#02 地元役人による報告書

 

   

文政六癸未年四月十九日御書院番頭(※1)

佐藤美濃守殿への届書写し

 私の知行所(※領地)武州(※武蔵国。東京都、埼玉県辺り)多摩郡中野村の百姓源蔵の倅勝五郎は、去る丑年八歳の秋に同人の姉に向かって前世から生まれ変わったいきさつを話したものの、姉は子供の物語であるためまともに取り合わずにおりました。しかし、たびたびそのような話を繰り返したため不思議に思い、姉は父母に相談したとのことです。

 この年の十二月、改めて父源蔵が勝五郎に尋ねたところ、前世での父は同国同郡小宮所領程久保村百姓久兵衛で、自分はその倅の藤蔵と申し、二歳の折り久兵衛は病死。母は半四郎と申す者と再婚し、自分は六歳のときに疱瘡のため病死したとのこと。それから源蔵方へ生まれ変わったと答えております。話しぶりが詳細に渡り曖昧な点がなかったため、村役人にも申し出、再度質したところ村中に評判が広まった由。

 程久保村半四郎方にもこの話が及び、同人の知行所から源蔵方へ尋ね参り、種々質したところ勝五郎の話に虚偽はなく、前世の父母の面体その他住居等も申したため程久保村に連れて確かめさせたところ、これまた些かも違いがなかったということです。久兵衛の家族に対面させると先年六歳で病死した藤蔵という子供が確かにおり、これ以降当春に至るまで家族ぐるみで懇意にすることとなりました。

 近村にも知られるところとなり、このごろは日々勝五郎を見物に諸所から訪れる者があるため、源蔵、勝五郎を呼びだし事情の説明を求めたところ、右の通り両人が答えたものであります。

 このことをもって無闇に騒ぎを抑えるというのも何かと取り扱いの難しいところではございますが、御内々にこの段、御耳打ち申し上げておくものでございます。以上。

 四月

多門(おかど)伝八郎

 

※1 書院番

(もと江戸城本丸白書院紅葉の間に勤番したからいう) 江戸幕府旗本の軍事組織。若年寄に属し、営中の警備、将軍の扈従、儀式の事をつかさどった。(広辞苑)

 中根宇右衛門殿知行所

  武州多摩郡小宮領程久保村百姓

 実父藤五郎継父半四郎

 藤   蔵 

 文化二乙丑年出生。同七庚牛年二月疱瘡を病み、四日昼四ツ時頃死去。享年六歳。葬地は同村の山。菩提所は同領三沢村禅宗医王寺。去る文政五壬牛年に十三回忌を迎えた。

 藤蔵継父         

当未(※?)五十歳 半 四 郎 

 藤蔵母          

当未四十九歳 し   づ 

 半四郎子藤蔵異父弟妹 

男子二人

女子二人

 藤蔵実父        

藤 五 郎 

若年のときの名は久兵衛。文化三丙寅年藤蔵二歳の時四十八歳で死去。半四郎が妻の入夫となり家を相続。

 多門伝八郎殿知行所

  武州多摩郡柚木領中野村百姓源蔵次男

 当未九歳 勝 五 郎 

文化十二年乙亥年十月十日再生。前生は程久保村藤五郎初名久兵衛の子藤蔵であったが、六歳の時疱瘡で病死したことは前述したとおり。文化七年に死去して六年目のことである。

  勝五郎の父。小谷氏という 

 当未四十九歳 源   蔵 

  源蔵の妻。勝五郎の母 

 当未三十九歳 せ   い 

せいの父は尾州(※尾張国。愛知県西部)の家士で村田吉太郎。せい三歳の時吉太郎が訳あって浪人となり、文政四年四月二十七日七十五歳で死去したという。

  源蔵の母。勝五郎の祖母 

 当未七十二歳 つ   や 

  源蔵の娘。勝五郎の姉 

 当未十五歳 ふ   さ 

  源蔵の長子。勝五郎の兄 

 当未十四歳 乙 次 郎 

  源蔵の娘。勝五郎の妹 

 当未四歳 つ   ね 

 

(張紙)

 村田吉太郎は織田遠江殿の組にあったが、侍の所行にあらざることがあり、寛政元年十一月二十一日追放を仰せつけられたとある書に見える。後に丹羽家(左京太夫殿)へに抱えられたとある人が証言している。 

尾張人某(花押)

 これが事実ならば、せいが五歳の時に浪人となったことになる。本書との相違が見られる。