| 音楽サロン表紙 | 総目次 | 古典派目次 | 作曲者別作品表 | 時代別作品表 |
オペラ「フィガロの結婚 Nozze di Figaro K.492」
<作曲の経緯>
モーツァルトは1781年にザルツブルクの雇い主コロレド大司教と決裂し、ヴィーンに定住し始めた。たしかにモーツァルトにとってザルツブルクよりヴィーンの方がはるかに刺激的で、よい仕事をなし得る機会に充ちている町であることは確かであった。こうしてモーツァルトは短い生涯の末期に過したヴィーンで、さらにすぐれた作品を生み出していく。「クラヴィア協奏曲変ホ長調K.449」から「クラヴィア協奏曲ハ長調K.503」に至るの12曲の偉大なヴィーン・ピアノ協奏曲の時期(1784-86年)と、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」を生み出す3つの偉大なイタリア・オペラの時期(1785-90年)が待っていた。
<父レオポルトがヴィーンに>
1784年12月11日に「クラヴィア協奏曲ヘ長調K.459」を完成し、12月14日にフリーメイスンに入団した。1785年1月7日、フリーメーイスンの第2級に進級した。その10日に「弦楽四重奏曲イ長調K.464(ハイドン・セット第5番)」、「弦楽四重奏曲ハ長調K.465(ハイドン・セット第6番)」を作曲した。15日にはハイドンや他の客を招いて、ハイドン・セット最初の3曲(K.387、K.417b、K.421b)を演奏してハイドンを喜ばせたという。
父レオポルトが1785年2月11日金曜日午後1時、モーツァルトの住むシューラー通り846番地(その建物2階)にやって来た。ザルツブルクの留守をモーツァルトの姉ナンネルル夫妻に留守番をさせてのことであった。ヴィーンのモーツァルトの住まいは、ドームガッセにも面しており4室と2つの小部屋や付属の空間があった。この日の夜モーツァルトの予約演奏会が、メールグルーベであり、レオポルトも出席した。前日完成した「クラヴィア協奏曲ニ短調K.466」が演奏された。12日には自宅に再度ハイドンや他の客を招いてハイドン・セットの残りの3曲(K.458、K.464、K.465)を演奏した。このように毎日のように予約演奏会、友人や弟子たちの演奏会など音楽会に出演し、活発な演奏活動をしている。
| ハイドンセット | 作曲年 |
| 弦楽四重奏曲第14番 ト長調 K.387 弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421 弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 K.428 弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458 <狩> 弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464 弦楽四重奏曲第19番 ハ長調 K.465 <不協和音> |
1782年 1783年 1783年 1784年 1785年 1785年 |
レオポルトは息子モーツァルトの生活ぶりと活躍を留守を預かるナンネルルの所へ下記のように報告している。特に有名なハイドンから息子をほめる言葉を聞いた父はどんなにかうれしかったことだろう。
| 579 レーオポルト・モーツァルトよりザルツブルクの娘に ヴィーン、1785年2月16日 おまえの弟が家に必要な家財道具一切合切がついた立派な住居を持っていることは、家賃を460フローリンも支払っていることからおまにも分かるでしょう。[到着]当日の晩には、私たちはあの子の最初の予約演奏会に出かけましたが、身分の高い人たちがたくさん集まっていました。各人が6回の四旬節演奏会に、1スヴラン・ドールあるいは3ドゥカーテンし払うのです。これはメールグルーベが会場で、あの子は会場費として、毎回わずか半スヴラン・ドールを支払うだけです。演奏会は素晴らしいものでしたし、オーケストラも見事でした。いくつかの交響曲のほかに、イタリア語劇場の女歌手がアリアを2曲歌いました。それからヴォルフガングの素晴らしい新作のクラヴィーア協奏曲がありましたが、私たちが着いたときには、写譜屋はまだそれを書き写しているところだったし、おまえの弟はロンドーをまだいちども通し弾きしてみる時間がなかったのです。彼には筆写譜に目を通す必要があったからです。 たくさんの知り合いに出会ったこと、それにみんな私のところへ走り寄ってきたことは、おまえにも容易に想像できるでしょう。ほかの人たちにも引き合わされました。土曜日の晩には、ヨーゼフ・ハイドンさんと、それに2人のティンティ男爵が私たちのところを訪ねてこられ、新作の四重奏曲が演奏されました。でも、すでにある他の3曲につけ加えた新しい3曲だけが演奏されたのです。これらの曲はたしかにちょっとばかり軽いものだが、構成は素晴らしいものです。 ハイドンさんは私にこう言われました。「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です。様式感に加えて、この上なく幅広い作曲上の知識をお持ちです。」 海老沢 敏、高橋英郎編訳/モーツァルト書簡集 Y/白水社 p37-38より |
また4月17日にレオポルトはコンスタンツェの母親ヴェーバー家を訪ねている。このスリリングな出会いをご覧下さい(^^)。息子の結婚際して、反対し続けた一つの理由がヴェーバー夫人であったからでる。コンスタンツェの妹ゾフィーやランゲ夫人となった姉アロイジアとも会う。またアロイジアの歌手としての舞台も観た。長女のヨゼファとは会えなかった。結婚してグラーツに住んでいたからである。レオポルトの思いはどんなものだったろうか。
| 580 レーオポルト・モーツァルトよりザンクト・ギルゲンの娘に ヴィーン、1785年2月21日月曜日 17日の木曜日。私たちはおまえの弟の義理のお母さんのヴェーバー夫人のところで食事をしましたが、私たちはヴェーバー夫人、娘のゾフィーと4人だけでした。長女はグラーツにいるからです。おまえに言っておきたいが、食事は過不足なく、すてきな料理だったことで、焼き肉は立派で大きな雉でしたが、−まずは全部の料理が見事に調理されていました。 海老沢 敏、高橋英郎編訳/モーツァルト書簡集 Y/白水社 p44より |
1785年2月16日にハイドンを、4月6日に父レオポルトをフリーメイスン“善行”分団に加盟させている。モーツァルトが影響を与えたハイドンや父の方がモーツァルトより熱心な会員となったようである。この時ヴィーンを訪れていた父によると、この期間のモーツァルトは、寝食を忘れるほどの忙しさで、自分が邪魔もの扱いされているようだと、ナンネルルに書いている。
こうしてレオポルトのたいへん幸せな、おそらく生涯で最も幸せな時をヴィーンで2ヶ月余り過ごした。29歳になって大きく成長した息子の姿を見ていうにいえない感慨がよぎったことでろう。大満足でザルツブルクに帰って行った。しかし、これが息子モーツァルトが見た最後の父の姿となった。
<「フィガロ」の委嘱>
当時のヴィーンの音楽の中心は、宮廷にあった。その宮廷楽長として君臨していたのがイタリア人のサリエリで、何よりもオペラの作曲について名高かった。当時、オペラといえばイタリア・オペラを指し、作曲も演奏もイタリア音楽家によってその中心が占められていた。モーツァルトが「フィガロの結婚」の着手を考え始めた1785年の夏は、スペインのオペラ作曲家マルティーン・イ・ソレルが、ヴィーンに住み始めた年でもあった。彼は皇帝ヨーセフUの支持を受けていたし、1786年にはダ・ポンテの台本で「奇妙なこと」を作曲して11月に大成功を収めている。結果的にそれに先立って5月1日ブルク劇場で初演されたモーツァルトの「フィガロの結婚」の受容を阻んでしまった。さて話を元に戻すと未だヴィーンでモーツァルトはヴィーンの音楽家とは認められていなかったし、確固たる地位をもたないよそ者にすぎなかったのである。
それではどうしてモーツァルトが、皇帝ヨーゼフUの意を受けて「フィガロの結婚」の作曲依頼を受けるに至ったかは明かでない。だが、色々な推測が成り立つ。一つはスペインを舞台にする「フィガロ」は、スペインの作曲家ソレルを世に出すための露払いだったという推測もある。サリエリやソレルの台本を書いたダ・ポンテとモーツァルトと1783年1月に知り合っているが、どうしてモーツァルトの協力者になったか疑問が残る。ボーマルシェの原作の戯曲「フィガロの結婚」の上演はヴィーンでは禁止であったし、これをオペラにすることは危険なことであった。その訳は、明らかに皇帝を批判した内容と捉えられていたからである。しかし、新しい見解によると、逆に皇帝ヨーゼフUが筋金入りの啓蒙主義者で改革精神を持つ人物であって、むしろのさばっていた貴族階級を批判し、彼らを教育しようとしていたという考えもある。ともあれ人々の反対を押し切って、モーツァルトは1785年10月末から作曲を始めた。1786年4月29日に完成した。
すでに同じボーマルシェ原作によるナポリ楽派の中心的存在、オペラ・ブッファの重要人物、パイジェッロPaisielloイタリア(1740-1816)作曲(ペトロセッリーニ台本)「セビリャの理髪師」が1783年ヴィーンでも上演され、大成功を収めた(世界初演は1782年ペテルブルク、パイジェッロがロシア宮廷楽長であったため)。モーツァルトもこのヴィーン初演を観た。またたく間にヨーローッパ各地で人気を得、ヴィーンの聴衆もこの大当りをとった「セビリャの理髪師」の続編「フィガロの結婚」を待っていた。モーツァルトは1785年10月末に作曲を始め、パイジェッロの「セビリャの理髪師」を大いに参考にしたと思われる。とにかくモーツァルトはパイジェッロのような大成功を収める必要があった。ヴィーンにおいて名声と地位を得たかったのである。モーツァルトのこうした気持ちを思い測るこの時期の書簡は、残念ながら散失してしまっているが。
<台本について>
<原作「フィガロの結婚La folle journee,ou Le mariage de Figaro」>1)
オペラ「フィガロの結婚」の原作はボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」(1781年完成)である。この戯曲は現代の見解ではフランス革命の曙ともいうべき作品と高く評価され、パリ祭のシーズンになると特に上演されている。才知あふれる従僕フィガロの活躍によって、貴族が笑い者にされるこの痛烈な風刺喜劇は、モーツァルトの時代のヴィーンでは上演禁止になっていた5幕からなる芝居である。
「セビリャの理髪師」では、伯爵とその夫人の結婚への次第が主に扱われるが、「フィガロの結婚」では、伯爵の下僕フィガロと伯爵夫人の侍女シュザンヌ(オペラではスザンナ)の結婚が主に現れてくる。伯爵はフィガロの尽力によってうまく夫人を得たが、今では倦怠を覚えている。そればかりかシュザンヌ(原作の呼び名=スザンナ)に気をもち、かって廃止にした初夜権を残念に思い始める。フィガロの知恵によって伯爵の好色な野心を退治して、フィガロは無事結婚にこぎつける。
フィガロは主役に置かれ、知恵においても勇気においても伯爵より優れている。ボーマルシェは、堕落貴族や不正なる法律の批判、思索・言論の自由を主張している。こうした思想は、彼独自のものではなく、18世紀の哲学や百科全書派に支持されていたごく一般的なものでもあった。調子男ボーマルシェの狡猾さが冴え渡る傑作となった。
[注]
1) ボオマルシェエ(辰野 隆)/フィガロの結婚/岩波書店(文庫)
<原作者>
ボーマルシェBeaumarchaisフランス(1732-99)の本名は、ピエル・カロンで、パリから少し離れたサン・ドニの時計屋の子として生れた。時計制作者としての腕もたいしたもので、指輪にはめ込む小さな時計を考案してポンパドゥル夫人やルイ15世の王女たちにも献上し、王家に取り入っていたとのことである。そして彼は音楽にも長じていて、ハープの音楽教師として王女達を教えた。こうして宮廷に出入りした。財テクにも才を発揮して相当な財をなしていった。そして彼は貴族になりたくなり、王の秘書官と狩猟官の地位を金で買い、貴族になった。名前も最初の妻の名を取ってカロン・ド・ボーマルシェと名乗るに至る。
彼の名声は、クラヴィホ事件によって国外にまで名を馳せた。クラヴィホは彼の妹のいいなずけ、スペインの文学者であった。結婚の間際になって結婚を破棄してきたので、ボーマルシェはマドリードまで乗り込みクラヴィホの社会的地位を失墜させてしまった。
1770年には一大訴訟事件が起り、主任判事とも訴訟を起こしし、それが当時の内閣の不信任のきっかけまでに広がっていった。戯曲「セビリャの理髪師」は、この片手間に書かれ、1774年に初演されたのである。
間もなくヨーロッパ各地を訪れて、ルイ16世やマリー・アントワネットの中傷を弁護するための私設外交官のような役目を引き受けて走り回った。丁度この時、アメリカ独立戦争が勃発したので、この機運を利用してフランスの国威と自分も儲けようと、政府の内諾のもとに十数の運送船で多数の兵器を独立軍に輸送した。しかし、独立軍が金を払わなかったで、大損失とその無鉄砲ぶりの評判だけが残すことになった。一方、国内においては今日の劇作家協会の基礎を築き、ヴォルテール全集の発刊に尽力した。その他の問題にも関与し、セーヌ河の水をパリ市内に供給する公益事業にも携わり、自己の利益のことも忘れなかった。1781年に仕上げた戯曲「フィガロの結婚」の上演を物議を重ねた末に、ようやく1784年にパリで初演し、大成功おさめ、彼の生涯の頂点となる。
彼はバスチィーユ監獄正面に贅を尽して邸宅を新築した。その直後の1789年に革命が起り、これが運の尽きであった。バスチィーユ一帯はパリ市民の襲撃の的であり、彼は疑われ、兵器隠匿の名のもとに私財は没収されてしまった。間もなくオランダに派遣され、理由なしに嫌疑にかけられたりして、ついに亡命者のリストに入れられ、3年間オランダやベルギーやドイツの各地を窮乏のうちに放浪した。
1792年にブルジョア共和主義が樹立された後、彼はパリに帰って妻や娘達とささやかな家庭生活を送った。すでに老境に入った彼は、耳は全く聞えなくなり、前作の2作と合わせて3部作を形作る戯曲「罪の母」を1792年に書いた。こうして1799年に卒中によって静かに息を引き取った。
<ダ・ポンテの台本>
原作の5幕構成は、フランス演劇形式の伝統形式であり、オペラ・ブッファの定式である2幕構成にはなりにくい内容であった。階級対立要素を薄め、宮廷の認めるオペラになるよう工夫された。原作の第5幕のフィガロによる貴族に対する激しい独白は、オペラでは女性への不信感におきかえられている。登場人物についても単純化がおこなわれ、登場人物の数は少なくなっている。こうしてオペラ・ブッファとしては例のない4幕構成になったが、第2幕と第4幕に大フィナーレをおき、全体を2幕構成に見える形にしてオペラ・ブッファの構成に近づけた。全体として大分穏当な内容となっているものの、原作の骨子にはかわりないと言えるだろう。
ダ・ポンテはこの時期ピンチだった。モーツァルトと同じくヒット作をとばす必要に迫られていた。彼の「回想録」よると、モーツァルトに「フィガロ」がオペラ台本になるかどうかたずねられたと書いている。ダ・ポンテも気に入るが、少し前に皇帝にドイツ人の劇団が「フィガロ」を上演するのを禁止されていた。そこで密かに台本と音楽を仕上げてから、劇場支配人か皇帝に見せるつもりであったと記している。この記述はダ・ポンテの晩年の記述で、事実のままとは考えられない。だが、互いに成功のチャンスを掴もうとするコンビの意図は解るのである。
<初演>
1786年5月1日、ヴィーンのブルク劇場での初演は大成功をおさめる。圧倒的な拍手をもって迎えられ、アリアや重唱までがアンコールされた。皇帝から独唱以外はアンコールに応じてはならないというお達しまで出た。だが、年内に9回上演されて打ち切りとなった。たしかに表面的には11月のダ・ポンテ台本、ソレル作曲の「奇妙なこと」の初演が大成功をおさめ、その影に隠れてしまったことも事実である。実際に「フィガロの結婚」の人気が下降していった。何らかの別の陰謀があったと考えられ、彼の全般的な音楽活動にも影が差してくる。それでも彼の意欲はそがれることはなかった。事実、「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「レクイエム」などの大作が続くからである。
しかし、「フィガロの結婚」はヴィーン皇帝の治下にあったチェコのプラハでは人気が伸び熱狂的に受け入れられ、「ドン・ジョヴァンニ」作曲依頼をプラハの国立劇場から受けた。「フィガロの結婚」がヴィーンで本格的に受容され、その評価が確固たるものになるのは1789年8月以降の公演においてであった。そしてヨーロッパ各地で舞台にのり、18世紀末までに安定した評価を受ける出し物となっていった。今なおオペラ史上の最高傑作の一つであることは周知の通りである。
<音楽的特徴>
これほどのヒット・ナンバーを持つオペラも希有である。その序曲や数々のアリアと重唱は、広く知られ親しまれている。このオペラで最高音を受け持つ役はスザンナで、次の順番で低くなる。伯爵夫人、バルバリーナ、ケルビーノ、マルチェリーナ、バジーリオ、クルーツィオ、伯爵、アントーニオ、バルトロ、フィガロ。今日、このオペラは、アンサンブル・オペラの代表的作品として評価を受けている。その意味は、ドラマとオペラ全体の音楽の流れがとけ込み、調和し、部分的なナンバーがとび出ることがない作品であるからである。
第2幕と第4幕に長大なフィナーレがおかれている。これによって全体が2幕構成に見えなくはない。モーツァルト自身にそう風にする意図があったのだろう。これによって「フィガロの結婚」がオペラ・ブッファであることを示そうとしたと思われる。第2幕は第15曲目に位置し、8つの部分からなる。伯爵夫人の部屋に伯爵が登場するところから、大波乱の頂点になる。モーツァルトの音楽が、登場人物と楽器の増加や音楽表現がドラマと一体になている。第4幕は第28曲からで、7つの部分からなる。フィガロがスザンナに近づくところから、ハッピーエンドまでの大楕円が形成される。特に意表を突く場面は、伯爵夫妻がゆるし合う箇所である。それに至るプロセスの音楽は美しく、そして一気に一同の喜びに爆発していく音楽は言いようがない。
<物語>
18世紀末、スペイン・セビリャ近郊のアグアスフレスカス住むアンダルシアの大法官、アルマヴィーヴァ伯爵邸内での一日の出来事
[登場人物]
アルマヴィーア伯爵(Br)、伯爵夫人ロジーナ(S)
フィガロ:伯爵の従僕、元理髪師(Bs)、スザンナ:伯爵夫人の侍女(S)
マルチェリーナ:伯爵家の女中頭(Ms)、バルトロ:医者(Bs)
バジリオ:音楽教師、(T)、アントニオ:伯爵家の庭師、スザンナの伯父(Bs)、ドン・クルツィオ:判事(T)
ケルビーノ:伯爵の小姓(Ms)、バルバリーナ:アントニオの娘、スザンナの従妹(S)
第1幕 フィガロの部屋
第1場
今夜、結婚式を迎えた喜びの中でフィガロとスザンナは忙しい。フィガロは伯爵からもらった新婚部屋を整え、ベッドを置くために長さを測っている。スザンナは今夜の式で被るベールを準備している。
第2場
伯爵が初夜権の悪習を廃止した後の第1号になる記念すべき2人の結婚だったにも拘わらず、色好みの伯爵はかわいいスザンナのことを思うと惜しくなっている。この部屋の位置は伯爵が忍び込むのに好都合だとスザンナはいう。なぜなら彼女は伯爵の魂胆が分かっている。スザンナからこれを聞いたフィガロは憤る。
第3場
伯爵夫人の叔父で娘時代の後見人である医者バルトロは、女中頭マルチェリーナとフィガロを結婚させたいと思っている。バルトロは今もなお伯爵夫人=ロジーナに心を寄せていたし、フィガロの手管でロジーナは伯爵と結婚した経緯があったのでフィガロを憎んでいた。年甲斐もなくマルチェリーナの方もフィガロとの結婚を望み、何やらフィガロが彼女と結婚しなくてはならいようないわく付きの契約書をもっている。これを聞いてバルトロは喜ぶ。
第4場
1人になったマルチェリーナの所へスザンナがやって来る。マルチェリーナにとってはスザンナは恋敵であった。2人はここで女の戦いを演じる。皮肉の応戦でスザンナのあなた(マルチェリーナ)のお歳には負けますわというと、一番痛い所をつかれマルチェリーナは悔しがって退散する。
第5場
小姓ケルビーノがスザンナの所へやって来る。それはバルバリーナと彼女の部屋でいるところを伯爵に見つかってしまった、ピンチだと訴える。でも夫人が取りなしてくれて救われたと。そしてかねてより思いを寄せている夫人のリボンをスザンナがもっているのを見て、取り上げて大喜びする。そして伯爵夫人に自分で作ったソネット=歌を渡してくれるよう頼む。
第6場
その時、なんと伯爵がやって来た! ケルビーノは椅子の後に隠れる。伯爵はスザンナ1人だと思い、またもや彼女に口説き始めた。今夕庭で会おうとせまる。すると音楽教師バジリオが入って来たので、伯爵は椅子の後へ、ケルビーノはあわてて椅子の前へ。スザンナは覆い布で彼を隠す。
第7場
バジリオはフィガロが伯爵を探していること、伯爵がスザンナを愛していること、ケルビーノがうろちょろしているとうわさをすると、スザンナはバジリオを嘘つきと批難する。バジリオがケルビーノが伯爵夫人に恋しているというと、隠れていた伯爵が怒って登場。驚くバジリオ! バジリオはうわさ話を吹聴したことを要領よく伯爵に謝る。スザンナは気を失ったふりをする。伯爵とバジリオはあわててスザンナを支える。伯爵はスザンナの従姉妹バルバリーナの部屋で、ケルビーノが逢引していた様子を話しながら、このように椅子に隠れていたと覆い布を取ると、なんと本当にケルビーノがいた! 怒る伯爵、嘲笑するバジリオ、いい訳するスザンナ!
第8場
そこへフィガロと村人たちがやって来て伯爵に感謝の歌を歌う。初夜の領主権を廃止して下さってありがとう、あなたは徳の高い方だとおかしな合唱を始める。フィガロとスザンナは今すぐ2人の式をとベールを被せてくれるようお願いするが、伯爵はちょっと考えて、もう少し後の話だと拒否。魂胆があるからである。そしてケルビーノに対しては城から追い出すという命令を取り消して、出征せよ、士官に命じると伯爵は言い出す。くさり切っているケルビーノをからかってフィガロは、元気で士官せよ、兵隊さんの生活はつらいもの、もう女性の間を蝶のように飛び回ることは出来ないよとからかう。伯爵に対する皮肉もこもっていたのである。
第2幕 伯爵夫人の部屋
第1場
伯爵夫人は伯爵の愛が遠のいたことを嘆いている。そこへスザンナが来て、次いでスザンナに呼ばれてフィガロが登場。フィガロは伯爵が領主の初夜権を元に戻そうとしている。そこで策略として夫人が浮気をしているような疑わせるような手紙戦術で伯爵を巻いて、その隙に自分たちの結婚式をあげてしまおうという作戦を立てる。伯爵にはスザンナから逢い引きを夕方と指定して、そこには女装させたケルビーノを行かせようという作戦。最後には奥様が登場して現場をおさえてとっちめようと。それでめでたしと行くのではと言う。フィガロは一旦退場する。
第2場
伯爵夫人とスザンナが残っていると、別れを告げにケルビーノが来る。スザンナがギターを弾いてケルビーノが贈り物として作った1曲を歌う。スザンナはフィガロの計略通りケルビーノを女装させてみる。夫人とスザンナはうっとり。ケルビーノに渡された辞令を見た夫人は伯爵の印が落ちているのに気がつく。ケルビーノはスザンナからもらった夫人のリボンを腕に巻いている。スザンナは別のリボンを取りに出て行く。部屋に夫人とケルビーノだけになった。ケルビーノは夫人にぎりぎりまで近づく。その時、扉を叩く音がする。狩猟から帰って来た伯爵だった。あわてて夫人は衣装部屋にケルビーノを隠す。
第3場
その時、伯爵は夫人に逢い引きを申し込むフィガロの手紙を見つけたといってやって来た。伯爵は夫人の様子がおかしいので疑う。その時衣裳部屋で何かが落ちる音! 夫人は衣装室に居るのはスザンナだと答える。伯爵は部屋の扉を叩いて出て来いと呼びかけるが、夫人はスザンナは花嫁衣装を試着していると。この時、別の方角から戻って来たスザンナは、事の成り行きに驚き、物陰に隠れる。部屋の鍵を壊す道具を取りに行くために、夫人を共に連れて伯爵は出て行くが、夫人の部屋を伯爵は施錠する。
第4場
スザンナは衣装室からケルビーノを出す。部屋の扉には鍵がかかっていて外へ出られないので、ケルビーノは窓から跳び降りる。
第5場
伯爵と夫人が戻ってくる。扉を開けようとすると、夫人は実は訳があってケルビーノがいるのだと白状する。伯爵はフィガロの手紙にあった夫人が浮気している男はケルビーノだと判断する。
第6場
夫人は部屋を開けようとする伯爵をとどめようとする。2人の争いは激しくなり、伯爵は怒って扉を強引に開けた!
第7場
部屋の中にいたのはなんとザンナであった! 驚く伯爵と夫人の2人。伯爵は衣装室に調べに入る。
第8場
伯爵は夫人に謝り、夫人は夫を厳しく伯爵を責め立てる。スザンナは夫人に調子を合わせ、伯爵はスザンナに取りなしを頼む。手紙を書いたのはフィガロだと女2人は明かすのであった。
第9場
フィガロがやって来る。結婚式の準備の案内をするフィガロに伯爵は手紙の主をたずねるが、フィガロは知らないの一点ばり。あわてる2人、しかしフィガロは動じない。
第10場
庭師のアントニオがやって来る。壊れた植木鉢を持って来て、バルコニーから飛び降りた男を目撃したという。すべてを察知したフィガロは庭師を酔ぱらいと批難する。アントニオは男の顔を見なかったというので、フィガロはそれは自分だといい張る。手紙のことが怖くなって部屋から逃げたのだと弁明する。そして、飛び降りた時、足を挫いてしまったと、突然、足を引きずり始める。女たちはフィガロの機転に感心する。アントニオは畳んだ紙を取り出し、飛び降りた男が落としていったものだと見せる。それはなんとケルビーノの辞令である。絶対絶命と思ったフィガロだが、ケルビーノから自分が預かったのだと答える。追求する伯爵に夫人とスザンナからそっと耳打ちされたフィガロは、印が押してなかったからと答える。それを見て、認めざるを得ない伯爵であった。
第11場
そこへマルチェリーナ、バルトロ、バジリオの3人がやって来て、金が返せない時はマルチェリーナと結婚すると書かれたマルチェリーナの契約書を見せる。ひと騒動の気配。伯爵がこの一件の落着は余に任せと宣言する。気落ちするフィガロ組=スザンナ、夫人と、大喜びする伯爵組=マルチェリーナ、バルトロ、バジリオ! 双方の7人による激しい応戦がくり広げられる。
第3幕 大広間
第1場
伯爵は独り言をいいながら室内を歩き回っている。おかしいことばかりだと愚痴っている。
第2場
伯爵夫人はスザンナに今夜、伯爵を庭に誘い出してくれと依頼する。庭では夫人が待っているという策略である。
スザンナは伯爵に会い、フィガロに約束された結婚資金をいつ下さるのですかとたずねる。マルチェリーナの借金返済に当てたいからである。それはスザンナ次第だと伯爵は答える。当惑するスザンナ! 一途に誘惑する伯爵に彼女は“はい”と“いいえ”を取り違えて答え、今夜庭で会う約束をする顛末になってしまった。
第3場
伯爵は出て行こうとする時、スザンナがフィガロにいった言葉、勝ったも同然を聞いてしまう。
第4場
伯爵は罠に落ちたのかなと考えこむ。自分がため息をついている間に、召使が幸福になるなんて許せないとつぶやく。
第5場
マルチェリーナ、フィガロ、バルトロ、ドン・クルツィオ、伯爵、スザンナがいる。フィガロはマルチェリーナに借金を返すか、結婚するかという裁判の場である。伯爵領の裁判をとり仕切るドン・クルツィオによって結婚裁判がたけなわになり、フィガロはピンチとなる! そのうちにフィガロがマルチェリーナの盗賊にさらわれた実の子供ラファエッロだったということが判明する。腕のあざが決め手であった。原告の女中頭がフィガロの実の母であった。再会を喜ぶマルチェリーナとフィガロ。次いで医師バルトロも実父と判る! なんともうるわしく、騒々しい感激の親子対面となる。これですべて解決! 抱き合っているマルチェリーナとフィガロを見て、スザンナは勘違いしてフィガロに平手打ちを喰らわせる。だがなんだと真相を知って誤解を解いたスザンナとフィガロ、そしてマルチェリーナとバルトロの幸せ!
第6場
この4人は伯爵がどんな企みをしても我々は平気だと言って退場する。
第7場
バルバリーナとケルビーノが登場。バルバリーナはケルビーノに女装してお城へ出向き、夫人に花を捧げようと提案する。
第8場
伯爵夫人は愛の苦しみをつぶやく。一人の高貴な夫人が小姓と共謀し、夫を裏切って軽薄な気晴らしではなく、家庭の幸福を回復しようと決意したと心の中で告げる。
第9場
伯爵と庭師アントニオがいる。庭師はケルビーノの帽子を持って来て、彼が自分の家で女装し、服を置いて行ったと伯爵に教える。
第10場
スザンナと伯爵夫人がいる。夫人の決心は手紙に書かれる。夫人の言葉をスザンナが書き取っていく。それは夜の庭に伯爵をおびき出し、夫人がスザンナに化けてとっちめようという策略であった。夫人がピンを抜いて封をする。
第11場
農民の娘たちが伯爵夫人にお祝いの花を持って来た。遠慮がちの娘がケルビーノである。夫人は誰かに似ているとスザンナにいう。
第12場
アントニオがケルビーノの帽子を取って化けの皮をはぐ。伯爵はケルビーノを罰するという。バルバリーナが申し出る、伯爵さまは私にキスをする度に欲しいものをやろうと言ってましたねとすっぱ抜く。どうか花婿にケルビーノを下さいと。困惑する伯爵。
第13場
フィガロは村の娘たちを婚礼の準備に連れて行く。そして待望の結婚式、フィガロとスザンナ、そして今判明した父母の2組である。
第14場
踊りと共に祝われる式中に、伯爵はこっそりスザンナから手紙を受けて大喜び。罠とは知らずに。手紙を開封する時、ピンで指を刺してしまう。フィガロはその伯爵の様子をスザンナに告げるのであった。一同で歌う伯爵の徳を称える合唱で幕となる。
第4幕 黄昏時の城内の庭園
第1場
伯爵に命令されたバルバリーナが、スザンナに届けるはずだった手紙のピンを探している。ピンを失ってしまったからである。ピンを返すことが逢引を了解した印になるからである。
第2場
そこへフィガロとマルチェリーナが登場、バルバリーナの話を聞いて、女性たちの最後の策略を聞いていなかったフィガロは驚くが、マルチェリーナのピンを抜きとって渡す。ほっとして立ち去るバルバリーナであった。
第3場
まさかスザンナが伯爵とと、驚きと心配で唖然としているフィガロに母マルチェリーナはあの子に限ってとなだめる。
第4場
耳を貸さないフィガロが立ち去った後で、マルチェリーナが、私はスザンナは潔白だと信じていると独り言をいう。
第5場
バルバリーナが小屋に菓子と果物を運んで来る。
第6場
フィガロの後にバルトロとバジリオが連らなって来る。フィガロはこの2人にスザンナと伯爵の逢引きが行われると告げる。
第7場
バジリオは、お偉方と争っても得はないことが分かっていると独白する。貴族たちの乱脈ぶりを批判し、皮肉る一くだりである。
第8場
フィガロはスザンナに扮した伯爵夫人を見て、てっきり新婦スザンナが伯爵と逢い引きをしようとしていると思い込み、憤る。
第9場
そこへスザンナに扮した伯爵夫人が登場し、一緒に来たマルチェリーナは小屋に隠れる。
第10場
伯爵夫人に扮したスザンナが現れ、幸福な愛の時を思い、夢見ている。
第11場
ケルビーノが現われ、スザンナに扮した伯爵夫人に近づく。ケルビーノは衣装からスザンナだと思い込んでいるのである。
第12場
伯爵が現われ、ケルビーノは逃げる。伯爵はケルビーノを叩くつもりだったが、そこへ近づいて来たフィガロを間違って叩いてしまう。立ち去るフィガロ! 伯爵はスザンナだと思いこんで、夫人の手を取って指環を与える。そこへまたフィガロが通りかかったので、伯爵とスザンナに扮した伯爵夫人の2人は離れる。
第13場
フィガロは怒りが静まらない。そこへ夫人に変装したスザンナが現われ、フィガロに声をかける。しかし、スザンナは声色を変えるのを忘れたので、フィガロに正体を気付かれてしまう。すべてを察知したフィガロは騙されたふりをして、その偽の伯爵夫人にいい寄ったりしてスザンナをからかう。奥様と呼びかけて手を取る。不実な人と怒ったスザンナは平手打ちを喰らわせる。殴られたフィガロは愛の証しと大喜びする。スザンナもこの事情を理解する。
第14場
スザンナとフィガロは仲直りし、そこへ伯爵が来る。フィガロは伯爵の前で夫人に扮したスザンナにわざといい寄る。伯爵はスザンナを夫人だと思ってしまう。
第15場
伯爵は夫人が不義を犯してると思い、臣下の者に武器を持ってここへ来るよう命令を下す。スザンナとフィガロは伯爵のゆるしを乞うが、伯爵は不義を罰するといって受けつけない。そこへスザンナに扮した伯爵夫人が伯爵に“ゆるしてください、あなた!”と呼びかけ、すべてを察知した伯爵は、“僕こそゆるして、伯爵夫人!”という。この時すべてをゆるし合う愛の幸せが満ちあふれ、一同に大きな喜びとなり、フィガロたちの婚宴は最高潮に達し幕となる。
参考ディスク
DVDPOCG-1015「フィガロの結婚」(発売:2002/6/25)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ユルゲン・フリム演出
チューリヒ歌劇場管弦楽団・合唱団
アルマヴィーア伯爵:ロドニー・ギルフリー(Br)
伯爵夫人:エヴァ・メイ(S)
スザンナ:イサベル・レイ(S)
フィガロ:カルロス・ショーソン(Bs)
ケルビーノ:リリアーナ・ニキテアヌ(Ms)
マルチェリーナ:エリーザベト・フォン・マグヌス(Ms)
バジリオ:フォルカー・フォーゲル(T)
ドン・クルツィオ:マルティン・ツィセット(T)
バルトロ:ロベルト・ホル(Bs)
アントニオ:ヴェルナー・グレッシェル(Bs)
バルバリーナ:リサ・ラーション(S)
収録:1996年
DVD POCG-1015「フィガロの結婚」(発売:2000/3/25)
カール・ベーム指揮
ジャン・ピエール・ポネル演出
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
アルマヴィーア伯爵:ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ(Br)
伯爵夫人:キリ・テ・カナワ(S)
スザンナ:ミレッラ・フレーニ(S)
フィガロ:ヘルマン・プライ(Bs)
ケルビーノ:マリア・ユーイング(Ms)
マルチェリーナ:ヘザ・ベッグ(Ms)
バジリオ:ヨーン・ファン・ケステレン(T)
ドン・クルツィオ:ウィリー・キャロン(T)
バルトロ:パオロ・モンタルソロ(Bs)
アントニオ:ハンス・クレーマー(Bs)
バルバリーナ:ジャネット・ペリー(S)
収録:1975年
2001-2006
| 音楽サロン表紙 | 総目次 | 古典派目次 | 作曲者別作品表 | 時代別作品表 |