制作者:国本静三

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ロマン派フランス・オペラ略史



 1807年8月8日皇帝ナポレオン(1769-18121、在位1804-14)は即位3年3ヶ月後に次のような決定をした。パリに25あった劇場を8つに整理して他は閉場することとした。その目的はパリ、オペラ座に全ヨーロッパの目を向けさせるためであった。オペラ座の演目をパリ市内の他の劇場で上演不可にし、人気演目の独占化を図りたかった。このことが帝国運営に大きな利益となるという政治的方策とした。皇帝退位後もどの政体でもナポレオンの方針は維持され、市内のオペラ・コミック座の出し物とは異なる壮大で華麗なグランド・オペラが、オペラ座では上演されたのである。4幕や5幕からなる大がかりで、華麗なバレーが必ず入るのがグランド・オペラが上演されたのであった。

 19世紀はパリは事実上ヨーロッパのオペラの中心地の一つであった。たくさんの有名な作曲家が住んでいただけではなく、他の場所に住む作曲家も、パリで名を上げるまでは成功したことにはならないと言っても過言ではなかったのである。特に19世紀前半は外国人作曲家によってフランス・オペラが支えられていたとも言える。そうした先例は古い時代からあり、バロックのリュリLullyイタリア→フランス(1632-87)、古典派のグルックGluckドイツ(1714-87)と続いている。19世紀に入ってもマイヤベーアMeyerbeerドイツ(1791-1864)ロッシーニRossiniイタリア(1792-1868)がパリで活躍した。


<外国人の活躍>



 ロッシーニRossiniイタリア(1792-1868)最後の活動時期(1824-36)はパリにおいてであった。この時期にパリでは発表していなかった「湖上の美人」、「セミラーミデ」などを上演した。そして彼の最後のオペラ「ウィリアム・テル=ギョーム・テル(1829年パリ初演)は、その後のイタリア・オペラとフランスのグランド・オペラに大きな影響を与えた。その後、引退してイタリアに戻るが1855年から病気治療のためパリに戻っている。彼はコロラトゥーラの美を追及した作曲家であり、レチタティーヴォにも豊かな音楽的生命を与えている。

 マイヤベーアMeyerbeerドイツ(1791-1864)はドイツに生まれたが、主としてパリで活躍した。ドイツ風の重厚な和声とイタリア風の歌唱的な旋律を得意とする。フランスのグランド・オペラgrand opéra1)の大成者である。完成したオペラは17作ある。当時のフランスではマイヤベーアは最もよく知られ、影響力の強いオペラ作曲家であった。 特に「エジプトの十字軍」(1824年ヴェネツィア初演)は大成功で、1825年にはロンドンとパリでも上演され、これを機縁にパリに活動の場を移した。

 1832年にすでにプロイセン宮廷楽長に任命されており、1842年には同宮廷音楽総監督に任命されベルリンに戻り、それ以後ベルリンとパリを往復して活動する。1862年、パリにおいてグランド・オペラ「アフリカの女L'Africane」の上演を目指すが、準備中に病死する。「アフリカの女(1837年から25年かけて作曲、死後1865年初演)の音楽はベッリーニBelliniイタリア(1801-35)ドニゼッティDonizettiイタリア(1797-1848)の回帰ともいえる。またそれはロッシーニに始まるベル・カント・オペラが、ヴェルディに継承されていく接点でもあった。マイヤベーアは当時のフランスの大歌手のためにオペラを書いた。丁度当時、フランスに大歌手が排出していた。彼はオペラ界から引退しようとしていたフランスに滞在していたローッシーニから、イタリア・オペラのヴィルトゥオーゾ(名人芸)を学び取っている。そしてそうした歌唱芸を満載したこの「アフリカの女」は、19世紀後半の聴衆よりむしろオペラ歌手たちを魅了した作品であった。

 オッフェンバックOffenbachドイツ−フランス(1819-80)はドイツ人だったがフランスに帰化する。大いにフランス人好みのオペレッタを作曲し、人気を得たex.地獄のオルフェオ(天国と地獄)」


<フランス人の活躍>


 19世紀半ばのフランスでは、作曲者の殆どがオペラだけに興味をもっていた。しかも華美で軽い傾向が好まれた。フランスで好まれたグランド・オペラペラ・コミック4)と区別する意味でいわれたコンセプトである。まじめな題材、華麗な舞台効果をねらったものが多い。マイヤベーアを賛美、ベルリオーズ2)を無視、オッフェンバック3)に熱狂というような具合であった。あとフランス特有のコンセプトであるリリック・オペラにおける中心人物グノーGounodフランス(1818-93)トマThomas(1811-96)の「ミニョン」、グノーGounod(1818-93)の「ファウスト」、サン=サーンスSaint-Saens(1835-1921)の「サムソンとデリラ」「ヘンリー8世」等が活躍していく。彼らはやっとフランス的な優雅で甘美な特性をもつオペラを作ったのであった。また彼らはグランド・オペラオペラ・コミックの中間路線をいき、それら二者の区別をしないリリックなオペラを提供していった。

 19世紀前半を支えたオペラ座は大規模で伝統的な作品を上演し、オペラ・コミック座は斬新で意欲的な実験的な作品を上演するという違いだけは残された。今から見れば史上重要なオペラを後者が支えたということになる。ラロLalo(1823-92)の「イスの王様」、ドリーブDelibes(1836-91)の「ラクメ」、ビゼーBizet(1838-75)の「カルメン」、マスネMassenet(1842-1945)の「タイス」や「マノン」、ダンディd'Indy(1851-1931)の「フェルヴァール」、ドビュッシーDebussy(1862-1918)の「ペレアスとメリザンド」
(1893-1902年作曲)などはパリのオペラ・コミック座で上演されたからである。


[注]


1)
 ロマン派時代のオペラ様式の一つで、グランド・オペラオペラ・コミックに対する語としても使われることもある。内容的にはオペラ・セーリアで、合唱やバレーを多用しているスペクタクルな要素が多いオペラのことである。4幕や5幕構成の大がかりなものである。

2) ベルリオーズBerliozフランス(1803ー69):大規模な管弦楽法とイデー・フィクス固定楽想による劇的表現は特筆すべき点である。史上最初の標題音楽といわれる「幻想交響曲」は彼の代表作であった。オペラ作品は「トロイ人たち」などがある。

3) オッフェンバックOffenbachフランス(1819-80):主に劇場音楽の領域で活躍。特にオペレッタの発展に重要な影響をおよぼした。代表作オペレッタ「天国と地獄(地獄のオルフェオ)」、オペラ「ホフマン物語」など。

 オペラ・コミックOpéra comiqueフランス:18世紀後期から出現したフランス・オペラの一様式である。イタリアのオペラ・ブッファの影響から生れ、初めは軽妙な内容のものが多かった。レチタティーヴォ・セッコの代りに台詞が用いられた。この点はオペラ・ブッファと大きくことなる。後には内容に関係なく(喜劇、悲劇、恋愛劇も含めて)、台詞の入ったオペラ全般を意味するようになった。またオペラ・コミックとオペレッタは形としては同じである。内容を別にすれば、台詞を含むオペラと捉えられる語である。オペレッタは喜劇や軽い恋愛劇が多いが、悲劇やシリアスな内容のものあるからである。


2002-2011

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