「ロマネスク」の概念
ロマネスクRomanesque(c.800-c.1200)の語源になる
ロマンromanは
古代ローマ人を意味する。このローマ人とは古代ローマ時代のローマ民族で、ラテン人とかラテン民族ともいわれる。彼らは
ラテン語を話していたからである。古代ローマ人が
ラテン語を用いるようになったのは、ローマ南の
ラティウム地域を制圧した時、この地域の言語であるラテン語をローマ人の言語としたことに始まる。最古のラテン語を証拠付ける出土品
(ラテン語が彫られたブローチでBC600年頃のもの)が、現
ラティーナLatinaで発見されている。ラティーナ県はラティオ州に属する。ラティオLazioは古代ではラテン語で
ラティウムLatiumと呼ばれていた。
古代ローマ人は地中海の廻りのヨーロッパ、小アジア、アフリカ北海岸地域を制覇し、血族的にも言語的にも、そして文化的にもそれれらの地域の民族と融合混血し、同化していった。中世・ロマネスクの時代になるとそれぞれの地で
ラテン語と混血した諸言語
(総称してロマンス語という。例えばイタリア語は10世紀、フランス語は12世紀、スペイン語12世紀、ポルトガル語12世紀、ルーマニア語7-8世紀頃に成立した)を生み、また独特のロマネスク文化を創りだしていった。これによって民族語としての
ラテン語は死語となる。学術用語やローマ・カトリック教会の公用語としては今も残ってはいる。この
ロマンス諸語を話す民族のことをロマン民族といい、彼らの生み出した文化や芸術の様式を
ロマネスクといわれる。ロマネスクは直訳すれば“ローマ風”であるが、古代ローマ文化への憧れや復興を意味している。“ロマネスク”は当初は悪口だった。この時代の文化が自由闊達で大げさ、怪奇的で、奇をてらい過ぎているとして、ロマネスクと言ったのである。これがロマネスクのコンセプトの始まりといわれている。
我が国の偏った歴史観では、
西洋中世を
暗黒時代とみている。このような考えはヨーロッパでは一般的ではないし、
正しい歴史認識とは思えない。上記で述べたように、むしろ大胆すぎる文化様式と思われていたのに。明治時代に西洋の学問が受け入れられた際、当時の一つの歴史観が我が国に伝えられ、未だにその残照を残しているようである。
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青年アンティノスは
第14代ローマ皇帝
ハドリアヌスの
伴侶だった(?!)。 |
古代ローマの彫刻「アンティノス」AD3世紀制作
スペイン、プラド美術館所蔵2001/3/2撮影 |
ちなみに
ロマン派romanticism(1820-1900)は、
中世前期・ロマネスクromanesque(c.800-c.1200)への憧れに端を発する語である。ロマネスクを理想とし、大胆で自由な表現をする時代と捉えたからである。
ロマネスクは特に建築、美術の様式を指す語として生まれた概念である。筆者の主観であるが、多分に小アジア文化の影響をも受けて、興味深い混合、合体を示し、さらに新しい要素を作り出していった、と思う。それは14世紀頃までは西ヨーロッパよりも東ローマ帝国、すなわちビザンツ
(ビザンティン)文化の方が固有の独自の様式をもち、かつその文明度も高かったといえる。そしてさらに当時の高いアラブ文化の恩恵も被り、多くの影響を受けたと思われる。
バジリカ様式の教会、教会や修道院建築に多く見られる丸いアーチ型
(下の画像にも見られる!)、フレスコ画、中庭=クロイスターの柱廊の彫刻
(動植物、人物など)は好例である。簡素かつあたたかみのある様式である。美術史や教会史においてもたいへん興味あふれる優れた様式で、人物や動物の大胆な表現と、様式化された動植物や架空の怪物や人魚のようなものを組み合わせた題材はたいへん興味深い。かと思うと聖書の題材も盛んに彫られている。またこの時期にヨーロッパに有数の大学が修道院や教会を母体として、成立されていった
(ボローニャ大学1088年、パリ大学12世紀前半、オクスフォード大学12世紀、ケンブリッジ大学1209年、サラマンカ大学1230年頃など)。まことに文化的に奥深く、仄かなはなやかさを有していた時代であった。
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| スペイン、カタルーニャ・ジローナ大聖堂クロイスター |
フランス、カタルーニ地方・キュクサのサン・ミッシェル修道院クロイスター |
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| フランス、カタルーニ地方・キュクサのサン・ミッシェル修道院クロイスター柱廊上部 左は動物 右は閻魔大王のような人物と動物 |
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| スペイン、カタルーニャ・リポイ、聖マリア大聖堂クロイスター柱廊上部 左はめずらしい男の人魚! 右は髭もじゃアダムとかわいいエヴァ=イヴ!
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| スペイン、ブルゴス近郊シロス、サント・ドミンゴ修道院クロイスター 柱廊に彫られた「復活のイエスと聖トマ」=聖書の題材も多く、無関係と思われる題材との混在がおもしろい |
ロマネスクは従来美術や建築様式を示す語であったが、音楽についても用いられるようになった。音楽における代表例をあげるとすれば、
グレゴリオ聖歌であろう。しかし、中世の西方教会には多様な典礼聖歌があった。グレゴリオ聖歌のみならず、
ガリア聖歌(フランス南部)、
モサラベ聖歌(スペイン)、
アンブロジオ聖歌(ミラノ)等の地方的な典礼や聖歌の多様な存在があったことを忘れてはならない。しかし、ローマ・カトリック教会の普遍化と統一をめざした歩みの中で、グレゴリオ聖歌が優位に置かれてきた。
もう一つ重要な中世の聖歌は、東方教会で培われた
ビザンツ聖歌である。
1998-2011