制作者:国本静三

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多声音楽の黄金期



 ルネサンス(1400-1600)は芸術一般にとって豊穣の時代である。音楽におけるルネサンスはおびただしい多声音楽の名作群を生み出した。このため“多声音楽の黄金期”といわれる。音高やリズムを明確に記すことができる白符定量記譜法が確立したし、ヴェネツィアのペトルッチが楽譜印刷の技術を発明したことなどが、この時代の作曲技法発展に拍車をかけた。3度や6度音程によって形成された和声は、よりやわらかな響きが可能となった。これらの和声は完全協和音程4度や5度より複雑な比例数値をもつ新しい響きであった。3度は4:5と5:6、6度は3:5と5:8の比例数値をもつ。物理的には不完全協和音程であり、これらの3度と6度を土台にした和声と教会旋法church modeの音組織によるルネサンスの多声音楽は、メロディ、リズム、ハーモニーの合体が始まり、豊かな表現力を得て展開していった。

白符定量記譜法
ジョスカン・デ・プレ「グレゴリオ聖歌kyriale9番によるミサ曲<De beata Virgine>」よりキリエ-4声部の手写譜


 ルネサンスの多声音楽は、フランドル(現在のオランダ、ベルギー、フランス北部)の北方的要素とイタリアの南方的要素が結びついてヨーロッパ各地に広がっていった。フランドルの有名作曲家をあげると次の通り。オケヘムOckeghem(c.1425-97)(ブルゴーニュ楽派のデュファイDufay(c.1400-74)から影響を受けた。フランスの宮廷で働く)ジョスカン・デ・プレJosquin des Prez(c.1440-1521)ヴィラールトWillaert(1480/90-1562)アルカデルトArcadelt(c.1500-68)ラッソLassus(1532ー94)等はイタリアでも活躍し、多くの影響を与えた。


世俗音楽

 ルネサンスにおいて楽器、特に弦楽器(ヴィオール族やリュート属)が発達し、多くの器楽曲も作曲されるようになった。多くの場合、教会音楽や世俗音楽の伴奏として活躍することになる。ルネサンス音楽研究に貴重な資料を与えてくれるもののひとつはこの時代の絵画である。多様な楽器を演奏している姿が示されているからである。楽器の存在、またその構造や演奏法などを知る重要な資料である。楽器復元作業にも役立っている。

 声楽分野ではマドリガーレシャンソンがある。これらは教会音楽と同様な質の高さを有したもので、ルネサンスの多声書法が余すことなく発揮された多声音楽である。無伴奏と器楽伴奏つきのものも多い。ルネサンス終りにはモノディ様式による独唱スタイル(器楽伴奏つき)のものも作られた。

 マドリガーレ=マドリガルは16世紀、イタリア中心に発達した多声音楽である。おそらくイタリア語のマードレ(“母”の意)からきていると思われる。母国語の歌詞、つまり各民族言語による歌詞をもつ音楽で、イタリアからヨーロッパ各地に伝えられていった。フランドルやイギリス(英語ではマドリガル)の作曲家も多数のマドリガーレの名曲を残している。イタリアではマレンツィオMarenzio(1553-99)と彼から影響を受けたモンテヴェルディMonteverdiイタリア(1567-1643)等が有名である。モンテヴェルディはルネサンスの終りからバロックの初めに活躍した。

 シャンソンは14世紀から16世紀に発達した多声音楽である。シャンソンはフランス語で“歌”を意味する。マドリガーレと同様フランドルの作曲家たちも作曲した。特に16世紀に入ってフランス的で個性豊かな作品が多くなった。代表的な作曲家はジョスカンJosquin des Prezフランドル(c.1440-1521)と彼の弟子であったジャヌカンJannequinフランス(c.1485-1558)などである。


教会音楽

 このフランドル楽派が作ったパロディ・ミサmissa parodiaラテン語parody mass英語といわれる有名な作曲技法がある。自作他作は問わないが、既成の多声の世俗音楽(シャンソンやマドリガーレ)の2声以上引用して作曲したミサ曲のことである。テクニカルな遊び心あふれる聖と俗の混在を示す教会音楽といってよいだろうか‥‥‥。

 16世紀、ドイツにおけるルターの宗教改革(1517年)イギリスの宗教改革(1533年)、そしてローマ市民を震撼させたドイツ軍によるローマの攻略(1527年)など、ローマの町とカトリック教会を不安と絶望に陥れる事件が相次いだ。それに対してカトリック教会の反撃と反省を示す反宗教改革が起こった。それを示すひとつがトリエント公会議(1545-63)であった。この公会議で教会音楽についても改正や取り決めも多く行われた。その中にはパロディ・ミサの禁止や多声音楽の簡素化などもあった。こうした情況でヴァティカン内部のシスティーナ礼拝堂で奉職した音楽家のひとりパレストリーナPalestrinaイタリア(c.1525-94)である。彼は104曲のミサ曲や他の多数の教会音楽、そして世俗音楽であるマドリガーレも多く残している。作品の多くが無伴奏で(器楽伴奏つきの教会音楽もある)、そうした無伴奏様式を指してア・カペラ a cappella様式(“礼拝堂のため”の様式)といわれている。ローマ中心に用いられ、ローマ様式ともいわれる。またこうしたローマでの一派のことをローマ楽派ともいわれる。

パレストリーナ バード ビクトリア

 イギリスでは英国宗教改革(1533-34)により、それまで国教であったカトリック教会はアングリカン(英国国教会、日本での公式名称は聖公会)とカトリックに分かれてしまった。このアングリカンの誕生はイギリス独特の音楽書法を生み出していった。この時カトリックに止まった人も多かった。その人たちは迫害と困難の中でカトリック教徒としての立場を守った。そうしたひとりが作曲家がバードByrdイギリス(c.1543-1623)である。王室からも寵愛と信望を受けていたバードは英国国教会の音楽を書く義務が命じられた。その結果、両派の教会音楽の名曲を残すこととなった。

 他にはローマで学び活躍したビクトリアVictoriaスペイン(1548/50-1611)がいる。パレストリーナとともにヴェネツィアで行われていた複合唱 cori spezzatiのスタイルも取り入れている。この華やかな教会音楽は器楽伴奏を持っていることが多い。
 ビクトリアの「聖週間聖務日課集」
(全37曲)は、静謐でまことに美しい。詩編・朗読はグレゴリオ聖歌で歌われたのでそれ以外の式文が作曲され、朗読後の「答唱(応唱)」は深い祈りそのものである。典礼音楽の頂点示す作品の一つである。それもそのはず彼は教会音楽以外の作品を残していない。
 ビクトリアはスペインの古都アビラに生まれた。1563年頃に王の奨学金を得てローマへ留学、コレジゥム・ジェルマニクム
(ドイツ学院)で学ぶ。ここはイエズス会の学校でラテン語や哲学・神学を中心に音楽も勉強できた。ルネサンス末期の大音楽家パレストリーナ(c.1525-94)とも知己を得、多くのものを学び取る(あるいはパレストリーナがこの学院で教えていたかもしれない)。1571年この学院を修了し、音楽の教授として残る。1575年に司祭に叙階され、1578年から在俗司祭団オラトリオ会に入り、ミサ曲や「聖週間聖務日課集」等多数の名曲を生み出した。1586年帰国し、マドリードで生涯を終える。


1998-2009

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