ルネサンスの多声音楽は、フランドル(現在のオランダ、ベルギー、フランス北部)の北方的要素とイタリアの南方的要素が結びついてヨーロッパ各地に広がっていった。フランドルの有名作曲家をあげると次の通り。オケヘムOckeghem(c.1425-97)(ブルゴーニュ楽派のデュファイDufay(c.1400-74)から影響を受けた。フランスの宮廷で働く)、ジョスカン・デ・プレJosquin des Prez(c.1440-1521)、ヴィラールトWillaert(1480/90-1562)、アルカデルトArcadelt(c.1500-68)、ラッソLassus(1532ー94)等はイタリアでも活躍し、多くの影響を与えた。
シャンソンは14世紀から16世紀に発達した多声音楽である。シャンソンはフランス語で“歌”を意味する。マドリガーレと同様フランドルの作曲家たちも作曲した。特に16世紀に入ってフランス的で個性豊かな作品が多くなった。代表的な作曲家はジョスカンJosquin des Prezフランドル(c.1440-1521)と彼の弟子であったジャヌカンJannequinフランス(c.1485-1558)などである。
16世紀、ドイツにおけるルターの宗教改革(1517年)、イギリスの宗教改革(1533年)、そしてローマ市民を震撼させたドイツ軍によるローマの攻略(1527年)など、ローマの町とカトリック教会を不安と絶望に陥れる事件が相次いだ。それに対してカトリック教会の反撃と反省を示す反宗教改革が起こった。それを示すひとつがトリエント公会議(1545-63)であった。この公会議で教会音楽についても改正や取り決めも多く行われた。その中にはパロディ・ミサの禁止や多声音楽の簡素化などもあった。こうした情況でヴァティカン内部のシスティーナ礼拝堂で奉職した音楽家のひとりがパレストリーナPalestrinaイタリア(c.1525-94)である。彼は104曲のミサ曲や他の多数の教会音楽、そして世俗音楽であるマドリガーレも多く残している。作品の多くが無伴奏で(器楽伴奏つきの教会音楽もある)、そうした無伴奏様式を指してア・カペラ a cappella様式(“礼拝堂のため”の様式)といわれている。ローマ中心に用いられ、ローマ様式ともいわれる。またこうしたローマでの一派のことをローマ楽派ともいわれる。