鍼灸学釈難
鍼灸学釈難
著者 李鼎
翻訳 浅野周
発行所 (有)源草社
定価 4000円A5判 247頁 (ISBN4-906668-06-2 C3047)
最寄りの書店で注文するか、源草社でお求めください。
←ここでも買えます。紀伊国屋でも買えます。
推薦文
「本書は、たにぐち書店『全訳経絡学』の副読本。セットで買ってね」
※1996年ごろに発行され、十年後に中国で再発行された書!
中国では大学教科書の副読本として広く読まれています。
「どうして太陰肺経から経絡が始まるのか? なぜ陽明胃経は陽部の背中を通らないのか? 刺鍼したとき、どんな気を得なければならないか?」など、学校で質問しても判らなかった数々の疑問、それが本書で次々と解明されています。
私が本書と出合ったのは十数年前。そのころ鍼灸学校生だった私は、さまざまな疑問を鍼灸に抱きましたが、学校では難しすぎると答えてもらえませんでした。本場の中国ならばと思って北京中医へ留学しましたが、やはり同じでした。その中国で様々な書に出会い、質問に答えてくれたのが『針灸大成』と本書でした。当時は自分の勉強のため訳した本書を、鍼灸学校の学生にも理解しやすいよう、原作者の許可を得て解説を加えました。本書の内容は、経絡や絡脈、経別や経筋などを理解していなければやや難しいので(経絡流注や経別の話がしょっちゅう登場する)、経絡や経筋、交会穴を見ながら理解できるようにと考えた私は、『鍼灸学釈難』を、たにぐち書店の『全訳経絡学』との同時出版を目論みましたが、この本の8カ月後に『全訳経絡学』が出ました。正直、本書の評価は、まっぷたつに分かれています。いい本だという評価と、難しすぎて判らないという評価。まだ『全訳経絡学』が出ていなかったので、当然といえば当然です。
本書は、『難病の鍼灸治療学』や『急病の鍼灸治療学』と違って、具体的な治療法が書いてあるわけではありません。経絡がどのようにできてきたのかとか、経穴はどうやって命名されたのかという根本的な疑問に回答している書です。しかし読みこなすには、経絡とか経別が詳しく書かれている書(例えば『全訳経絡学』)を参照しなくてはなりません。
恐らく本書は、東洋医学史に残る名著になると思います。このような本を私が出版できたのは、信じられないほどの幸運です。あとあと『鍼灸学釈難』の訳者として記録に残るから。
本書の欠点といえば、まあ私の訳が悪いかな?これが50%の人しか理解できないとしたら、全て私の責任です。でも愛因斯坦の相対性理論じゃあないてーの。
まあね、下手が訳さねば上手は出て来ない。前座が出なければ真打は出て来ない。カラオケも、下手がやらねばトリは出ない。「こんな中国語の下手な奴が、こんな名著を訳すのでは、自分がやった方がまし」と、トリや真打を誘い出すためにやっているんですよ。そのうち若い人は、「昔、浅野というアホな人がいて、下手な翻訳をしていたな」と、思うことでしょう。まあ、私が少しぐらい中医分野を荒したって、千冊ぐらいはあるから、文句は言われないでしょうが。
なにせ、この本も、1996年に二度目の翻訳を持って著者に会い、出版社を探して出版にこぎつけたのは、2000年にもなっていました。いきさつは、本書あとがきで。
最初に本書と出遭ったのは1986年ぐらいのこと、少し読んで1989年に全部訳し、1993年ごろにふたたび訳し、1996年ごろに原稿をもらって増補分を訳しました。まさに執念ですな~。
それと、出版にはどうしても打ち間違いがあります。重要な打ち間違いは、このページの下で訂正してあります。
この目次の質問を、どなたか偉い人に尋ねてみてください。どんな答えが返ってくるでしょうか? 本書以外の回答も、当然あります。本書は、答えの一例です。
【目次】
問1:十二経脈は、どのようにして命名され、どんな変遷をしてきたか?
問2:「脈」は、どのようにして「経」と「絡」の名称に分化したか?
問3:脈書の『十一脈』と霊枢の記載は、どこが違うのか?また区分の意味は何か?
問4:「十一脈」と「十二経脈」では、どの脈が異なるのか?
問5:「血気」と「気血」は、どう違うか?
問6:真気、元気、原気と原穴の関係はどうなっているのか?
問7:十二経脈の気血の多少は、なぜ記載により違うのか?またどれが正しいのか?
問8:「気を得る」とはどんなことか?刺鍼して、どのような「気」を得なければならないのか?
問9:「三才」に分ける刺鍼とは、どういうことか?また三才は『内経』『難経』の理論と、どうつながるのか?
問10:気血の多少と「出気」、「悪気」の意味をどう解釈すればよいか?
問11:肌肉、筋肉、肉の違いは何か?
問12:「五態の人」は刺鍼と、どういう関係があるか?
問13:臓腑の陰陽と経脈は、どのように対応しているか?
問14:三焦、大腸、小腸は本経に合穴があるのに、なぜ足にも下合穴を持つのか?
問15:「中気穴、則鍼遊於巷」とは、どんな意味か?
問16:「支節」や「三百六十五節」とは、関節のことなのか?
問17:どのように背兪穴は進歩してきたのか?鍼灸各家で、位置がどう違うのか?
問18:華佗夾脊穴の位置は、どのように定めるのか?背兪穴と、どう違うのか?
問19:チベット医学での「兪」「膜」と「脈」の特徴は何か?
問20:どのようにして募穴は定められたのか? その特徴は何か?
問21:胸腹部は、どんな線で経を分けているのか?また各書の記載は、どう違うのか?
問22:手少陰心経の無穴の経脈には、どんな特徴があるか?
問23:心系とは、どんなものか?
問24:なぜ耳と目は「宗脈の聚るところ」なのか?
問25:「目系」とは何か?そこにどんな経絡が通っているのか?
問26:、嗌咽、喉、肺系、頏顙の部位と経絡の関係は?
問27:「標本」「根結」とは何か?また両者はどう違うのか?
問28:経絡の五輸穴は、なぜ四肢末端から始まっているのか? またその意味は?
問29:手の陰経と足の陽経は、五輸穴の脈気の流れと走向が矛盾しているのではないか? そこのところをどう解釈すればよいのか?
問30:標本理論は臨床取穴に、どのような意味があるのか?
問31:足陽明胃経は、どうして陽経なのに陰部である腹部を循行しているのか?
問32:手太陰肺経は、どうして中焦から起こるのか?
問33:督脈の命名意義は何か?なぜ「陽脈の海」なのか?
問34:任脈や督脈では、営気の運行方向はどうなっているのか?
問35:督脈の循行分布には、どのような特徴があるのか?
問36:陰陽蹻脈の循行と、衛気の関係はどうなっているのか?
問37:胃と衝脈は、なぜ「五臓六腑の海」と呼ばれているのか?
問38:なぜ衝脈は「経絡の海」や「十二経の海」、「血海」などと呼ばれるのか?
問39:衝脈は「少陰経と一緒に行く」のか「陽明経と一緒に行く」のか?
問40:帯脈の循行と、各経脈の関係はどうなっているのか?
問41:陰維脈と陽維脈は、どうして「不能環流、潅漑諸経(還流して諸経を潅漑できない)」というのか?
問42:奇経八脈は、八脈交会穴を循行してもいないのに、なぜそこが交会穴なのか?
問43:『素問・刺腰痛』に記載された諸脈の臨床意義は何か?
問44:「是動病、所生病」とは何か?これについてどういう解釈があるのか?
問45:陰経は是主「臓」所生病なのに、なぜ陽経は主「腑」所生病でないのか?
問46:『脈書』では、なぜ手の三陽経を、歯脈,肩脈,耳脈と呼んでいるのか?
問47:手の三陽経は、なぜ主治が「津」,「液」,「気」の所生病なのか?
問48:足の三陽経は、なぜ主治が「血」,「筋」,「骨」の所生病なのか?
問49:十二経別とは何か?その働きと治療での意義は何か?
問50:十二経別と十二絡脈は、どう違うのか?
問51:『難経』と『霊枢』の十五絡脈に関する記載には、どのような違いがあるのか?
また、どう理解すべきなのか?
問52:足太陰脾経には「足太陰の絡」が記載されているのに、なぜまた「脾の大絡」があるのか?
問53:十二経筋とは、どんなものか?それは経脈と、どう違うのか?
問54:経筋の働きと疾患、および治療の特徴は何か?
問55:皮部とは何か?それと皮刺にはどのような関係があるのか?
問56:六経皮部の名前は、臨床辨証にどのような意義があるのか?
問57:「命門」という名前は、どうしてついたのか?その意味は何か?
問58:臍と水平な経穴には、どのようなものがあるか?その効能は?
問59:賁門,幽門,闌門,魄門の意味と、穴位の関係はどうなっているのか?
問60:なぜ『霊枢・本兪』には、手少陰経穴の記載がないのか?
以下108問まで続くが、省略
| ● 本文内容見本 P17~19 『問8:「気を得る」とはどんなことか?刺鍼して、どのような「気」を得なければならないのか』の一部分 では「穀気」とは、いったい何であろうか?『霊枢』には「邪気が来ると、きつくて痛む。穀気が来ると、ゆっくりと和む」と説明されている。穏やかで、患者が耐えることのできる鍼下の感覚が「穀気」であり、激しくて患者が辛抱できなければ「穀気」ではなく「邪気」と呼ぶ。そうすると古人は、神経幹を刺激したときの触電感は得気と考えなかった。「きつくて痛い」鍼感より「ゆっくりと和む」鍼感のほうが作用が持続し、「気を守って」「気を失わない」ために有利だったからであろう。 鎮痛目的でおこなう遠道取穴の刺鍼は、この原則に従っている。刺鍼して「穀気が至れば止める」というが、穀気とは「分肉の間」にある深層部の鍼感である。『霊枢』に記載された浅層,中層,深層への「三刺」は、「最初に皮膚層の衛気部分へ刺鍼して『陽邪を出す』。さらに皮下の営気部分へ刺入して『陰邪を出す』。三刺で『分肉の間』にある穀気部位へ刺入すれば、自然に深部の邪気は除かれて、穀気は守られる」と言っている。そして「穀気が至れば」おのずと補われて実となり、また瀉されて虚となるとも言っている。楊継洲の「補瀉とは、穀気である」という言葉は、これに基づいている。 得気は補瀉の目的であり、また補瀉の基盤である。だから補瀉の全プロセスは「気」を抜きにして語れない。刺鍼する前にも「気」が来るのを促すために、叩いたり揉んだりする。 『難経・七十八難』に「刺鍼するときは、まず左手で刺鍼する経穴を圧し、弾いて怒張させ、爪先で下に押し、気が至って脈打つような感じになったら、そこで刺鍼する。すると気が得られる。内に推せば補であり、動かして伸ばせば瀉である」とある。ここでは刺鍼する前に圧,按,弾,爪などの手法を使って「気」が来るように促し、そのあと刺鍼して「気を得る」。気が得られたら「推して納める」とか「動かして引き上げる」などの補瀉操作をする。ここでは気が得られることを前提とし、よりよい気を得ることが「気を調える」ことだとしている。 『難経』の前段階は、『霊枢・終始』に「刺之法」として記載されている。そこでは術者は最初に意識を鍼に集中させねばならないとしている。「必ず神(精神)を一つにし、意識を鍼に集め」、それによって患者の「神」と「気」を集中させ、「その神(精神)を移して、気が至れば休む」。そのあと術者は鍼をしっかり掴んで力を込め、慎重に感じ取る。「きつく拒んで出す事なかれ、慎重に守って入れる事なかれ、これが得気である」と、そこには術者の「神」と「鍼」の関係、そして患者の「神」と「気」の関係、および術者の鍼を「堅く拒む」と「謹んで守る」ことの重要性が強調されている。そのなかに「男は内で女は外」(『難経』では「男が外で女は内」となっている)とあるが、これはたいした問題ではない。「内」と「外」とは深いか浅いかで、男は少し深めに、女なら浅くしろと言っているにすぎない。楊上善は『黄帝内経太素』に「鍼すると鍼下に、男では内気を得られるので、堅く拒んで出さないようにする。女では外気を得られるので、慎重に守って入れないようにする」と解説しているが、参考にできる。 後世の鍼灸著作で、刺鍼したときの得気状況をもっとも鮮明に描いているのは、何と言っても竇漢卿の『漂幽賦』にある「気が至る。魚が釣針を呑み込んで、浮き沈みするような手応えがある。気が至らない。誰もいない建造物の中を深く入って行くようで、何の手応えもない」という一節であろう。患者に刺鍼すると局部に怠い、腫れぼったいなどの感覚があり、それに伴って筋肉反応が現れる。このとき鍼を握った術者の手には、鍼下がきつくなって沈むような感覚がある。患者に刺鍼しても反応がないときは、術者の鍼を握った手には、スカスカしてユルユルの感覚しかない。『医学入門』には「鍼下が重く沈み、締まって満ちるものは気が至っている。このとき患者が痛みを感じれば実で、怠ければ虚である。鍼下が軽くて浮き、空虚で滑るものは気が至っていない」とある。ここでは術者の手の感覚から気が得られたかどうかを描写しており、患者の感覚が痛ければ実で、怠ければ虚とだけ述べられている。 患者の感覚が少し具体的に記載されているのは、のちの『鍼灸内篇』である。刺鍼の感応は、患者の刺鍼部位に感じられるものが直接的なもので、術者の指に感じ取れるのは間接的なものでしかない。患者に怠い、腫れぼったい、重い、痺れるなどの感覚があっても、鍼下がきつく締まるなどのような反応が現れない病気もある。例えば小児麻痺では、患肢に刺鍼しても術者は空虚な感覚しかないので、気が得られたとは言えない。小児麻痺は脊髄前角の灰白質に病巣があり、前角から出る運動神経元(ニューロン)は損傷されているものの、後角から入る知覚神経元(ニューロン)は正常である。この種の疾病は感覚はあっても反応のない「弛緩性麻痺」である。 また対麻痺患者は損傷部分から下の感覚が完全になくなり、不随意な筋肉収縮反応だけがある(痙性麻痺)。このとき術者の指先に感じられるのは締まって渋る感覚で、決して空虚な感じではないが、これも得気ではなく病気とか邪気の類でしかない。下位運動ニューロン性麻痺(弛緩性麻痺)を中医では痿証と呼び、刺鍼すると感覚はあるが反応はない。上位運動ニューロン性麻痺(痙性麻痺)を中医では風癱(ふうたん)、拘急、半身不随などと呼び、病状によって違いがあるが、刺鍼しても感覚がなかったり、あいまいだったり間違った感覚がある。しかし不随意な筋肉反応はあるので、「感覚」はなくて「反応」がある。得気は「感応」であり、感覚と反応の両方を含んでいるので、これを「鍼感」であるとは言えない。 |
と、嫁がここを推薦するので、訳者の思ったところは掲載できませんでした。良いことばかり書きましたが、実は失敗もあります。というのは問19のチベット医学の経穴についてですが、この部分は原稿でなく中国で出版された『針灸学釈難』を翻訳しました。そこに使われていた固有名詞が違っていたのですが、それを仏教に疎い私は、気づかずにそのまま掲載してしまったのです。これはどう読むのだというご指摘で調べた結果、誤りだと知りました。42ページの『医方四読』、『薬師如来八支甘露心要秘密教授続』、『根本続』、『理論続』、『決要続』、『後補続』です。これらは仏教の経典であるらしいので、『医方四経』、『薬師如来八支甘露心要秘密教授経』、『根本経』、『理論経』、『決要経』、『後補経』でなければなりませんでした。仏教のことなので気が付かず、確認を怠っていました。お詫びを申し上げます。それから81ページの下から5行目、問・痿論』には「陽明、総宗筋之会。は、問・痿論』には「陰陽、総宗筋之会。の誤りでした。ひらに、ひらにお許しを。
※本文は出版社の了承を得て転載しています。
![]()

★ 『TAO鍼灸療法』の連載
雑誌『TAO鍼灸療法』で「鍼灸事故の防止処置」を連載中していました。
これは山東科学技術出版社の『鍼灸意外及其防治』主編:王秀英の引用翻訳です。どうしたら安全に鍼ができるか、実例を挙げて説明しています。下訳が載ってしまいましたが、違うものを弟子セットにしています。やはり、治療より安全に鍼が打てることが第一です。この考えには意外と共感者が多いのですよ。筋肉に刺すには必読書。
この連載は『TAO鍼灸療法』第16号より開始しており、2001年6月現在で、最新号は第23号となっています。
TAO鍼灸療法
なお、本書に連載していた「鍼灸事故の防止処置」は、『刺鍼事故』として、まとめて出版しました。