制作者:国本静三

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「レクイエム Requiem」


 ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディGiuseppe Fortunino Francesco Verdiイタリア(1813-1901)




<作曲の経過>


 ヴェルディVerdiイタリア(1813-1901)の「アイーダ(1871年初演・58歳)から「オテッロ(1887年初演・73歳)までの道のりは、約15年以上かかった。この期間、新作オペラを生み出してはいないが、2つのオペラの改訂とオペラ以外の重要な2作品を作曲している。ヴェルディは、1872年12月ナポリで「ドン・カルロス(改訂前フランス語版)の演出をした。エリザベト役のストルツが途中で病気になり、大成功にも関わらず中止になってしまった。この時、意外にもヴェルディはナポリを楽しみ、1873年1月に唯一の室内楽である「弦楽四重奏曲ホ短調」を作曲し、彼自身その出来に満足していた。4楽章構成のロマン派中期を位置づける堂々たる作品となった。

 快復したストルツによる「アイーダ」がナポリのサン・カルロ劇場で上演され、大成功を収めた。1873年4月にヴェルディ夫妻はナポリからサンターガタに帰るが、この時、長年の友人であり、台本作家ピアーヴェ(1810-76)の病状を彼の妻の手紙で知る。彼はヴェルディのオペラ10作の台本を受持ち、ヴェルディの専制君主のようなやり方に耐え抜いたのであった。また、マンゾーニの健康状態の悪いことも知り、ヴェルディは不安な精神状態で過した。

 1873年5月22日、88歳の文豪
マンゾーニ
が亡くなる。ヴェルディにとってマンゾーニは特別の存在で、ヴェルディにとって生存する人間の中で唯一の尊敬する人間と言ってよかった。彼の思い入れは特別で、葬儀には参列する勇気もなく、しばらく経って後ミラノの墓地に秘かに誰にも知られず詣でている。そうした中でマンゾーニのために「レクイエム」を作曲したいと考えるようになる。マンゾーニのために「レクイエム」作曲を決意する。オペラを作曲するのとは違った思いから作曲を思い立ったのである。マンゾーニの死を契機に、自分自身の死の問題を見つめ直そうとしたのだろうか。彼には聖職者嫌いの傾向があったが、信仰がなかったわけではない。子供時代の屈折が残存していたのであ(ミサの侍者をしていた時、オルガンの音に気を奪われ為すべき行動を失念していた。注意を即するため司祭に足をけられたというエピソードが伝えられている。これ以来聖職者嫌いになったとか)。この時、マンゾーニの死を契機に自己の信仰告白を音楽を通してしてみたかったのかもしれない。

 「レクイエム」は「アイーダ」から「オテッロ」に移る間の重要な作品になった。ヴェルディは、人間の共通のテーマである死の問題を考える年齢でもあったし、人間の永遠の希望を願う作品を制作したかったのに違いない。このようにヴェルディ自身の心奥深いところに結びついた「レクイエム」は、先例としてはモーツアルトの「レクイエム」にしか見いだせないだろう。そして「レクイエム」の前後の2つのオペラの共通テーマも、死であった。いや、彼の殆どのオペラの題材は死に関わっている。 「アイーダ」でも「オテッロ」でも、一組の主人公の死なのである。

 ミラノ市長にこの「レクイエム」の計画を出版社リコルディを通して提案した。市が演奏の費用を負担するよう申し出て、受け入れられた。すべて万全のビジネス交渉を整えて作曲にかかっている。これがヴェルディ流のやり方があった。先ずは演奏されることをしっかりと約束しての作曲に取りかかるという手続きであった。今回の「レクイエム」ではミラノ市が初演を約束したので、安心して作曲に取りかかった。

 “リベラ・メ”は、1868年11月1日に没したロッシーニのための「レクイエム」を13人1)共同で作曲をした(1869年9月全曲完成。初演が実現するのは1988年ドイツにおいてであった)。これがこの度の「レクイエム」に当てられることになった。ヴェルディはいつになく落ちついた気分で、むしろマンゾーニの死を超越していた。悲しみの中でというより作曲家としての意欲と喜びをもって「レクイエム」筆を進めた。そして初演は、ヴェルディ自身の指揮で1874年5月22日、つまりマンゾーニの一周忌にミラノのサン・マルコ教会で行われた。聴衆に与えた印象は強烈で、数日後スカラ座でも3回演奏された。その1回目はヴェルディが指揮をしている。

 1875年4月、パリ、オペラ・コミック座でヴェルディは「レクイエム」を7回指揮した。このためレジオン・ドヌール勲章を受けた。その後ロンドンのアルバート・ホールで3回、ヴィーンの宮廷歌劇場で2回指揮した。それぞれの地でストルツ(ソプラノ)とヴァルトマン(アルト)が素晴らしい演奏をした。ヴィーンでは、6年前に「ドイツ・レクイエム」を発表したブラームスも聴き、大天才ヴェルディと賞賛した。フランツ・ヨーゼフ皇帝はヴェルディをホーフブルク宮殿に迎え、芸術および科学のための金メダルを授けた。皇帝はホーフブルク宮殿に宿泊の招待もするが、ヴェルディはこれを受けなかった。オーストリアはかってのイタリアの圧制者だったからであろうか。今、イタリアは芸術で勝ったとはヴェルディは考えることはできなかっただろう。元来、イタリアは西洋音楽の先進国であり、オペラもオラトリオもソナタも協奏曲もすべてイタリアからオーストリアに持たらされたものばかりであった。こんなことをヴェルディは、意識したかどうかは分からない。

 1876年3月、パリのイタリア劇場で全25回の「アイーダ」公演の最初の3回と「レクイエム」を4回指揮した。「アイーダ」はパリ初演となった。ストルツとヴァルトマンが大喝采を受けた。


[注]


1) 13人の作曲家は、ブッソラ、バッツィーニ、ペドロッティ、カニョーニ、リッチ、ニーニ、ブシェロン、コッチャ、ガスパリ、プラタニア、ロッシ、マベッリーニ、そしてヴェルディであった。はじめリコルディ社は14名に作曲依頼した。他の1名はメルカダンテであったが、病気のため途中降板して13名になった。第2曲続唱“怒りの日”は7人で分担され作曲された。この合作「レクイエム」の発案はヴェルディだった。それをリコルディ社に提案し、企画させたのである。1869年9月に完成したものの、初演が予定されていたロッシーニの出身地ボローニャ市の歌劇場支配人が、同劇場合唱団・管弦楽団の提供を拒んだため、上演計画は流れてしまった。この合作「レクイエム」の世界初演は1988年、ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州の首都シュトゥットガルトでヘルムート・リリンクによって行われた。


<音楽的特徴>


 
圧倒的なインパクトをもつ作品である。教会音楽を越えた交響的作品にもみえるが、深遠な精神性をもった教会音楽を形成している。こうした大規模で劇的なミサ曲として筆者には、バッハ「ミサ曲ロ短調」モーツァルト「レクイエム」ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」が思い浮かぶが、これらは問題なく教会音楽としての顔も立派にもっている。

 ヴェルディの「レクイエムは」全体的な構成感が明確である。第1曲と第7曲において、つまりこれらは最初と終曲の役割をもつ箇所であるが、その冒頭のテキスト1行をグレゴリオ聖歌における詩編唱のように朗唱風にしている。同音で祈るように歌われる。このグレゴリオ聖歌を思わせる単純さと精鋭さは、他の壮大で複雑な音の渦の部分との対比を強烈に与えている。長大で表現豊かな作品に単純な要素を取り入れ、大作絵画の額縁のような役割を与えている。

 第2曲続唱“ディエス・イレ怒りの日”は、最も知られたものであろう。全体はヴェルディは9つに分けて作曲している。この1つ目怒りの日、その日は”の冒頭の管弦楽による連打の和音はまさしく世の終わりに登場する審判者、全能の神の登場である。ステージの4本のトランペットと舞台外に配置される4本のトランペットが最後の審判の時を告げる。そしてこの第2曲の全体は合唱と独唱、重唱で構成されている。こうした時、オペラ作曲家としての彼の腕が発揮される。声楽に対する響きのよさを存分に出しているからである。また
第4曲感謝の賛歌(サンクトゥス)」では無伴奏の2群の混声四部合唱が出てくる。バロックの複合唱のような形が取られている。

 ヴェルディの個性が充分に出しつくした作品となっている。これを作曲したこの時期、ヴェルディはたいへんな頑固さを示していた。それでも彼は、音楽となると新しい波に乗ることに吝かではなく、積極的に取り入れようとしていた。だが、ここでは何の迷いもない。何のためらいもてらいもみられない。まことに壮大なのに偉大なる単純さがある。教会音楽に取り組むヴェルディは様々な思いから解き放たれたようである。終始まっすぐに取り組むヴェルディの姿が感じられる。



<ヴェルディ「レクイエム」の構成>


*通常式文は日本カトリック教会公式訳 固有式文は国本静三訳 2001-07新共同訳聖書から詩編箇所は引用、他は参考にしました 通常式文は日本カトリック教会式文使用(ヴェルディの時代と第2ヴァティカン公会議(1962-65)以後の固有式文は改正されたため異なっている。下記は旧テキストの邦訳、新旧を並記したラテン語版対訳はを、ミサ一般についてはを参照下さい。

第1曲「入祭唱」と「あわれみの賛歌(キリエ)
入祭唱

冒頭一行を朗唱(同音で)歌われる
交唱:
主よ、とわの安息を死者にお与え下さい。
とわ
の光でかれらを照らして下さい。

詩編:
賛美をささげます。シオンにいます神よ。
エルサレムではあなたに満願の捧げ物をささげます。
私の祈りを聴きいれて下さい。
すべての人間はあなたのもとに至るでしょう。

交唱:
主よ、とわの安息を死者にお与え下さい。
そして永久
(とわ)の光でかれらを照らして下さい。

あわれみのの賛歌(キリエ)

主よ、あわれみたまえ。
キリスト、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。


*「入祭唱」は第2ヴァティカン公会議(1962-65)以前のテキスト

第2曲「続唱:怒りの日(ディエス・イレ)
@怒りの日

冒頭の管弦楽の和音に始まる審判者なる神の登場の場面

怒りの日、その日は。
世のすべては灰に帰る、
ダヴィドとシビラの証しの通りに。

その恐しさはいかなるものであろうか、
審判者が来て
厳しく尋問される。

Aラッパは不思議な音を

ステージの4本のトランペットと舞台外の4本のトランペットが
最後の審判の時を告げる

合唱からバス独唱に受け継がれていく

ラッパは不思議な音を
地上のすべての墓の上に撒き散らし、
すべての人を王の前に集めるだろう。

死と自然は驚くだろう。
造られた人間がよみがえる、
審判者に答えるために。

B世を裁くために

メゾ・ソプラノの独唱のあと、合唱が@「怒りの日」を繰り返す
(この繰り返し何回か後にもある)

世を裁くために記された記録が、
その中にすべてが書かれている、
差し出される。

審判者が玉座に着かれると 
隠れたことがすべて現れ、
裁かれないでおかれることはない。

Cあわれな私は

メゾ・ソプラノに始まり、ソプラノとテノールが加わる3重唱

その時、あわれな私は何を言おうか。
誰に弁護を頼めばよいのだろうか、
正しい者でさえ心配なのに。

D恐ろしいみいつの王よ

バス合唱に始まり、テノール合唱(3部)が続く

恐ろしいみいつの王よ、
あなたは救われるべき者を無償でお救いになる。
私を救って下さい、あなたはいつくしみの泉ですから。


E思い起こして下さい

ソプラノとメゾ・ソプラノの二重

思い起して下さい、いつくしみ深きイエスよ、
(受難の)あなたの道は私のためでもあったことを。
その日に私を滅ぼさないように。

私をたずね求め疲れてお座りになり、
十字架を受けて私をあがなわれた。
そのような苦しみが無駄にならないように。


あなたこそ正しい罰の裁き主。
ゆるしの恵みをお願いします、
審判の日の前に。


F私は罪人のようにうめき

テノール独唱

私は罪人のようにうめき、
罪は私を恥入らせる。
神よ、乞い願う者をお守り下さい。


あなたは(マグダラの)マリアをゆるし、
(イエスとともに十字架につけられた)強盗の願いを聞き入れられた。
それは私にも希望を与えました。

私の祈りはふさわしくありません、
でもあなたは善い方で、寛大な方です。
地獄の火で私を焼き尽さないで下さい。

羊の群に私を置き、
山羊の群より私を分けて
あなたの右に立たせて下さい。


G審判を受けた者は誹謗され

バス独唱

審判を受けた者は誹謗され、
激しい火に身を委ねます。
私を祝福された者の中に招き入れて下さい。


私はひざまづき、
灰のように粉々になった心でひれ伏して乞い願います。
私の終りの日をお守り下さい。


H涙の日

メゾ・ソプラノ独唱に始まりバス、ソプラノ、テノールの重唱が
ポリフォニックな響きを展開し、合唱に引き継がれていく

涙の日、その日は。
それは灰の中からよみがえる日、
罪人が裁きを受ける日です。
神よ、罪人を守って下さい。

いつくしみ深い主イエスよ、
死者に安息を与えて下さい。
アーメン。



*「続唱:怒りの日」は第2ヴァティカン公会議(1962-65)の典礼改正で廃止された

第3曲奉納唱

主イエス・キリスト、栄光の王よ、
亡くなったすべての信仰者の魂を
地獄の罰と深き淵から
お救い下さい。

かれらの魂を獅子の口から救い、
よみの刑場に飲みこまれ
闇に落ち込むのをお許しにならないように。


天軍の旗手聖ミカエルが
聖なる光でかれらの魂を導きます。


かってアブラハムに約束されたことを
その子孫にもお果たし下さい。

詩句:
主よ、賛美のいけにえと祈りを
お捧げします。
かれらの魂を受け入れて下さい。
我々は今日その人々を記念しています。
主よ、かれらの魂を死より生命
(いのち)にお移し下さい。

かってアブラハムに約束されたことを
その子孫にも果たして下さい。



第4曲感謝の賛歌(サンクトゥス)

無伴奏の2群の混声四部合唱

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。
主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ。
ほむべきかな、主の名によりて来たるもの。
天のいと高きところにホザンナ。


第5曲平和の賛歌(アニュス・デイ)

神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、
かれらにやすらぎを与えたまえ。
神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、
かれらにやすらぎを与えたまえ。
神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、
かれらにとわのやすらぎを与えたまえ。


*第2ヴァティカン公会議(1962-65)以前のテキスト

第6曲拝領唱

とわの光でかれらを照らして下さい、主よ。
あなたの聖人たちといつまでも。
なぜならあなたはいつくしみ深い方です。


詩句:
主よ、とわの安息を死者にお与え下さい。
そしてとわ
の光でかれらを照らして下さい。

あなたの聖人たちといつまでも。
なぜならあなたはいつくしみ深い方です。



*第2ヴァティカン公会議(1962-65)以前のテキスト

第7曲リベラ・メ

冒頭一行を朗唱(同音で)歌われる。第1曲の冒頭と同じ書法

私をお救い下さい、主よ、私を恐ろしい日のとわの死から。
その時、天と地の震え動き、
あなたは火で世を裁くため来られる。

詩句:
私は恐れおののく、
審判のためにいつか来る怒りの日に。
その時、天と地の震え動き、

詩句:
この日こそ怒りの日、災いと不幸の日、
大きな嘆きの日。
あなたは火で世を裁くため来られる。

詩句:
主よ、とわの安息を死者にお与え下さい。
そしてとわ
とわ
の光でかれらを照らして下さい。

私をお救い下さい、主よ、私を恐ろしい日のとわの死から。
その時、天と地の震え動き、
あなたは火で世を裁くため来られる。


*これは葬儀と共に行われるミサ後の告別式(以前は赦祷式といった)の歌
第2ヴァティカン公会議(1962-65)以前の式文と歌は廃止され、現在、冒頭の箇所以外は改正された
Graduale Triprex P.696参照
ロッシーニの死(1868年)に際して作曲した部分



参考ディスク

DVD UCBG1019 発売2001/5/30

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

レオンタイン・プライス(S)
フィオレンツァ・コッソット(Ms)
ルチアーノ・パヴァロッティ(T)
ニコライ・ギャウロフ(Bs)

収録:1967年1月ミラノ・スカラ座

32歳のデヴューしたばかりの初々しいパヴァロッティの姿と声に遭遇できます!


2001-2011                           


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