制作者:国本静三

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ベートーヴェン:秘密の手紙<2>
−歓喜への展開−



<愛の苦しみを示す「不滅の恋人への手紙」>


 「不滅の恋人への手紙」は、1827年3月26日午後5時45分のベートーヴェンの死の翌日、戸棚に仕掛けてあった秘密の場所から、ハイリゲンシュタットの遺書」、有価証券7枚(故弟カールが残したもの)と女性の小さな肖像画2点と共にシュテファン・フォン・ブロイニンクが、カール・ホルツ、アントン・シントラーと共に発見した。それはベートーヴェンの遺言書(1828年1月3日作成)に記されていた有価証券(甥カールのためか)を探していて見つけられた。当初この手紙はブロイニングにより保管されていたが、彼の死去にともないシントラーの手に移った。シントラーによって1840 年に初めて公表された。鉛筆のなぐり書きのような手紙は3通あるが年号が記されていず、ただ「7月6日 朝」、「7月6日 月曜日 夜」、「7月7日 よき朝」と日付のみを記している。つまり、ほぼ24時間以内に書かれた3通の手紙である。

 7月6日朝、7月6日日曜の晩、7月7日朝という記入から、年度の特定については1801年、1807年、1812年の可能性がある。1812年が一番有力視されてはいる。この手紙は、ベートーヴェンとしてはたいへん情熱的な文体で、宛てた相手とはかなり深い関係にあったことを思わせる。例えばベートーヴェンは、通常“あなたSie”を手紙の中に用いているのに“君 Du”を使っている。あと相手を“不滅の恋人よ”と呼びかけているためこの手紙の呼称となった。ではそのお相手は誰だったか? 未だ特定がついていない。現段階の研究では宛先の人物は不明なのである。
 手紙の中で“郵便馬車が月曜と木曜の朝だけ”、“ここからK方面に行く”、“夜の森のひどい道を通った”、“エステルハージはいつもこの道できた”というようなキー・ワードを残してはいる。この手紙と他の人物の手紙などの資料による推理から1812年にテープリッツで書かれ、その相手とは一夜を過ごすような間柄であったと考えられている。

 現在、最有力人物として2人あげられている。ひとりは夫フランツをもつアントーニエ・ブレンターノ(1780-69)で、この手紙に現れるベートーヴェンと彼女の足取りと日付が一致する。米国の研究家ソロモンが1972年に発表した。もう一人はダイム伯爵夫人ヨゼフィーネ(旧姓ブルンスヴィク)(1779-1821)(それまでは彼女の姉テレーゼが有力であった)である。それは1949年に「ダイム伯爵夫人に宛てた13の手紙」が発見されたためであった。ただしこの手紙では“君 Du”ではなく“あなたSie”と呼びかけている。

 筆者の暴論的私見ではあるが、情熱的な愛が語られるているが、3通目になるとかなわぬ恋へのあきらめが感じられる。そしてこの手紙を鉛筆で書くと冒頭で言っているし、この手紙が単に下書きとも思えないし、いったん相手に届けられた手紙とも思えない。恋人の存在があったとしても「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じく、彼の手元に大事に秘密裏に保管されていた。この手紙も同様に相手に届けられなかったと思われる。だが届けられ返還されたという可能性も無いわけではない。そこで唐突ながら完全な創作文書(?)と筆者は考えている。こういった架空の文書を書く人を知らない訳ではないのでね(笑)。次にこの手紙の抜粋を引用する。

七月六日 朝

わたしの天使、わたしのすべて、わたし自身よ!

今日はただ二言三言、それも鉛筆で(あなたの鉛筆で)−明日にならなければわたしの宿もはっきりときまりません。‥‥‥(略)‥‥‥わたしたちの愛はいろいろなものを犠牲にし、なにもかも一切なげうってしまわなければ成り立たないものなのでしょうか。あなたがすっかりわたしのものでなく、わたしがあなたのものでない今、どうもならないではありませんか。
‥‥‥(略)‥‥‥                                あなたの忠実な ルートヴィヒ”

小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」/岩波文庫p155-156より

七月六日 月曜日 夜

わが悩める、わが最愛なるものよ−たった今、手紙を大急ぎで出さなければならぬことがわかりました。月曜日−木曜日−この日だけここからKに郵便馬車が出ます。−あなたは悩んでいます。‥‥‥(略)‥‥‥あなたと一緒に暮らせるようにしましょう。どんな生活!!!! このような!!!! あなたのいない。‥‥‥(略)‥‥‥−人間が人間にたいして卑屈になる−これがわたしを苦しめるのです。


−どんなにあなたがわたしを愛して下さっても−わたしはもっと強くあなたを愛します。‥‥‥(略)‥‥‥−おやすみなさい。−わたしは湯治者らしく眠らなければなりません。ああ神よ−こんなに近くて、こんあに遠いとは! わたしたちの愛は、ほんとうに天の一殿堂ではないでしょうか。−しかもなお、蒼弓のごとく堅固ではないでしょうか。”

小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」/岩波文庫p157-158より

七月七日 よき朝

まだ床にいるうちから、想いはあなたのもとに馳せる。わが不滅の恋人よ、運命がわたしたちの願いをききいれてくれるかと期待しつつ、ときには喜ばしく、やがてはまた悲し。−あなたとまったく一つになって暮らすか、それともすっかり離れてしまうか、どちらかでなくては私は生きてゆけません。‥‥‥(略)‥‥‥ほかのいかなる女性も決してわたしの心を占めることはできません。−決して−決して!−おお、かみよこんなにも愛し合っているものが、なぜはなれていなければならないのですか。‥‥‥(略)‥‥‥−冷静になって下さい。−わたしを愛して下さい。−今日−昨日−何という、涙にぬれたあなたへの思慕−あなたとともに−あなたとともに−わが命よ−わたしの一切よ−さよなら−おお、いつまでもわたしを愛して下さい。−ここから忠実な心を見あやまらないで下さい。

   
                         あなたを愛する L

    永遠にあなたのもの
    永遠にわたしのもの
    永遠にわたしたちのもの ”

小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」/岩波文庫p158-159より

 ベートーヴェンは愛を求めるさすらい人でもあった。そしてあたたかい家庭を最後まであこがれていたが、果たせなかった夢であった。終生独身で終わるのである。



<結婚願望を秘めた結婚賛歌?!−オペラ「フィデリオOp.72」>


 1812年の7月末にヴィーンに帰った時、リンツに住む2人目の弟ヨハンが家政婦として同居していたテレーゼ・オーバーマイヤーと結婚するという知らせを受け、猛反対する。だが、ヨハンは兄ベートーヴェンの反対を押し切って11月に結婚した。年末には「交響曲第8番Op.93」を完成している。

 1813年になって「交響曲第7番Op.92」が仕上がる。この頃ベートーヴェンは経済的困難に見舞われる。それは春から次弟カールの肺結核が悪化したためカール一家を援助しなくてはならなかったこと、1811年以来のインフレ現象、1812年11月3日にキンスキー侯爵の急死ため年金が満足に受けられなかったことなどが重なったためである。また4月に予定した演奏会も流れ、7月にはロプコヴィツ侯爵も劇場運営の失敗から破産し、ベートーヴェンへの年金は停止してしまった。暮れには「ウェリントンの勝利Op.91」と「交響曲第7番」の初演が大成功をおさめた。

 翌年の機運に乗じて1814年1月、2月と同プログラムで演奏会を開き、好評を得た。これを見たヴィーンの各劇場の音楽監督たちは、こうしたベートーヴェンの人気を見直し、オペラ「フィデリオ」の再演を持ち出してくる。そして台本の全面的改訂をトライチケに依頼することにした。5月23日にケルントナートーア劇場で第3稿「フォデリオ」が上演された。「フィデリオ」の序曲が間に合わず、「アテネの廃墟」序曲で代用した(3日後の26日の上演には間に合った)。この上演は大成功1)で、11月21日にはプラハでも成功をおさめた。


[注]

1)1814年はベートーヴェンの名声が最高潮に達した年であった。ヴィーン会議では全ヨーロッパの王たちの前で公開演奏も行った。下記の手紙は「フィデリオ」に対する意気込みを語っている。

<宛先>フランツ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵 1814年2月13日

‥‥‥(略)‥‥‥やってきたまえ。−はじめて聞くだろう。−こうして僕は貧乏からおいおいと救われる。‥‥‥(略)‥‥‥僕の歌劇も脚光をあびることになるだろうが、しかしまたうんと新しく手を入れている。‥‥‥(略)‥‥‥


小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」/岩波文庫p173より

次の手紙の宛先人トライチェケ(1776-1842)は劇作家で宮廷劇場付演出家、昆虫学者、ベートーヴェンの友人でもあった。ベートーヴェンは彼の台本改作にたいへん満足していた。

<宛先>フリードリヒ・トライチェケ 1814年

‥‥‥(略)‥‥‥わたしの歌劇についてはあなたが手を加えて下さったどの点についても、まず何よりも感謝します。機会があれば一つ《エグモント》をいきなりヴィーン劇場に上演しようとお思いになりませんか。‥‥‥(略)‥‥‥


小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」/岩波文庫p174より




<オペラ「フィデリオ、または夫婦の愛Op.72」(第3稿)>

 ベートーヴェンの唯一の完成されたオペラで、次のような経過をたどった。そのため演奏会でよく演奏される「レオノーレ序曲第1番Op.138」も生まれた。この序曲は第2稿プラハ上演のために作曲されたが、結局上演されなかったので没になる。こうして合計4曲の序曲が作曲されていく。

改稿の経過

 初演年と場所

序曲

 第1稿オペラ「レオノーレ」3幕

 1805年ヴィーン

 レオノーレ序曲第2番

 第2稿オペラ「レオノーレ」2幕

 1806年ヴィーン

 レオノーレ序曲第3番

 第3稿オペラ「フィデリオ」2幕

 1814年ヴィーン

 フィデリオ序曲


 ベートーヴェンは当時流行のロッシーニRossiniイタリア(1792-1868)などのイタリアのオペラ・ブッファ(軽歌劇)を好まなかった。イタリア・オペラの世界はベートーヴェンのものではなかったのだろう。彼が尊敬してやまない先輩モーツァルトのオペラ・ブッファ「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」さえベートーヴェンには問題であった。もちろんそれは音楽自体が問題ではなく、台本が許せなかったのである。倫理的な内容でないというのがその理由である。だが、ジングシュピール魔笛」は高く評価していたし、「魔笛」線上のドイツ魂に基づくドイツ・オペラを目指していた。「フィデリオ」は「魔笛」と同じく、セリフをレチタチーヴォ形式で歌うのでなく、完全なる台詞として語らせている。これは形でいえば従来の音楽劇ジングシュピールである。これは同時期のオペラ・コミックや後世のオペレッタと似ている。
 また「フィデリオ」はたいへん交響的な作品である。以前の「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲」や後の「荘厳ミサ曲」や「交響曲第9番」につながる作品といえよう。精神面で言えば同じ時期に作曲された「交響曲第3番“英雄”」と同じくヘロイズムに対する賛歌と言えよう。

 「フイデリオ」を理解する鍵は、フランス革命(1789-99)である。当時救出劇が好まれた。革命は18世紀の啓蒙主義思想から生命的な人間性を解放した。これは疾風怒濤 Strum und Drang運動として現れ、忠実、献身、犠牲の精神が尊ばれた。捨て身の愛、英雄的忍耐などをテーマにした「フィデリオFidelio」(忠実さを意味するfidelioは伊語風?)の物語はベートーヴェンの目指す理想であった。そしてこの物語はフランス革命時に実在したエピソードで、悪役人のために自由を奪われていた夫と囚人たちを解放するという夫婦愛が物語の中心となっている。フランスのブイイの「レオノーレ、夫婦の愛」に基づいて台本は作られた。台本はゾンライトナー、第3稿ではトライチュケが担当した。ベートーヴェンが憧れ続けた、やさしく、強く、貞節で夫のために命まではる妻としての女性像が描かれているのが興味深い。いずれにしても「フィデリオ」はドイツ・オペラの歴史の重要な位置にある。モーツァルトMozartオーストリア(1756-91)「魔笛を継ぎ、ヴェーバーWeberドイツ(1786-1826)「魔弾の射手へと繋がる作品である。そしてシューベルトSchubertオーストリア(1797-1828)メンデルスゾーンMendelssohnドイツ(1809-47)シューマンSchumannドイツ(1810-56)などのオペラへと続いていく。そしてヴァーグナーWagnerドイツ(1813-83)へと繋がっていく。 




<物語>

第1幕:スペインのセビーリャの近くにある刑務所

 若者ヤキーノは看守ロッコの娘マルツェリーニに思いをよせるが、娘は新入りフィデリオに夢中。このフィデリオは実は女性レオノーレで、男装してこの刑務所に無実の罪で捕らわれている夫フロレスタンを救出するために機を伺っていた。看守はフィデリオを気に入り、娘婿にと考えていた。

 刑務所長ピツァロが登場。彼は自分の悪事を隠すためにフロレスタンを2年以上も牢に入れていた。この陰謀が司法大臣の知れるところとなり、近く監査が行われることになった。これを聞き所長はフロレスタンを殺そうと考え、看守に墓堀を命ずる。フィデリオは物陰で一部始終を聞き、すべてを知ってしまう。フィデリオの告発で囚人達は解放されることになるが、所長は許さず、おまけに看守とフィデリオは墓堀りを命じらてしまう。


第2幕

第1場:
牢の中


 現れた所長が鎖につながれたフロレスタンを剣を抜いて斬りつけようとする。間一髪でフィデリオ
(実は妻レオノーレ)が飛び出し、“先ず妻から殺せ!”とフロレスタン(夫)を助けようとする。再び所長は斬りつけようとするが、レオノーレはピストルを取り出し、所長に向けるのであった。その時、遠くから司法大臣の到着を告げるラッパが聞こえてくる。所長が立ち去って、再会した夫婦は喜び合う。

第2場:刑務所の広場

 司法大臣が到着。兵士や看守、囚人たちがこれを迎える。司法大臣はすでに死んだと思っていた旧友フロレスタンの姿を見て喜び、所長ピツァロの悪事に激怒し、裁きを与えること宣言する。フロレスタンの鎖は妻レオノーレによってはずされ、群衆は歓喜する。そして勇気ある女性の力と行いが讃えられるのであった。


参考ディスク

DVD PIVC-2049「フィデリオ」
(発売:2003/9/26)

ベルナルト・ハイティング指揮
、ピーター・ホール演出
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、グラインドボーン音楽祭合唱団
レオノーレ:エリーザベト・ゼーダーシュトーレーム(S)
フロレスタン:アントン・デ・リッダー(T)
ドン・ピツァロ:ロバート・オルマン(Br)
マッルツェリーネ:エリザベスゲイル(S)

収録:1979年グライドボーンライヴ

DVD DLVC-1054「フィデリオ」(発売:2000/8/25)

ズビン・メータ指揮、ピェール・ジュルダン監督
グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ジョン・ヴィッカーズ
テーオ・アダム


収録:1977年フランス、オランジュ古代劇場ライヴ


1998-2007


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