中華街に行った。

 起きたら12時。どこへ行くにも何をするにも中途半端な時刻だ。
 とりあえず大崎の特殊ラーメン屋、へ。 賄2塩ラーメンを頼む。
 麺の範疇から逸脱した麺。小山のように盛られた茹で野菜と煮ブタ。
 混沌そのものから汲み出され、食べる者に破壊と混乱をもたらすスープ。
 レンゲは出ないが、もはやどうでもいい。
 もう最近は舌が堕落してきて、こんな末期的な味しか受け付けない。
 周りを見渡すと、客がみな「困難な仕事に一生懸命打ち込む男」の目と背中をしている。満ち足りた気分になる。ひょっとしたら…とボクは思う。この目と背中に触れるために、ボクはここの店に来たのかも知れないな。ボクもいつか、こんな目と背中を持てるようになるのだろうか…。
 
 食べ終わり、考えた。さて、次はどこに行こうか。
 大崎という地を足がかりに
、次の一歩を踏み出すとしたら。
 
 一昔前であれば、かなり限られていただろう。
 だがもはや、大崎は埼京線のせいでだいぶ次へのアクセスが容易となっている。
 秋葉原や新宿も、毎回それでは芸がない。
 どこかあまり行かないようなところに行ってみたい。
 りんかい線に乗ろう。横浜、小田原、平塚…。

 結局、中華街だ。
 全く芸のないことはなはだしい。

 だが、中華街ではちょっとしたイベントがあった。関帝廟の祭だ。
 旧正月か何かだろうか?盛大に爆竹が鳴らされ、関羽や武将に扮装した人々が練り歩く。
 爆竹の煙を浴びると魔を払うことが出来るという。
 浴びながら、あの人やあの人にこそ煙を浴びて欲しいという思いを捨て切れなかった…。
 とは言え、ボクが12時に起きなければ、そして横浜中華街に行こうという気まぐれを起こさなければ、この煙を浴びる事が出来なかった。これはきっと、関帝と呼ばれた高位の意識体からのギフトなのだろう。神はときとして残酷なことをする。

 せっかく中華街に来たのだから、ということで蓮の実餡で作った月餅とお茶を買った。
 公園で食べるのだ。

 ベンチに座って食べていると、ホームレスの人がやたら多いことに気付いた。
 もうすでに着々と夕飯の準備を始めている。
 釣竿を持ったジジイがいる。おい、釣るのか?この狭い池で、お前は釣りをするのか!?
 
 月餅を目当てにか、汚らしいネコが寄ってきた。
 家でネコを飼うようになってから、やたらネコに好かれるようになった。
 どうせ自分の下僕だとでも思っているんだろう。
 まあ、ネコに奉仕するのは嫌いではないので、ちょっと分けてやろうとすると、ホームレスのジジイが血相を変えて走ってきて、蹴飛ばす真似をしてネコを追い払った。
 なんだア?と思い目を向けると、ネコはこのジジイの飼い猫らしい。
「てめェは誰からも餌をもらいやがって、いじきたねェ!」
「その根性叩きなおさにゃ・・・」
 チッ、手前が充分に餌やらねえからだろうが。全くしょうのないジジイだ。
 例えば
自分が失職して食わせてやれないとき、妻が誰かからお手当てをもらって体を売っていたとしたら。そりゃ嫉妬するが、仕方ないとかも思うはずだ。まア、それだけに嫉妬も余計歪むだろうが。
 ともあれ人は恋人に嫉妬できないときはネコにも嫉妬するということなのだろう。

 気分が悪くなったので別のベンチに行って、自宅用にと考えていた紹興酒を少しだけ飲むことにした。
 
「兄チャン、ここ、いいかい?」
 酒をかっくらいつつ読書に没頭していたところにいきなり声をかけられておどろいた。
 見るとさっきとは別のホームレスの人だ。
「ちょっと置かせて欲しいんよ」
 見ると鍋のなかに魚と、大根が入っている。アラの煮つけか。なかなかうまそうな。
「ブリのここよ。うまいよ」
 ここよ、といいながら自分のアゴを指した。

「リストラでね、こうするしかないんよ」
 彼は魚を水飲み場で洗いつつ、問わず語りに話し始めた。
「子供は大きいから、俺がいなくなっても安心だけどね」
 彼は、よく見ると左目に大きな紫色のアザがあった。眼球が妙に充血していた。何かの病気か、他のホームレスとの喧嘩か。
「奥さんにも逃げられ。あんたね、覚えとくといいよ。30年働いたって、会社は何にもしてくれないから」
「『新しい人が来た』って、クビよ。新しい人入れちゃうのよ」
 だんだん、口調に暗い炎が交じりはじめた。
「あんた、さぞかし堅い会社勤めてんだろうね…若いしね…若けりゃイイんだよ!」
 ふと気付くと、大根に包丁を入れ始めている。ボクの動物的勘もにぶったものだ。
 とりあえずあいづちをうちながら、計算する。包丁の刃渡りは約7センチ。腕力では勝てると思うが、このコートが防具としてどれくらい役に立つものか…。
 いや、笑わないで欲しい。包丁を握り、暗い情熱を込めた口調で話す人間がすぐ傍にいるというのは本当に怖い。
 早くこの場を脱しなければ。でもなんとなく話も聞いていたい気がする。どうしたものか。

 とりあえず落ち着こうと思い、煙草を一服しようとしたのが彼のカンに触ったらしい。 
「人が話してるときに煙草に火ィつけるってのはねェだろォ」
 ボクは立ち上がり、遁走しようとしたが、彼の方が速かった。
 背中に深々と包丁がつきたてられた。
 ごり、という音がした。
 痛い、という感覚はなく、むしろ「冷たい」だった。
 彼は血相を変えて逃げ出した。ブリのアラが虚しく土にまみれた。刺しておいて逃げるなんて、失礼な。
 コートの内側からベレッタM92Fを取り出し、発砲した。2発が背中に、1発が脚に当たった。
 ホームレスはもんどりうって倒れた。
 
 ボクは、やることを思い出した。
 LOFTに行ってシステム手帳のリフィルを買うのだ。
 LOFTでないとミニ6穴の黒横罫は手に入らない。
 本当に、くだらないことで申し訳ない。でも、その思いだけがボクを支えていた。
 生死の境を彷徨うとき、その人を現世に繋ぎとめるのはほんのささいな日常へのこだわりなのかも知れない。

 バスに乗って、横浜へ。
 座席に座るとき、背中から突き立った柄を不注意から思いっきり押してしまい、やっと痛いという感覚を味わうことができた。血がなかなかの勢いでたくさん出たが、乗客はボクのまわりには何故かほとんどいなかったので、誰も汚さずに棲んだ。

 通勤客であふれていたが、皆どいてくれた。

 視界がかすみ、足がふらつくので、歩くのは大変だった。
 頭も、体の末端も、熱をもっているかのよう。
 これまでに無残な死に様を与えてきた、幾多の相手が囁きかけてきた。
「地獄で待つぴょん」
 うるさい。
「…合掌。ちーん」
 うるさい。
「ドキュソ狩りじゃア」
 うるさい!

 無人のエレベーターに乗る。
 息があがり、刺された部分がずきずきと痛む。
「ひゃははははは、大したザマだねェ」
 天井の一部が開き、人影が降り立つ。
「高峰たちの仇、うたせてもらうよ」 
 人形のようなかくかくとした動きで背後に回る男の姿を、目で追うことはもはや出来ない。
 背中のナイフの柄を捕まれた。激痛が走る。
「痛いか?ん?んん?んんん?」
 ぐりぐりと柄を動かす男。激痛に思わず悲鳴をあげる。
「高峰たちはなァ、もっともっと痛かったンだよォォ」
 ナイフが内臓を貫通し、腹に血に塗れた銀の刃が顔を出した。
 コートからジャンビーヤを取り出し、最後の力で腹に突き立てる。
「ははっハラキリというわけかい?…ぐっ」
 ジャンビーヤの刃をずぶずぶとめり込ませ、背中に密着している相手を貫く。
 相手がひるんだところに、眉間に狙いをつけ、最後に残った弾丸を叩き込んだ。
 まだや。…まだ、おッ死ぬわけにはいかへンのや。
 
 7階で降りたとき目にした風景を、ボクは決して忘れやしない。
 そこは色彩にあふれていた。
 キラキラと輝くガラスや銀の食器。
 バレンタイン用のギフトコーナーの賑わい。
 そして、愉しそうにさんざめく人々。
 
 扉の開いたエレベーターに座り込んだまま、思わず咳き込んでしまい、大量の血の塊を吐き出した。
 システム手帳コーナーにたどり着くほどの命は残されていないようだった。
 だが、ボクを包んでいたのは至福の思い。
  
 ボクは地獄に堕ちるだろう。
 でも、ここに、天国はあるじゃないか。
 ほら、手を伸ばせば届く、こんなところに…。
 緑色にかがやく、綺麗なカクテルグラスが見えた。知らず、微笑を浮かべた。
 
 慎重に慎重に、最後の力を振り絞って手を伸ばし、指でつくった輪っかのなかに緑の輝きを捉えた。
 エレベーターのドアが閉まると同時に、意識は途絶えた。

 
     
     
     
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