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関宿城博物館・関宿にこにこ水辺公園(千葉県野田市)訪問日・撮影日1999.11.3&2007.6.16
関宿城とは
北条氏康をして「関宿城を獲ることは一国を獲るに等しい」とまで言わしめた関宿城は、室町時代(15世紀)に古河公方足利氏の配下梁田成助によって築城されました。 本丸・二の丸・三の丸の部分だけでも約6,000坪もあった広大な城でした。実際の本丸は現在の場所よりも南側のスーパー堤防の下にありましたが、現在では河川改修のため城地のほとんどが埋没しており、わずか本丸の曲輪と城址の碑を見ることができるのみです。近くに移築された城門もあるようですが。 簗田氏6代の支配の後、北条氏政に滅ぼされ、以後は北条の軍事拠点となりました。その北条氏もまた、1590年、徳川の北条攻めで滅ぼされてしまいます。北条氏滅亡後、徳川家康は異父弟の松平康元を関宿城に配しました。当時は2万石だったそうです。 江戸時代には利根川水運の要衝として栄えました。また、幕府重臣に取り立てられるための「出世城」とも呼ばれ、松平・小笠原・北条・牧野・板倉氏が目まぐるしく城主の座についたそうです。博物館のお土産物屋には「関宿城出世手形」なんてものあるほどです。ちなみに、ぼくの持っている「関宿城出世手形」には禄高七万三千石とあります。そして、久世氏が城主の時に明治維新があり、廃藩置県によって廃城されてしまいました。 博物館として再建
利根川が江戸川と分岐するところ、高い堤防の上に建って城下を睥睨する現在の関宿城が博物館として再建されたのは、平成7年のことでした。長きに渡る洪水との戦いの歴史と河川改修の歴史や水運の歴史を通して、人々と川の関わりをビジュアルに展示しています。 お城マニアには、幕末の老中久世広周等を輩出した関宿藩の本拠関宿城の模型も用意されているので是非ご覧ください。 関宿城最上階の4階天守閣部分は展望台になっています。実際の関宿城を忠実に再現しているそうですので、これも見逃せません。 恐ろしく高いスーパー堤防の上の、更に地上4階の展望台なので、見晴らしは最高です。この堤防のお陰で現在は水害の心配がなくなりました。博物館の水害の資料を見聞きすると、厳粛な気持ちになりますよ。子供たちにしっかりと説明をしてあげましょう。 関宿にこにこ水辺公園
関宿城のまわりが子供たちを遊ばせることができる広場になっています。関宿にこにこ水辺公園というのが正式な名称らしいですね。 金属のフィールドアスレチック風で、一回転できる珍しい遊具がある土の広場と、芝生の広場などがあります。芝生広場は経年のためか、一面がクローバーに覆われています。時期になると一面がクローバーの白い花で敷き詰められます。 珍しいのが、ブロンズ製のゴリラとパンダとウサギです。芝生広場にたくさん並んでいるのです。慣れないと、ちょっと気味が悪いかもしれませんが、哲学的なゴリラの風情がぼくにはちょっとツボでした。久しぶりに訪問したある日、ゴリラの首に、白いクローバーの花で作られたネックレスがかけられていました。 博物館の裏手には日本庭園があります。堤防の川側には中之島公園という公園もあります。こちらは日本一とも言われるコブシの大樹で知られているようですね。 周辺とアクセス
スーパー堤防の下の河川敷を見渡すと、空にはパラグライダー、ラジコン飛行機。バギーカーまで走っていました。圧倒的な広さです。 利根川と江戸川の分岐点が見たくて、高い堤防の上から河川敷側に降りてみました。茂みの中の道を長い時間歩いて、やっとたどり着いた最突端にはテトラポットがあるだけ。大河の分岐点は見ることができませんでした。 国道4号線を北上して菱沼を右折。関宿橋を渡ってしばらく走ると左手にお城が見えてきます。右手のファミリーマート、左手のガソリンスタンドを超える「博物館入口」という信号があるので左折してください。 ぼくの大好きなところなんだけど、宣伝が足りないのかいまいち知られてませんねぇ。関宿城のホームページはこちら。 千葉県野田市関宿三軒家143−4 TEL0471−96−1400
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