長距離射撃世界選手権 2003 Bisley, UK 出場

 

’07.9.18作成 榊原嘉仁(櫛風沐雨)

 

2003721日から23日まで、ロンドン近郊のビズリーで開催される長距離射撃世界選手権(World Long Range rifle Championship) 2003に小澤常雄氏と出場しました。

 

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19日出発、20日が練習日、21〜23日の3日間が個人戦、24日現地発25日夕帰着でした。16名必要な団体戦にマレーシアと足しても10名で出られないのが残念。

【個人戦の最後に、記念撮影。小澤さんは疲れきっています。私もです。

疲れているように見えないかもしれないけど】

 

この世界選手権は、1876年にアメリカのニューヨーク近郊にあったクリードモア射撃場で開かれたのが起源です。団体戦優勝の象徴、ティファニー製のPalma Trophyを国単位で争奪します。Palmaはラテン語で、「傑出、勇気と勝利」を意味します。

【英国ライフル射撃協会のホールに展示されていた、パルマトロフィーと記念撮影】

 

招待状には、大会パトロンとして、Her Majesty QE2、大会委員長として His Highness, Prince of Wales のお名前があります。これで、コピーでいいから署名があれば、家宝なんですが....

 

ベストを尽くしてきましたが、あまりの歴然とした力の差に衝撃を受けてしまいました。

 

また、銃の運搬に関するトラブルも2つありました。

 

@     日本航空の超過料金
いきなり二人で20万円を請求されました。リローディング用のプレスなどがありましたので重かったのは事実です。10万円に値切りましたが、15万円の格安チケットで各自5万円×2=10万円は痛かったです。帰りは、不要な重量物(マット、スコープスタンド、リローディング用品の一部)を1万円かけて郵便で送りましたが、手元に届くまで1ヶ月以上かかりました。
その後の経験に照らし合わせて、経営困難が伝えられている米系以外の航空会社(具体的には、日本航空やエアカナダ)では、超過料金の課金が厳しいと思います。航空会社の経営が普通とか好調だとスポーツ関係者を見逃してくれることが多いと感じます。

A     英国入国時の銃器持込許可不取得
それまでの米国遠征や小口径での欧州遠征には、銃器の持込許可は不要でした。英国協会からも取得の案内はなし。油断していました。税関で身柄を留められてしまいました。英国協会に電話したいから貸してくれ、と係官に言うと、「No. Don’t smile, be serious」と怒られてしまいました。
そのご、夕方に釈放され、英国協会に直行しましたが、パルマの大宴会のさなかで、カナダ人に本部の場所を訊き、マレーシア人に「常定さんは来ていないのか、小澤さんお久しぶり」と声をかけられ、当然本部は閉まっていて、途方にくれて 火薬の手配をお願いしたHPSのテントに行って、寝ている従業員のロバートさんを叩き起こし、で朝になったら協会に来いということになりました。そこで簡単な手続をして、元刑事の協会銃器係のFred Jamesが空港の税関まで付き添ってくださいまして、銃を引取って、運んでくれました。このときは、保管は英国協会の銃器保管金庫、持ち運びはFred Jamesだけができるという許可条件だったそうです。
米国はいまでは煩雑な銃砲弾薬の持込許可手続が必要です。たとえば、銃を持って米国経由で他国に航空機で行くのは不可能です。
その後の遠征では、豪州やカナダの協会主催競技会は、国外からの参加者に、うるさいほど持込許可取得の警告をしていました。持込許可取得の連絡がなかったのは英国協会のチョンボだと思います。銃を受け取りに税関に行ったときに帳簿が見えたのですが、数十丁を超える一時許可が出ていましたし、Fredに連れられてヒースロー空港に銃をもって出国する集団もいましたので、各国の射手は苦労したようです。

 

【協会の銃器係で元刑事のFred James氏のおかげで、ヒースロー空港の税関から銃と弾薬をひきとったときの写真。このあと、ビズリー射場で直ちに練習しました。】

 

 

 

Stickledown Range。1000ヤード射撃線。左側は窪地のようになっており、風が弱い。右は丘の上で風が強い。火線(射撃線,Firing Line)の左右でこれだけハッキリと有利不利がある長距離射撃場は珍しい。右側の壁は、右側の射座ほど高くなっているので、その段差をつけるためである。この高さから射場の左と右の高低差がいかに大きいか、わかるであろう】

 

練習は絶好調。これはその後参戦した2007年の世界選手権も同じ。杉田武氏と笑いあったのですが、練習日に限って、風が易しくてよく当たるのです。

 

1日目 425名中233 榊原嘉仁              日本 142.3x 139.3 95.1x 376.7x

 

最初の800ヤードでは、試射2発しかないのに全部弾痕不明。射座からマットごと引き摺り下ろされ、隣が撃ち終わってから撃てと。世界選手権、最初から0点かと、頭が真っ白になりました。必死で原因を考え、これはラダーサイトを1段5MOA間違えて低くしたので監的手がわからない、高ければ弾着の砂煙か音でわかる、よし、ラダーサイトを1段上げました。幸いに次の本射1発目が7点に入り、スコアを低いなりにまとめることができました。 最終的には、第一目は400名強の参加者のうちまんなかにはいりました。長距離射撃の遠征経験3回目でこの成績は、日本でのライフル射撃経験が長距離射撃でも通用する可能性を示していると思います。風さえ読めて、標的番号を間違えずに隣の標的を誤射しなければ。

 

【私の射撃。イヤプロテクターが外れているが気付かずに耳栓だけで撃っている。野原に出ると、日本の射場の閉鎖空間とは異なり、発射音は拡散して心地よい音となる。】

 

2日目 轟沈 406(最後から8番目) 榊原嘉仁 98.2X 121.0X 128.0X 347.2X

 

Xにあたらない、弾痕不明の嵐。現在では、原因はXにあたらないのはフリンチング(308の衝撃が怖い病)と急速に風向きが変わる(Fish Tail Wind)ときの風読みの不足と狙い込みの長さによるずれとわかっています。

 

3日目

l         335 T Ozawa 小澤常雄 Japan 149.10X 89.3X 126.1X 364.14X

l         382 Y Sakakibara 榊原嘉仁 Japan 132. 4X 88.1X 124.1X 344. 6X

 

800,900,1000ヤードで100点以下があるのは、この世界選手権は射手が400名以上と多くて時間不足で15発のところを10発で短縮実施されたからです。しかし、2007年のカナダでは350名でも時間通りに運営されました。C4から会長が変わった直後で英国協会の運営がうまくいかなかったようです。マレーシアのイズマイル氏も、C4がいたらなぁとぼやいていました。

 

長距離世界選手権 最終結果 416名参加

l         369 T Ozawa 小澤常雄 Japan 351.3X 358.6X 364.14X 1073.23X

l         375 Y Sakakibara 榊原嘉仁 Japan 376.7X 347.2X 344.6X 1067.15X

 

なぜ、外すのか、このあと数年間、私は真剣に悩みました。

 

【小澤氏の1000ヤードからの安定感ある射撃姿勢】

 

大英帝国陸軍発祥の競技ですので、イギリス連邦Commonwealth の国々ばかりでしたが、いろんな国の人と話したことが楽しい思い出です。

 

 

マレーシア、ケニヤ、オーストラリアなどの国々の射手は我々よりも長距離射撃が上手いのです。彼らが使っている銃は古めかしく、照準サイトも上等ではないし、弾は既製品です。 1000ヤード先の標的を狙って高得点をとるのは、高価で技巧を凝らしたアクションや銃身、弾薬ではなく、射手の技術や風読みの経験がものをいう競技であることがわります。経験のスポーツといえます。また、野原を銃を担いで往復するので体力を消耗します。今回は、宿で弾を作りながら撃ちましたが、こんなに無駄で消耗する装弾作業を夜中に2度とするものかと思いました。

 

マレーシアの射手で一番仲良くなった、アファンディ氏, Mohd Rosafindi Ahmad。奥さんと子供一人でもう一人が妊娠中だそうです。日本(ジャパン)とレーシアの合同チーム名は、マパンでどうだと真顔で言っていました。マレーシアの選手はみな気持ちが優しく、敬虔なイスラム教徒です。9人のマレーシアチーム全員が英語を話しますので、意思疎通は問題ありません。小学校のときから英語の授業があるそうです。

 

宿にしたB&Bは家族連れでゆっくりと滞在したいほど美しく快適でした。一回の射手にはもったいないのですが、1年前から予約で射場内の宿泊施設は一杯で、テントしかないといわれたのでB&Bにしました。ホテル代をはじめ、諸物価が高いのがイギリス旅行のしんどいところです。

【宿泊先の B&B, the Highpoint の朝食の食堂。毎日、朝早いので、嫌な顔をされた。帰るのは夜遅いし、何のためにこんなに美しいところに泊まっているのか我々もよくわからん。夜中も弾を作っているし。周辺に宿がないからここになりました。】

【宿の庭で記念撮影。このずっと下の沢までが、この家の土地。この家にはクラシックカーもありました。イギリスの庭園は、本当に素晴らしく美しいです。】

 

昼食は、英国陸軍ライフルクラブにあったマレーシアチームのテントで美味しいマレーシア料理を頂いていました。彼らは、イスラムの戒律があるので、イスラム食料品店で購入した食材だけで自炊せざるを得ないのです。ただでは申し訳ないので、スーパーでジュースなどイスラムに関係ない食料を差し入れたりしました。この料理は香辛料が効いたものが多いのですが、牛、鳥、魚の肉も入っており、ライスもあって、日本人にも懐かしいアジアの味でとても嬉しかったです。一度、とてつもなく辛いのにあたりましたが、甘いジュースを飲めば直るというので試したら、本当に舌の痛みが消えました。

【マレーシアの射手との記念撮影、()内数字は個人戦順位

最前列 左から 榊原嘉仁(375)、小澤常雄(369)

後列 左からMohd Rosafindi Ahmad (Affandi, 322)Muhd Nur Syan (Nursyam, 308)

Kamaruddin Mat Noh (Kamaruddin, 276)Shafame Ramly (Shafame, 346)

Zulkaflee Hamsan (Zulkaflee, 88)=マレーシアのエース射手、

Zainal Abidin Md Zain (Zainal, 164). 1998 英国連邦競技会の銀メダリスト、切れ者である。

Azmi Othman (Azmi, 289)Hamdan Rahmat (Hamdan, 108)

Hussin Mat Jais(81)Rozli Mohamad(156)は、イズマイル氏と外出で写っていない】

【マレーシアチームでの昼食。左から榊原嘉仁、小澤常雄、Izmail Zainudin

イズマイル氏は警察の高官でマレーシアチームのキャプテン。

しかし、2007年のチーム改革でキャプテンの座を降りた】

 

【小さなマレーシア国旗付の食堂テント。トイレ、シャワー、二段ベッドは、陸軍クラブ内にある。次回は、体力の消耗を避けるために小澤さんと私も食料持参でマレーシアと一緒に泊まろうというはなしになった。】

 

HPS のテントで。私の買い物は、伏射用雨具、ダイヤル式ウィンドチャート、雨よけ付の下敷きなど。左から、Carmichael夫人, 私、イギリスのパルマチームでC4の右腕として射手や銃器係を長年勤めたJohn Carmichael氏、Robert氏。Robertの整備の腕は素晴らしい。ボルトの具合が悪いんだけどと持っていくと、あっという間に分解して整備していただけた。2003,2007年の世界選手権でも、パルママッチにおけるアクションではRPAのシェアはダントツで高い。】

 

【英国ライフル射撃協会銃器係のFred James氏にお借りしたブレンガンで空を撃つ

(マネ)。彼には本当にお世話になりました。ありがとうございます。】

 

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以上