中世とは
西洋における
中世という語や概念については多様な考えがある。14世紀に
ペトラルカPetrarcaイタリア(1304-74)をはじめとするイタリアの人文主義者たちが使い始めた語に
中間の時というのがある。では彼らが用いた
中間の時medium tempusあるいは
media temporaは、何と何の中間の時なのでしょう? 当時の人たちは単に古代と未来の中間と捉えたようである。これはまだ中世の概念ではない。
中世という語は17世紀終わりまで存在しなかった。
1676年、
クリストフ・ケラリウスドイツ(1638-1709)が
中間の時medium tempusの代わりに
中間の時代medius annusと表します。
時tempusから
時代annusへの概念の変換でした
(以上の横文字はラテン語)。
これでお解りの通り紀元後2千年代に生きる我々が考えそうなことであるが、2千年の中間の時代ということではなく、固有の意味をもつ時代概念と確認し、捉えるべきである。
中世はダイナミックで創造力に満ちた時代であった。しかし、敢えていえば
この不確定な時代は来るべき
再生へ向かっていた時代である。それはどの時代でも同じである。我々が生きる現代も大いに不確定である。それは不確定でなかった時代はなかったことを示す。
18世紀に入って
啓蒙の世紀を自認したイギリス人たちはこの時代を闇の中へ押し込めた。ついに暗黒時代とまで言い始める。過去の輝く古代とと啓蒙思想の光の未来との間を暗黒時代と考えた。おそらくこれが暗黒概念の始まりであろう。でも中世の人たちにとって予感していた再生の時代は啓蒙思想でもなかったことは確かである。
暗黒時代という名称が今でも普及している。特に日本では教科書にも記載され、すっかり広がってしまった。明治以後に日本は西洋の学校制度にならい、小学校から大学までの学校が作られていった。かなり付け焼き刃的導入が行われた。そうしたものの一つが“中世は暗黒時代”と捉える歴史観である。あまたある歴史認識のの一つが日本に導入され、そのままの考えを今なお100年以上も何故か日本では保持されている。歴史学は多様で流動するし、発展もするのにもである。
中世ヨーロッパではキリスト教がその社会の基盤であり、そこにすべてがあったといえる。これが反宗教論者たちにとっては気に入らず、これを暗黒状態だと捉えた。しかし、彼らが言うように決して人間否定の時代ではなかった。中世ヨーロッパにはまだ西洋という概念の確立がなかった。今でもこのことをヨーロッパ人は認めたがらない傾向があるように筆者は感じる。こうした不確定な時代を暗黒と捉えたのであろう。たしかに暗黒時代と言った方が解りいいことも確かである。当時は西ローマ帝国が滅んで
東ローマ帝国の時代が続いていた時代であった。西方の人間は東方に抵抗感をもっていた。事実、13世紀に
第四次十字軍は東ローマ帝国を攻撃し、多くの遺産を持ち帰った。一連のこの出来事が西方世界を形成する基礎となっていった。これ以後から西洋が始まっていったともいえる。
中世に生きた人々も気つかなかったが、新しさがいっぱいの時代であった。13世紀に相次いで出現した2つの修道会も新しい現象であった。一つはスペイン生まれで、特に南仏でカタリ派に対抗する可説教活動をした
ドミニコDominicoスペイン(c.1170-1221)は1215年に創立した
ドミニコ会、もう一つはイタリアの中部アシジで生まれ、世俗を捨てて清貧思想をもつ
フランチェスコSan Francesco d'Assisiイタリア(1181/82-1226)は1210年に教皇の許可を得て
フランシスコ会を創立した。共にそれまでに無かった新しい修道生活を示す托鉢修道会であった。
スコラ学、つまり哲学や神学
(12世紀にできた語)、これらは少々厳めしく一般市民に関わりのないものにみえるが、一般社会の中にごく自然に広がっていた。<
スコラ学>はラテン語の
学校scolaから出た語である。学校で教えられる知識で、
普遍的な考え方つまり
大学universitasに通じていく。こうして聖堂や修道院に付属する学校が発達し、この時代に大学創立されていった。医学・法学・神学などの高度な教育も行われ、各分野で知的な探究が進められた。アラブ圏の人によって伝えられていた古代ギリシア哲学に接し研究が始まり、12世紀はヨーロッパにおける偉大な哲学の開始となった。また古代の医学書が再発見されたり、こうして教会法やローマ法の検討も行われた。こうした探究は、やがてスコラ学という学問の新しい方法論を生み出して、神学をはじめとするすべての分野で豊かな成果をもたらした。こうして12世紀は、ヨーロッパにおける哲学の偉大な開始をつげるものとなった。大学形成の中で活躍した
トマス・アクイナスThomas Aquinasイタリア(1224-74)は、アリストテレスの哲学をキリスト教的に発展させ、信仰と理性の調和を求めた。彼の「神学大全」は大学での学生たちのノートを思わせる。
こうした発展は芸術の分野でも見られる。文字の読み書きは、もはや聖職者にだけものでなくなり、ラテン語ばかりでなく各民族語による新しい文学も生まれた。恋愛詩、宮廷文学、あるいは歴史書などが書かれるようになり、人生や社会の様相を生き生きと描いている。聖堂内のフレスコ画、ラテン語聖書・典礼書・時祷書・グレゴリオ聖歌などの手写本における彩色や絵画においても大胆な表現が見られる。ゴシック期に入るとステンドグラス美術、そこには聖書や聖人伝の表現ばかりでなく、自然や日々の労働までも描かれている。建築においては、南フランスの巡礼路に沿って建てられた教会堂などを通じてロマネスク様式が完成され、さらにゴシック様式へと発展していった。