◇第85回◇
アテネ オリンピック
第28回オリンピック大会が、去る8月13日( 日本時間14日 )から29日( 日本時間30日 )まで、ギリシャのアテネで開催された。
今回は、1896年にアテネで近代オリンピック第1回大会が開かれてから、108年ぶりに古代オリンピック発祥の地アテネで開催された記念すべき大会だった。
最近の我国のオリンピックの成績は、1988年のソウル大会の頃から 不振が続いてきたため、オリンピックに対する関心も いささか停滞気味だった。
しかし、今回は、女子柔道が圧倒的な成績を収めたり、女子マラソンが前回に続き2連覇を達成するなど、選手達の目ざましい活躍により、史上最多のメダルを獲得することができ、国中がオリンピックムードに沸いた。
今回のメダル獲得数は 37個 (金16、銀9、銅12)、これまでの最多獲得は 1984年ロサンゼルス大会の32個 (金10、銀8、銅14)だった。金メダルの数でも、これまで最多だった1964年の東京大会の16個と並ぶ史上最多タイとなった。(東京大会では金16、銀5、銅8、計29個)
柔道では、競技開始初日の14日に、谷亮子選手が、女子選手初の2大会連続優勝を果たして金メダル第1号を取ったのに続き、連日メダルラッシュで、これがオリンピックムードに火をつけた。
これまで女子柔道では、1大会で2階級以上制覇したことはなかったのに、今回は何と7階級中5階級制覇、5個の金メダル( 5階級制覇 )と銀メダル1個を取ったのだから驚きだ。
52キロ級で銀メダリストになった横沢由貴選手は、準決勝で相手にポイントを許し、誰もが負けたと思った残り1秒で “そで釣り込み腰” の一本を決めて逆転勝利した。
78キロ超級の金メダリスト塚田真希選手は、決勝で相手に技ありを取られ、そのまま押さえ込まれそうになったのを振りほどき、逆に “後ろけさ固め” で抑え込んで金メダルを勝ち取った。絶体絶命から九死に一生を得ての勝利だった。
いずれも最後まで諦めない執念がもたらした勝利だった。
男子柔道の3つの金、1つの銀も立派な成績だと思う。
60キロ級野村忠宏選手は、オリンピック3回連続優勝という前人未踏の快挙を成し遂げた。
また、男女とも最も重いクラス(100キロ超級、78キロ超級)で、鈴木桂治、塚田真希両選手が優勝した意義は大きい。
競泳では、平泳ぎの北島康介選手が、100m、200mの両種目とも、ライバルの世界記録保持者ブレンダン・ハンセン選手(米)を抑えて二冠王に輝いた。
北島選手は、昨年 世界記録を出すなど、金メダルへの期待が大きかったが、その重圧に屈することなく 十分実力を発揮できたことが勝因だろう。
我国競泳で、一大会で1人で2種目の金メダル獲得は初めてだ。
女子800m自由形では、柴田亜衣選手が優勝した。誰が彼女の金を予想しただろう。
我国女子競泳史上 初めて 自由形でメダルを取った。しかも金だ。北島康介選手とは逆に無欲の勝利と言うべきだろう。立派だ。
競泳でメダル8個 (金3、銀1、銅4) は戦後最多で、これが水泳日本復活に繋がってもらいたいものだ。( 因みに戦前の競泳でのメダル獲得数が多いのは、1936年ベルリン大会で11個、1932年ロサンゼルス大会で12個獲得している )
女子マラソンでは、前回シドニー大会の高橋尚子選手に続き、金メダルを取った野口みずき選手の快挙を挙げなければならない。誰が女子マラソンで日本の連覇を予想しただろう。
彼女は27キロ地点でスパートしてトップを奪い、そのまま2位のキャサリン・ヌデレバ選手(ケニア)を振り切ってゴールした。
27キロ地点でのスパートは 予定の行動だったと言う。まさに作戦勝ちと言えるだろう。
スタート時点での気温が35℃という過酷な条件下で、世界記録保持者ラドクリフ選手(英)ら 有力選手が 次々にリタイヤする中、高低差200メートル以上という難コースをよく走り抜いて優勝したものだ。
オリンピック発祥の地と言うより、マラソンのルーツであるマラトンの丘からアテネまで走り抜き 優勝するとは…、これ以上のものはないだろう。彼女は幸せ者だ。
土佐礼子、坂本直子両選手が夫々5位と7位に入賞したのも立派だ。出場選手が全員入賞したのは初めてだ。
男子マラソンでは、メダルには届かなかったが、2人が入賞を果たしたのは評価すべきだろう。(油谷繁選手が5位、諏訪利成選手が6位)
男子ハンマー投げで、室伏広治選手が82メートル91を投げ、待望の金メダルを取ることができた。
競技では、僅か28センチの差でハンガリーのアドリアン・アヌシュ選手に及ばず、2位だったが、アヌシュ選手がドーピング疑惑で失格したため、室伏広治選手が繰上げ優勝となった。
我国では 投てき競技でのメダル獲得は 今回が初めてだし、マラソン以外の陸上で金メダルを取ったのは、1936年のベルリン大会三段跳びの田島直人氏以来 実に68年ぶりと言うからすごい。
( 尚、アヌシュ選手のドーピング疑惑とは、競技前後2回のドーピング検査で採取された尿検体が、夫々別人のものであったこと、IOCの再検査要請にも応じなかったため、失格メダル剥奪、五輪からの追放処分になったもの )
男子体操団体で念願の金メダルが取れたのは、大きな朗報だった。
団体決勝で最初の床が終わった段階では7位だったが、次第に順位を上げ、最後の鉄棒で 3選手揃って圧倒的な強さを発揮しての高得点で見事逆転優勝を果たした。
個人種目別では、平行棒で冨田洋之選手が銀、鹿島丈博選手があん馬で、米田功選手が鉄棒で夫々銅メダルを取った。
かって体操王国を誇った我国体操界は 長い低迷期にあったが、ここに来てやっと関係者の努力が実を結んだ。
男子団体の金メダルは、1976年の第21回モントリオール大会以来 28年ぶりの快挙だが、これを体操王国復活の幕開けにしてもらいたいものだ。
今回のアテネ オリンピックから正式種目になった女子レスリング フリースタイルでは、全4階級でメダルを獲得した。
55キロ級の吉田沙保里選手と63キロの伊調馨選手が金、48キロ級の伊調千春選手が銀、72キロ級の浜口京子選手が銅メダルを獲得、出場した4選手全員がメダルを手にすることができた。
女子レスリングは、女子柔道と共に圧倒的な強さを世界に見せつけた。
男子レスリングは、1952年のヘルシンキ大会以来 毎回メダルを確保してきたが、今回も55キロ級の田南部力、60キロ級の井上謙二両選手の銅メダル獲得によって、連続13回メダル獲得を達成し、面目を保つことができた。
シンクロナイズドスイミングは、金はロシアに譲ったが、デュエット(立花美哉、武田美保組)、チームともに前回に続いて銀メダルを取り、シンクロ日本を更に印象づけてくれた。弛まない努力の成果だと思う。
尚、井村雅代ヘッドコーチは 今大会を最後に勇退することを表明しているし、デュエットで2回連続銀メダリストの立花美哉、武田美保両選手も 引退の意向だと言う。本当に ご苦労様でしたと言ってやりたい。
井村雅代コーチは、全てが終わった後 「もう選手には これ以上のことはできません。ロシアが強かっただけです」 と言った。この言葉に悔しさはなかった。やるべきことは全てやったという満足感に充ちていた。この言葉を聞いて清々しさを感じた。
井村雅代さんは最後まで立派なコーチだった。
野球は、オーストラリアに予選と準決勝で対戦し、いづれも負けて3位に終わった。オールプロ選手で固めた日本チームが、同じ相手に2度負けるとは…、それは実力の差と言わざるを得ない。日本のプロ野球のレベルが試される結果になってしまった。
日本が良かったのは、長島監督が「フォア ザ フラッグ(For The Flag)」と言った時までだった。
長島茂雄氏は、脳梗塞で倒れた時点で監督を辞退すべきだった。
また、現地で指揮をとれない監督 長島氏を解任しなかった野球界にも大きな責任がある。
監督とは居ても居なくてもいい存在なのか、監督とはそんなに軽いものなのか。
長島氏は、自分の背番号3を書き入れた日の丸を選手達に送るだけで監督の責任が果たせるとでも思ったのだろうか。
選手達も選手達だ。長島監督のために頑張ると言っていた。即ち、「フォア ザ フラッグ」が いつの間にか「フォア ザ ナガシマ」になってしまっていた。
これでは 最初から負けるべくして負けたと言っていいだろう。
今、プロ野球界は、再編問題をめぐって大きく揺れている。こんな調子なら、金を払って野球を見に行く者は 益々減っていくだろう。
プロ野球界は、現実を直視し、危機感を持つべきだ。
(2004.09.01)
次回は〔第86回〕
「テロは世界共通の敵」(2004.09.15)
【出来事】
- 8月15日 イラクで国民大会議開催(予定を1日延ばして18日まで)
- 8月22日 第86回全国高校野球甲子園大会決勝戦 駒大苫小牧(南北海道)が済美(愛媛)を13対10で破り優勝
- 8月24日(日本時間25日未明) モスクワのドモジェドボ空港発旅客機2機がほぼ同時刻に墜落(両機の乗客乗員89名全員死亡) 同時テロと断定(墜落機の残骸から爆発物の成分を検出 イスラム過激派団体が犯行声明)
- 8月29日(日本時間30日) アテネオリンピック大会閉会式
- 8月30日 大型台風16号 九州南西部に上陸 九州を縦断 中国地方に再上陸
- 8月30日 民主党代表選 岡田克也現代表以外に立候補届出がなく同氏の無投票再選が確定
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