◇第150回◇
時間の感覚
「10年一昔」という言葉がある。「一昔前」とは、概ね10年前のことを言うらしい。
10年という期間は、一体どれくらいの長さなのだろうか。
12〜3才の子供にとって、10年前とは 僅か2〜3才の頃、それは 記憶にない程、はるか遠い昔々のことだ と感じるはずだ。
成人を迎える20才位の青年にとって、10年前と言えば 10才の頃、まだ子供だったあの頃は、やはり昔と感じるだろう。
70才の人にとっての10年前とは、ついこの間のことで、とても昔のこととは思えないだろう。
時間の長さの感じ方は、その人の年齢によって異なるようだ。
小学校に入学した頃、六年生を見ると 随分大人っぽく、大先輩に見えたものだ。それは、体の大きさも さることながら、六年生は、自分の2倍も人生経験を積んでいると思うからだろう。
一年生の自分が 六年生になるまでには、今まで生きてきた人生の2倍も生きなければならない。それは、想像ができない程 はるか先のことだと感じたものだ。
これが老人になると全く異なる。「月日が経つのは早いものだ」「60になれば 70は もう目の前だ」等と言っている。
それは 10歳の少年にとっての1年は 今まで生きてきた人生の10分の1なのだが、70歳の人にとっての1年は これまでの人生の僅か70分の1に過ぎないからだと思う。
このように、同じ1年でも、少年と老人では、その長さの感じ方が違う。
老人にとって、残された人生は 長くないと言うのに、時が経つのが早いとは 皮肉なものだ。
また、過ぎ去った過去は 短く感じ、待つ未来は 長く感じる。
例えば 1ヵ月先の正月を「早く来い来い お正月」と待つのは 長いが、過ぎた去った1ヵ月前の正月は、つい この間のように短く感じる。
先は長いようだが 過ぎてしまえば、過去は あっと言う間に過ぎてしまう。
「光陰矢の如し」とは、過ぎ去った時間の速さを 実感したものだろう。
年を重ね 60〜70歳になってくると、月日が経つのは 確かに早い。まさに光陰矢の如しだ。
若い時は、光陰矢の如しという実感はない。
しかし、若い時から 「少年老い易く学なり難し 一寸の光陰軽んずべからず…」の精神で、やるべきこと、やりたいことを 貪欲にやった方が 悔いのない充実した人生を送れることは間違いない。
人生80年と言われる時代になった。
80年の歳月の間に 社会は 大きく進化し 変貌する。
また 人は この一生の間に 溢れるほど沢山の想い出を創る。
しかし、距離の単位を、何百億光年、何千億光年という尺度で捉える無限の宇宙から見ると、人の一生などは、ほんの一瞬のことだろう。(2007.05.15)
次回は(第151回)
「我が国安全保障の問題点」(2007.06.01)
【出来事】
- 5月1日(日本時間2日未明) 日米安保協議委員会(2プラス2 麻生外相 久間防衛相ーライス国務長官 ゲーツ国防長官) 於米国務省
- 5月6日 フランス大統領選決選投票 右派政党・国民運動連合(UMP)ニコラ・サルコジ候補(52)が社会党セゴレーヌ・ロワイヤル候補(53)を破って当選
- 5月7日 大関栃東(玉ノ井部屋30才) 現役引退を表明
- 5月13日 大相撲夏場所初日(両国国技館)
- 5月14日 国民投票法(憲法改正手続き法) 参院本会議で自民 公明両党の賛成多数で可決成立
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