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私はご覧のとおり障がいがあります。自分で歩くことも食事することも出来ません。世の中にはたくさんの障がいのある方がおられます。でも、その障がいの種類はいろいろです。視力障がい・聴力障がい・知的障がい・精神障がい、そして私のように肢体不自由などです。
私の知っているMさんは若い頃「脊椎カリエス」の後遺症で立派な成人ですが、身長は小学生ぐらいです。でも、自動車も運転をし障がい者の先頭に立って働いておられます。また、Yさんは「ADHD注意欠陥多動性障がい」です。外見は健常者と変わりませんが、例えばタクシーに乗ったとき、「右に行ってください」と言うべきところ、「左に行ってください」と言ってしまうそうです。だから、さまざまな障がいを持った人々を「障がい者」という言葉でひとくくりにできないのです。例えば、認知症の人のために昔の小学校唱歌や童謡を一緒に歌ったりします。それは、老人性の認知症の人たちのためには適切なケアですが、私には興味のないことです。逆に私の好む音楽はその人たちには意味がありません。だから、くり返しますが障がい者に対する援助と言ってもいろいろです。
ある特別養護老人ホームで、脳梗塞の後遺症で、全身マヒで自カで起き上がることも、食事をとることもできない。ほとんどしゃべれない男の人がいました。だから、介護職員も諦め半分といった様子でした。ところが、そこに1人の若い看護師さんが来ました。たまたまその二人が長田区の同じ小学校の卒業生でした。もちろん年齢は違います。その看護師さんは、親しみを込めて母校の様子を話しかけたのです。そうすると、その男の人が涙を流したのです。他の職員たちはそれを見てびっくりして言いました。「あの人が涙を流すなんて。」だから、その人に応じたケアが必要なんだなとつくづく思いました。また先ほどの施設で聴覚障がいのおばあさんがいました,何でも九州の田舎の方の出身で、聾学校に行けなかったので、手話ができません。だから、他人とのコミュニケーションは手招きだけです。そこにあるとき、音楽のボランティアがやってきました.入居者は広間に集められました。そのとき、私は介護職員に「あの人は耳が聞こえないので、ここにいることが逆に苦痛ではないのか?」と言ったところ、「ああそうだわ。うっかり忘れてた。」と言いました。しかし、後でよく考えてみるとその聴覚障がいのおばあさんが部屋に一人ぽつんと残されるのも苦痛だったのではないかと思いました。音楽会に参加するのも苦痛、取り残されるのも苦痛。手話ができないので状況を説明することもできない。いったいどうすることがその人にとって一番いいのでしようか。しかし、このようなことは福祉の現場ではよく起こることだと思います。
私の場合は、体は不自由ですが精神的・知的障がいはありません。ところが、介護職員の中には、小さな子どもに言うように話しかける人がいて、心の中で「ムッ」とすることがあります。また、障がい者の集会で先ほど話したYさんが、「有末さんに机を運んでくれとは言いません。それは私達がやるから、有末さんは自分ができることをやってくれたらいいんです。」自分で出来ること、それはこのように話すことです。
皆さんは福祉の勉強をされていますが、福祉の現場においては頭では分かっていてもどうしてもさまざまな障がい者を『十把一絡げ』にしてしまうことができてしまうと思います。そのときに私の言葉を思い出していただければうれしいです。 |
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この前テレビでこんな話を見ました。広島市の28歳になる女性の看護師さんの話です。その人は普段大きなバイクを乗り回し、スポーツは万能、気の強い元気な人でした。だから、看護師仲間とチームを作り、リレー大会に出場したのです。ところがあと5メートルほどで次のランナーにバトンをわたすとき、倒れて意識をなくしたのです。脳梗塞でした。幸い自分の勤めている病院に搬送され、命だけはとりとめました。しかし右半身にマヒが残ってしまいました。もちろん看護師さんですからこんな患者はたくさん見てきたはずです。しかし自分が障がいを持つ事はまた別です。しかも自分の病院だった事で余計辛さを感じたそうです。私はその事を聞いて「でもそれは当然だろうな」と思いました。人間誰しも自分が障がいを持つとは本気で考えたくないものです。
その看護師さんにもやがて苦しいリハビリが始まりました。でもいくらリハビリをしても元の元気な身体には戻りません。そしてとうとう勤めていた病院から「これ以上仕事を続けるのは無理」と言われ、看護師を辞めなくてはならなくなりました。そんな彼女に対して看護師仲間の人たちはどうしていたでしょうか。初めの頃は何をしていいかわからなかったようです。やがて、障がいを持った人をそのまま受け入れようとしたようです。特に仲の良かった看護師さんは、落ち込んでいる彼女を外に連れ出そうとしたそうです。ショッピングや喫茶店にも行ったそうです。そのような協力によって障がいを持った看護師さんは何とか生きていける道を見つけたようです。私はこの番組を見て、障がい者にとって周りの人たちが障がいを持ったまま受け入れてくれる事が、最も大事な事だと思いました。
皆さんは障がい者をどう見ているでしょうか。きっと「かわいそうな人」と思っているのではないでしょうか。「かわいそうな人」という思いの中には「優越感」や「同情」もあるでしょうが、意識されていなくとも「罪無くして障がいを負った人が居るのに、自分が健康であることに、一種の後ろめたさを感じる気持」があるのではないでしょうか。その気持があなた方に障がい者を援助しようという気持を起こさせます。しかし、そのような思いを持っている自分に気が付かないまま援助をすると、その援助はしばしば障がい者の思いとすれ違ってしまいます。そうすると、援助者も障がい者も双方が傷ついてしまいます。これはとても大事な事なのですが、「後ろめたさを感じる気持」も「だから援助しよう」とすることも正しい事です。障がい者には適切な援助は必要ですが、過剰な援助はかえってマイナスになります。この適切な援助を見極めるため、自分の中にそのような気持があることを知った上で、援助する事がとても大切なのです。
もうかなり前の事ですが、こんな経験をした事があります。介護をしてくれた人に私が言いました。「アメリカでは障がい者に職を与える事に積極的です。障がい者が職を得て収入を得れば、政府の支援費も少なくなるし、第一障がい者から税金を取ることもできるから」そしたらその介護の女の人は言いました。「障がい者から税金を取るなんてひどい話だ」日本では未だこのような考え方が普通です。しかし障がい者も持っている能力を使って働いて税金を納めるのが当然のことなのではないでしょうか。日本でも早くこのようになってほしいと思います。 |
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2004年11月21日の聖書の第二朗読は次の言葉で始まりました。
「光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたが預れるようにしてくださった御父に感謝しています。御父は、私たちを闇の中から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さいました」
多くの場合障害者は主権とは関わりの無い場所にありました。そしてそれはイエス様の生まれた2000年前と現代と基本的には変わっていないはずです。
故ケネディー元大統領の妹に知的障害の人がいました。ケネディー家といえば、アメリカで大きな存在であり、そのファミリーはそれぞれ重要な地位を占めています。しかしその障害者の妹さんが人前にでる事はほとんどありませんでした。もちろん知的障害の彼女が社会的に活動するのは困難だったろうし、そのような生き方だけが幸せでない事はよくわかっています。しかし、それでも私が何か割り切れないものを感じるのも事実です。もしその人に障害が無かったら社会的に活動しただろうに、ずっと施設の中で暮らす事を余儀なくされていたようです、彼女の存在が、選挙にマイナスに作用する事を心配しての事でしょう。40年程前のことです。
すべての人は神の相続人です。
障害者もまた神の相続人です。
ケネディー家の話と同じ頃、故マーチン・ルーサー・キング牧師による公民権運動が始まりました。「差別は神の意志に反する」と考え、自分達の主権と尊厳を取り戻す為、声をあげたのです。
私たち障害者もまた、声をあげ、行動する時が来たのではないでしょうか。昨年7月のカトリック障害者連絡協議会の大阪大会はある意味でマーチン・ルーサー・キング牧師のバスのボイコット運動にあたるのではないかと思っています。それをバネとして、今日のような障害者と共に奉げるミサを始め、障害者もミサにお客様として参加させてもらうのではなく、教会の一員として教会活動に積極的の参加しようという雰囲気が広がってまいりました。この運動を更に大きく発展させていきましょう。また女性差別や国籍差別、部落差別、婚外子差別などの差別反対運動とも連帯していこうではありませんか。 |
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もうかなり以前の事ですが、カトリック作家の曽野綾子さんの作品の「神の汚れた手」で、こんな箇所を読んだことがあります。それは曽野綾子さんがローマにある先天性障害児の施設を訪れた場面です。その施設はある修道会の経営の為、シスターやボランティアたちの働きによって運営されていました。その施設は、重度・中度・軽度の三つのブロックに分れており、部外者が入る事ができるのは軽度のブロックのみでした。曽野綾子さんはカトリック作家という事もあり、中度のブロックまで特別に入る事が許可されました。しかし、重度のブロックへは入る事が許されませんでした。それはそこの子ども達の姿があまりにも酷いからでした。もうずっと以前の事ですので、正確な文章は忘れましたが、次のような意味のことが書いてあったと思います。「私はまず目をそらせようとした。そこに居たのは人間というより『不気味な物体』といった方が良いものだった」中度でこれですから、重度の所は推して知るべしでしょう。しかしシスターやボランティアの人たちは黙々と働いていました。もちろんその人達にもそれぞれの考えはあるでしょう。しかし共通しているのは、「私があなた達を愛したように、あなた達も互いに愛し合いなさい」というイエスの言葉だと思います。確かにイエスの言葉は人間を内面から変革させます。しかしもし、イエスの全能の力を持ってすれば、そんな酷い障害を子ども達に与えなかった方が手っ取り早いのではないかという気持ちが湧いてくるのも事実です。そうすればその子ども達も人間らしい生き方ができるし、その子ども達を産んだことで苦しんでいる親も苦しまずにすんだはずです。
それを思う時、私はゴルゴダの丘へと向かうイエスの十字架を背負わされたクレネ人のシモンの事を考えます。彼は自分の意志で十字架をになったわけではありません。人々に無理やり十字架を背負わされ歩かされました。その十字架は重くて、シモンにしたら、それを放り出して逃げたくなったのではないでしょうか。けれど彼の行為は、たとえわずかでもあえぎ苦しむイエスの助けになりました。シモンはクレネ人ですからユダヤ人から軽蔑さえていたはずです。またイエスのことは、その時まで知らなかったのではないでしょうか。しかし、自分より更に苦しんでいるイエスを見た時、彼は心を動かされ、十字架を放り出したいと思う心を押さえつけたのではないでしょうか。
障害者も、自分の意志でそうなった人はまずありません。何等かの力でそうされたのです。障害者が障害をになうと言うのはシモンがイエスの十字架をになったのと同じではないでしょうか。障害者にとって障害をになうと言うのは、決して簡単に納得できるものではありません。障害者の本音としては、悪魔に魂を売ってでも傷害から逃れたいと思います。それはとても大きな魂の戦いです。私の場合、十字架上のイエスの中に自分を見つけたのです。イエスはゲッセマネの園で激しい恐怖の中に在ったと思います。しかしそれから逃げようとせず、ビア・ドロローサを重い十字架を背負って登り、そして苦しみの中でいき絶えられました。その時私もキリストと共に死に、キリストと共に復活しました。それによって私は、尊厳をもった存在とされたのです。
もし、私に障害が無かったら、私はきっと多くのことを自分の力でできたでしょう。そして、神を知らず、鼻持ちならない傲慢な人間になっていたのではないかと思います。しかし神は私を選び、私に障害を与え、なお私を放さなかった。私は障害者であるにもかかわらず、神の為に働けるのではなく、障害者であるからこそ、神の為に働ける。そのために私は神にとらえられた。たとえわずかでもイエスを助ける事ができると思うからこそ、障害をにないつづけられるのです。 |
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私は神戸の垂水教会の有末省三です。こちらの教会にお招きいただき昨日からやってまいりました。私はずっと障害者のイエスについて考え続けてきました。つたない話ですがお聞きください。
聖書には、障害者とイエスが関わる場面が幾つかあります。その一つにマルコによる福音10章42から11章6があります。その部分を読ませていただきます。「一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子でバルティマイと言う盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと叫んで『ダビデの子イエスよ私を憐れんでください。』と言い始めた。多くの人が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます『ダビデの子よ私を憐れんでください。』と叫び続けた。イエスは立ち止まって『あの男を呼んできなさい。』と言われた。人々は盲人を呼んで言った。『安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。』盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た。イエスは『何をしてほしいのか。』と言われた。盲人は『先生、目が見えるようになりたいのです。』と言った。そこで、イエスは言われた。『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」
こんにち、この言葉は「バルティマイは信仰が篤かったから、彼の目はイエスによって見えるようにしてもらえた」と解釈されることが多いのではないでしょうか。しかし私はこの解釈に疑問を感じるのです。これだと「障害を治して貰えない人は信仰が薄いからだ」と言っているのに等しいのではないでしょうか。この解釈によって、障害が治らなかった人は二重に傷付きます。一つは障害そのものにより、もう一つは信仰が薄いと言われることにより。イエスの公生活の中で、多くの障害者がイエスに障害を治して貰いたいと願って、イエスの所にやって来たはずです。その障害者全員はイエスによって障害を治して貰えたのでしょうか。治してもらえなかった障害者もいたのではないでしょうか。何故こんな事がおきたのでしょうか。
私は三年前ルルドに巡礼に行きました。私の体には奇跡は起こりませんでした。ルルドの奇跡がその体の上に顕われなかった人たち全員が必ずしも信仰の薄い人とは限らなかったはずです。もし信仰の深さによって障害が治るか治らないかが決まるなら、ルルドだってそうなるのではないでしょうか。ですがそうではないように思います。障害を治して貰えない大勢の障害者がいる中で、一部の人だけが障害を治して貰ったことを考えると、何故他の人たちは治して貰えなかったのかという思いが起こり、私の中に解決出来ないものが残るのです。イエスは障害者を、その人の障害を治す人と治さない人に区別したのでしょうか。私にはとてもそうは思えません。私にはその時のイエスには、障害者全員の障害を治す事が出来なかったのではないかと思うのです。だから私には、その時、治してほしいとイエスに必死に求める人たちを前にして、悲しそうな顔をしていたイエスのイメージが浮かんでくるのです。私の心の中を言うならば、私はすべての障害者を治したいと望むイエスを求めているのです。治してくれとすがってくる障害者を前にしながら、その人たちを治す事が出来ず、立ち尽くしているイエスを。治してもらえない障害者の苦しみ、彼らを治せないイエスの苦しみ。その二つの苦しみが一致した時、イエスは障害者の同伴者となります。そのイエスを想像する時、私はいつもルオーのキリストを思い出します。そしてルオーのキリストは、私の中でいつもコルベ神父のイメージと重なってきます。ナチスドイツのアウシュビッツの収容所で、ユダヤ人たちが殺されていくのを、何も出来きずにただ立ちすくみ見つめているコルベ神父に。もしイエスが全能の力を持ちながらある障害者の障害を治し、他の障害者の障害を治さないならば、言葉を変えると、治す障害者と治さない障害者を分けるならば、そのイエスによって私は救われません。この私の体の障害は、イエスの拒否のしるしとなるからです。逆に、治して欲しいと求める障害者を前にしながら、何もしてやる事が出来ないイエスによって私は救われるのです。イエスが私の苦しみに心を寄せ、私と一致してくれていると感じる事が出来るからです。障害を治す事と救う事は違うのです。すべての障害者は障害を治して欲しいと望みます。先に呼んだ福音書の中でも、バルティマイが「上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た。」とあるように、その願いは切実です。しかし必ずしもその障害が治るとは限りません。治る障害者がいるから、治らない障害者の苦しみはより深くなります。しかしイエスはすべての障害者を救います。障害を治せないから救うのです。治してもらえない障害者の苦しみと悲しみに、治せないイエスの苦しみと悲しみが一致した時、同伴者イエスが誕生するからです。最初に読みましたマルコによる福音書には「あなたの信仰があなたを救った」とあります。昨日私は、十字架にかかられたイエスは障害者以上の障害者であったといいました。イエスは私たちの苦しみに対し、その体ごと一致してくださっているのです。イエスの救いはその十字架上の死によって私たちに与えられています。後はただ私たちがその救いを受け入れるか受け入れないかです。信仰とはイエスの十字架上の死こそが救いの源であると信じるか否かです。それゆえ「あなたの信仰があなたを救った」という御言葉が成立します。私はルルドに行きましたが体の障害は治りませんでした。しかし、ルルドに行って救われたと感じています。
今日は私の話を聞いていただいてありがとうございました。 |
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私は神戸の垂水教会の有末省三です。このようなたくさんの方たちの前でお話できる事を、とても嬉しく、光栄に思っています。
今日は、少しイルマン・ロレンソのことを話したいと思います。イルマンとは修道士のことですから、ロレンソ修道士という意味ですね。彼はフランシスコ・ザビエルに洗礼を受けた日本人ですが、元々は、比叡山の琵琶法師だったといわれています。琵琶法師というのは、昔、目が不自由で、琵琶を手に町や村をまわり、仏教の教えをわかりやすく語り歩いた人のことです。もっとも宗教の話だけでなく、物語なども挟んだようです。イルマン・ロレンソも片目が見えず、残った目も不自由だったようです。しかも歩く時に片足を引きずっていたというので、視力障害者であると共に、肢体不自由者でもあったようです。彼は多くの人を信仰に導きましたが、彼について伝えられている話で、一番有名なものは、安土城での逸話です。その頃近畿地方でもキリシタンが増えてきたので、仏教の僧侶たちが、時の最高権力者である織田信長に、キリスト教の禁止を願いでたのです。それに対し信長は僧侶やザビエルたちを安土城へ呼び、宗教論争をさせました。そのときザビエルに同行し、日本語や仏教に詳しくない彼を助けたのが、ロレンソでした。彼の活躍のせいもあって、信長は最後に言いました。「今日の結論はキリスト教の勝ちである。だから今後とも布教は自由とする。」その結果近畿地方にもキリシタンは更に増えてきました。
ところで、琵琶法師だったロレンソは何故キリシタンになったのでしょうか。そのことに付いては何の記録もありません。ただ私はこう思うのです。障害を持つということは本当につらく悲しいものです。一度でいい、健常者のように見たい、聞きたい、歩きたい、生活したいと願っていたはずです。また、当時の日本では、琵琶法師は人間以下の存在として扱われていました。現在視覚障害者のための老人ホームで暮らしている、最後のゴゼと呼ばれる女性は、NHKの心の時代というラジオ番組の中で「自分は大変つらいめにあってきたけれど、これは自分が前世で犯した罪のためだ。せめて今の世でよい事をすれば、次の世でたとえ虫として生まれても目が与えられるだろう」と、語っておられるのを聞いた事があります。ロレンソは自分の生涯を自分の前世の罪の結果として受け入れ、あきらめの中で一日一日を過ごしていたのではないでしょうか。それは人間の精神の拠りどころとなるような部分をすりつぶすような日常です。そんな彼がザビエルからイエスの話を聞いた時、彼はどう感じたでしょう。「弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』ヨハネによる福音九章十一節さらに「このような自分のためにもイエスは十字架上で苦しまれた。」だからこそ彼は洗礼を受けたのだと思います。もちろん洗礼を受けたからといって、彼の目も足も良くはなりませんでした。しかし、自分の為に自分より更に大きな苦しみを受けてくださった方があったということは、彼に大きな喜びと力を与えたことでしょう。彼は初めて自分を一人の人間として、尊厳を持った人間として自覚したのではないでしょうか。彼はまさしくキリストと共に十字架の上で死に、キリストと共に復活したのです。彼はそれを体験したのです。それゆえ彼は自分の十字架を背負いイエスに従ったのでしょう。
イルマン・ロレンソのことはすでに現代の教会では忘れ去られています。しかし今日の大会で彼のことを思い出すのもまた意味があるのではないでしょうか。そのため私は今日彼のことをお話したのです。
どうもありがとうございました。 |
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5月に垂水教会で行った「障害者と共に」のミサで、私の話が良かったので、ここでも何か話すようにとのことでやって参りました。
ところで、ヨゼフは大工さんでした。しかし技術労働者としてではなく、言葉として適当であるかどうか分かりませんが、日雇い労働者にちょっと毛が生えたようなものだったと思います。そのため収入も蓄えも少なく、仕事にあぶれた日には、パンを買うお金もなくイエスにだけ与え、両親は水を飲んで我慢していたこともあったのではないでしょうか。又、浜尾大司教は「イエスは難民だった」と、言われました。そして吉川さんは「イエスはててなし子だった」と、言われました。つまりイエスは難民で、ててなし子で、何も食わずにいるような家庭の子だったわけです。しかし、「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」と、言われたイエスにとって、それはふさわしい状況だったと言えるかも知れません。
しかし、私はそこまで考えてきて大きな疑問を持ちました。それは常に小さくされた者と同じ立場に立とうとされたイエスが、何故障害者ではなかったかということです。そのことについてしばらく考えてみました。そんな時、前にラジオで聞いたプロテスタントの神学者の言葉が心に浮かんできました。その人はこう言ったのです。その頃のユダヤの町は、外敵の侵入に備え城壁に取り囲まれていました。だからその中には法と秩序があり一般市民の生活がありました。しかし、障害者や犯罪者や娼婦、そして今の言葉で言うストリート・チルドレンに当たるような子ども達が住んでいる城外は無法地帯でした。しかし、聖書を見るとイエスは障害者や娼婦達に何度も会っておられます。このことは、イエスは町の外へ出ておられたということになります。城壁は一般市民と虐げられた者とをさえぎる文字通りのバリアでした。でもイエスはバリアを越えようとされたのです。だからこそ、私はイエスが障害者である必要はなかったのだと、一応納得したのでした。
でもその後しばらく経った時ハッと思ったのです。それは十字架上のイエスが、障害者以上の障害者であったのではないかということです。釘打ちされた身体は1センチも動かなかったでしょう。そして激しい痛みとのどの渇き、最後には目もあまり見えなく、耳もあまり聞こえなくっていたのではないでしょうか。そして「父よ、何故私を見捨てられるのか」という絶望感。勿論、イエスが十字架にかかられたのは、人間の罪の償いのためです。でも障害者以上の障害者になられたということがバリアを無くそうとされたイエスの行動の原点であると同時に到達点であると私は思うのです。
では最後に、5月に垂水教会で私が作った障害者のための祈りを捧げて終わりたいと思います。
主イエス、私たち障害者にあなたの目を向けて下さい。私たちが苦しみ、悲しみ、痛みに耐えている時、あなたもまた、苦しみ、悲しみ、痛みに耐えて下さっていることは知っています。でも、私たちは弱いのです。 主イエス、あなたの目をさらに私たちに向けて下さい。アーメン
どうもありがとうございました。 |
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