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#04 伴 信友による報告書(2)
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こうして、遊んでばかりいたのだが、例の老人と一緒に家の向かいの道を歩いていると(源蔵の家のことである)、老人がこの家を指して「この家に入って生まれよ」といった。教えられるままに老人と別れ、庭の柿の木の下に三日ほど立って様子をうかがっていたが、窓の穴から家の中に入り、竈の側にまた三日位いた。そのとき、おっかあがどこか遠いところに行ってしまうという話をおっとうとしていたのを聞いた。
その後、おっかあの腹に入ったように思うが、よく覚えていない。腹の中ではおっかあが苦しいだろうと思ったときは体を脇に避けたりしたことがあった。 生まれたときはまったく苦しくなかった(程久保村で藤蔵が文化七年に死んでから六年目に当たる)。この他どんなことも四つ、五つまではよく覚えていたけれども、だんだん忘れてしまった」(以上、直話を聞き取り) その後、祖母の頭の片隅から勝五郎の話が離れることがなかった。あるとき、村の老女が集まる機会があった。 「この中に程久保村の久兵衛という人をご存じのお方はおありかえ?」 「俺は知らないが、向こうに縁者がいるよ。聞いてみよう。それにしてもなんでそのようなことを聞くのかね」 老母は黙っているわけにもいかず、勝五郎の話をあらまし語った。 この正月七日、程久保村から何某という老人が訪れた。 「儂は程久保の半四郎をよく知っている。久兵衛は若い頃の名で後で名を藤五郎と改めたが、十五年前に亡くなっていまは程久保に久兵衛という者はいない。その妻の後夫が半四郎だ。人伝に聞いたのだが、この家に生まれた子は元久兵衛の子の藤蔵で、六歳で死んだ後この家に生まれたというじゃないか。あまりに話が符合するので詳しい話を聞きたがっており、儂が使いとしてやってきた」 両親らはこの老人に勝五郎の話を聞かせた。互いに半信半疑のまま老人は己の村へ帰った。 このため、勝五郎の一件は村中に知れ渡るところとなり、家には勝五郎を見に来る人が訪れるようになった。勝五郎が外に出ると人が珍しがり「程久保小僧」などとあだ名を付けられからかわれるので、恥ずかしがって外出しないようになった。 「だから人にはいうなといったのに。人にいうからこうなる」 勝五郎は両親らを恨んだ。 この後、半四郎の家に行きたいという勝五郎の願いはますます強くなった。一晩中泣き続けることもあったが、夜が明けると何も覚えていなかったという。夜な夜なこうしたことが続き、祖母は両親に告げた。 「きっと半四郎のところに行きたいと思う心がこうさせているんだよ。たぶん、勝五郎はでたらめをいってるんだろうけれども、一人前の男ならまだしも、老いぼれが連れて行くのなら人様に馬鹿にされ笑われてもどうということはないさ。連れて行くよ」 源蔵もこれを聞いて首を縦に振った。正月二十日のことである。 祖母は勝五郎の手を引いて程久保村を訪れた(程久保と中野村は山一つ隔てている。距離は約一里半(※一里は約4キロメートル))。この家か、あの家かと見当を付けかねていると、勝五郎が「まだ先だ、まだ先だ」といいながら先に立った。 「この家だ」 勝五郎は祖母より先にある家に駆け入り、祖母もそれに続いた(これより先に勝五郎は「程久保の半四郎の家は三件並んだ真ん中の家で、裏口から山に続いている」と述べている。そのとおりだったという)。 家の主人の名を問うと半四郎だという。妻の名も尋ねたところ、しづと答える。半四郎夫婦は、かねて人伝に聞いていたことではあるが、祖母の話を聞いてあるいは怪しみ、あるいは悲しみ、ともに涙に沈んだ。夫婦は勝五郎を抱き上げ、つくづくと顔を眺めた。 「亡くなった藤蔵が六歳の時によく似ているよ」 勝五郎は抱き上げられながら向かいの煙草屋の屋根を指さした。 「以前にはあの屋根はなかった。あの木もなかった」 みなそのとおりだったので、夫婦はますます驚いた。 半四郎の親族達が集まったなかに久兵衛の妹がいて、勝五郎を見て泣き崩れた。 「久兵衛にも似ているじゃないか」 この日は中野村に帰ったが、この後も「程久保へ行きたい、久兵衛の墓参りがしたい」というのを源蔵はあえてうち捨てていたところ、二十七日に半四郎らが源蔵の宅に挨拶に訪れた。 「どうだ勝五郎。程久保へ行かないか」 勝五郎は久兵衛の墓参りができると喜んで一緒に程久保へ行った。墓参りが済むと夕暮れに再び送られて戻ってきた。以来、勝五郎は源蔵に「半四郎の家と親類の結びをして欲しい」とせがみ、これを受けて暇ができたら連れて行ってやろうと思うようになっていたところ、地頭に召されて彼家を訪れたと父源蔵が語った。 文政六年四月二十九日 立入事負記(※1) ※1 たていりことおい。伴信友のペンネーム。江戸期の国学者で『仙境異聞』にも実名で登場する篤胤の学友。
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