制作者:国本静三
オペラ「ノルマ Norma」
<ベッリーニ>
ベッリーニBelliniイタリア(1801-35)はシチリア島のカターニアで生まれた。祖父は作曲家、父は合唱指揮者、オルガニストという家庭で3歳で音楽の勉強を始めた。1819年奨学金を受けてナポリ王立音楽院の入学。ここでメルカダンテイタリア(1795-1870)やドニゼッティとも知り合う。卒業後、ナポリのサン・カルロ劇場のために書いた「ビアンカとジェルナンド」(1826年)は熱狂的な成功をおさめた。この時テノールのルビーニと知り合い、ベル・カント・オペラを大成させることになるベッリーニ大きな影響を与えた。彼の残したオペラは13作。パリは彼にとっても重要な都市で、ここでロッシーニ、ケルビーニイタリア(1760-1842)、ショパンポーランド(1810-49)、リストハンガリー(1811-86)、ハイネなどと知り合う。
ベッリーニのオペラはロマンティシズムが支配している。1830年代のイタリア・オペラにおいて特別の地位を占めている。それはスタイルの純粋さと比類ない優雅な旋律のためである。特に彼の音楽の神髄は、その旋律の美しさにあると称されている。ベル・カントの伝統に根ざしたイタリア語と旋律をみごとに結びつけた功績は大きい。彼を評して“カターニアの鶯”とも後に“オペラのショパン”ともいわれた。ショパンに対するベッリーニの影響はよく指摘される。具体的に立証すのは難しいが、旋律のスタイルに類似点がみられる点や、独特のドラマティックな表現法、歌唱や演奏のために洗練された技術が必要とされる点も共通している。装飾音符を駆使したその旋律の動き・高まりはこの2人が編み出した書法であり、2人の個性であろう。声楽と正反対な音響的性質を持つピアノという楽器を、声楽のように歌わせたショパンに与えたベッリーニの影響は大きい。ベッリーニの世界は声楽、ショパンの世界はピアノにおいてしか音楽効果を発揮しない書法を相次いでこの2人は編み出していったといえる。またヴェルディ、グリンカロシア(1804-57)、ヴァーグナードイツ(1813-83)等のオペラにも大きな影響を与えた。ロッシーニやドニゼッティ、ヴェルディと比べてベッリーニが突出している点は、旋律自体がより一段とドラマ表現に関与し、またドラマ展開が旋律に依存しているともいえる。
<作曲の経緯>
ベッリーニは台本作家ロマーニと組んで1831年に「夢遊病の女」と「ノルマ」を発表した。「夢遊病の女」を3月6日ミラノのカルカーノ劇場で初演したベッリーニは、このオペラのタイトル・ロールを歌ったソプラノ歌手パスタやロマーニとなどと相談して次作は「ノルマ」と決めた。4月にパリで初演されたフランスの劇作家スーメの悲劇「ノルマ」が原作である。ロマーニは8月には台本を完成し、ベッリーニは9月から作曲を始め、11月に完成させた。
初演は1831年12月26日、ミラノのスカラ座で行われた。ソプラノのパスタなど当時としては最高の配役で上演されたにも関わらず、初日は成功とはいえず、ベッリーニ自身も失敗作と認めざるを得なかった。この上演を見たドニゼッティはその音楽の真価を認め、ベッリーニに同情を寄せたという。しかし、2日目からはミラノの聴衆も少しずつ理解を示し始め、またアルプスを越えて、ヴィーンやロンドンなどでもその評判が伝わっていった。最も有名なソプラノのアリア、“清らかな女神よ”は、何度もパスタからクレームがつけられ、9回も書き直したという。このオペラの内省的な美しさと深さは、1830年代オペラのひとつの頂点を示すものであろう。
<物語>
紀元前50年頃、シーザーによって征服され、ローマ総督によって統治されていたガリア地方(現在のフランスとベルギーの全土、そしてオランダ、ドイツ、スイスの一部を指す)が舞台となる。ローマ帝国(BC.27-AD476)成立以前のことであった。
第1幕
第1場:真夜中、ガリア人達が信奉しているドゥルイド教の聖地の森
ローマに対して激しい敵意を抱いていたガリア人達が高僧オロヴェーツ率いられ、ローマ破滅を願って祈るために集まっていた。彼らが姿を消すとローマ総督ポッリオーネが友人で隊長フラヴィオを伴って現れる。ポッリオーネはフラヴィオに心の悩みを告白するのであった。それはオロヴェーソの娘で尼僧として最高の地位にあるノルマと契りを結び、ノルマは尼僧としての純潔の誓いを破って彼との間に2人の子供をもうけていた。だが、ポッリオーネの心はすでに彼女から離れ、今では若くて美しい尼僧アダルジーザに向いていたのである。
遠くからガリア人達が祭壇に向かって来るので2人は姿を消す。そこへ頭に神聖な花冠をつけたノルマが登場し、ローマに血気はやる人々を鎮める。このノルマの態度にいぶかる父オロヴェーツに彼女は、今は神の思し召し従い平和を目指そう、と語る。そして失われつつある愛への執着、恋と祖国への忠誠の板挟みの苦しみを独白するのであった(“清らかな女神よ”)。
一同が退場して尼僧アダルジーザが1人残って、愛と恐れに悩みながら祭壇に祈りを捧げていた。そこへポッリオーネが現れ、2人でローマに行って幸せに暮らそうと説得する。彼女は明日、一緒にローマへ逃げることを約束する。
第2場:暗い洞窟の中のノルマの部屋
この奥には2人の子供がかくまわれている。ポッリオーネの愛が薄れてきたことを悟ったノルマは悲しみ沈んでいた。そこへアダルジーザが来て、信仰を棄て愛を選ぶと彼女に告白する。ノルマは自分も同じ罪を犯していることを考え、彼女を許そうとするが、その相手が他ならぬポッリオーネであると知って、彼の不実を呪うのであった。
第2幕
第1場:ノルマの部屋
ポッリオーネとアダルジーザに裏切られ絶望したノルマは、2人の子供達を殺そうと短剣を握るが、手を下すことはできない。アダルジーザを呼んで子供達を彼女の手にゆだね、育てて欲しい頼む。しかし、アダルジーザは、自分の愛を諦めてローマ行きを中止し、ポッリオーネが再びノルマのもとに戻るよう努めると約束するのであった。
第2場:ドゥルイド教聖地の森の近く
僧侶やガリアの兵士が集まって、神の指図を仰いでいる。
第3場:森のイルミンスル神殿の前
アダルジーザはポッリオーネにノルマのもとに戻るように説得したが聞き入れられなかった。このことを侍女から聞いたノルマは、今こそローマと戦う時だと、合図の楯を打ち鳴らす。その時、神殿に忍び込んで来たローマ人が捕らえられて連行されて来た。それはアダルジーザを連れ出そうして忍び込んで来たポッリオーネだった。ガリア人達は彼を生け贄にしようとするが、愛に惑うノルマは人々を去らせて、彼に未だ愛があることを告げ、アダルジーザを諦めてガリアの地を去るなら命だけは助けよう、と訴える。しかし、ポッリオーネは、自分を刺してアダルジーザを助けるよう願った。ノルマは嫉妬に狂い、再び人々を集める。そして神聖を犯したひとりの尼僧を神の生け贄にすると告げ、火刑台用意させた。そしてその尼僧こそ自分であると告げる。これを聞いたポッリオーネは、初めてノルマの深い愛を知り、ノルマと死を共にすることを誓う。ノルマは改めて自分の罪を人々に告白して、父オロヴェーソや人々が涙を流す中をポッリオーネと共に火刑台に向かって行くのであった。
参考ディスク
DVD DLVC-1023(発売:1999/3/25)
ジュゼッペ・パタネ指揮
サンドロ・セークイ演出
ピエール・ジュルダン映像監督
イタリア・トリノ州立劇場管弦楽団・合唱団
ノルマ:モセラー・カバリェ(S)
ポッリオーネ:ジョン・ヴィカーズ(T)
アダルジーザ:ジョセフィン・ヴィージー(Ms)
オロヴェーソ:アゴスティーノ・フェリン(Bs)
収録:1974年7月20日オランジュ音楽祭(南フランス、アヴィニョンの北28キロ)
(オランジュ古代劇場BC.27年-AD.14年建設)
☆カバリェの貫禄には目を見張るものがある。このオペラの物語とほぼ同時代のローマ古代劇場での幻想的、かつ劇的な効果は何とも言えない。
2001