| 音楽サロン表紙 | 総目次 | ロマン派目次 | 20世紀目次 | 作曲家別作品表 | 時代別作品表 |
オペラ「ラ・ボエーム La Boheme」
<作曲の経緯>
「マノン・レスコー」の台本作家の一人、ルイジ・イッリカが1892年秋から「ラ・ボエーム」の台本制作を始めたとされている。プッチーニがおそらくこの頃、依頼したらしい。はじめ3幕ものとして着想されていた。現在の第1幕“屋根裏部屋の場”がなかった。原作はアンリ・ミュルジェールHenry murgerフランス(1822-61)の自伝的短編集「ボヘミアン生活の情景Scenes de la vie de bobheme」(1848年)で、短編集という性格から当然のことながら全体はまとまったドラマ構成を持ったものではない。プッチーニが「マノン・レスコー」の成功後まもなくレオンカヴァッロLeoncavalloイタリア(1857-1919)とカフェで会った時、彼も同じくこの短編集をオペラ化することを考えていたことがわかり、仲違いが起こった。
プッチーニは「マノン・レスコー」で台本作者にたいへんなわがままぶりを発揮したが、この度もうるさく色々注文をつけた。フランス文学に造詣が深いイッリカではあったが、プッチーニには満足できなかった。そしてジュゼッペ・ジャコーザを1893年の春から台本の加勢として加えた。
1893年12月に初めて4幕構成が提案されるが、3幕か4幕かの問題はその後も作曲者と2人の台本作者の考えは二転三転した。おまけに1893年の秋にはジャコーザが手を引くといい出し、1894年の7月にはイッリカまでも辞意を示したりとたいへんな情況であった。8月の終りには落ち着きを示したが‥‥‥。そしてこの間に立って実質的な見地から常に見守っていたのはジュリオ・リコルディ(1840-1912)であった。ジュリオ・リコルディは音楽出版業リコルディ家の2代目である。前作「マノン・レスコー」以上に台本に対して作曲者の注文は多くなった。こうした論議を挟みながら紆余曲折を経て作曲は続けられていった。
プッチーニの自筆楽譜には1895年1月21日トッレ・デル・ラーゴで第1幕のオーケストレーションを始め、同年6月6日の朝2時ミラノで完了と記されている。続いて7月19日に第2幕、9月18日に第3幕のオーケストレーションをアプァン・アルプス山脈ペッシア近くのヴァル・ディ・ニエーヴォロで完成した。友人のベルトリーニ伯爵の家に滞在していての作業であった。そしてついに1895年12月10日の真夜中、自宅のトッレ・デル・ラーゴで全幕を完成させた。こうして完成までに3年9ヶ月を要したことになる。
第4幕の“ミミの死”は最も気に入った場面であったらしい。大きな感動にかかられ、泣きながら書き終えたといわれている。その場面のスコアにX形に組み合わせた人骨の上に髑髏を乗せた絵を描き、“ミミ”と書き込んでいる。このオペラの完成がよほどうれしかったのかプッチーニはこの数日後、このトッレ・デル・ラーゴで完成祝いの仮装舞踏会を催した。プッチーニはローマ皇帝に扮し、友人たちはトルコ人、海軍の提督、聖職者などの思い思いの扮装で祝った賑々しい騒ぎであったという。よほど「ラ・ボエーム」の完成は彼に喜びを与えたのだろう。
<初演と評価>
「ラ・ボエーム」の初演をトリノにしようというのがリコルディの希望であった。それは前作「マノン・レスコー」が大成功した地であったからであった。しかし、プッチーニは強く反対した。その理由としてトリノの王立劇場の音響が悪いこと、同じ事を2度やりたくないこと、トリノはローマに遠すぎるというような反論点をあげている。そしてナポリで初演してローマへ持っていくことを考え、キャスティングも決めている。これに対してリコルディは彼一流の実際的な見地から異論を唱え、プッチーニを説得している。1895年12月までに初演の場所と日取りが決定した。
場所はトリノ、日取りは1896年2月1日。そしてプッチーニの意見を取り入れて王立劇場の経営者が、音響効果と舞台照明設備を改造した。その間にローマ、ナポリ、パレルモなどの劇場もこのオペラの上演契約を進めていた。そして論議の結果指揮者として決定したのが若き名指揮者として評判を取っていた29歳のアルトゥーロ・トスカニーニToscaniniイタリア(1867-1957)であった。彼はトリノの王立劇場音楽監督に就任したばかりで、1895年12月22日ヴァーグナー「神々の黄昏」をイタリア初演をするという偉業成し遂げてもいた。
1月の第2週からトリノで舞台稽古が始まった。プッチーニはトスカニーニのことを高い知性の持ち主、非常に当たりのやわらかいいい男だ述べている。こうして2人は生涯にわたる長い友情を結ぶ本格的なきっかけとなった。一方、プッチーニは後に死刑台向かう囚人のようだったと初演までの心境を語ってもいるが。
さて、2月1日の夜はイタリア全土からつめかけた人でいっぱいであった。しかし「マノン・レスコー」のような熱狂的興奮をまき起こさなかったものの、たしかに成功した。第1幕ではかなり受けて、ロドルフォのアリア“なんという冷たい手!”でアンコールがかかり、プッチーニも呼ばれたが2人は応じることができなかった。トスカニーニが指揮台に立ったままであったからである。第2幕では平凡に終わった。多くのエピソードが出てくるので聴衆も戸惑った。第3幕は受けた。第4幕で遂に聴衆に大きな感動を与えることになった。プッチーニは喝采に応じて5回も舞台に上がって挨拶をした。
それでもトリノの批評家は音楽が軽すぎる、楽しませるが感動をもたらさない、芸術味が欠けている、というような
厳しいものが多かった。しかしこの「ラ・ボエーム」の将来を見抜いた批評もあった。プッチーニが決して必要以上の効果をねらっていないし、華やかさと悲痛さを兼ね備えた音楽の流れを賞賛している。
初演から数週間後にローマとナポリで上演された時も期待した評価と大成功は得られなかった。だが、1896年4月13日、パレルモで上演された時に、それはやってきた。聴衆は大熱狂し、第3幕がもう一度繰り返されるまで聴衆は劇場から去ろうとしなかったのである。このニュースはイタリア全土に駆けめぐり、そして外国まで新聞で報道された。それでもイタリアの批評家たちはプッチーニの音楽には高い芸術性が欠けている、という批判をやめなかった。
しかし一般聴衆の反応は違った。イタリアの大衆は「ラ・ボエーム」を大変愛するようになった。プッチーニの1年後に初演されたレオンカヴァッロの「ラ・ボエーム」には全く興味を向けなかった。
<物語>
第1幕:パリのカルチェ・ラタンのうら寂しい屋根裏部屋
クリスマス・イヴのことであった。共同生活をしている貧しい4人の青年の屋根裏部屋が舞台。文無しの画家マルチェッロと詩人ロドルフォの2人は、寒さをしのぐためにロドルフォの書いた芝居の台本をストーブにくべて部屋を暖めようとしていた。そこへ哲学者コッリーネと音楽家ショナールが食べ物と薪、お金をもって戻ってくる。一同は大喜び。そこへ家主ベノアが家賃の取り立てにやってくる。この脳天気なボヘミアンたちはこの老人にしきりに酒をすすめ、その浮気話を聞き出してしまう。それを責めて部屋から追い出してしまう。ショナールが皆でカフェ・モミュスへ出かけてイヴを祝おうと誘い出す。
ロドルフォは原稿を書き上げるため残り、後から行くことになる。でも筆が進まない。そこへドアをたたく音がする。見るとそれは階下に住むという美しいミミで、手に持っていたローソクの明かりが階段を吹き抜ける風で消えてしまった。そして部屋へ入るとミミは気を失ってしまう。ワインで回復させ、ロドルフォは彼女のローソクに灯をともし、ドアの所まで送る。ミミは気を失った時、鍵を落としたことに気づく。2人で探していると2つのローソクは風で消えてしまう。月明かりの中でロドルフォはふるえるミミの冷たい手を取りながら自分の夢を語るのであった。ミミも自分の身の上を語りはじめる。外から仲間たちが早く来いと呼んでいる。今、見つけたばかりの愛の幸せに酔いながら抱き合うのであった。腕を取り合い2人は部屋を出て行く。
第2幕:カフェ・モミュスの前
にぎやかな通りで、ロドルフォはミミにボンネットを買った後、カフェにいる友人たちに彼女を紹介する。一同は席に着いて食べ物を注文する。そこへマルチェッロの昔の恋人ムゼッタが金持ちの年寄りアルチンドロに寄り添って現れる。マルチェッロに気づいたムゼッタはおおはしゃぎ! アルチンドロを追い払うために足が痛いので新しい靴を買ってくるよう頼む。そしてマルチェッロの腕に飛び込むムゼッタ。勘定書がまわってくるとムゼッタは給仕にアルチンドロにまわすようにと命令。一同はにぎやかにカフェを去る。そこへムゼッタの新しい靴を持って戻ってきたアルチンドロに勘定書が渡されるのであった。
第3幕:夜明けの雪降るパリ郊外
農夫たちが関税徴収所を通って町に入って行く。近くの酒場から夜通し騒ぐ陽気な声が聞こえる。そこへミミが現れ、マルチェッロとムゼッタを探している。酒場から出てきたマルチェッロにミミは、ロドルフォの嫉妬と冷淡さに苦しんでいることを訴える。そしてもう別れた方がよいのではともいう。酒場からは寝込んでいたロドルフォの声が聞こえてくる。ミミは物陰に隠れる。ロドルフォの方もマルチェッロに浮気なミミと別れたいと口にするが、実はミミの病気が悪化する一方で、死を宣告されているのだと告白する。貧しい生活はミミを死に追いやる、と考えてのことだった。そしてこれを物陰で聞いていたミミは、衝撃を受ける。聞かないふりをしてミミは姿を現し、ロドルフォに別れを告げる。お互い相手を思い計ってのことで、なんともせつない心配りであった。そして別れるのはせめて春まで待とう、というのは太陽があればひとりでも耐えられるからね、と慰め合うのであった。
ムゼッタの笑い声を聞いてマルチェッロは酒場へ引き返す。そしてムゼッタの浮気を見てしまう。2人は大喧嘩を始め、ついに別離を宣言してしまう。
第4幕:元の屋根裏部屋
貧しい屋根裏部屋でロドルフォとマルチェッロは過ぎ去った愛を想い、孤独を共に嘆く。そこへコッリーネとショナールがささやかな食事を運んでくる。4人は楽しく踊り始め、決闘のまねごとをしたりして戯れる。ひとときの楽しみを味わっている時、ムゼッタが駆け込んで来る。それはミミがそこまで来ている、弱り切ってもう歩ける状態ではない、と告げる。これを聞いたロドルフォはミミを迎えに飛び出して行く。残った3人にムゼッタは、運命に翻弄されたミミのその後の様子を語る。ある金持ちの世話になっていたが、今でもいかにロドルフォを愛しているか、そして彼のもとで死にたがっている、ことなどを語る。そしてミミのためにベッドをつくり、自分のイヤリングを売って薬を買うようマルチェッロに頼む。一方、コッリーネは自分の外套を質に入れに行く。
部屋で2人きりになったミミとロドルフォは幸せな日々を思い出す。せき込むミミはマフをほしがる。それに応えてムゼッタはマフを渡し、ミミのために神に祈るのであった。こうした貧しいながらも心いっぱいの愛に囲まれて、ミミは安らかに息を引き取った。
参考ディスク
DVD PIBC-2013「ボエーム」(発売:2000/4/25)
ジェイムズ・レヴァイン指揮、フランコ・ゼフレッリ演出
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
ミミ:テレサ・ストラータス(S)
ムゼッタ:レナータ・スコット(S)
ロドルフォ:ホセ・カレーラス(T)
マルチェッロ:リチャード・スティルウェル(Br)
コッリーネ:ジェームズ・モリス(Bs)
ショナール:アラン・モンク(Br)
ベノア:イタロ・ターヨ(Bs)
パルピニョール:ディル・コールドウェル(T)
アルチンドロ:イタロ・ターヨ(Bs)
収録:1982年1月16日 メトロポリタン歌劇場ライヴ
2001
| 音楽サロン表紙 | 総目次 | ロマン派目次 | 20世紀目次 | 作曲家別作品表 | 時代別作品表 |