第一回入院
〜ふぁーすといんぱくと(^_^;〜
入院期間:
1999年1月20日(水)PM7:00〜1999年3月24日(水)
はじまり及び経過:
1999年1月13日(水)
インフルエンザで40度の熱を出して、救急車を呼ぶ。
その日は、薬(一日分)をもらって取りあえず帰る。
1999年1月14日(木)
薬で無理矢理熱を下げてフラフラになりながら病院に行く。
(内科の医者の「風邪ぐらいで救急車で来ないで下さい。」の言葉が印象に残っている)
数日分の薬をもらって帰る。
1/17まで会社を休む。
1999年1月16日(土):
会社のサーバを止める為に、少しだけ出社。
1999年1月18日(月):
熱が下がったので出社。
1999年1月19日(火):
体調不良(38度ぐらいの発熱)でまた会社を休む。
1999年1月20日(水):
血便(白赤い便)があったので、病院に行く。
消化器内科で診断してもらうがすぐに検査出来ないとのことなので、すぐに検査をしてもらえる病院を紹介してもらう。
検査の為、紹介してもらった病院へ行く。
腸の内視鏡検査(S状結腸ぐらいまで検査)の結果、「腸炎」となる。
最初に行った病院へ戻り入院することになる。
絶食開始。
栄養剤を点滴(通常の点滴(針のタイプ))。
1999年1月25日(月):(注意:1/13〜3/1までの記録は曖昧です)
このあたりからプレドニン経口開始 20mg/日だったと思う。
他にはペンタサ6錠/日、ラックB、アシノンなど。
1999年1月30日(土)〜1999年2月1日(月)昼食:
流動食を食べる。
2/1の朝食/昼食は少しだけお米の入ったおかゆ。
下血が開始したので、夜から絶食モードへ。
1999年2月3日(水):
栄養剤の点滴をIVH(右の鎖骨の所の静脈に点滴の管を埋め込む方式)に変更。
この時点では、プレドニンはまだ経口(20mg/日だったか30mg/日だったか忘れた・・・(^_^;)。
1999年2月12日(金):
プレドニンをIVHから注入に変更。経口は中止。
量は、40mg/日。
1999年2月18日(木):
流動食開始。
1999年2月22日(月):
3分粥。
1999年2月24日(水):
5分粥。
1999年2月26日(金) AM11:00 転院:
潰瘍性大腸炎に詳しい先生の居る病院へ転院。
1999年2月27日(土):
転院してきた病院で、胃カメラやエコーなどの検査をする。
大腸ファイバーはやらなかった(大腸を傷つけるのは良く無いらしいので)。
1999年3月1日(月):
プレドニン(IVH)を40mg/日→30mg/日に減少。
1999年3月8日(月):
プレドニン IVHで30mg/日→経口で20mg/日に減少。
栄養剤の点滴は続けるのIVHは退院まで継続。
1999年3月15日(月):
プレドニン(経口) 20mg/日→15mg/日に減少。
(朝 10mg, 昼5mg)
目の痛みがあるので、外出届けを出して眼科へ行く。
1999年3月22日(月):
プレドニン(経口) 15mg/日→10mg/日に減少。
(朝 5mg, 昼5mg)
1999年3月24日(水):PM1:00 退院
退院。
IVHを外してもらう。
この時点では、ペンタサ6錠/日、プレドニン10mg/日、ラックB3袋/日、アシノン1錠/日。
入院:
まず入院する最初のきっかけは、インフルエンザでした。
最初の診断では、インフルエンザがきっかけで併発した”腸炎”でしょうということで、数日の入院という事だったのですが・・・。
その後、入院先の病院で大腸全体の内視鏡検査を行い10カ所ほど大腸内の細胞の採取などをする。
検査の一週間後に「潰瘍性大腸炎」と判明して長期入院モードに突入。
1/20〜2/18までの約一ヶ月の絶食生活をすることになる(1/30〜2/1の3日間実験的に流動食を食べるが、再び血便になったので食事中止(;_;))。
2/26(水)から、潰瘍性大腸炎の治療に詳しい先生の居る病院へ転院して、一ヶ月ほど診てもらう。
退院後の治療もこの先生にお願いすることになる。
自宅療養:
3/24の退院から4/4まで自宅療養をする。
通常の生活に慣れる事と入院で落ちた体力の回復を目的に過ごす。
3/29(月)からプレドニン(ステロイド剤)の量を10.0mg/日から7.5mg/日に減らす。
体のだるさや関節痛は退院後もなかなか治らない。
ちょっと頑張って動き回って疲れるとお腹の痛みが出る(面白いことに、それに連動するように体温が上昇する(^_^;;;)。
入院中に原因が結局分からなかった目の痛みもたまに発生(;_;)。
体調に不安を残しながら社会復帰することになる。

真冬に入院したのに退院したら春だった(^_^;。
入院日記(1999.3.6〜3.23)
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