制作者:国本静三

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オペラ「タンホイザー Tannhäuser」


<制作経過>

 「タンホイザー」の題材をドイツ・ロマン文学の神髄であるティークやホフマン、ハイネによる関連作品から得た。ヴァーグナーはパリ時代にルーカスのひとつの論文を読んだ。並々ならぬ読書家、文学好きそして自分でも文学をものにするヴァーグナーはタンホイザー研究を始めた。ルーカスの論文はタンホイザー民話の世界とヴァルトブルク民話を結びつけていた。ミンネジンガー、タンホイザーとハインリヒ・フォン・オフターディンゲンを同一人物としていた。ヴァーグナーはこの考えに共鳴したのである。1842年6月末に「ヴェーヌス山Venusberg(ヴィーナスの山)、ロマン的オペラ」と題して散文によるの原案作りを始め、1843年4月7日に台本を完成した。急速に世に認められ、ドレスデン宮廷楽長にも任ぜられ、多忙な中、作曲は7月から始められ、1845年4月13日にスコアが完成された。タイトルを「ヴェーヌスベルク」から「タンホイザーとヴァルトブルクでの歌合戦 3幕よりなるロマン的オペラTannhäuser und der Sängerkrieg auf Watburg Romantische Oper in 3 Aufzügen」に変えた。

 1845年10月19日、ドレスデン宮廷歌劇場初演は、大急ぎで、莫大な費用をかけて行われた。結果はまず成功ではあったが、聴衆はこの作品を理解できなかった。2日目(10月22日)は観客が半数にも充たなく、3回目の上演でこのオペラは大成功を勝ち得た1)。これは「リエンツィ」に続くヴァーグナー2度目の成功で、1849年5月のヴァーグナーの逃亡まで18回上演され、人気が衰えることはなかった。しかし、ヴァーグナーはこの作品に満足がいかず、死ぬまで部分的改訂するか、あるいは新たに作曲を行おうという希望をもっていた。実際その部分的改訂は行った。特に物語構成に不満を持ち、悩みの種であった。実際に2度も新しい終幕部分を改訂した。それは1846年9月4日と1847年8月1日にドリスデンで上演された時である。後者をドレス版といわれている。

 1861年3月13日、ナポレオン3世の命により行われたパリ初演の時、数カ所変更した。このパリ版の特に目立つ箇所は、ヴェーヌスベルクの饗宴の場面が全く新しい官能的な音楽に変えられた。オペラ座ディレクターの要求に従い、バレーの場面を入れたためである。バレーはフランス・オペラの趣味であった。はじめヴァーグナーはこうしたことを嫌がったが、第1幕部分だけにバレーを入れることを条件に承諾した。ヴァーグナー自身が指揮したが、第2幕にバレーを入れるという慣習に従わなかったため、失敗となった。他の不成功の原因は、観客内にいた反ヴァーグネリアンたちやジョッキー・クラブの妨害がひどいものであったという。その後1887年までパリでは上演されることはなかった。

 以後このパリ版が伝えられるようになっていったが、1985年バイロイト音楽祭のヴォルフガング・ヴァーグナー演出以後、様式的に統一され、ヴァーグナーの楽劇論により忠実なドレスデン版がバイロイトで用いられるようになった。パリ版はたしかに華やかで一般受けはする。ともあれ1883年1月23日の妻コジマの日記によれば、彼の死の直前にまだ“私は世界に対してまだタンホイザーについて責任がある”と語っているのは興味をひく。


[注]

1)「ヴァーグナー わが生涯」リヒャルト・ヴァーグナー(山田ゆり) 勁草書房 p368-372


<音楽としての特徴>

 従来のロマン派オペラ様式とヴァーグナーの目指す新しいオペラ様式との違いを、実際の上演を踏まえた見地からどのように融和すべきかが彼の問題であった。これは彼の前期の総決算であった「オランダ人」、「タンホイザー」、「ローエングリーン」において実践していった。また哲学的な嗜好をするヴァーグナーは、ヴェーヌスベルク(享楽の世界)とヴァルトブルク(聖なる世界)を対立させ、前者に新しい音楽を後者に伝統的なロマン派音楽を用いることで、彼のその時点でのオペラ論を反映した。しかし、これは誰にも通じるものでなく、その論理的手法にも説得性はないだろう。このオペラでかなりの従来のアリア的要素が「オランダ人」より多く見られるのはそのためであろう。彼の真意はヴェーヌスブルクをもっと拡大することを考えていたようである。

 この作品をもって31歳のヴァーグナーは、大きな変化、いや進歩を示した。イタリア・オペラ形式から脱出したのである。オペラ構成の番号形式を廃止した。つまり、オペラは誕生以来、簡単にいえば歌曲の連続でそれに番号付けて構成されていた。それを番号オペラという。ヴァーグナーのオペラ論は、過去において何度も何度も論じられてきた命題“音楽が先かドラマが先か”、つまりドラマより音楽を優先する論の方が勝っていた。ヴァーグナーは「オペラとドラマ」1) でもすべての論文でドラマの優先性を主張している。こうした論に通じるオペラづくりを実践したといえる。オペラ全体を1つの劇として捉える彼の楽劇論2)が開かれてきたわけである。場面が他へ移っていく手法、あるいは精神的な変化の移り変わりの手法を、ヴァーグナーは“移行の技法Kunst des Übergangs”と述べている。台詞の従来のレチタティーヴォとは異なる歌わせ方を、独特の作曲手法として示している。背景に流れる管弦楽も雄弁に内容表現をする。意識して示導動機3)を用いた標題音楽の立場で音作りをしている。示導動機は作曲表現の構築に力を発揮しているものの、観客にとってはかなり主観的な手法ではある。


[注]

1)オペラとドラマOper und Drama」(1851)…3部構成の大オペラ論で、概略を述べると、音楽が先か、詩が先かという伝統的オペラの命題をあげ、ドラマが目的で音楽は手段という。ヴァーグナー独特の比喩がなされ、詩は男性、音楽 は女性という。両性具有の肯定を示唆し、現代のフェミニズムに一脈通じるものがある。

“‥‥(略)‥‥オペラという芸術ジャンルの本質は、表現の一手段(音楽)が目的とされ、表現の目的(ドラマ)が手段とされていたことにあったのだ‥ ‥(略)‥‥”
ワーグナー著作集3巻(杉谷恭一 谷本慎介訳)「オペラとドラマ」第三文明社 p23より

“音楽の有機組織は詩人の観念によって受胎したときにのみ真に生きた旋律を 産み出せるのである。音楽は分娩し、詩人は授精する。”同 p169より

2)楽劇Musikdrama…従来のオペラ否定から編出された概念。「トリスタンとイ ゾルデ」から以後の作品が該当。彼の作った語ではない。音楽論を展開するた めの概念であって、楽劇自体の銘記は拒否している。

3)示導動機Leitmotiv…オペラ(楽劇)、標題音楽などにおいて、ある観念、人 物、感情、事物を規定する動機=旋律、リズム、和声。最も典型的に用いたのは「ニーベルングの指輪」。ベルリオーズの「幻想交響曲」はその先駆であった。



<タンホイザー伝説>

a.歴史上の人物タンホイザー

 タンホイザーは中世の歴史上の人物とされている。ドイツ13世紀のミンネゼンガーMinnesa"nger(中世歌人)で、各地をさすらい、ヴィーンのバーベンベルク王朝フリードリヒ2世の宮廷にも仕えたとされる。中世歌人は詩人であり音楽家でもあった。騎士道精神に満ちた貴婦人賛歌や恋愛賛歌を歌い上げた。ミンネゼンガーのルーツはトルバドゥールtroubadourであった。南フランスで12〜13世紀に全盛を迎え、オック語(10世紀末から起こったロワール河南の中世フランス語)で歌った。

 トルバドゥールの影響を受けて発展したのがトルヴェールtrouvère、北フランスで12〜13世紀に全盛であった。彼らはオイル語(ロワール河北の中世フランス語)で歌った。さらにトルバドゥールの影響で発展したのが南ドイツからオーストリア中心に活躍したミンネゼンガーで、12〜14世紀全盛を迎えた。ミンネMinneは中世の愛を意味し、ゼンガーsängerは歌い手の意味である。ちなみにマイスタージンガーMeistersingerは、ミンネジゼンガーを継承して、15〜16世紀のドイツで中産階級の同職組合によって展開された文学と音楽の会員であった。

 多くが伝えているタンホイザー伝説はおよそ以下のようである。タンホイザー自身は特に秀でたミンネゼンガーではなかったらしく、放蕩三昧の日々をおくった。快楽の奥義を極めると称してヴェーヌス(ヴィーナス)のいるヴェーヌス山の洞窟に1年間こもった。しかし、最後的には聖母マリアに助けを求め、悔い改めの生活に入ろう考えた。ローマに出向き、ローマ教皇に会った。そして教皇に罪を告白した。教皇は自分の持つ枯れ木の杖に芽が出ぬ限り、タンホイザーに救いはないと厳しく告げた。タンホイザーは再びヴェーヌス山のヴェーヌスのもとに帰った。ところがその3日後に教皇の杖に緑の芽が出てきた。教皇はあちこちにタンホイザーのゆくえを探させたが、見つからなかったという。しかし、ヴァーグナーが構築したテーマは“女性による救済”を加味することであった。「タンホイザー」ではエリーザベトがこの役目を果たす。

文書となった伝承例

作者不詳:詩“貴公子タンホイザーの歌”1521年
ヴァーゲンザイル:詩“優雅な芸術のマイスタージンガー”1697年
ティーク:小説“忠実なエッカルトとタンホイザー”1799年
ティーク&ブレンターノ編:民謡集:少年の魔法の角笛“タンホイザーの歌”1806年
グリム兄弟:ドイツ民話集“タンホイザーの歌”散文
ハイネ:詩“タンホイザー”1836年
ホフマン:短編“歌手たちの戦い”1819年
モッテ=フーケ:物語“ヴァルトブルクの歌合戦”1828年
ベヒシュタイン:論文“騎士タンホイザーの物語”1837年
ルーカス博士:論文「ヴァルトブルクの合戦について」:オフターディンゲン(おそらく実在しなかった)とタンホイザー(実在した)を同一人物とした。1838年

b.ヴァーグナーのタンホイザー像

 ヴァーグナーの台本と音楽は彼特有のタンホイザー像を創り出した。一応物語全体は、享楽にふけった男が、1人の真実の愛と祈りによって神に対する回心に至るという啓蒙的、教訓的ドラマとなっている。まさしくドイツ・オペラの特徴を踏襲しているといえる。しかし、ヴァーグナーの「タンホイザー」には2つの面が捉えられる。初演当時からこうした賛否両論の評価が与えられていた。ヴァーグナー後期の世界への移行期であったことは確かである。それはヴァーグナー・ロマンというべきものであって、彼の作ったヴァーグナー的世界は、20世紀に入ってシュールリアリズムに通じる。しかし、表現派1)によってそれは打ち砕かれてしまう。ヴェーヌス山(第1幕)とタンホイザーによってこうしたヴァグナー世界が表現される。ヴァルトブルクとヴォルフラムおいては伝統的なドイツ・ロマン派世界が展開される。これはアポロン的概念とディオニソス概念の対立ともいえる。前者はギリシア神話の光明、太陽、医術、音楽、詩歌の神で、芸術衝動の静観的、調和的な立場をいう。後者は酒神で、快楽や陶酔の象徴され、激情的、破壊的とされる。これこそがヴァーグナーのめざすものであったのだろう。


<附・ヴェーヌス(ヴィーナス)の神話>

 先ずギリシア神話の簡単な系図を示そう。それは神々の最高の支配者であるゼウスをもっとさかのぼったその昔、ウラノス(天)とガイア(地)の子にクロノスがいた。彼らの子供たちの中でも最も賢いクロノスは彼らの王となる。そして姉妹のレアと結婚した。妻レアはヘスティア、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン、ゼウスを生んだ。クロノスはその子らをすべて呑み込んでしまった。だが、ゼウスだけは母のレアに救われ、祖母のガイアに預けられた。ゼウスはひそかにクレタ島でニンフたちによって育てられた。やがて成長したゼウスはメティスと結婚した。ゼウスから頼まれ、メティスはクロノスに薬を与え、呑み込んだ5人の子を吐き出させた。クロノスとゼウス(吐き出された5人兄弟姉妹はゼウスに味方した)との戦争が起こり、ゼウスが勝ち、クロノスが王の位をゼウスに譲る。

 古代ギリシアの詩人ヘシオドス2)によると、美と愛の女神とされるヴェーヌスは、ウラノスが息子クロノスの手で去勢され、睾丸が海に投げ込まれ時に生じた泡の中から誕生したという。彼女はローマを建国するトロイのアエネアスの母となる。カルタゴの女王とアエネアスの恋は、母ヴィーナスがしむけたとされる。


[注]

1)表現派は主観主義。美術ではカンディンスキー、音楽のシェーンベルク等。表現派に対立する印象派は客観主義。美術のコロー、マネー、モネー、ミレー等、音楽のドビュッシー、ラヴェル等。

2)BC.8世紀のポイオティアの人、平民(特に農民)の生活を歌った最初の人。「仕事と日」、「神統記」などを書いた。



<物語>

 ドイツ中世、騎士階級の人もミンネゼンガーとして詩を作り歌い上げていた。そうした1人がタンホイザーでヴァルトブルクの領主の姪エリーザベトと清い愛に結ばれていた。しかし、自己の芸術を深めるという建前で官能の愛を求めてヴェーヌスベルクへ行くが、妖艶なヴェーヌスとの愛の虜となる。

第1幕

第1場:ヴェーヌスベルクの洞窟内

 タンホイザーとヴェーヌは、ギリシア神話の妖精や神々に囲まれて官能の愛の喜びにふけっている。


第2場

 ヴェーヌスの膝を枕に眠っていたタンホイザーは、夢の中で故郷ヴァルトブルクの鐘を聞いたように思い、ヴェーヌスから離れたい気持ちになる。彼女は不安に駆られる。タンホイザーが“自分をヴァルトブルクへ行かせてくれ”と頼むとついに彼女はあきらめ、“救いが欲しい時は帰っていらっしゃい”と告げる。だがタンホイザーは、“私の救いは聖母マリアにある”と叫ぶと、ヴェーヌスブルクの情景は影のように消え去ってしまう。

第3場:ヴァルトブルクが見える谷間

 タンホイザーはいつのまにかヴァルトブルクが見える谷間にいた。春の朝、岩の上には羊飼い牧笛を吹きながら、春の女神ホルダをたたえて歌っていた。その時巡礼の行列が近づいてまた遠ざかって行った。タンホイザーは感動をおぼえ、頭をたれて泣き出すのであった。

第4場

 そこへヴァルトブルクの領主が騎士たちを従えてやって来た。旧友ヴォルフラムと騎士たちは、タンホイザーを見て彼の帰郷を喜び、またミンネゼンガーの仲間に戻ることを願う。しかし罪に陥った自分を省みて、やすやすと友人たちの誘いに応じることはできないのであった。ヴォルフラムからタンホイザーを待ち続ける清らかなエリ−ザベトのことを告げられると、彼は勇気がわいてきた。そして騎士たち一緒にヴァルトブルクへ向かって行くのであった。

第2幕ヴァルトブルク城内にある歌の殿堂の広間

第1場

 エリーザベトが現れる。それはタンホイザーが姿を消して以来初めてのことであった。彼女はタンホイザーが再び歌合戦に参加することを喜び、心躍らせていた。

第2場

 ヴォルフラムがタンホイザーを導いて登場する。タンホイザーはエリーザベトのもとにかけよりひざまずくのであった。彼女は当惑しながらも彼の帰りを喜び、孤独に過ごしてきた苦しみを告げた。それを聞いた彼は喜びに充たされた。しかし、ひそかにエリーザベトに思いを寄せていたヴォルフラムには複雑でつらいことでもあった。

第3場

 2人が去った後、領主がやって来る。彼は姪のエリーザベトに今日の歌合戦について述べ、幸運を祈るのであった。


第4場

 歌合戦を見に騎士たちや貴婦人がこぞってやって来る。ついで騎士たちも入場する。領主は歌の課題は愛の本質を表現することであると告げる。優勝者にはエリーザベトから望むものは何でも褒美が与えられると宣言した。
くじ引きにより、最初はヴォルフラムが歌うことになった。竪琴をとともに愛は清らかな泉、恥ずべき情欲で汚してはならないものだと歌って、人々の共感を得た。しかし、タンホイザーはその泉を欲求することこそ愛、その泉で渇きをいやす享楽をたたえた。ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデはこれに反論して、泉とは徳である。その泉は心を暖かくするものではあるが、欲望をいやすものではないといった。タンホイザーはさらに享楽こそ愛と歌い上げる。

 これを聴いた聴衆の間に激昂の気分が高まり、ビデロルフが清らかな愛こそ騎士に武器を与えると歌う。タンホイザーはますます気分が高まり、君は愛の享楽が何であるか分からないのだろうと応える。ヴォルフラムがもう1度高徳の愛を歌うが、タンホイザーは承知せず、あげくのはてヴェーヌスを讃えた。騎士たちは憤激し、剣を抜いてタンホイザーに迫ると、エリーザベトがそれを押しとどめた。タンホイザーのために命乞いをし、彼に罪のあがないをさせ敬虔な人間に生まれ変わらせるべきだといった。彼女の強い願いによって怒れる騎士たちも剣をおさめた。この時タンホイザーは真実の悔恨にくれ、床にひれ伏した。領主はこのような大罪のゆるしを得るためにはローマへ行くより道はない、そして教皇のゆるしが得られなければ決してヴァルトブルクへ帰って来てはならないと告げた。 タンホイザーは遠くに巡礼の行列が通るの見て希望を見出す。“ローマへ!”と叫び、若い巡礼の群に加わり、去って行った。

第3幕ヴァルトブルク山麓の秋

第1場

 エリーザベトが聖母マリア像の前にひざまずいてタンホイザーがゆるされ、無事に帰ってくるように祈っている。ヴォルフラムが現れ、彼女の姿を見て心動かすのであった。するとその時巡礼たちの合唱が聞こえてくる。彼らは罪がゆるされ、幸せな気持ちに充たされている。その群の中にタンホイザーを探すが無駄であった。彼女は聖母マリアにタンホイザーの罪がゆるされるのなら、自分の命をすててもいいと強く誓う。

第2場

 その夜、うちしがれた姿のタンホイザーが現れる。ヴォルフラムはその姿をみとめ、愕然とする。やっとのことでタンホイザーからローマ行きの顛末を聞き出す。教皇は“自分の杖に緑の葉が生え出ぬ限り、タンホイザーの救いはない”と告げた。教皇からゆるしは得られなかったのである。そして今また救いをヴェーヌスに求めようとしている。この時ヴェーヌスが姿を現し、タンホイザーを迎え入れようとした時、ヴォルフラムはエリーザベトの名を呼んだ。これによって突如、タンホイザーは正気に戻る。ヴェーヌスは地中に姿を消して行く。この瞬間、エリーザベトは神のみもとに召されて行った。
 この時まさしくエリーザベトの葬列が近づいて来た。タンホイザーは運ばれて来たエリザベートの遺体の前に倒れ込んで“聖なるエリーザベトよ、我がために神に救いをとりつげ!”といって息絶える。巡礼たちは“神は奇跡を起こされた、彼を救い上げられた”と歌い上げ、そして緑の葉の生えた教皇の杖をかかげるのであった。


参考ディスク

DVD UCBP-3005「タンホイザー」
(発売2002/6/26)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ヴォルフガング・ヴァーグナー演出・舞台装置
バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団

ヘルマン:ハンス・ゾーティン(Bs)
タンホイザー:リチャード・ヴァーサル(T)
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ:ヴォルフガング・ブレンデル(Br)
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ:ウィリアム・ペル(T)
ビテロルフ:ジークフリート・フォーゲル(Bs)
ハインリヒ・デア・シュラーバー:クレメンス・ビーバー(T)
ラインマル・フォン・ツヴェーター:シャードル・ショーリョム=ナジ(Bs)
エリーザベト:チェリル・ステゥーダー(S)
ヴェーヌス:ルートヒルト・エンゲルト=エリ(Ms)
若い羊飼い:ジョイ・ロビンソン(S)

収録:1989年バイロイト音楽祭


主要参考文献

「ヴァーグナー わが生涯」リヒャルト・ヴァーグナー
(山田ゆり)勁草書房 Mein Leben1870,1991刊による
「ワーグナー事典」監修:三光長治/高辻知義/三宅幸夫 東京書籍
「ワーグナー」三光長治 新潮文庫
Das Braune Buch 1865 bis 1882/Richard Wagner/Serie Piper Band 876
名作オペラ ブックス16「ワーグナー タンホイザー」アッティラ・チャンバイ&ディートマル・ホラント
(大崎滋生) 音楽之友社


2003-2007

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