グレゴリオ聖歌 Cantus Gregorianus
<成立>
グレゴリオ聖歌の成立の年代について色々な説がいわれてきた。現段階で明らかにされている点は次の通りである。中心的なグレゴリオ聖歌は
中世盛期=8世紀〜10世紀に作曲されたと考えられている。しかし、グレゴリオ聖歌はそれ以後もずっと作曲され続けてきたし、現在でも新しい典礼文や典礼の改正などに応じて作曲されている。この聖歌の呼称の基となった
グレゴリウスT世(c.540-604、在位590-604)との関わりは、この偉大なる学際的人物を顕彰して因んでつけられたものである。従来いわれていたようにこの
教皇1)が作曲し、編纂したという説は正しくなく、時代的にも合致しない。しかし、グレゴリオ聖歌の起源はたいへん古くまでさかのぼれる要素もあるので、直接間接なんらかのかたちでのグレゴリウスTとの関わりは否定できないだろう。というのは彼は音楽についても造詣の深い人であったからである。
「ザンクト・ガレン修道院のハルトカー修道士右に交唱を記譜させるグレゴリオT教皇左」
ハルトカーHartker(980-1011)とグレゴリオT(c.540-604、在位590-604)は生きた時代が異なる。ハルトカーは軽度の言語障害=吃音を持っていたと伝えられている。記憶能力もやや劣り、それのため記号で口承で歌われていた聖歌を記号で書き留めて記憶の助けにしようとした。そして記譜法を編み出していったのである。つまりハルトカー修道士は、古ネウマ記譜法の発展に少なからず貢献したといわれている。この絵は、ハルトカーの伝説的な情景を伝えている。それはグレゴリオTが天国からハルトカー修道士をやさしく教え、聖歌を記譜するのを手助けしている姿が描かれている(^^)。
[注]
1) 教皇 Papa(ラテン語)は全ローマ・カトリック教会の最高位にある聖職者。日本では“法王”と一般的に呼んでいるが、日本カトリック教会(日本ローマ・カトリック教会)での正式呼称は“教皇(きょうこう)”である。日本カトリック司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにした。「教える」という字の方が、教皇の職務をよく表わすためである。
<音組織>
グレゴリオ聖歌の音組織は
教会旋法church modeといわれるもので、我々に親しい
調性tonalityではない。それは
バロック(1600-1750)まで待たなくてはならない。教会旋法は
旋法modeの一種類と捉えることができる。旋法の例としては調性と関わりのない伝統的な民族音楽の音組織などがあげられる。またもっと広い意味では20世紀前後の
近代作曲家の多くの音楽作品に
旋法的な要素を見いだすことができる。
教会旋法はヘブライ、ギリシャ、ローマや他のロマン民族の起源を持つといわれている。教会旋法の類別の仕方には色々あるがここでは終止音をもととした4基本型を示す。それらはさらに2つづにわかれるので8つの旋法が存在すると一般にいわれている。
[教会旋法類別]
<音楽様式 >
グレゴリオ聖歌は純粋にというか完全に
典礼音楽である。ローマ・カトリック教会の
ミサ典礼、聖務日課や他の典礼のために作られた典礼聖歌である。誰もが普通の声で歌える音域と簡易な旋律からなるものでもある。音楽様式としては
単声音楽monophonyといわれる。単旋律の聖歌で伴奏をもたないし、和音をもたない
(モノディmonodyとは区別される。モノディは1つの旋律に対して伴奏型をもつ様式)。そのためか<平坦な歌>を意味するcantus planus
ラテン語やplainsong
英語、plain chant
フランス語のようなような呼び名もあるが、適正な名称とは思えない。これらの呼称は単声音楽をネガティヴに捉えているようである。
歌詞はすべて
ラテン語が用いられる。それはローマ・カトリック教会では、
第2ヴァティカン公会議(1962-65)まで公式典礼文はすべて
ラテン語が用いられていたからである。現在は典礼改革により全世界のカトリック教会では各民族言語が用いられるようになった。この典礼用語の各民族語への改革がグレゴリオ聖歌を典礼から遠ざけた。たしかに歌詞が一般に解されないラテン語であることも一因であろう。だが教会は常に新しい聖歌創作への道を求める最大の手だてとしてグレゴリオ聖歌研究を奨め、その偉大なる伝統的価値を断言している。グレゴリオ聖歌への無関心を危惧するのは今や教会内より、教会外の音楽研究者や愛好家に多いのも興味深いことではある。
<記譜法>
グレゴリオ聖歌は作曲者不詳で口承によって伝えられてきた。たが次第にネウマによって記号化されていった。この聖歌には原作に当たる原典がなく、多くの古い手写本が残っているのみである。グレゴリオ聖歌学にとって特に重要なものは特に
9世紀から11世紀の手写本であるが、それ以後の
13世紀を含む重要手写本もある。それは
グレゴリオ聖歌成立時期(8世紀前後〜10世紀)に関わる時期だからである。つまり、作曲された時期と記譜された時期にはずれがあった。つまり作曲されたものが口承で伝えられ、作曲時点から遅れて記譜されていったのである。主要な古い
手写本は次の通りであるが、まだまだ存在するので一例としてと捉えて頂きたい。
| ザンクト・ガレン 359 |
スイスの修道院のもので最も重要とされる。9世紀終りから10世紀初頭のもの |
| アインジィーデルン 121 |
11世紀初め頃のもの |
| バンベルク国立図書館 lit.6 |
レーゲンスブルグのザンクト・エンムのもの。1000年の記譜 |
| ザンクト・ガレン 339 |
11世紀前半のもの |
| ザンクト・ガレン 376 |
11世紀のもの |
ザンクト・ガレン 390-96
|
ザンクト・ガレン修道院の修道士ハルトカーのもの。996-1011年に記譜 |
| ラン 239 |
ラン近郊で記譜。930年以後のもの |
| モンペリエ大学医学部図書館 H.159 |
11世紀のもの。ネウマとアルファベットの二重記譜 |
| パリ国立図書館 Lat.903 |
サンティェリエの11世紀のもの。アキテーヌ(南フランスとスペイン)の重要資料 |
| ベネヴェント参事会図書館
Y-34 |
旋律復元のために重要 |
| シャルトル 47 |
10世紀のもの。ブルターニュ記譜法でリズムの指示が多い |
これらの手写本は音の高さつまり、旋律線を相対的にしか示さない点や線の古ネウマで記譜されている。しかし、音楽的な面においてはきわめて入念に記譜されたものである。当初は口承で伝えられいたグレゴリオ聖歌
(作曲時にも記されることがなかった。グレゴリオ聖歌には原典楽譜が無い所以でもある。)は、暗譜が前提であったためである。次第に必要に応じて記号によって記され、より分かりやすく音高を記録するために線上に記譜されたものが現れた。グレゴリオ聖歌には次の2つの記譜法があることになる。
古ネウマ‥‥‥ラテン語の歌詞上に点や線のネウマによって記され、譜線がないので音高は相対的にしか分からない。地域によって多少の多様性がみられるものの体系化された楽譜で、演奏のためにこれほど優れた楽譜もないといえる。主に
9世紀頃〜11世紀初め頃に用いられた。
角形ネウマ‥‥‥
12世紀頃から角形ネウマによって線上に記され、1本線から4本線の譜線へと順次移行していった
(一部5線譜もある。いずれにしても現代用いられている楽譜、五線譜のルーツでもある)。音高を明確に示すことが出来るが、リズム
(音の長短)や演奏のニュアンスなどの指示は明確でないし、古ネウマには及ばないのである。角形ネウマは12世紀頃から用いられた。問題点は、現代も用いられている4線譜の角形ネウマによるヴァティカン版の多くは古ネウマからの復元で、細部の微妙な表記の不備のみならず音高の誤りも含んでいる。正しい演奏のためには、より原典的な古ネウマ譜を参照することは必須である。
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Luc.1,28=ルカによる福音書1・28
Ave Maria,
gratia plena, Do-
minus tecum: benedicta tu in |
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mulieribus, et benedictus fructus
ventris tui.
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待降節第4主日奉納唱“アヴェ・マリア”
上部:ラン写本(930年頃)古ネウマ
中部:復元楽譜=4線譜 角形ネウマ
下部赤色:アインジィーデルン写本(11世紀初期)古ネウマ
3つの楽譜の合本 「Graduale Triplex」1974年刊より
一本線上の角ネウマ
左:4線上に記譜された角形ネウマのグレゴリオ聖歌写本(15世紀) イタリア、プロチダ島、聖大天使ミカエル大修道院(ベネディクト会) 片面頁の大きさは約75x66cm 2001年3月2日調査
右:5線上に記譜された角形ネウマのグレゴリオ聖歌写本(16世紀) スペイン南西部、グアダルーペ修道院所蔵 片面頁の大きさは約80x60cm 2003年2月12日調査
<その他の問題>
受容:12世紀以降、すべてのラテン教会ではゴレゴリオ聖歌を歌うようにという統一化が行われた。そのため
ガリア聖歌、
モサラベ聖歌は次第に禁止され、
アンブロジオ聖歌にも及んできた。アンブロジオ聖歌を教皇ニコラスU(在位1059-61)、グレゴリオZ(在位1073-85)等が禁止を試みたが、その後オゲニウスVが1145年、アナスタシスYが1153年に認める教書を発布している。
優位性:当時からグレゴリオ聖歌は教会当局の支持を受けていた。現代でも“教会は、グレゴリオ聖歌をローマ典礼に固有な歌として認める。したがってこれは、典礼行為において、他の同等のものの間で首位を占めるべきである”
(第二ヴァチカン公会議・公文書全集より「典礼憲章」第6章・116 /サン・パウロ)と今なおいわしめている。興味深いことに教会はいつもグレゴリオ聖歌を教会音楽
(典礼音楽)の規範としてきた。たしかに時間と空間、民族を越えて特別な形で受容され続けてきている。その理由を求めるとすれば多くの点があげられるが、音楽美学や典礼美学からみた卓越性など列挙すると枚挙がない。
典礼執行での実際性から考えると次のことがいえる。それは誰でも平易に歌えるということ、専門的な発声訓練は不要であるということ、性別や年齢を越えて適用することなどの利点が挙げられる。筆者の経験で述べると、これほど自然体で朝な夕なに接することのできる聖歌もめずらしいといえる。筆者の体験
(1989〜90年ローマ教皇庁立音楽院で研修中での毎朝のミサ)でも現規範版のラテン語の典礼文とグレゴリオ聖歌使用において感じたことであった。特に現状の日本語典礼や日本語聖歌と比較して痛感せざる得ない。とはいえ歌詞がラテン語である点が、全世界のカトリック教会の典礼からグレゴリオ聖歌を遠ざけさせたようである。一般的には理解不可能な言語となってしまったからである。
ジョスリン・ゴドウィンは興味深いことを指摘している。“第二ヴァティカン公会議のあと、アメリカのあるトラピスト修道院の修道士たちがそれにすなおに従って、聖務日課の祈りをラテン語で唱えることをやめてしまった。すると物事がすべてうまくいかなくなった”
(ジョスリン・ゴドウィン/星界の音楽 /工作舎p.99より)と報告している。次いで睡眠不足、病気、精神の不安定などを報告し、グレゴリオ聖歌を典礼に復活させたところ問題は消え去ったとしている。これは話がうまく出来すぎているとしても教会内部だけでなく、音楽の歴史の中でこれほど確固たる評価と称賛を得た音楽もめずらしい。いつの時代でも作曲家達に賞賛され
(ex.グノー、ドビュッシー、メシアンetc.)、自己の作品に引用され続けた
(中世とルネサンスの偉大なる多声音楽家たち、モーツアルト、ベルリオーズ、サン=サーンス、イザイetc.)。そしてこれほど影響を与え続けた音楽もない。現代でもこの単純性、無色性、ユニセクシュアリティは限りない可能性を常に残しているようである。つまり、古くても新しい面がある。
発展と写本研究:グレゴリオ聖歌のほとんどが8世紀から10世紀頃に完成され、その後も必要に応じて作曲されてきたが、中世に成立したグレゴリオ聖歌の音楽様式
(単声音楽)や音組織
(教会旋法)によっていることは言うまでもない。このローマ典礼聖歌は、ローマよりもフランクを源流とするのが定説となってきた。この根拠は古写本の研究の成果である。現代、古楽研究は盛んであるが、グレゴリオ聖歌学はその代表的なものの一つであろう。
グレゴリオ聖歌の発展に重要な役割を果たした現在のスイスのザンクト・ガレン修道院、アインジィーデルン修道院に9〜13世紀のグレゴリオ聖歌の手写本が残されている。これらはネウマ譜のなかでも今もっとも重要な手写本の一つで、グレゴリオ聖歌研究や演奏に大きな寄与を果している。
当時のドイツのグレゴリオ聖歌発展の特徴は、スイス、フランスやイタリアと比較すると地味なものであった。その原因は実践のみならず音楽理論の研究や超越的思弁にふける傾向が強かった。これは当時のドイツの典礼音楽が
ボエティウスBoethiusイタリア(470-525)の影響下にあったためである。ライヘナウ
(ボーデン湖中の島)、ザンクト・ブラージエン
(フライブルク南東)、アウスブルク、レーゲンスブルク、ケルン、ミュンスターの修道院や大聖堂などに広がりをみせた。
古ネウマによって記譜されたグレゴリオ聖歌の復元のためには4線上の
角型ネウマが用いられてきた。この
旋律復元作業は、
ヴァティカン版聖歌集Graduale Romanum(1908年)で完了したかにみえるが、誤入があったり、主観的な解釈が混入されたりしていた。これは第2ヴァティカン公会議後に徐々に是正されつつある。また演奏法についてもそれまではソレムの旧演奏法が絶対視され、他の解釈の余地が与えられなかったようである。モクロー(1849-1930)やガジャール(1885-1972)によるリズム論や解釈も今や隔世の感がある。
演奏法における是正の先駆者はソレム修道士のフランス人の
カルディーヌ神父(1905-88)であった。それ以前は彼の解釈は批判も受けたが、ここに至って認められ、教会音楽再考のための典礼聖歌集改訂委員会の委員長に任命される。1975年に
ローマ教皇庁立音楽院の終身教授を時の教皇パウロYより任命され、グレゴリオ聖歌セミオロジーの講座設置を命ぜられた。同年に
国際グレゴリオ聖歌学会がクレモナを本部に設立された。新しい典礼に即したグレゴリオ聖歌集を編纂し、現代の聖歌学の基礎を築いた。今、日本でも
上記学会の支部として存在する日本グレゴリオ聖歌学会を中心に、グレゴリオ聖歌研究の正統的、客観的な古ネウマ解釈学である
セミオロジー(記号学)が浸透しつつある。以前の旧演奏法ではなく、より正当な演奏法によってグレゴリオ聖歌が再評価されるべきである。そしてグレゴリオ聖歌再考は新作日本語聖歌創作のために大きな示唆を与えてくれるに違いない。古典より学び、新しいものを作り出そうということである。
参考ディスク CD
1998-2007