(2003.05.01)

 【出来事】
  • 4月1日 日本郵政公社発足
  • 4月3日 選抜高校野球大会決勝戦 広陵(広島)が横浜(神奈川)を15対3で破り優勝
  • 4月7日 米軍 バグダッドの大統領宮殿(共和国宮殿)等重要施設を制圧
  • 4月9日 バグダッド陥落 フセイン政権事実上崩壊
  • 4月13日 統一地方選挙(10都道県知事選 44道府県議選等)
  • 4月14日 米英軍 ティクリートを制圧 イラク全土をほぼ掌握