1959(昭和34)年8月27日 生 52才(平成23年現在)
最初の記憶は、母に連れられて家の近くの映画館で東宝映画の『海底軍艦』(1963年) を観ていた記憶である。 スクリーンからの照返しの中、どこか寂しげな母の横顔と共に憶えている。 (家族は父と母、兄の4人家族だが、私だけが東京で生まれている。 父、母、兄は私の生まれる数年前にまだアメリカ統治下の奄美大島から出てきていた。) だからこれは想像なのだが、東京に知り合いも少なかった母が束の間の安らぎを得ていた のが、映画館だったのではないだろうか.......... そんな事をつい最近だが、思ったりしている。 映画館の暗闇には様々な人々の思いがつまっている。 まだ、白黒テレビがやっと家庭に普及し始めた時代のことである。
12才の時、近所のカメラ屋さんが貸してくれたW8の8mmカメラで始めて映画を撮る。 最初に撮影したのは、プラモデルの飛行機をテグスで吊り、実際の空を背景にしたもの。 あの時、ファインダ-の中では確かに飛行機は飛んでいた。 その時の感動と興奮。 あの時から既に30年近くの年月が流れたが、 まるで、昨日の事の様に憶えている。 小さなファインダーの中、夕日をバックに飛んでいた飛行機.... 想えばあの時が、それまでは一方的に観るだけだった映画を、始めて創ってみたいと 思った瞬間だったのだろう。
中学時代は習作の様な短い作品を何本か制作。 この頃、映像の情報源としていたのが雑誌「小型映画」。 「弾着の自作方法」や「上映会のお知らせ」等の記事を投稿していた。 特撮特集の時は寄稿を頼まれ、あこがれの本多猪四郎監督(ゴジラ 1954)とページを共 にした事もあった。「小型映画」は私の基礎をつくったと言っても過言ではない。 高校1年生の時、『横浜線大爆破』8mmスーパー8(40分)を制作。 情報誌「ぴあ」の主催する第1回ぴあ展に応募、佳作となる。 続いて、『非常都市』8mmスーパー8(90分)を制作と8mm映画作りに明け暮れた高校 時代だった。

1981年 多摩芸術学園 映画科 卒業。
以後、フリー撮影助手として活動。
○劇映画
『幕末青春グラフティ RONIN 坂本竜馬』 撮影 押切隆世 撮影B班セカンド担当 『出張』 撮影 大津幸四郎 撮影チーフ担当 『おこげ』 撮影 羽方義昌 撮影チーフ担当 『眠れる美女』 撮影 羽方義昌 撮影チーフ担当 『ザ・ディフェンダー』 撮影チーフ/撮影Bカメラ担当
○コマーシャル
三菱自動車 撮影 杉山由隆 日産自動車 撮影 杉山由隆 ロッテ製菓 撮影 杉山由隆 エポック 撮影 古久保忠雄 菊正宗 撮影 杉山由隆 日清製粉 撮影 杉山由隆 その他 多数
全て、撮影チーフ担当
○TVドラマ
火曜サスペンス劇場『微笑の儀式』 撮影 羽方義昌 金曜エンタテイメント『結婚させない女』 撮影 羽方義昌
○記録映画
『小さな羽音ーチョウセンアカシジミ蝶の舞う里』撮影 原正 撮影チーフ担当
その他 多数
○その他、勉強させていただいたカメラマンの方達(順不同・敬称略)
浅野正美/岩田まき子/伊藤嘉宏/衣袋知晴/雨宮仁一/岡田文彦/有馬光範/平野光徳 栗林剛三/小泉清/下平元見/新田真/坂田裕次/杉田安久利/坪山武治/田中久之 袖山登好/西川潔治/中井正義/星野巌/林一雄/村上雅言/宮本和夫/矢野亮 廣瀬充男/牛島幸男/hiro ito/中村元/千葉真一/井手情児/須賀隆/村井俊明 蔦秦信/越智宏亮/磯貝均/原田英昭/新井賛二/石井尋成/竹内実/田中正/森田晃 谷内哲昭/田中潤/久保田悦朗/古本久之/大島満州夫/市川任男/國房魁/ 他