◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………
【2003/08/15】



◇第60回◇
海野十三

 今時 “海野十三”(1897〜1949)という作家を知っている人は 少ないだろう。
 しかし、私には懐かしい思い出がある。
すでに、このホームページ第1回に書いたように、私は小学生時代の大半を北朝鮮で過ごしたが、これは北朝鮮の咸興公立国民学校 (小学校) 在学中の話だ。
 毎週木曜日の昼休、弁当を食べ終わる時刻になると 「海野十三作“怪鳥艇”第○○回……」という放送が教室に流れてくる。
先生が、海野十三の科学冒険少年小説を 連続ものとして1回20分位の長さで朗読して 校内放送で流してくれるのだ。
これが実に面白く、次はどうなっていくのかと毎週木曜日の昼休みが楽しみだった。
いつもの昼休は、ほとんどの生徒が校庭に出て遊ぶのだが、この日だけは外に出る者はいない。皆 教室で放送に耳を傾け、私語に対しては「シーッ」と言ってお互いに牽制し合う有様で、木曜日の昼休だけは 学校全体が静まり返っていた。
 最近になって、初めて咸興公立国民学校の同窓会が開かれた。
消息が分かった者数十人が集まり、当時の先生も3人出席されたが、その中のM先生が、あの時 校内放送で海野十三の「怪鳥艇」を朗読したのは自分だったと言われ、非常に懐かしく思った。(M先生は、87才になられるが、今だにパソコンを駆使して咸興国民学校卒業生の消息を探し、名簿作りに奔走されているという)
 ここで、そのM先生からのメールを紹介しよう。

 私が怪鳥艇を木曜日の昼休みに朗読したのは、昭和19年度の様に思い出します。だから59年前の出来事。それを良く覚えていただいた事に感謝いたします。
朗読した私は怪鳥艇の内容をすっかり覚えていないので、国会図書館から借りて読みました。
とても難しい言葉遣いに驚きました。こんな内容を あの当時の子供達は しーんと良く聞いてくれたのが不思議です。
今尚私にはこの不思議な出来事を解明出来ていません。
 私は京城師範学校の卒業論文に、『童話の朗読法』を書いていましたから、この方面に関心があって、教壇からおしゃべりが教師の本職です。このことが私の一生の発展で、花を咲かせました。
 ラジオを教室に持ち込んで、放送教育をしましたら、とても子供達が生き生きと授業が出来るし、成績も向上したので論文に書いたら、小学校教師の実践記録で一位になって文部大臣賞を受けました。
 そうして、私の学級が数年後に映画化されました。
長崎市内の学校に勤めて、小学校のラジオ番組の脚本を創作 三年連続で書きました。とうとう長崎県の視聴覚研究部長になりました。
 怪鳥艇の朗読がそのスタートでした。この年齢の私の誇りなのです。  



 海野十三氏は、S F小説の始祖といわれ、戦前 戦後にかけての探偵小説、科学小説作家で、少年向けのS F空想科学小説も数多く残している。
彼の作品は すでに著作権が消滅し、インターネット上に公開されており、今読んでもなかなか面白い。

 その中の「30年後の世界」という題名に惹かれて読んでみた。
「昭和五二年の夏は、たいへん暑かった。……」という書き出しで始まっており、30年後が昭和52年というわけだから、多分昭和22年(1947年)に書かれたものだろう。
昭和22年に、30年後の昭和52年を どのように予測していたのかに興味があった。我々は既に昭和52年を体験し 検証できるからだ。

 物語は、冷凍された少年を入れた金属カプセルが 30年後に発見され、解凍されて蘇生した少年が 30年後(昭和52年)の世界を体験するという設定である。
 その中の面白いところを紹介すると。
都市は全て地下に作られていて、人々はそこで快適な生活をしている。 平和で天気がいい日などは地上の野原に出てピクニック等を楽しむ。
 一度、一触即発の核戦争の危機があったが、核戦争になれば地球は破壊される、今や宇宙からの星人の攻撃に備えるべきで、地球内で争っている時期ではないという国際世論によって危機は回避された。
しかし、いつの世にも悪者は居るもので、国際ギャング団 (今で言えばテロか?) の核兵器や細菌兵器に備えるため、都市は地下に建設されているという。
一触即発の核戦争の危機というのは、旧ソ連とアメリカの東西冷戦を予想したものだろうか。
 地下利用に関しては、実際に相当以前から 大深度地下利用の研究が進められ、現在すでに大深度地下利用法まで制定されているが、地下に都市を作ることまでは考えられない。

 冷凍された少年がよみがえり、30年ぶりに80才の母親や弟妹に会う場面がある。
母親は、心臓疾患を患っていたが、人工心臓のお陰で生き延び、これからも さまざまな人工臓器をつければ、まだ数十年も生きられるという。
現在は、心臓移植や肝臓移植などが一部で行われているが、人工臓器の開発は、まだまだ夢物語だ。
大人になっている弟妹が、30年振りに会った13才の少年に「お兄さん」と言って駆け寄る場面は浦島太郎的発想で面白い。
 野菜や果物は、地下農場で作られており、特殊な化学線や植物ホルモンを与えることにより、わずか数日で収穫でき、昔のような食糧の遅配欠配はあり得ないという。(戦時中や終戦直後は、食糧は配給制だった)
 最近は、バイオ技術や遺伝子組替などの研究が盛んだが、当時はそんなことは思いつかなかったようだ。

 宇宙旅行で、月に着陸する場面がある。月面では、装甲車で移動し、空気服を着て行動する。月から見た地球は月の10倍位の球形に見えたと書かれている。
 人類の月到達は、すでに1969年アポロ11号で達成されている。実際には空気服ならぬ宇宙服が用いられ、月探査には装甲車ならぬ月面車が使用されている点は当たらずとも遠からずだ。
今や我々は、月や宇宙から見た地球を、画像や写真で見ることが出来るが、当時は青いきれいな地球は想像できなかっただろう。
 「30年後の世界」を読みたい方はクリック⇒『30年後の世界』

 「海野十三敗戦日記」というのがある。
これは、東京空襲が始まった昭和19年11月から 戦後の昭和22年6月頃までの私的日記で、ノート2冊に書かれていたものを、筆者が生前親交のあった橋本哲男氏によって、本人没後に編まれたものだという。
 当時、連日のように繰り返される東京空襲の様子や厳しい戦時下の世相などがリアルに描かれており、当時を知る資料としても貴重な記録だと思う。
 本人は、敗戦を深刻に受け止め、遺書まで書いているところをみると大変なショックだったのだろう。

 昭和20年9月3日の日記に、広島、長崎に投下された原爆について次のように記されている。
 「今夜の清瀬一郎氏(弁護士、政治家、東京裁判では東条英機の主任弁護士となる)のラジオ放送の要旨。
 『原子爆弾が人道に反し、国際条約に反することは歴然たり。こういうものを使用せる者こそ、戦争犯罪者であると思うが、それをどう処置するのか、今晩は議論するつもりはない。その被害の真相を今度の臨時議会において発表されんことを望む。そうすれば世界中へこの事が知れるであろう』
 《 これについて筆者 海野十三氏は 》 私も思う。なぜ、原子爆弾をいきなり使ったか、降伏しなければ投下する、と予告しなかったのか。私はこの点が合点が行かぬ。その予告の下に投下すれば、アメリカ側も もっと寝覚めがいい筈であったろうに。
原子爆弾で広島に起こった地獄図絵を画いて、アメリカはじめ 各国へ配ってはどうかと思う。そして かかる惨虐行為が再び行なわれないようにしたい…」と書いている。
 私は、今でも これには同感だ。アメリカが 戦争の早期終結のために使った等と如何に弁解しようとも、多くの人々を一挙に無差別に抹殺してしまう核爆弾の使用は決して許されない。
当時は、戦勝国の論理で問題にもされなかったが、今なら人道に対する罪として 国際社会から厳しく責任を追及されるだろう。
 それにしても、当時の清瀬一郎氏のラジオ放送は、敗戦からまだ20日余りしか経っていない時期に、まことに毅然としたものであり、今の政治家も見習って欲しいものだ。

 また、昭和21年2月の日記には、当時悪性インフレ対策として発動された“金融緊急措置令”のことにも触れている。(預金封鎖、新円発行、月500円生活等々)
そう言えば、当時 新札印刷が間に合わず、旧紙幣に証紙を貼ったお札が流通していたことを思い出す。
 戦後壊滅状態にあった我が国経済が、その後 めざましい経済復興を遂げ、よくも世界第2位の経済大国と言われるまでなったものだと思う。
また同時に、我が国は、経済破綻がどんなものかという当時の苦い経験を持っており、今後の貴重な教訓として忘れてはならないと思う。

 日記の最後の部分は、筆者が長く患っていた肺結核との壮烈な斗いが描かれている。
 「海野十三敗戦日記」を読みたい方はクリック⇒『海野十三敗戦日記』(2003.08.15)

 次回は〔第61回〕「民主党と自由党の合併」(2003.09.01)

 【出来事】
  • 8月2日 関東甲信 東北南部地方梅雨明け
  • 8月7日 第85回全国高校野球選手権大会 開幕
  • 8月8日 台風10号 高知県室戸市付近に上陸 9日日本列島を縦断する形で北上 被害多数