制作者:国本静三

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2010年1月記


CD SICC1179

コープランド 組曲「赤い子馬」
ブリテン  「シンフォニア・ダ・レクイエム」

アンドレ・プレヴィン指揮
セントルイス交響楽団

 録音:1963年セントルイス  発売:2009/10/14




20世紀の遺産:軍国主義に抗議した作曲家の願い


 ブリテン(1913-76)は20世紀最大の英国の作曲家。彼の作品は教会音楽からオペラ(15作)に及んでいる。余談ながら有名な彼の管弦楽曲「青少年管弦楽入門The Yong Person's Guide to The Orchestra Op.34」(1945年)は日本の中学校音楽教材ともなっているが、日本語訳がいささかダッサい(笑)。「若者への管弦楽ガイド」(試訳です)はいかが??

 それは1940年のことだった。日本政府は知名度が高いブリテンに白羽の矢を立て、紀元2600年のため奉祝曲を委嘱した。他にドイツのリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)にも委嘱し、「祝典音楽(皇紀2600年奉祝楽曲Festmusik zur feier des 2600jährigen Bestehens des Kaiser-reiches Japan)(1940年作曲)が東京で演奏された。
 
 さてブリテンは
「シンフォニア・ダ・レクイエムSinfonia da requiem Op.20」を仕上げて日本に送った。内容は「ラクリモーサ(涙の日)」、「ディエス・イレ(怒りの日)」、「レクイエム・エテルナム(とわの安息を)」の3楽章で構成されていた。この曲のタイトルはイタリア語で「レクイム(死者の安息を祈る)のための交響曲」の意味になる。各楽章のタイトルはカトリック教会の死者のミサのための典礼式文から取られている。ブリテンは各楽章に式文で記されている内容を管弦楽で表現した。では誰のための祈りだったのか? 当時日本は中国を侵略し多くの犠牲者をもたらしていた。そうした死者のための祈りの音楽だった。

 日本政府は送られて来たブリテンに対して天皇に対する無礼とし、抗議文書と共にこの作品の受け取りを拒否した。ブリテンには天皇に無礼を示す意図は全くなく、軍国主義に走る日本帝国主義への抗議の意をこの曲に込めたのであった。日本が反省ではなく怒りを示したこと事態、日本が軍国主義に走っていたことを世界に示してしまった。


 「シンフォニア・ダ・レクイエムOp.20」の初演は作曲の翌年1941年3月30日、アメリカ最古のオーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって行われた。時を経て1956年NHKの招きでブリテン来日時、ブリテン指揮で日本初演された。この時なんら問題は起こらなかった(^^)



ブリテン 20世紀音楽の様相 20世紀年表
       
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