「古典派」の概念
古典派Classicismはラテン語のclassicus(“模範的な”とか“正統的な”の意。具体的には古代ローマ社会における6つの階級の“最高位(納税者階級)”を指す)から由来する語である。つまり、古代ギリシャ・ローマ芸術を正統的で模範的なものと捉えるという考えから出た概念である。絵画、建築、彫刻、音楽、文学において、このギリシャ・ローマの美的概念が取り入れられた時代ともいえる。これは19世紀の人たちの見解で、古典派時代(1750-1820)の芸術を均斉の取れた理性的なものと考えた。それは自由になり過ぎたロマン派時代(1820-1900)の人々の自省でもあった。その起因は、ポンペイの発掘(1748年)や古代の研究(ex.ヴィンケルマン「古代芸術史」1764年)などが盛んになり、そうしたブームから啓発されたと思われる。
<古代ローマの文化>
左:イタリア、ポンペイの遺跡、円形闘技場(BC.80年) 2001年2月21日撮影
右:「ランチェロッティの円盤投げDiscobolo Lancellotti」(4世紀の模刻) ローマ国立美術館マッシモ宮(Museo Nazionale Rpmano palazzo massimo)所蔵−写真では茶色に見えるが実物は白の美しい大理石 2001年3月8日撮影
古典派時代は
啓蒙思想(17c後半〜18c)の盛んな時で、
フランス革命(1789〜99)は、ひとつの時のしるしでもある。美術ではダヴィッドやアングルの絵画、建築ではエトワール凱旋門などが代表的である。文学ではいち早くフランスで起こり、ラシーヌ、コルネイユ、モリエールらの王朝風文学を生んだ。フランスの影響を受けてイギリス、そしてドイツでは国民文学の成立に向かっていった。レッシングに始まり、クロプシュトック、ヴィーランド、ヘルダー、ゲーテ、シラー等が続いた。そして
疾風怒濤 Strum und Drangの動きへと引き継がれた。
左:レストゥー2世Jean RestoutU(1692-1768)はフランスの新古典主義の画家。
右:アングルingres(1780-1867)はフランスの新古典主義の画家といわれる。
★これらが音楽の古典派と対応するかどうかは分からないが、ここにもギリシャ・クラシクス精神(左)や、音楽の世界でも流行した異国情緒、すなわち“トルコ風”が見られる。
<エトワール凱旋門>
シャルグランJean-Francois-Therese Chalgrinフランス(1739-1811)の設計に基づき1806年に着工、ナポレオン政権の崩壊により中断、工事開始から30年を経て1836年に完成
またドイツ観念論の哲学、つまりカント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングなどが活躍した時代でもある。特にカントの説く“理性の権威の再主張”に影響されて、美術家、建築家、作曲家、作家たちは古代文明に創作の刺激と拠り所を求めていった。
古代ギリシャ・
古代ローマの遺産を模倣するのでなく、むしろそれらの芸術に見出される本質を捉えようとした。それは均衡、秩序ある論理、洗練と単純・節度ある表現様式などを創作理念としていこうとするものであった。「古典派」は「
バロック」や「
前古典派」の反動として誕生し、そしてそれらと完全に異なるものでもある。「バロック」の末期中心に爆発現象がおさまったかのように、「前古典派」を経て現れた。
それにしても悪口としてシニカルな見地でつけられた過去の時代名、例えば
ロマネスク(大胆過ぎる)、
ゴシック(野蛮な)、
バロック(いびつの真珠)とは違って、
古典派Classicismというネーミングは最高のほめ言葉であり、最高のネーミングであったようだ。
1998-2007