トップページへ戻る次へ


日本人の宗教観


「死生観」「日本人の宗教観」「宗教不信は宗教政策から」「宗教は精神性の根源」「習俗に見られる宗教観」「閉鎖的で権力に弱い国民性」「ポルトガル人の見た日本人の宗教」「日本の思想の源流」「日本人の宗教の古層」「神道と仏教の二重信仰」「思想性、生命感を欠いた日本人の宗教」「生と死と」
 
死生観

はじめに

 日本人の宗教観について死生観を中心に考察する。また多神教的な日本の宗教の特徴を示す。次に戦後、無信仰や宗教不信が言われるようになった背景を明らかにする。
 梅原猛、中村元両氏の死生観を参照しつつ日本人の魂の原像、日本人の精神性の根源を追究する。一方、ポルトガル人・モラエスの目に映った「日本人の宗教観」を外なる目として日本人の宗教観を内省する。


日本人の宗教観―その表層と深層
  八百万の神々と日本人


 宗教観について考える場合、社会現象としてその時々に現れる表層と、底流としての深層とを共にとらえなければならない。現象面ばかり追っていたのでは、日本人の宗教観のよって来る精神史的背景を見失う。宗教など関係ないという人々にとっても生死は十分に切実な問題であり、死生観こそ宗教の根本問題といえる。
 日本人は宗教を持たない国民だと、欧米人から言われる。日本人は、結婚式は神式、または教会で行ない、子供が生まれると神社に参り、死ねば寺院で葬式を行なう。八百万の神々と言われるように、元来、日本人は多神教であった。これは日本に限ることではなく、歴史を遡れば世界の多くの地域で認められる。日本人の多神教的宗教観は、むしろ人類共通の根源的なものと言わなければならない。日本人の宗教意識は無自覚であり、自然信仰、民間伝承を土台とする民俗信仰というべきものである。
 NHK放送世論調査所編『日本人の宗教意識』(日本放送出版協会1984年)によれば、日本人で信仰をもっている人33%、信仰をもっていない人65%に対し、アメリカ人ではそれぞれ93%、7%となっている。欧米やイスラム世界の人々にとってみれば日本人は無宗教的民族としか言いようがなく、何を考えているのか分からない、と不信を買うことになる。

 宗教不信は宗教政策から

 その日本人にして戦後、宗教を軽蔑し、まともに宗教とは何であるか考えようともしない。このような日本人の無宗教、無信仰、宗教不信は何に起因するのであろうか。
 一つの理由として戦前の国家神道に対する反動から宗教について、何かいかがわしいもの、疑わしいものとの否定的イメージが国民の間に広まったことがある。これは国の宗教政策がもたらした結果である。時代を遡れば、江戸幕府による寺請(寺檀)制度に遠因がある。キリシタン取り締まりの名のもとに、宗門人別帳が宗教統制の基盤となり、戸籍の役割をも果たした。その上に形成されたさまざまな宗教儀礼、行事が寺院の生計を助けるものになった。ここに宗教の職業化、民衆救済を忘れた宗教の形式化が進む。
 明治政府は廃仏毀釈運動を進め、仏教を徹底的に弾圧した。一方、神道を「国家神道」として国民の精神的統合を図った。文明開化を国を挙げて推し進めた結果、科学的合理主義が浸透し、マルクスの”宗教はアヘン説”が宗教不信を一層深くしたと思われる。

 宗教は精神性の根源

 宗教は精神性の根源になるものである。内容の吟味は厳格にしなくてはならない。ただし、人間に対しては寛容であるべきである。宗教は人間が作り、人間を救うものである。ニーチェのいう如く人間を服従させる「神は死んだ」のである。「宗教が宗教心をつくり出すのではなく、むしろ宗教心が宗教をつくり出すのである」と、ジンメルはいう。

 梅原、中村両氏の死に対する深い思索を挙げて、死生観考察の一助としたい。
 「あの世について語らなくなった現代人は、死についても語らなくなったのである。人類の思想において、死についての深い思弁はあの世についての教説と深く結びついている。あの世への信仰を失うことによって、死についての思弁も失ってしまうのである。それで現代人は死について深く考えることをやめ、つとめて死を忘れて生きようとしていると思われる。」(日本人の魂・梅原猛P11)

 死を忘れた現代人、いや死から目をそむけている現代人に、存在の深い意義を問いかけているのである。死について真摯に考えることはこの生を考えることであり、よりよく生きることに通ずるものである。

 「死というものはじつに不思議なもので、人間が経験するほかのこととは根本的に違います。人間は死以外のことについては、経験したことを客観化することができる。ところが、死についてはそれができません。生きているあいだに自分の死を経験することはできないからです。経験したときには、もうすでにその人はこの世にいないわけですから、死を経験することはできない。したがって、他人の死についてはいろいろ論議できますが、その人自身の体験としては決して語れないわけです。」(人生を考える・中村元P183〜184)

 死は不思議なもので、経験することはできない。論議はできるが、体験として語ることはできないものである。だからといって死について考えることは無意味かというに、決してそんなことはない。無意味どころか、死を考えることは死すべき者としての自己の存在を探求することであり、人生の意味を究明することなのである。人間が人間として自己を形成していく絶えざる営為といえる。

 「死んで、すべてが消えるということも考えられますが、消えると断定する確実な根拠はなにもない、というのは、私どもがめいめい生きているということが、そもそもひとつの不思議だからです。」(同、P186)
 人間という存在は、その存在の確実性の根拠を求めると、たちまちに曖昧なものとなってしまう。逆に言うなら不確実な自己の存在を確実なものとするために生きているのである。生きていることが不思議といわれるのは、まさに自己の存在を証明しようとする意志にある。

 日本人の死生観は、自然の中で生を受け、桜の花のように自然の中に散って行く、と生と死を捉える。それは無為自然の生き方に代表される。自然のままに生きたいように生きるのである。自然との一体感を喪失した今、実利本位、欲望の充足のみを目的とする物質主義に堕している。だが、その信頼の根拠さえもバブル崩壊によって多くの人々は失ってしまった。幻想から覚めた時、もう一度、本来の己に立ち返り、生死に思い到るのである。

 習俗に見られる宗教観

 習俗に見い出される日本人の宗教観について検討しておこう。
 近代的ビルの屋上に祭られている鳥居、ここには近代合理主義としての科学信仰と、半ばアクセサリー化した非合理的なものの同居が見られる。また「死ねば仏」という、死者儀礼には祖霊信仰が影を宿している。
 「穢れ」と「言霊」という神道的思想について、伊沢元彦氏は「穢れと茶碗」において面白い考えを述べている。
 氏によれば、日本人は他人が使った箸や茶碗をきたないと思うのは、「穢れ」の感覚によると言う。熱湯や洗剤でどんなに消毒してあっても、きたないと思うのである。受験生のいる家庭で「すべる」という言葉を使わないのも、言霊信仰によって、口に出したことは実現すると考えられていると指摘する。
 そう言えば、テルテル坊主を軒先につるして、明日天気になあれ、と言葉をかけるのも無意識化された言霊信仰ともいえる。

 閉鎖的で権力に弱い国民性

 日本人の宗教観を考える場合、日本人の国民性についても考察しておく必要がある。
 小さな島国で稲作を中心とした生活風土、それによってもたらされた閉鎖的な「ムラ社会」が、世間を気にする「恥の文化」(ルース・ベネディクト)を形成したのは道理であろう。
 そこに「ことあげ」を嫌い、和を尊ぶ国民性が育まれ、外面的秩序が重んじられる。こうして権力に従順な日本人の国民性が形づくられたと考えられる。
 理屈を嫌い、義理人情の浪花節に涙し、演歌の世界に感情移入する、親分子分の国である。強者に諂い、弱者には威張り散らす国民性がうかがわれる。是は是とし、非は非とする論理を欠いているからである。島国に閉じこもり、身近な人間関係だけがすべてという視野の狭さは日本人最大の欠点である。

 ポルトガル人の見た日本人の宗教

 1889年、ポルトガル海軍士官として初めて日本を訪れ、日本に魅せられたモラエスの目に映った日本人の宗教はどのようなものだったのだろう。
 彼が“日本の土”になることを心に密かに決め、徳島に移住した。一異邦人として日本と日本人をみつめ最晩年に著した「日本精神」には、次のように記されている。

  「一国の国民の宗教を研究すること、知ることは、その国民の精神的特性に関する広大でゆたかな研究分野に入ってゆくことである。」
 国民の精神的特性を知ろうとするなら、その国民の宗教を研究せよ、と言っているのである。

 「神道は、英雄の宗教であり、その英雄たちの霊が地上を、つまり日本人の上を漂って日本人を守護しているとすら言うことができる。(中略)確かに、日本人の比類なき勇気、この上ない豪胆、輝かしい愛国心は神道のせいである。そして、大和の精神、「やまとだましい」という今日よく知られる言葉を生んだのは主として神道であった。」(P44〜45)

 神道の有する日本民族を守護する英雄性を指摘している。日本人の勇気、豪胆、愛国心、やまとだましいの淵源を語っている。

 「日本人は仏教のうちに彼らの精神が必要としていたもの、すなわち、次々と行われる霊魂の転生〔輪廻〕後の永遠の生命の肯定を、美徳の褒賞を、悪の処罰を、天国と地獄を、人間と動物に対して垂れるべき慈悲を、平和への愛とその他無数の善徳の教義を見い出した。」(P47)

 いささか、キリスト教的な捉え方ではあるが、彼なりの仏教理解であろう。
  ちなみに仏教では実体としての霊魂は想定しない、と言われる。『最初にブッダが死後に霊魂はあるかないか、身体と霊魂とは同一か別か』と聞かれた時に答えなかったからです。」(人生を考える・中村元P192)

 これは毒矢の譬えとして知られている。形而上学的な質問に答えることより、実際に苦悩している人間を救うことが先決である。毒矢の種類、形を云々するより、毒矢を抜かなければ死んでしまうことを教示した時のブッダの言葉とされている。

 
日本の思想の源流

 日本人の宗教観のバックボーンをなす、神道的なものと、仏教的なものの源流を探ってみる。梅原猛氏の「地獄の思想」を拠り所に思索を進める。
 「日本の思想を流れるのは、三つの原理ではないか。生命の思想と、心の思想と、地獄の思想。」(P28)
 実に大胆にして、鋭い分析である。

 「神道が、自然の生への崇拝であり、多神教的であったにちがいない」とし、「密教が自然崇拝という点で、神道と思想を共通にしたことが、密教が日本の土地に根づいたもっとも大きい理由であろう」と、神仏混淆の接点を明かしている。これは、先に日本人の死生観の箇所で論じた、自然をそのまま受け入れる、といういわば自然宗教ともいうべきものである。
 続けて平安時代まで時代を区切って「神道と密教は生命の思想に、唯織は心の思想に、天台は地獄の思想に属するかもしれない。」と分析しているが、ここにとどめておく。

 鎌倉時代以後の仏教についても、日蓮宗を生命の思想に、禅を心の思想に、浄土教を地獄の思想に分類しているのは興味深い。
 梅原氏は、あくまで哲学者として文献学に基づいて宗教思想を論じている。しかし、宗教は元々、民衆が自らの苦悩から解放されることを願い、これに対して解決の方途を示す教祖の出現を待って生ずるものである。学問的研究とは異なる生活次元の実践を根本とすることも忘れてはならない。
 「地獄の思想は、日本仏教のひとつの流れなのである。生の力を肯定する哲学とともに、生の暗さを凝視する哲学を日本人は愛した。」と梅原氏は日本人の心性に触れている。
 さらに「智リの説の主なる創造性は、この十界に、またそれぞれ十界があるという十界互具の思想にあるという。つまり、地獄から仏までの十の世界にそれぞれに十の世界がある。地獄の世界のなかに地獄から仏までの世界があり、仏の世界に地獄から仏までの世界があるということである。私は、これはすばらし思想であると思う。」(地獄の思想・P70)と。
 ここには「生命の思想」と「心の思想」と「地獄の思想」が見事に融合されていると思う。

 日本人の宗教の古層

 梅原氏は「日本人の魂」において縄文時代にまで探究の目を遡らせ、沖縄やアイヌの研究を糸口に「そこに一つの世界、我々の現代世界とも違い、また日本人が伝統的にもっていた世界とも違う、一つの世界を認めざるを得なかった。そしてその世界はおそらく縄文時代からの世界を引き継いだものであろう。」(日本人の魂P35)と推論している。
 氏によれば「古代人にとって、死は魂が肉体から離れることを意味し、人が死に、魂がその体から去るのを見届けると、魂を呼び返そうとした。それが魂呼びである。」という。

   また、残された体が「亡骸」で、「なき」というのは魂がない、魂が抜けたカラという意味であろう、と述べている。
 勝坂式・中期縄文土器のマムシを図形化した紋様をとり上げ、マムシが神として崇拝された理由として、人間を殺す猛毒と、脱皮して生まれ変わる、復活する生命の象徴を挙げている。
 「あの世観」について、天の一角、太陽の沈む西の方、適当な高さの所にあるとし「あの世は極楽でも地獄でもなく、あまりこの世と変わりはない。ただ、一つだけ違っているところがある。それは、この世とあの世は何でもあべこべだということである。」という。

   昼と夜が逆であり、この世が夏ならあの世は冬だという。「この世では人は着物を右前に着るが、あの世では人は着物を左前に着るという。」アイヌの社会では今でも夜の初めに葬式は行われるし、また明治天皇の葬式も夕方とともに始められた」とし、その理由を「それは、あの世はこの世とあべこべであるので、この世の夕方はあの世の朝に当たるからである。この世の夜の初めすなわち夕方に死者の魂をあの世へ送れば、魂はこの世からあの世へ着く。それはあの世の朝に当たり、朝着けば、その日のうちにご祖先さんの待っているところへ着くというのである。」(P37〜53)

 これだけを聞けば、お伽噺か、夢物語のように思われるが、それは何でも合理的に考えなければ済まない、現代人の思考方法を前提にしているからであり、物証はないが、あるいは縄文人の生命観、宗教観は、梅原氏の推測するようなものであったのかも知れない。
 さらに高松塚の壁画に「ペケ」の字がつけられている例を挙げて、その字は決していたずらではなく、わざと一つの意思をもってつけられたのであろう、という。それは、この世のものとして不完全にし、あの世で完全にしようとしたのである、と。その他、土偶が決して完全な形では出土しないこと、体が割られ、頭と胴が切断し、手や体が折られているものもあること等を例示している。
 門松が、あの世の祖先が、この世に帰ってくる目印だとし、古代日本人の世界観を説き明かし、「この天国と地獄の区別のないあの世の考え方は、日本ばかりの考え方ではない。それは旧石器時代、世界に普遍的な考え方であったと思う。」(日本人の魂)と述べている。

 神道と仏教の二重信仰

 日本人の宗教の古層を明らかにしたので、日本人のシンクレティズム(重層信仰)について論究する。日本人の信仰は仏像を拝み、神棚に手を合わせる。八百万の神に心を寄せる重層信仰である。
 古代人によればこの世とあの世は循環する。もともと、この生死のすべての儀式を神道がつかさどっていた、という。
 日本に仏教が伝来したのは、大和朝廷538年とされ、それまでは呪術的な神祇信仰であった。ここに神道の源流がある。神道という名称は、後でつけられたもので、実体は古代人の生活に根ざしていたものと思われる。
 「蘇我・物部の戦い」で、崇仏派蘇我氏の勝利に終わり、仏教は律令国家建設の精神的支柱となった。鎮護国家のための仏教として各地に国分寺が建立された。

 平安期には末世思想が起こり、極楽往生を願う浄土思想が貴族界や庶民の間にまで広まった。鎌倉仏教の興隆、1549年、フランシスコ・ザビエルによるキリスト教布教開始、織田信長による長島、石山の一向一揆弾圧、叡山焼き打ち、秀吉によるキリシタン禁令(天正禁令)、島原の乱(1637年)など権力による宗教弾圧が見られる。江戸時代、平田篤胤は本居宣長の国学に学び、神ながらのみちを見いだしていく。”天皇が、神代から伝わるままに人知を加えられずに天下を治められる”現人神として天皇が日本を統治するということである。
 このようにして自然神道が国家神道へと変貌を遂げた。後に明治維新のイデオロギーになり、皇国史観に取り込まれた神道は「宗教にあらざる」国教として思想・信教の弾圧に猛威をふるう。不敬罪、治安維持法が天皇を頂点とする国家神道を法的に支え、日本を太平洋戦争へと駆り立てたのである。

 このような経過を辿ったゆえに、日本人は二重の意味で宗教に対して精神的重層構造をもつに到ったのではなかろうか。古層と表層との二重性と、国家神道によってもたらされた宗教不信、この二つである。
 宗教的次元における二重性について、梅原氏は「仏教が入ってきて、とくに浄土教が盛んになると、仏教が人間の魂をあの世へ送るという儀式を奪うのである。そしてあの世からこの世へ帰るという儀式のみを神道に残しておいたのである。(中略)さほど重要でない死から生への儀式を神道に残しておいたわけである。おそらく、それまで奪ってしまっては、神道側の恨みを買うと思ったのであろう。仏教は神道との平和共存を図るために、そのような儀式を神道に残しておいたわけである。」と明快に論じている。
 さらに面白いのは「仏教はもともと葬式ということを行わなかった。南都六宗の坊さんは今日でも葬式をしない。南都六宗の坊さんが死んだときは、浄土宗の坊さんが来て葬式をするという。」(P143〜144)

 思想性、生命感を欠いた日本人の宗教

 現代における日本人の宗教観を検討すると、既成宗教の儀礼化、形式化の影響もあり、魂を覚醒する意味が失われているのを見出す。古代日本人のもっていた生きいきとした生命感、宗教のその創始において備えていた豊かな思想性が時間の経過の中で次第に欠落してしまったということである。
 ただ、移ろう自然の変化に順応して生きる日本人の生き方が、自然観、宗教観ともなり、日本人の精神に受け継がれていると思われる。
 表層の変化はあっても、深層においてはさほどの変化もなく、科学信仰の比重が増した分、精神の内実が希薄化した、と見るべきではないだろうか。その背景については、歴史的過程、国民性の観点からすでに論じたので、これからの宗教の姿を展望する。
 これまで見たように日本人の宗教とは、思想性を備えない宗教、思想的基盤を欠いた宗教といえる。今日要請されているのは、梅原氏の言うところの”生命の思想”、”心の思想”、”地獄の思想”を合わせ持つ宗教であろう。深い精神性を秘め、人間の魂を呼び覚ます哲学性を備えたものである。
 人間は一人一人、自らの生命のうちに無限の宝(十界互具の思想)を備えている。このことを忘れ、他人のお金を幾ら数えても一銭の得分もない。自らの手によって無尽蔵の宝を取り出すことが肝要である。そこに人生の最高の喜びがあり、生きることの意味もある。
 人間を真に覚醒させる宗教が21世紀文明を切り拓き、日本人としての精神基盤を確固たるものにするであろう。人間のあり方がすべてにわたって問われている今日、改めて宗教を考えてみる必要がある。




参考文献

梅原猛「地獄の思想」 中公文庫

梅原猛「日本人の魂」 光文社

中村元「人生を考える」青土社

ヴェンセスラウ・デ・モラエス 「日本精神」彩流社

伊沢元彦「穢れと茶碗」祥伝社





生と死と

 生老病死は、自分の努力では何ともしようのない事実である。自然、宇宙に生成発展の法則があるように、生老病死の法則に則って自己をいかに活かしていくかである。
 宗教を信じるとは、宗教行為そのものである。宗教は勉強して分かるという面もあるが、行為の中で人間としてあるべき姿を体現していくことが宗教本来の目的であろう。
 もし、その行為が社会に受け入れられないものであれば、その宗教は間違っている。その教えが正しいとすれば、行為者の方に問題があるのかもしれない。キリスト教、イスラム教、仏教の実践者の中にも犯罪者はいる。犯罪行為を犯した人に問題があるといえる。

 人間の行為規範として宗教は必要であろう。人間が人間であるための自立の原点である。「汝自身を知れ」という。自省のため、自らを制するために哲学、宗教が要請される。

 仏教の生死観は、誰人も避けることのできない生老病死の四苦を問題にする。  四苦八苦と言われる、その四の苦しみである。このほかに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦あわせて八苦になる。
 愛別離苦は愛するものと別れなければならない苦しみ、怨憎会苦は恨み憎んでいる人と会わなければならない苦しみである。
 求不得苦は求めても得ることができないことによる苦しみ、五陰盛苦は、肉体と精神作用によってもたらされる苦しみをいう。

 葬式などの儀式はほとんど意味をもたない。結局、自分として死に臨んだ時、どう対処するかを決めることであるから。ソクラテスのいう「死の学び」である。生きながら死を学びつづけることである。そこから他者への関わりも出てくる。
 そのようなものの実践として宗教があると考える。仏教ならブッダにかえって、その根本のところを知る必要がある。ブッダが、説きたかったことは一体なんであるのかということである。

 宗教は人間が生み出し、人間の幸福を実現するためのものである。自然、宇宙に生成発展の法則があるように、生老病死の法則に則って自己を活かしていくことであろう。自分を見つめることを放棄すれば、どのような思想、哲学、宗教であろうとそれに人間が隷従することになる。
 宗教はアヘンなりといったマルクス主義もイデオロギー信仰の一種といえる。民主主義も衆愚政治の道具として利用されてしまう。
 自力と他力とでは、自力が自分の努力とすれば、他力とは自分を超えた法則とでもいえる。したがって、自力と他力との合致に人間の生きる道が開けるのではなかろうか。



トップページへ戻る次へ

ご意見/ご感想はこちらまで