◇第156回◇
捏造される歴史U(沖縄の集団自決ー渡嘉敷島の場合)
大東亜戦争末期の昭和20年3月、沖縄に上陸 侵攻して来た米軍を迎えて、多数の住民達が集団自決をするという痛ましい事件があった。
この悲惨な集団自決は、日本軍の命令によって行われたものとされ、高校の歴史教科書にも そのように記述されてきた。
ところが最近になって、日本軍の命令は事実ではないという証言や検証結果が数多く出てきて問題になっている。
集団自決 日本軍命令説は、昭和25年に沖縄タイムス社が発刊した『沖縄戦記 鉄の暴風』に書かれてから 1人歩きが始まった。
以来、進歩的文化人と称する人々が集団自決 軍命令説を取り上げ、日本軍の非情さ、残酷さを強調し続けたのである。
例えば、当時 渡嘉敷島(那覇西方約32キロ)の守備隊長で集団自決を命令したとされる赤松嘉次大尉(当時25歳)等を「人非人」「人面獣心」等と極悪人のように書きたてている。
とりわけ、作家の大江健三郎氏は『沖縄ノート』(岩波書店)で「あまりにも巨きい罪の巨塊」「屠殺者」等と罵倒している。
そのストリーというのは…
3月下旬のある日、米軍は この島(渡嘉敷島)を砲撃後 上陸侵攻を開始した。村民達約300人は守備隊陣地を目指して逃げてきたが、陣地内に
立ち入ることを拒否された上、守備隊長だった赤松嘉次隊長からの自決命令を受けて 次々に自決した。
それは 配られた手榴弾を用いたり、或いは 敵の手に掛かるよりは と、こん棒、鍬、刀等で家族同士で殺し合ったりしたということになっている。
しかし、その後 多くの証言により、集団自決 軍命令説の信憑性が疑われるようになった。
曽野綾子氏の著書『沖縄戦・渡嘉敷島「集団白決」の真実---日本軍の住民自決命令はなかった!』が有名である。
彼女の取材の動機は、これほどまでに悪人呼ばわりされる赤松氏とは 一体どんな人物か、作家として興味を抱いたのが 始まりだったと言う。
彼女は、問題の渡嘉敷島に何度も足を運び、多くの島民に 出来るだけ個別に会って、取材したと言う。生前の故赤松氏本人にも会っている。
その結果、集団自決を日本軍が命令したという証言は全く出てこなかった。出てきたのは、ことごとく 集団自決 軍命令説が虚構(嘘)であったことを示す証言ばかりだったと言う。。
常に赤松氏の傍にいた知念朝睦副官(沖縄出身)が、沖縄サイドの告発に対して、軍命令説を明確に否定する証言をしている。
また、赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決の事実を口頭で伝えてきたのは 当時の駐在巡査だと明言しているが、その駐在巡査は、曽野綾子氏の直接質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していないと明確に証言したそうだ。
つまり事件の直接の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、赤松氏の自決命令を否定しているのである。
この現地取材により、赤松隊長を極悪人呼ばわりして 集団自決 軍命令説を広めた大江健三郎氏は、一度も現地を訪れていないことも判明したと言う。
前記『沖縄戦記 鉄の暴風』には、集団自決の軍命令について次のように書かれている。
「3月27日、地下壕内において将校会議を開いたが、その時 赤松大尉は『持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久体勢をととのえ、上陸米軍と一戦を交えねばならぬ。事態は この島に住むすべての人間に死を要求している。』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉は悲憤のあまり、働突し、軍籍にある身を痛嘆した。…」と しかし、その知念元少尉が、地下壕の存在も将校会議の存在も否定する証言をしていることは、曽野綾子氏の取材通りである。 沖縄タイムス社の『沖縄戦記 鉄の暴風』に描かれていたのは、見てきたような作り話だったのである。
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どうして沖縄の集団自決 軍命令説が 1人歩きをするようになったのだろう。
戦後、我が国民は、戦災や食糧難等 厳しい生活を余儀なくされたが、特に沖縄では、激しい戦闘に巻き込まれて 多くの人々が犠牲になる等 悲惨な状態が続いた。
国の援助を受けようにも、自発的な集団自殺では、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による遺族への補償は対象外とされた。
そこで考えられたのが、“軍の自決命令による” という理由付けだったのである。
ここで 元琉球政府の職員照屋昇雄氏の話を紹介しよう。
彼は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」適用のための資格審査の資料作りのため、島民たちにアンケートを送る等、個々の住民の軍との関わりを調査した人物である。
彼は調査を通じて、赤松隊長の自決命令等は なかったと確信した 証言者の1人である。
しかし、軍の命令があったことにしなければ、自決した人達の遺族への補償金は支給されない。
そこで琉球政府社会局長の山川氏と渡嘉敷村長の玉井氏が 赤松氏を二、三回訪ねて、「命令した」と言って欲しいと依頼した。
最初は断っていた赤松氏は、度重なる懇願に「僕は軍で死ぬ運命にあったのに、生きているのは渡嘉敷の皆さんのおかげなので書きましょう」と言って ニセの文書にサインしてくれたという。照屋氏は、その時の赤松氏を「神様のような人」と評していたという。
ところが、赤松氏が癌に冒されて死期が迫った頃、赤松氏の奥様から玉井村長に、「渡嘉敷村史から“命令があった”という記述は削除して欲しい」との電話があったと言う。
これを聞き、玉井村長は三日も眠れない程悩み、それを照屋氏に打ち明けたそうだ。村史を訂正したら補償金が打ち切られるという心配だけでなく、玉井、照屋両氏は、「この話(赤松隊長命令説が嘘であること)は 墓場まで持っていこう」と誓い合っていた深刻な事情があったからだ。
結局、この話は うやむやになり、赤松隊長は名誉を回復しないまま昭和55年に他界した。
照屋氏の氏名はこれまで伏せてあった。それは、これが公になると沖縄では生きていけなくなると言う照屋氏本人の意向によるものであったが、昨年夏、全面的に真実を公に証言することを決意したという。 実名を出して証言することを決断した心境について尋ねると、「これ以外に赤松さんを あの世で喜ばせる方法はないと思った。度胸と信念でやったことだ」と答えたという。(2007.08.15) |
次回は(第157回)
「捏造される歴史V」(沖縄の集団自決ー座間味島の場合)(2007.09.01)
【出来事】
- 8月1日 関東 甲信 北陸 東北地方が梅雨明け
- 8月1日 赤城徳彦農相が辞任 後任は若林正俊環境相が兼務
- 8月1日 日本相撲協会臨時理事会 横綱朝青龍に対し9月及び11月場所の休場と11月までの謹慎処分を決める(全治6週間の診断書を添えて夏巡業の休場を申し入れながらモンゴルに帰りサッカーをしていたもの)
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- 8月8日 第89回全国高校野球選手権大会開幕 於阪神甲子園球場
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