◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………◇ これまでの云 い た い 放 題 ………
【2006/05/15】



◇第126回◇
愛国心アレルギー(教育基本法改正問題)

 最近、ようやく教育基本法改正の機運が高まり、政府は去る4月28日 改正案を国会に提出した。
現在の教育基本法は、昭和22年(1947年)3月に制定されたものだ。
当時は終戦直後で 我国は占領下にあり、同法は 民意に基づいて自主的に作られたものとは言い難い。また制定後60年も経過し、現状にそぐわなくなった部分も多々あることを考えると、教育基本法の改正は、当然であり、遅きに失したと言うべきだろう。
法の生い立ちや時代の変遷という点では、憲法改正問題に似ている。

 教育基本法改正案の与党内論議の中で、愛国心をどう盛り込むか、自民、公明両党が対立したが、結局「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」(政府案 第2条1項5号)という折衷案で妥協合意した。
しかし、自民党内には、この表現に反対する意見も多い。
 確かに、国と郷土は次元が違う。したがって、愛国心と郷土愛を同列に並べるべきではないと思う。
また、国に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた…」等という形容詞は不適切であり、不要だろう。
 一方、民主党は、党内の検討会で 愛国心を前文の中で「日本を愛する心を涵養」と表記する座長試案(与党改正案への対案)をまとめている。(5月12日)

 「愛国心」とは、文字通り、国を愛する心と素直に解釈して、教育基本法にそのまま盛り込めばよい。
愛国心に反対する共産党や社民党だって 国民の幸せのために活動し、それが国家の繁栄や平和につながるように願っているのではないか。それが愛国心と言うものだ。もし仮に 愛国心なき政治家が居たとすれば、それは無政府主義者であり、場合によっては 売国奴にもなり得る存在だ。
また、愛国者という言葉は、世界共通の最大級の褒め言葉になっている。
「愛国心」反対論者は、どうして素直になれないのだろうか、あまりにも被害妄想的であり 理解に苦しむ。

 「愛国心」という言葉をめぐる議論は、外国から見れば不可解だろう。「愛国心」の是非を問題にすること自体が 世界の常識から逸脱している。
「愛国心」に反発する公明党は、愛国心が強要された戦前の国家主義を連想させる等と言って慎重論を展開した。
また、「愛国心」反対論者は、愛国心教育が強制される、教職員の思想・信条の自由が奪われる、国歌や国旗が強制される、軍国主義につながる等と言って反対している。
しかし、これらは いづれも低次元で 実に馬鹿げた議論だ。

 家族を愛する、地域を愛する、自分の所属団体を愛する、国を愛するということは、社会生活を営む現代人ならば、極く自然で 当り前のことだ。
「愛国心」反対論者は、愛国心教育が強制されるから反対と言うが、愛国心は、強制云々の範疇には入らない。どこの国でも自国に対する愛国心は 国民として当然のこと、愛国心を育むことは大切なことだ。
子供達の「内心の自由」を奪うから反対だという意見がある。内心は、立入ってはならない絶対的なものではない。他人をいじめたい、盗みたい、人を殺したい等と思う反社会的な内心が許されるはずはない。誤った心は教育によって正しい方向に導かねばならない。
道徳とか倫理というものは、人の内心の問題だ。教育が人の内心に立ち入ってはいけないと言う意見は、教育や矯正そのものを頭から否定するもので論外だ。
 「愛国心」が、教職員の思想・信条の自由を奪うことになるはずがない。憲法で保障された基本的人権を法律で奪うことはできない。しかし、教職員個人の思想・信条に基づいた教育は、絶対に排除しなければならない。教育に特定の思想・信条を持ち込むことは許されない。
国旗や国歌を大事にすることは、当たり前のことだ。他国の国旗や国歌にも敬意を払わねばならない。教育の現場で国旗掲揚や国歌斉唱に反対する教職員は、教職には不適格者として排除されなければならない。例えば、アメリカの学校の教室には国旗が飾ってある。これが世界の常識だ。

 政府の教育基本法改正案には、「教育は不当な支配に服することなく」という現在の文言がそのまま残されている(第16条1項)。これは公明党の主張に妥協したものだ。
「不当な支配」とは、一体何を指すのだろうか。
日本が外国に占領されて「不当な支配」を受けることでも想定しているのだろうか。どうもそうではなさそうだ。
今の我国では、教育に対する不当な支配はあり得ない。
この規定を 日教組や一部教師が 国や自治体の指導に従わない根拠にしてきた面がある。
これこそが、今日のように 教育の荒廃をもたらし、駄目にした元凶と言える。
民主国家にあって、国民が選んだ政府や自治体を不当な支配と言うのは、民主主義社会を否定することだ。
「教育は不当な支配に服することなく…」という文言は、意味がないだけでなく 誤解を与えるので削除すべきだ。

 教育は、国の将来に関わる極めて重要な問題だ。
戦前は、教育勅語が教育の指針であった。今、教育勅語を読み返してみると仲々立派なことが書いてある。
【教育勅語について】
教育勅語が作られた明治23年という時代背景を考慮し、現代にそぐわない天皇制中心的な部分を無視して読むと、現在にも通用する普遍的で立派な内容だ。 ⇒【教育勅語はここをクリック】

戦後は、教育の指針がなくなった。これまでの教育基本法が教育の指針になってきたとは思えない。
今回 教育基本法の改正に当たっては、これからの教育の基本指針になるよう立派なものにすべきだ。
そのためには、一時的な世論や妥協で改正すべきではない。この法律改正は 我国教育の将来に関わる重要案件であり、また頻繁に改正すべきものではないだけに、拙速は避け、十分な検討が必要だ。
しかし、一方では 出来るだけ早急な改正も求められている。 (2006.05.15)

 次回は(第127回)「格差拡大」(2005.06.01)
  【出来事】
  • 5月7日 大相撲夏場所初日(両国国技館)
  • 5月11日 ヤンキースの松井秀喜選手 レッドソックス戦の守備で左手首骨折(12日手術 今期前半出場不可能に)
  • 5月13日 鹿児島県奄美地方が梅雨入り
  • 5月14日 沖縄地方が梅雨入り