制作者:国本静三

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オペラ「魔笛 Die Zauber flöte K.620」

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトWolfgangus Amadeus Mozartオーストリア(1756-91)




<オペラ「賢者の石」の存在!>


  モーツァルトの「魔笛」(ヴィーン初演1791年)の露払いのように丁度1年前に上演されたオペラ「賢者の石」(ヴィーン初演1790年)の存在があった。しかも、物語がよく似ている。それを下敷きにしたようである。またこの存在無くして「魔笛」は生まれなかったかもしれない。

 「賢者の石、あるいは魔法の島Der Stein der Weisen,oder Die Zauberinsel」<2幕の英雄的コミック・オペラHeroish-komish Oper>とされている。1790年9月11日ヴィーデン劇場Theater auf der Wiedenで初演された。シカネーダーが企画し、台本を書いた。彼の劇団のための音楽劇、いやこれはオペラでジングシュピールに種別できるものである。しかし、この頃フランスではオペラ・コミックopéra comiqueの存在があった。

 では作曲者は誰か? なんと5人の作曲者による合作であった。モーツァルトは3曲を担当した。しかも、モーツァルトは他の作曲者によう箇所のオーケストレーション(管弦楽化)にも関係したと思われる。というのは「魔笛」の中にも「賢者の石」の曲とそっくりな曲想や響きが多く出てくる。モーツァルトが「賢者の石」での協力の時に、頭の中に入ってしまったと思われる。この時モーツァルトが経済的に困っていた。そのため友人のシカネーダーの話に飛びついたのであろう。いささか奇妙なこの共同制作に関わらなかったとしたら、「魔笛」の作曲依頼はあり得なかったかもしれない。シカネーダーは同じヴィーンにあるレオポルトシュタット劇場と張り合うためにこうした企画を考えた。時間が無くこうした合作となった。

 原案は「魔笛」と同じく、ヴィーラントの童話集「ジンニスタン」の「ルル、またの名、魔笛」(1786年出版)をもとに、シカネーダーが台本を書いた。聴衆の受容もよく、次のステップにシカネーダーは飛躍していったと思われる。若い二人が火と水の試練を受ける。しかも滑稽な従者連れていて、この自然人は最後には若い娘を得るというのもそっくりである。

 この「賢者の石」は長く忘れ去られていた。しかし、先ず1796年に声楽部分のスコアとフランクフルトの出版社によって刊行された台本が、フィレンツェの音楽協会図書館でアルフレド・アインシュタイン(1880-1952)(音楽学者。かの有名な物理学者アルベルト・アインシュタインの従弟)によって発見された。そして決定的なのは1997年のデヴィッド・ブーフ(アメリカの音楽学者)による発見であった。彼はハンブルクの図書館からこの「賢者の石」の手写譜を発見した。これは長く第一次世界大戦(1914-18)中にソヴェト連邦政府に接収されていたが、1990年頃にやっとドイツに返還されたものの一つであった。これによって「賢者の石」の中にモーツァルトの曲が3曲あるのが明らかになった。彼の名がその手写譜に記されていたからである。



<「魔笛K.620」の作曲経緯>


 「魔笛」の台本作者は俳優、歌手、台本作家、劇場興行師でもあるシカネーダーSchikaneder(1751-1812)といわれている。彼はヴィーン市街城壁のすぐわきのフライハウス(免税館)内にある小さな劇場、ヴィーデン劇場Theater auf der Wiedenをもっていた。フライハウス劇場とも呼ばれる。気安い娯楽的な音楽付きの滑稽劇を出し物にしていた。またヨーロッパ各地を巡業し、モーツァルトとは1780年、一座を率いてザルツブルクを訪れた時知り合っていた。モーツァルトが所属したフリーメイスンの会員でもある。シカネーダーは、生活に困っていたモーツァルトに大作を依頼した。初演ではパパゲーノ役を演じ歌った。

 「魔笛」の台本の大部分は、シカネーダーの劇場で合唱団員や端役をやっていたギーゼケGieseckeによって書かれたという説もある。これは後にギーゼケ本人が自分が書いたと主張したためであるが、これは確実な証拠はない。彼が「魔笛」初演の時、第1奴隷役を務めた歌手であることは確かである。

 作曲は、台本作者シカネーダーとモーツァルト二人の密接な協力の下で1791年3月から9月にかけて行われた。当時出産をひかえた妻コンスタンツェが、6月4日に6歳の次男カール・トーマスとモーツァルトの弟子ジュースマイヤーを伴い、温泉地バーデンへ療養に出かけていた。そのため一人暮しだったモーツァルトのため、シカネーダーはフライハウス内のあずまやを提供した(これはザルツブルクに移設され現存)。夏の間にどんどん進んだ。初め二人の物語の計画はおとぎ話であったが、突然筋を変えたと見られる。第2幕以後を全く新しい筋道にのせて制作を進めていったが、上演日も迫っていたので第1幕の方は必要な部分だけ変更し、手を加えた。これによってオペラのねらいは別のものになり、二人が属するフリーメイスンの教義を表象し、顕彰する作品になった。

 次の手紙によると、すでに7月の初めには第1幕の草稿が終わり、オーケストレーション(管弦楽化)に取りかかるところだったことが分かる。弟子ジュースマイヤーは、コンスタンツェを世話しながらバーデンにおいてモーツァルトの下仕事していた。また適宜ヴィーンとバーデンを行き来して作曲中の楽譜の整理や写譜などをしたと思われる。なおヴィーンとバーデンは最短行程で馬車で2、3時間かかった。

741 モーツァルトよりヴィーン近郊バーデンの妻に
[ヴィーン、1791年7月2日]

 あのとんまのジュースマイヤーに伝えてほしい、第1幕のスコアを、導入曲からフィナーレまで送ってくれと。ぼくはそれでオーケストレーションをする。彼があすの朝、始発の馬車で発てるよう、きょうにも荷造りをしておいたほうがいい。そうすれば、ぼくはお昼にはそれを手にすることができる。

海老沢 敏、高橋英郎編訳/モーツァルト書簡集 Y/白水社/p652より


 「魔笛」の作曲は、オペラ「皇帝ティトの慈悲」上演のためプラハへ行ったため一時中断した。この初演の立ち合いのためであったが、プラハへの旅の途中でも作曲は続いていた。それは1790年ヨーゼフU(長男)の逝去にともない、その弟レオポルトU(三男1747-92、神聖ローマ皇帝1790-92)が即位した。その祝い(ボヘミア国王も兼任した)のためプラハ国立劇場から作曲依頼されたためである。1791年9月6日に初演が行われた。

 「魔笛」は1791年9月28日に完成した。そして初演は9月30日ヴィーンのアウフ・デア・ヴィーデン劇場で行われた。初めのうちは冷たかった聴衆も回を重ねるごとに熱狂的に受け入れられるようになっていったという。10月の初めにコンスタンツェを、7月26日に生まれた末子フランツ・クサーヴァーと義妹ゾフィーと共にバーデンの湯治に行かせている。カール・トーマスはペルトルツドルフ(教育施設)に預けた。次の手紙は10月7日の上演の模様バーデンの妻に知らせているものである。

751 モーツァルトよりヴィーン近郊バーデンの妻に
[ヴィーン、1791年10月7日と8日]

 最愛、最上のかわいい奥さん!
 たったいま、オペラから戻ったところ。― いつものように超満員だった。第1幕の「男と女は」の二重唱やグロッケンシュピールのところは、例の通りアンコールを求められた。それから第二幕の童子たちの三重唱も同様だった。でも、いちばんぼくがうれしいのは、静かな賛同だ!― このオペラの評価が、日ごとに高まっていくのがよく分かる。

海老沢 敏、高橋英郎編訳/モーツァルト書簡集 Y/白水社/p688より                        


 上記の手紙の<第1幕の「男と女は」>とは、第7曲“愛を感じる男の人たちは”でパミーナとパパゲーノを二重唱のことである。<グロッケンシュピールのところ>とは同じく第1幕第8曲のパパゲーノが鳴らす鈴の場面である。粗野で乱暴な奴隷たちが、音楽に誘われひょうきんに踊り出す場面である。

 また次の手紙ではかのサリエリが「魔笛」を観て絶賛したことを妻に伝えている。そして施設に預けてあるカール・トーマス(7歳)にも会いに行ってオペラにも同席させたことも伝えている。

753 モーツァルトよりヴィーン近郊バーデンの妻に
[ヴィーン、1791年10月14日]

 最愛、最上のかわいい奥さん
 きのう、13日の木曜日、ホーファーはぼくを連れ出してカールのところへ行った。そこでぼくらは昼食をとってから、みんなでヴィーンに戻った。6時にぼくは、馬車でサリエーリとカヴァリエーリ夫人を迎えに行って、桟敷席に案内した。それから急いでホーファーのところに、その間待たせておいたママとカールを迎えに行った。サリエーリたちがどんなに愛想がよかったか、きみには想像もつかないだろう。― 2人とも、ただぼくの音楽だけではなく、台本も何もかもひっくるめていかに気に入ってくれたことか。彼らは口をそろえて言っていた。「これこそオペラ[オペローネ]だ。― 最大の祝祭で、最高の王侯君主を前に上演されて恥ずかしくないものだ。きっとまたなんどか観に来よう。こんなにすばらしい、気持よい出し物は見たことがないないので。」 …略…
 オペラに連れて行ったので、カールは大いに喜んだ。― 彼は元気そうだ。― 健康のためにはこれ以上よい施設はないだろうが、ほかの点では残念ながら悲惨だね!― 彼らが育てて世に送り出せるとすれば、せいぜいが善良な農夫だろうよ!― でもその話はよそう。

海老沢 敏、高橋英郎編訳/モーツァルト書簡集 Y/白水社/p699より




<「魔笛」の特徴>


 モーツァルトは2幕のドイツ・オペラ「魔笛」ジングシュピールとして位置づけている。台詞が含まれる同時代フランスで現れたオペラ・コミックと同じ形態をもっている。「魔笛」はまたドイツ・オペラの祖というべき作品である。後のベートーヴェン「フィデリオ」ヴェーバー「魔弾の射手」へと繋がっていくからである。さらにドイツ語オペラの可能性を開いた功績は大きい。後のヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウス等が展開したドイツ・オペラにも繋がるものとも言ってもいいかもしれない。

 イタリア・オペラ全盛時代におけるモーツァルトの
ドイツ・オペラは、たいへんな意味があった。伊語こそ最上のオペラ言語というコンセンサスがあった時代であった。「魔笛」においてモーツァルトはイタリア・オペラにみられるのと同様に豊かな表現が可能であることを自ら実証した。それは「魔笛」がたぐいまれな軽妙さと深淵さの両面を、彼の有名なイタリア・オペラと同様に示したからである。

 「魔笛」はシカネーダーが率いる場末の小さな劇場のための出し物である。ここでは気安い娯楽的な音楽付きの滑稽劇を出し物をめざしていた。そのためか「魔笛」は台詞も比較的多く、劇構成も音楽の書法も簡明である。しかし簡明凡庸ならずで、モーツァルトはそうした音楽的技術と聴衆の理解度の制約を受けながらも、オペラの一つの理想を築く名作を残した。様々なオペラの類別や時代を超えたオペラ史上に光り輝く名作の一つとなった。それはドイツ・オペラの金字塔とも言われる。

 音楽における
簡明さは、次のパパゲーノの2つの歌で示されるであろう。第1幕すぐにパパゲーノが登場し、自己紹介のように歌う第2曲アリア“俺は鳥刺しいつも陽気にハイサホプサッサ”は単純な歌曲形式で書かれている。しかも誰もが歌えるものである。パン・フルートでソラシドレと合いの手を入れながら歌われる。第2幕第20曲アリア“娘か女房を”も同様で、鈴(グロッケンシュピール1)を鳴らしながら歌う。魅力的な響きが展開される(ベートーヴェンはチェロとピアノによる「モーツァルトのオペラ<魔笛>から“娘か女房を”の主題による12の変奏曲へ長調Op.66」1796年作曲!)。またパパゲーノの人物像の存在はとてもおもしろく、そして彼の歌はすべて楽しい。

 また、あちこちに後のドイツ音楽の名曲を思わせるようなフレーズが飛び出す(筆者は第1幕第8曲の終わりのフレーズで、シューベルト「野バラ」を連想してしまう)。それらの断片を音素材にして発展させれば一つの立派な作品になるような贅沢な音素材が満載である。それが「魔笛」の特徴であろう。玩具箱をいや宝石箱をひっくり返したように次々と愛らしい歌が続く。それも昔どこかで聴いたことがあるような思いにさせるものばかりである(^^)
 このオペラの最重要アイテムは
魔法の笛魔法の鈴としている。王子タミーノとパパゲーノの二人を常に助ける存在である。猛獣や乱暴者をも楽しく踊らせてしまうのである。まさしく音楽のパワーを示している。モーツァルトがこの二つに当てた音は、簡明さや単純さを超越した音楽であった。

 
管弦楽の新しさがこのオペラで現われる。これ以後にも交響曲を作曲する時が残されていたら、どのような音が展開されていたことであろう。古典派後期を予見させるような新しく不思議な響き序曲で現れる。それはとてもお気楽な小劇場で響く音でない。またバロックのフーガも登場する。この時期モーツァルトは、彼が親しくしていたスヴィーテン男爵が収集していたバッハやヘンデルの楽譜に接しことによるのだろう。そういえばスヴィーテンから依頼され、ヘンデルの「メサイア」編曲(1789年)した。
 モーツァルトの作品にはフーガがよく応用されている
(ex.「レクイエムK.626」のキリエ。それは単なるバロックへの回帰や再現ではなかった。あくまでモーツァルトの世界となっている。強弱の対比で曲は高まりを迎え、曲が速くなったところでソナタ形式の登場となることが多い。


 雷鳴とともに現れ、我々をわくわくさせ、オペラ&声楽史上最難度の技術を示す存在は、
夜の女王である。闇を描くこの夜の女王に輝かしい音楽が当てられている。三点(f)のコロラトゥーラ・ソプラノを当てている(第1幕第4曲と第2幕第14曲の2つの本格的なアリア!)。異常なる存在、夜の女王の表出のために高音域と超難度のアクロバティックな技巧を凝らしたのだろうか。光を示すザラストロにはバスが当てられているのもおもしろい。

 初演の時、夜の女王をコンスタンツェの姉ヨゼファヴェーバー家の長女)が受けもった。彼女が高音域を得意とし、並々ならぬ技巧を持っていたことが推測される。彼女の夫はシカネーダーの劇団員で、ヴァイオリンを弾いていた。そうした関係で時折出演したとのことである。それにしてもオペラ歌手であったアロイジア(ヴェーバー家次女)を上回る技量をもっていたのかもしれない。

 
物語の時代や場所設定はない。初演の台本には王子タミーノが日本の狩衣を着ていると書かれている。シカネーダーとモーツァルトが日本という国の名を知っていた(?)のもおもしろい。このオペラは、世の中というものは悪が善に見え、善が悪に見えることが多々ある、と教えているのであろうか。


[注]


1) 
現在、チェレスタcelesta伊語で演奏されることが多い。しかしこれは1886年に発明され、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」(1892年初演)の<金平糖の踊り>で初めて用いられた。これはモーツァルト時代には存在しなかった。ではモーツァルトが想定したグロッケンシュピールGlockenspiel独語とは? 現在はグロッケンシュピールといえば鉄琴を指すが、モーツァルト時代のものはそれとは異なった楽器であった。そのルーツは16世紀頃の教会の鐘を鳴らすために鍵盤につなげて弾けるようになったもので、それを18世紀頃に小型化された。鐘ではなく、金属棒を鍵盤で弾く楽器が作られた。それがモーツァルトが指定した楽器グロッケンシュピールである。下記の写真は復元されたもので、キーボード・グロッケンシュピールと言った方がいいかもしれない。これが19世紀になると金属棒をバチで叩く楽器(ex.NHKのど自慢でも使用)になる。これは鐘bells英語、Glocke独語、campana伊語と呼ばれている。

1995年録音のガーディナー指揮による「魔笛」CD化のためにジェニングスによって復元。写真はスカラ座所有のモーツァルト時代より大きめのものである。




<「魔笛」の台本の混乱>


 こんなに混乱したオペラの筋もめずらしいとよく言われる。はたしてそうであろうか。次のような物語の変更があったためであろう。
 
最初の筋書きの案は、主人公がよい妖精の女王に会い、女王の娘の肖像を見せられ、悪い魔法使いの城に囚われているその娘を救い出すよう頼まれる。王子は魔法の笛のおかげで無事に王女を救い出すというものであった。
 
第2案では悪い魔法使いは善い者に変え、実は妖精の女王は実は悪い者だったというように変えられた。つまり善にみえた夜の女王は実は悪で、悪にみえたザラストロは善であったとした。いわばドンデン返しのような効果を用いたとも言える。
 この変更の理由は明かではない。一つの考えられる理由は、シカネーダーのライヴァルのマリネリが類似したオペラ「魔法の竪琴、あるいはファゴット吹きのカスパール」をすでに発表していたため、違った物語をめざしたのかもしれない。

 
第2案で生じた筋書きの中で最も顕著な食い違いは次のことであろう。最後まで闇の世界に属する夜の女王の3人の侍女が、この物語の根幹的な道具立てである<魔法の笛><魔法の鈴>を王子とパパゲーノに授与する。最初は夜の女王の娘パミーナをザラストロから救い出すためのものであった。
 しかし、実際これらは、光の世界であるザラストロへ導き、手助けする魔法の道具となってしまうのである。そうして二人を導く魔法の力は、ザラストロに起因するものとなっていく。この変換は第2幕より示されていく。第1幕では全くそうしたことはなく、夜の女王のが善い存在としかみえないのである。王子とパパゲーノを導く
<笛も鈴>も夜の女王から贈られたもので、そして3人の夜の女王の侍女がタミーノ救出のために二人に渡し、送り出す。そして道案内の<3人の童子>も夜の女王からパミーナ救出のために遣わされた。これがザラストロの光の世界へ導く道案内と第2幕から変わっていく。このオペラを観ていて、誰しも首を傾げたくなる変換ではある。

 初め物語全体を良い妖精と悪い魔法使いが出てきて、恋人たちは困難な目にあいながらも、魔法の笛の力で幸せに結ばれる、といったものを考えた。これはヴィーラントの童話集「ジンニスタン」の「ルル、またの名、魔笛」(1786年出版)、ウラニッキーのオペラ「妖精の王オベロン」(1789年初演)、ゲーブラーの戯曲「エジプト王ターモス」にもヒントを得ている。
 魔笛の作者たちが、途中でフリーメイスンを寓意する劇に変えた。その時、フランス人ジャン・テラソンの小説「セトスの生涯」(1731年刊)を参考にした。これはある国の王子セトスを教育する物語で、この王子セトスがエジプトでイシスの秘教への入門の試練を受けるくだりがほとんどそのまま「魔笛」第2幕の入門と試練の基本となっている。




<「魔笛」とフリーメイスン>


 モーツァルトはおとぎ話を装って、フリーメイスン的信条をはっきり表している。事実彼の死後、「魔笛」は禁止されるだろうといううわさが流れてもいた。ザラストロが示す理性による
光の世界=善、夜の女王が示す非理性的な闇の世界=悪で、ザラストロvs.夜の女王という対立の図式が描かれる。またタミーノパミーナパパゲーノパパゲーナという対になる図式も描かれる。

 
「魔笛」における中心的コンセプトである友愛が、2組の男女の愛を含んで描かれる。王子タミーノは努力する人間の象徴、夜の女王の娘パミーナは母である夜の女王ザラストロとの間に立ち苦しむ。迷信(=夜の女王)理性(=ザロストロ)との間で葛藤である。パパゲーノパパゲーナはいわゆる自然人で、自己の確立がなく、より高い段階に進歩しょうと意欲を示さない人間として描かれている。

 人は自己確立を目指さなくてはならない、よりよい善に向上していかねばならないと教えている。
3人の僧侶3人の侍女3人の童子3人の奴隷という人物設定や三重唱三重奏が多用されているのは、フリーメイスン・コードという数字であるからである。序曲では3つの和音が連打されるが、これが大きな印象を聴く者に与える。




<物語>


第1幕

第1場:木がまばらに茂る荒れた岩山

 王子タミーノが大蛇に追われている。あわやという時、夜の女王の3人の侍女が登場し王子を大蛇から助ける。彼女たちは、気絶した王子にすっかりぞっこんになってしまう。後ろ髪を引かれながらこのことを女王の所へ報告に行く。目を覚ました王子の所へ鳥刺しパパゲーノが現れる。王子は自分を助けてくれた人物と思い込む。パパゲーノもそうだと頷いてしまう。3人の侍女が戻って来て怒り、パパゲーノの口に錠前をかけてしまう。そして侍女3人は王子タミーノに女王の娘パミーナの肖像を見せ、悪いザラストロに略奪されたと告げ、パミーナの救出を願う。そこへ夜の女王が現れ、王子に娘パミーナを救えと告げる。侍女たちはパパゲーノの口の錠前をはずし、王子に魔法の笛、パパゲーノには魔法の銀の鈴を与えて従者になることを命ずる。道案内には3人の童子が付くことになった。

第2場:ザラストロの城内の一室

 ザラストロに捕らえられている夜の女王の娘パミーナが逃げようとするが、奴隷頭の黒人モノスタトスに連れて来られる。そこへパパケーノが来るが、お互いに奇妙な風体に驚く。パパゲーノはパミーナに会い、これまでの王子とのいきさつを話す。そして男女の愛の神秘を語り合う。

第3場:神殿(ピラミッド)のある神聖な森

 3人の童子に導かれ王子タミーノがやって来る。ここで王子は自分の思いを現れたザラストロの弁者に告げる。悪いザラストロに誘拐されたパミーナが無事をどうかを訊ねる。ザラストロの従者は、ザラストロこそ善なる方で、悪い夜の女王から王女を救ったのだと聞かされる。一人になった王子はパミーナの無事を告げる託宣を聞く。魔法の笛を吹くと動物たちが現れ、踊り始める。タミーノの笛とパパゲーノのパンの笛が応答し合う。パパゲーノとパミーナが現れると、モノスタトスと奴隷たちがやって来て乱暴にパミーナを捕らえようとする。その時パパゲーノが鈴を鳴らすと乱暴なモノスタスと奴隷たちは不思議なことに踊り出す。そしてザラストロが現れる。パミーナはここから逃げようとしたことを詫びる。彼はパミーナに母である夜の女王の本当の姿のことを話す。その時、彼女はすべての真実を知った。王子と王女はこの時初めて出会う。ザラストロは厳かに王子とパパゲーノの二人に試練を申し渡す。二人は試練の神殿へと向かっていくのであった。



第2幕

第1場:椰子の茂る森

 ザロストロと僧侶たちの行進。王子タミーノはこの聖なるグループに迎え入れられることとなる。ザロストロは王子を高い徳に向かわせ、試練の暁にパミーナを王子の妻にすると告げる。そのためにしばし二人は別れなければならない。ザラストロは王子とパパゲーノの試練の成功を神に祈るのであった。


第2場:神殿(ピラミッド)の前庭

 雷鳴の中で王子とパパゲーノがいる。王子はザロストロの弁者に友愛と愛を求めて、試練を受けて後パミーナを得たいと告げる。弁者はパパゲーノにも試練を受けるかと問うと、ザラストロから授かるパパゲーナを得るために沈黙を守ると約束する。そこへ夜の女王の3人の侍女が誘惑に現れるが、僧侶たちの合唱に消されてしまう。僧侶は第1の試練の合格を喜び、次の試練に連れて行く。


第3場:庭園の中

 眠るパミーナに奴隷頭モノスタトスが近づこうとしている。そこへ夜の女王が現れて娘を守る。母である夜の女王は娘に、パミーナの父が死んだ時ザラストロが太陽の世界を奪ったのだから、ザラストロを殺して復讐をせよと短剣を渡して姿を消す。物陰でその様子を見ていたモノスタトスはパミーナに、自分のものになれと脅迫する。だがザラストロが現れてパミーナの危機を救い、モノスタトスは追放される。夜の女王のもとへ走り去る。そしてザラストロはパミーナには復讐より愛が大切だと諭すのであった。


第4場:大広間

 王子とパパゲーノ。パパゲーノは沈黙が守れない。老婆
(実はパパゲーナ)がパパゲーノに近づきからかう。3人の童子が空中に現れ、試練の前に取り上げた魔法の笛と銀の鈴を返す。食事も置いていく。パパゲーノは喜んで食べる。王子タミーノが笛を吹くとパミーナが現れる。が、王子は沈黙を守らなければならないので、パミーナは王子の沈黙の意味を解せず、冷たくされていると思い悲しむ。

第5場:神殿の中

 タミーノが次の試練に行こうとするが、パパゲーノは食べ続ける。僧侶たちは祈っている。彼らはタミーノの勇気を称える。ザラストロは王子の第一試練の合格を喜ぶ。水と火の試練に向かうよう告げる。一方、パパゲーノは王子タミーノを探している。僧侶が現れ、パパゲーノは試練から落第したが、罰が免じられたと告げる。そしてブドウ酒が与えられる。気持ちよくなり鈴を鳴らし始める。するとまた老婆
(パパゲーナ)が現れてパパゲーノをからかう。若くて美しい姿に変身した彼女を見てパパゲーノは大喜び! だが、彼女はすぐに弁者につれ去られてしまう。

第6場:小さな庭園

 3人の童子が現れ、夜明けは近いと歌う。その時、悲嘆にくれるパミーナが現れる。彼女は母からザラストロを殺すために貰った短刀を手にして、死にたいと言っている。3人の童子はそれを押しとどめ、王子の試練の場に連れ行く。


第7場:神殿(ピラミッド)の前

 試練向かう王子の所へパミーナが来る。二人は助け合って歩もうと誓う。王子は水と火の試練をパミーナを伴って雄々しく堂々と共に歩み、浄められて戻って来る。

第8場:小さな庭園

 パパゲーナを連れ去られたパパゲーノは首を吊ろうとするが、童子たちは押しとどめた。そしてパパゲーノに鈴を鳴らすことを勧める。鈴を鳴らすとパパゲーナが現れた! 二人は喜びに満たされる。一方、ザラストロから追放されたモノスタス、そして夜の女王と3人の侍女が現れる。女王は彼に娘を連れ出して来たら嫁にしてやるとたぶらかす。しかし、彼らは夜の世界にに落とされてしまう。

第9場:神殿(ピラミッド)の前

 勝ち浄められた王子とパミーナはザラストロと僧侶たちに祝福され、全員が喜びに満たされるのであった。


参考ディスク

DVD UCBG-9008モーツァルト「魔笛」(発売2006/6/7)

ジェイムズ・レヴァイン指揮、グース・モスタート演出
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団

パミーナ:キャスリーン・バトル(S)
夜の女王:ルチアーナ・セッラ(S)
タミーノ:フランシスコ・アライサ(T)
パパゲーノ:マンフレート・ヘム(Br)
ザラストロ:クルト・モル(Bs)
弁者:アンドレアス・シュミット(Bs)他

収録:1991年11月メトロポリタン歌劇場ライヴ


DVD TDBA−0094モーツァルト「魔笛」ザルツブルク音楽祭198(発売2005/12/21)

ジェイムズ・レヴァイン指揮、ジャン=ピエール・ポネル演出
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

タミーノ……………ペーター・シュライヤー
パミーナ……………イレアーナ・コトルバス
パパゲーノ…………クリスティアン・ボッシュ
パパゲーナ…………グートルーン・シーバー
夜の女王……………エディタ・グルベローヴァ
ザラストロ…………マッティ・タルベラ
弁者…………………ワルター・ベリー

収録:1982/8/21フェルゼンライトシューレ ライヴ



DVD TDBA-0023「魔笛」(発売2003/6/25)

フランツ・ヴェルザー=メスト指揮、ジョナサン・ミラー演出
チューリヒ歌劇場管弦楽団・合唱団

パミーナ:マリン・ハルテリウス(S)
タミーノ:ピョートル・ベッチャーラ(T)
ザラストロ:マッティ・サルミネン(Bs)
夜の女王:エレーナ・モシュク(S)
パパゲーノ:アントン・シャリンガー(Bs)
パパゲーナ:
ユリア・ノイマン(S)
         
収録:2000年チューリヒ歌劇場ライヴ


LD PHLP9018−9「魔笛」

アルノルド・エストマン指揮、イェーラン・イェルヴェフェルト演出
ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団と合唱団

パミーナ:マリン・ハルテリウス(S)
タミーノ:ピョートル・ベッチャーラ(T)
ザラストロ:マッティ・サルミネン(Bs)
夜の女王:エレーナ・モシュク(S)
パパゲーノ:アントン・シャリンガー(Bs)
パパゲーナ:
ユリア・ノイマン(S)

                               
ライヴ収録:1989年 スウェーデン・ストックホルム・ドロットニングホルム宮廷劇場
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 ドロットニングホルム宮廷劇場は世界最古のオペラ劇場といわれる。この劇場は1762年に焼失したが、1766年に再建された。18世紀のように、つまりモーツァルト時代の演出が可能である唯一の歌劇場である。スウェーデン王室の夏の離宮にあるこの劇場は、毎年有名な歌手や俳優を迎えてにぎわっていたが、19世紀には使われず閉鎖されたまま放置されたままであった。そのため20世紀まで18世紀の姿のまま残った。1920年にやっと見直されて修復され、現在に至っている。

 18世紀とは大きく違う点は、照明のローソクが電気になったことだけである。だが、ローソク形をした電球が用いられ、過度な明るさは押さえられている。そのため殆ど18世紀のもとのままと違ってはいない。管弦楽も18世紀後半の古楽器が使われ、その奏法も18世紀のスタイルを守っている。劇場の総席数は300足らずである。オペラ上演は毎年6月から9月の第1週までの14週間のみである。


1997-2006


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