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はじめに 本書はトルコ語、アラビア語、ヒンドスタン語訳『マスナヴィー』の全訳である。すべて詩で満たされた全6巻のうち、最初の2巻以外は西洋の読者にはこれまでまったく紹介されてこなかった。ただ、E. H. ウィンフィールドが第3巻、第4巻から要を得た抜粋を行い、翻訳しているだけである。原典がこれほどまでに賞賛され、中世後期におけるイスラム世界の生活や思想の最高の部分、また、最低の部分をも輝きに(ときには闇に)包みこんであますところなく写し取っているにも関わらず、西洋の研究者の認識がいまだ十分でないことは驚くに値することかもしれない。 こうした認識の隔たりについては、いささかなりとも弁明の機会が与えられるべきだろうと思う。現代の尺度において『マスナヴィー』はとてつもなく長大な詩である。ほぼ『イリアス』と『オデュッセイア』を合わせたに等しい途方もない数の連からなり、『神曲』のおよそ2倍はある。しかし、こうした比較ではまだその全貌を明らかにできない。『マスナヴィー』の各連はすべて22の音節からなるのに対して、六歩格は13から17まで変化する。スペンサー風の連に似たテルツァリーマ(※三韻句法)は各連で10、または11にもなる。つまり、『マスナヴィー』全25,700連の分量は、実質『妖精の女王』の33,500連を遙かに上回っているのである。一方、ペルシアの詩には分量においてこれを軽く上回るものがいくつか存在する。ジョージ・ローゼンは次のような疑問を呈した。「3万行とか4万行とか、ただ長いだけが取り柄のペルシアの詩に人生の大部分を捧げる人間がいるというのか?」 『シャー・ナーメ』は始めから終わりまで英語、フランス語、イタリア語に翻訳されている。この疑問に対する十分な回答である。 とはいえ『マスナヴィー』の分量が翻訳者を悩ませてきた最大の問題なのではない。翻訳しようとする者は必ず根本的な、ごまかしの効かない困難に突き当たる。もし、忠実に翻訳しようとすれば到底理解しがたい文章だらけになることは避けられず、徹頭徹尾わかりやすい文章にしようと心がければ自由闊達で含蓄に富んだ言い換えによって生き生きと表現された原文をもっぱら注釈に押し込め、本文は大部分がその代用品にしかならなくなる。どちらの方法によっても原典を理解し、どのような洞察をもたらしてくれるのかを知りたいと望む者の誰一人として満足させることはできない。 よって『マスナヴィー』の完全版は学問的に完全な注釈により補った原典に忠実な翻訳でなければならないと同時に、西洋における数少ない優秀なペルシア学者の業績をも盛り込んだものでなければならない。この二重の仕事をこれまで誰もなしえなかったという事実はまったく不思議なことなどではないのである。最も重要な西洋人の翻訳者達を次に挙げた。ちなみに、すでになされた仕事の半分以上は下記の英国人らの業績に依拠している。
第1巻の約3分の1(本書の1-1371連に当たる)を抜粋し韻文で訳した特筆すべき版。原文に忠実ではないものの意味は正しく伝えており、誤訳もあるが大きな過失ではなく、注釈は読者を詩の神秘的背景に誘う。訳者は原作の一部のみを取り上げ、東洋の詩を連単位で訳したが、これはデメリットよりメリットの方が大きい。彼の著作は1913年に息子であるF. ローゼン博士の序文を伴って再版されており、ドイツでペルシア文学への関心を急速に引き起こすことに大きく貢献した。
ジェームズ・レッドハウス卿の手になる第1巻の翻訳。ローゼン訳に比べ極めて誤りが多い。ペルシア神秘主義はまったくの専門外であるこの傑出したトルコ学者が、なぜこうしただいそれた仕事を始めようとしたのか。また、韻文化する能力の欠如を自覚する明敏な感覚と過ちを認める率直さを併せ持ちながら、なぜ彼は詩の翻訳においてはどの連も散文ではなく韻文で訳すべきだという固定観念によって自分自身を誤った方向に導いてしまったのか。本書の特異性はこうした点について深く考えさせられることにある。アフラーキー著『Manaqibu'l-'Arifin』からの抜粋は、伝説の域を脱してはいないもののルーミーと彼が生活したスーフィーのサークルについて考える価値ある情報を提供してくれる。
『マスナヴィー』を学ぶすべての学生はウィンフィールドに感謝の念を持たずにはいない。彼は原書を検討・分析し、全6巻から選んだくだりを散文で、高い品質で訳し紹介した最初の人である。抜粋は3,500連にのぼる。彼が広範に渡る共感に満ちた東洋神秘主義に関する知識を備えていることは自身が編集し翻訳した『Gulshan-i Raz』(1880)の注釈を読めばすでに明らかだが、これらにより彼は『マスナヴィー』の迷路を探索するに当たって願ってもない案内役となった。また、全般的に彼の業績は高い称賛に値する。本書を詳細にわたって批評するつもりはないが、ペルシア語の一見明白な単純さは翻訳者を陥れる罠となることを指摘するに止めたい。(※ペルシア語(?)の一文が続く)
本書の「平易な散文訳」は熟慮された語調と丹念な仕上げに基づいている。私が翻訳した第2巻と比較してみると、どちらもほぼ逐語訳であるという点において似た方法が似た結果を生みだしていることがわかる。また、相違点としては、どちらかが間違っているというよりは議論すべきである点が少なくともひとつある。私はウィルソン博士に多くを負うており、その影響は特定の句に限定されるものではない。翻訳者はみな、特に『マスナヴィー』のような詩を訳そうとする者は、いま自分のいる同じ場所を一歩一歩進んで行った先達による信頼度の高い助言を受けることのできる優位性を念頭におかなければならない。 私が編集・翻訳した本書は連に対応する番号を付しており、ペルシア語を学ぶ学生の助けになることを第一に企図している。それゆえに可能な限り正確かつ忠実に翻訳しているが、表面的な意味から内奥の意味を分離して伝えることを意図するものではない。つまり、説明なしに翻訳された言葉の字義通りの意味、隠喩または神秘的な意味を伝えているのである(1)。後者の意味はしばしばかっこでくくられた語によって示される(2)。翻訳は唯一、解釈は複数、正確な解釈は正確な翻訳に基いており、誤った解釈がいくつも生まれるほとんどの原因は正しい翻訳をする能力がなかったかその努力を怠ったことにある、というのが私の信条である。それゆえに視野を限定した翻訳は、説明がなく注釈なしには完全に理解することができない膨大な数の句からなっている。私は便宜上の問題として注釈と訳文は同じ巻に置くべきだと思うが、一方で全体を研究し翻訳を終える前に詩の一部分に注釈を施すやり方には大きな問題があるとも思う。「『マスナヴィー』は愚か者にはこの上なく易しく、賢者にはこの上なく難解である」といわれるとおり、テキスト自体、テキストと歴史的に関連する文献、関連するペルシア・アラビア文学についてさらに研究を重ねることで克服できるかも知れない多くの難題があることを認めるのにやぶさかではない。東洋の注釈書は欠点が多いものの大きな助けになる。本訳書を準備するに当たりそれらを参考にしており、とりわけIsma'il Anqiraviの『Fatihu'l-abyat』(トルコ語)とWali Muhammad Akbarabadiの『Sharh-i Mathnawi-yi Mawlana-yi Rumi』(ペルシア語)に多くを教えられた。また、Muhammad Ridaの『Mukashafat-i Radawi』(ペルシア語)、Yusuf b. Ahmad al-Mawlawiの『Bahru 'l-'Ulum』『al-Manhaj al-qawi』(アラビア語)でよく知られているMuhammad 'Abdu 'l-'Aliの『Sharh-i Mathnawi』(ペルシア語)、第1巻においてはAbidin Pashaの『Sharh-i Mathnawi-yi Sharif』(トルコ語)を参考にしている。 ここ、第1巻の序文において明らかにしておくが、この版が最終的な版だとは考えていない。テキストが不分明な部分では訳文は暫定的なものに過ぎない。間違えようがないと思われる部分であっても『マスナヴィー』を訳すどの訳者も十分にもっともらしいか幾分それらしい解釈をすることしかできない。以下の言葉に慰めを見いだすばかりである。"est quadam prodire tenus si non datur ultra." 解読の鍵が失われ、謎に包まれた句は残されたままとなるだろう。偉大な霊的指導者が発した言葉は近しい友人や弟子達の集団に属さない者にはほとんど意味をなさないのかも知れないし、時の流れの中で本来の意味が失われてしまったのかも知れない。散漫でとりとめのない詩の構造が混乱に拍車をかける。著者自身が話したのか、無数にある彼の人形−天使、悪魔、人間、動物−が彼自身に成り代わって話した言葉なのかまったく手がかりのないこともある。彼は説教の中に自身の意見をまぎれこませ、物語かと思っているといつの間にか解釈になる。著者は誰を導こうとしているのか、著者は何を言いたいのかがわからないまま置き去りにされたとき、訳者は推察に走らざるを得ず、依然、周囲は暗闇に包まれたままなのである。それゆえに『マスナヴィー』の翻訳は、十分に慎重に行ったとしても、ある部分では必然的に暫定的なものであり、時間はかかるがさらなる研究によって手が加えられる余地がある。後日出版する予定であるこの巻の注釈の訂正はそれほど多くはないが、その4分の3はどの読者でも気づく類のテキスト校訂の長大な訂正リストよりはるかに重要である(第1巻pp.21-28※?)。 とはいえ文学形式の問題は逐語訳であるためどの版でも大差はない。私は特に散文訳で原文の独特の表現を保存しようと努めており(3)、平易でほとんど口語に近いものから神秘的叙情詩で著者が用いた品格ある高尚な語法までそのスタイルは様々である。特定の話題となると彼の記述は我々の基準に照らして長すぎる嫌いがあり、アプレイウスやペトロニウスらが喜ぶような奇談−ただし、ギリシア語に翻訳することができるかどうかは微妙−によって多くのページは台無しになっている。これらを除外したため当初の目論み、無私に徹する彼の情熱が寛容さと溢れ出る非凡な知性を顕わにしている本作品の完訳を断念せざるを得なかった。我々が彼を理解するには、彼が人間世界の野卑な物語を気楽な調子で語る人である一方で、『マスナヴィー』の著者である彼と『グリスターン』の著者であるサーディーが両者の顕著な特徴を無視して並び評されることがしばしばあることを知ることが重要である。 本書は学生のテキストとすることを目的とした翻訳であるが、ペルシア語ばかりでなくスーフィズムに強い関心を寄せる人々にも興味を持ってもらえたらと願っている。宗教、道徳、文化、寓話、民話、神学、哲学、医学、天文学、その他の中世の学問の歴史、東洋の詩・生活と風俗・人情に興味を持つ人々にとって『マスナヴィー』は封印されるべき書物ではない。常に開かれた書物ではないとしても。 詩の全編を通じてところどころにおかれた散文の表題、特定の名詞の例外的な音訳、表題に含まれるものを除き『コーラン』からの引用はすべてイタリック体で記した。各ページに数個ある脚注の多くは一般的な読者の利便を図るために付け加えた。 レイノルド・A・ニコルソン ケンブリッジにて 1925年12月
追記 この巻にはふさわしくないかも知れないが、E. G. Brown博士の逝去を機に刊行された「E. J. W. Gibb追悼」シリーズの最初の巻は、このトラストの創設に尽力した碩学を失って深い悲しみにくれる評議員らの感情なしに私の手を離れるべきである。彼は組織の主要な一員であり、組織を主導し、20年以上にわたって残された同僚らを信頼と親愛の情で包んだ。彼の仕事は評議員らによって出版されており、彼により示唆、提案、指導され、または何らかの形で彼の影響を受けた仕事もまた決して少なくなく、それらも出版されつつある。同僚らは彼の行動力、意気込み、経験にいかに多くを負っていたかを決して忘れることはできない。彼の行動力は忍耐に、意気込みは自らの過ちを素直に認め謝罪することのできる判断力と経験に基づいていたのである。評議員らはゆくゆくはほぼ完成していた彼の手になる他の著作、アラビア語、ペルシア語、トルコ語の写本コレクションのカタログをシリーズに収めることを願っている。
1 いつか抜粋で構成した著作に挑戦できればと思っている。『マスナヴィー』の翻訳者としてジェロームがヒラリーに授けた栄誉を受けることがないとしても。"quasi captivos sensus in suam linguam victoris jure transposuit." 2 原文はしばしば簡潔に過ぎ、逐語訳するにも敷衍する必要のある場合が多い。本書においてかっこは原文の厳密な翻訳から、説明する目的で付け加えられた部分を区別するために使用されている。英語へ翻訳する者は自然な文章にするために語句を付け加えることがよくあるが、そうした形式的な目的ではない。かっこ内の語句はペルシア語の原文には存在しない。 3 自然な文章に翻訳するという翻訳者の責務に背く行為ともいえるだろう。そのとおりであり、双方の立場が歩み寄る余地はないように思えるが、可能な限り近づけるよう努めた。
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