嵐の後で飛び立つ鳥は
After the storm
小松崎
松平
by
Matsuhei Komatsuzaki
第一章 中国からの亡命者
一台の戦車が燃えていた。群衆は、その戦車を取り巻き、次々に火炎瓶を投げつけた。いままで炎に包まれて立ち往生していた戦車が、突然ギアを入れ換えたように、前進する。群衆と戦車の距離は次第に縮まり、窮迫感が増していく。薄汚れたワィシャツ姿の一人の青年が群衆の中から飛び出し、戦車の前に立ちはだかった。青年は、戦車の中の兵士に何か叫んでいる。その声は、群衆の喧噪にたちまち掻き消されていく。戦車のスピードが増した。青年は、両腕を大きく広げて、動こうとしない。戦車は、天安門を背景にして、容赦なく青年の身体をキャタピラーの下に飲み込んでいった。
一九八九年六月四日、天安門事件が起こってから、中国の知人との連絡が不自由になっていた。職場や住居から、強制的に「移動」させられているらしい。中国は、今後も民主化を遅らせて、かつての閉ざされた大国に逆戻りしていくのか、という悲観的な見方もあった。そのような混乱の日々に、中国の民主化を求めた学生や、活動家たちに対して、投獄、虐殺などが、公に行われ、見せしめのための銃殺刑の現場を、テレビの画面に映し出させたりした。
その年の秋、山本健一が勤務する電機業界紙では、「第七回中国電機廠視察団」の派遣を予定していた。
関東に梅雨明け宣言が出される頃、山本の会社に三十歳前後の男が訪れて来た。受付の女性が編集者たちのいる部屋に来て、山本の名前を呼んだ。
「中国人らしい方がお見えです」
「中国人? 男かい?」と山本は訊いた。
「ええ、山本さんのお名刺を持っています」
山本は、一九八〇年初期の入社二年目に「第四回中国電機廠視察団」に参加して、その後、四度訪中し、訪問先で名刺を数百枚交換しているので、持参する者がいても不思議ではなかった。しかし、受付で待っていた来訪者は、身長百七十センチメートルぐらい、髪が乱れ気味で、ブルーのジャンパーと黒いスラックス姿の見知らぬ男だった。
「山本です。失礼ですが、以前に中国でお会いした方ですか」
山本がそう言うと、男は二枚の名刺を差し出した。一枚は山本の名刺で、余白に中国語で何か細かい書き込みがあり、日付も書いてある。それを見て、山本の記憶が蘇った。もう一枚は北京大学の孫律生教授の名刺だった。
孫教授とは、「第四回中国電機廠視察団」で初訪中した際、中国国内を移動中の飛行機の中でたまたま隣席になり、名刺を交換し、一時間ほど英語で雑談した。孫教授は経済学が専門で、中国の改革・開放と市場経済を肯定する考えの持ち主だった。訪日の経験がないものの、日本の資本主義経済にも関心があるという。
『日本はアメリカの影響下で、戦後の混乱期から立ち直り世界の経済をリードするまでになった。中国は、貴国の素晴らしいところを学ぶべきですね』
五十歳代半ばの孫教授は、こざっぱりとした白い半袖シャツ姿で、眼鏡の奥の目を細め、穏やかな声で語った。
『孫先生、日本は資本主義国家を標榜していますが、集団行動や官僚が国の舵取りをすることなどを考えると、社会主義に近い国なのかもしれません。いや、もっと極論すると、人類史上で初めて社会主義を実現した国だと見る学者がいるくらいです』
と山本は言った。
『そういう考え方をされる学者がいるのですか。何か具体的な論文はありますか』
孫教授は、身を乗り出して、山本の話に興味を示した。
『具体的に今すぐには出てきません。新聞などで読んだ記憶がありますから、帰国したら調べてお知らせしましょう』
その後、孫教授には、新聞記事や適当な経済解説書を郵送し、礼状を戴き、毎年、クリスマスカードを交換し合っていた。
「トモダチ、トモダチ」
男がふいに叫んだ。その声に驚いて、コンピューターの前に座っていた二人の女性事務員が、こちらを窺った。山本は男を応接室に案内しようとした。男は床から二つの大きく膨らんだ旅行用バッグを持ち上げた。足許に視線を移すと、男の靴は布製らしく、少し汚れていた。山本が手を貸そうとすると、男は「不要、不要」と中国語で制止した。
「お疲れでしょう。私に持たせて下さい」
男の旅行用バッグは重かった。ひょっとすると、成田空港からこちらに直行して来たのだろうか、と山本は推測した。
応接室のソファーに落ち着くと、男は片方のバッグを開け、細長い箱を取り出し、
「みやげ、みやげ」
と言って、山本に差し出した。ウーロン茶セットだった。
「有り難う。ところで、私は、まだあなたのお名前を訊いていないのですが……」
山本が言うと、男は躊躇した。ジャンパーの内ポケットから、ボールペンを取り出し、メモ用紙を要求する仕草をした。山本は、取材用の手帳から一枚破いて渡した。男は一瞬、笑顔になり、すぐに「趙陽光」と書いて山本に見せた。
「趙陽光さんですか。分かりました。それで孫教授とは、お知り合いですか」
その質問に趙は戸惑いの表情を浮かべた。あまり日本語を理解できないらしい。試しに、英語は話せるか、と訊いた。「リトル」と応え、趙は旅行用バッグを探り、新聞を取り出して山本の目の前で開いた。日本のスポーツ紙の求人欄だった。
「テレホン、テレホン」片手で電話をかける仕草をして、
「アルバート、アルバート」と続けた。
趙は求人広告を見て、アルバイト募集先に電話をしてほしい、と山本に頼んでいることが分かった。首都圏版のスポーツ紙の求人広告が、どれほど利用されているのか分からないけれど、日本語に不自由な中国人を雇う経営者がいるのだろうか、と山本は考え、趙の来日の目的を知りたくなった。
「分かりました。それで、あなたは孫教授の教え子ですか」
「イエス。私は北京大学院の研究生です」
趙はきっぱりと言って、再びバッグを探り、大型の紙袋を取り出し、その中から茶封筒を抜き出して山本に手渡した。山本は二枚の便箋を開けて見た。
山本健一先生
その後、新聞記者のお仕事がお忙しいこととご推察いたします。ご存じの通り、わが国は今春、民主化の嵐が吹き荒れ、北京大学からも多くの学生が民主化運動に参加しました。六月四日以降、学内も封鎖され、混乱しており、私も落ち着いて研究が出来ません。私は民主化運動を支持します。わが国が海外に対して、改革・開放をすることは最早誰にも止められません。山本先生が新聞で書いた通り、「変わりゆく中国」を逆戻りさせるのは不可能です。
さて、今回、私から山本先生にお願いがあります。この手紙を持参した趙陽光同志は、私の教え子です。趙同志は、今回の民主化運動のリーダー的な存在であり、現在、公安当局から追われる身になっています。中国国内での活動は難しくなり、民主化の活動家らの、連行や逮捕、そして処刑が連日のように伝えられ、国内潜伏は厳しい状況です。
今回の事件で、多くの中国人が難民となって日本に流れ込むのではないか、と日本政府は憂慮し、中国人が日本へ入国することを厳しくコントロールするよう注意した、という話を聞きました。山本先生、趙同志の困難な状況をご理解の上、日本での生活を支援してください。私も海外に脱出する希望を密かに持っているのですが、様々な理由により未だに実現できません。趙同志に私の夢を託します。山本先生のお力で中国の現状を、再び新聞記事にされる日を楽しみにしています。
一九八九年七月十五日
北京大学
孫律生
孫教授の文面は、いつもの通り簡潔だった。だが、今回は論文や書物の照会などでなく、極めて政治的な問題を抱えた人間の保護の依頼であった。山本は、僅か二枚の便箋から孫教授の熱いメッセージを読み取ろうとした。それを確認するように、趙陽光の顔を見た。趙は充血気味の目でまっすぐ山本を見返し、強い意思を伝えてくるのだった。
「趙さん、孫教授の考えはよく分かりました。あなたも大変な体験をしましたね。パスポートはお持ちですね」
趙は、ジャンパーのポケットからパスポートを取り出して、山本に見せた。
「日本側の保証人は誰ですか」と、山本は訊いた。
趙は、先程の封筒の中から白い紙を抜き出して、山本に渡した。書式に則った招聘状で、日本側の保証人はタクシー会社の経営者の名前になっていた。
「この保証人には会いましたか」山本は、さり気なく訊いた。
趙は否定した。
「電話をかけましょうか」山本は提案した。
趙は大きな声で、「不要、不要」と繰り返し、強く拒絶した。何かある、と山本は判断した。タクシー会社名と保証人の名前を記憶しておこう。
「趙さん、これから泊まるところは決めていますか」
「はい。友だちが東京に住んでいます」趙は応えた。
「その方には連絡が取れますか」山本は確認を求めた。
趙は肯定した。
東京には何万人もの中国人が住んでいる。民主化運動の支持者がいても不思議ではないだろう。現に、在日中国人連絡会が天安門事件後に、東京・渋谷の宮下公園で中国政府に対する抗議集会を開き、明治公園までデモ行進したというニュースが、この間、報道されていた。
山本は、突然の来訪者にどこまで踏み込んでよいのか迷った。目の前にいる中国人は、ぎりぎりのところで祖国を離れ、いま亡命者になろうとしているのか。それなら、山本個人の力で、一人の人間を守り通すのでなく、公の保護が必要になってくる。自分はどうすればよいのか、と山本は自問する。
「アルバート、アルバート」
趙は再び派手な紙面作りのスポーツ紙を手に持ち、迫った。
「趙さん、これは日本のスポーツ新聞です。ここに載っている求人広告は、日本人を対象にしています」
「友だちは日本で働いている。中華飯店の皿洗いなら中国人でも出来ると言っています」
と、趙は強く主張する。それなら私にでなく、その友だちに直接頼んだ方がよいのではないですか、と山本は言おうとして言葉を飲み込んだ。
「分かりました。皿洗いでもよいのなら、私が探してみます。三日ほど待ってくれますか」
山本がそう言うと、趙の顔がとたんに明るくなった。山本にも少し心当たりがあった。
女性事務員が応接室に茶を運んで来た。山本は趙が持参したウーロン茶を事務員に渡し、
「お客様からのお土産です。あとで飲んでみたら」
と勧めた。事務員は礼を言った。
「趙さん、孫教授からお聞きと思いますが、私は電機業界紙の一人の記者に過ぎません。孫教授からのお手紙によりますと、あなたは、中国で民主化運動をされたそうですね」
「はい。北京大学の学生たちだけでなく、多くの大学の学生たちが中国の民主化運動に立ち上がりました。六月四日から五日にかけての天安門広場などでの騒動は、すでにご存じと思います。私もあの時、集団の中にいたのです。私の仲間たちは、警察や公安局員などに捕まり、何十人も投獄されて、中には処刑された者もいます。私は、どうにか逃げ延びて、孫教授の計らいで日本に入国が出来ました」
趙は英語の単語を一つひとつ考えながら、慎重に応えている。山本は趙の目を見た。思い詰めた目だった。
「孫教授の紹介なら、私も出来るだけあなたに協力しましょう。とりあえず、これから東京の友人の家に行くのですか」
山本は訊いた。
「はい。行こうと思っています」
趙は明るい声で応えた。
「場所は分かりますか」と、山本は訊いた。
趙は、ジャンパーのポケットから封筒を取り出し、山本に見せた。東京都世田谷区の住所が書いてあった。
「この住所ですね。道順は分かりますか」
山本は、初来日の趙を心配した。
「便箋に書いてあります。今日の夕方に友だちに会います」
趙は俯いて応えた。
山本は、趙の連絡先となる住所と電話番号をメモした。
「趙さん、アルバイト先が決まりましたら、必ずご連絡します。何かありましたら、会社の方に連絡して下さい」
山本が趙を安心させようとして言った。趙は礼を言って、やっと落ち着いたらしく、中国製の煙草を取り出して、山本に勧めてきた。山本は、「不要」と断った。趙は笑い、フィルターの付いていない安価そうな煙草を吸い始めた。
中国からの来訪者が帰ってから、山本は冷静に考えた。中国の民主化運動は、日本の学費値上げ反対などの学生運動とは違う。かつて赤軍派の一部は、北朝鮮や中近東に逃れたが、彼らは自ら選択したと言っていい。趙陽光たちは、明らかに国家から迫害を受ける可能性がある。中国では、文化大革命で知識人が思想再教育のために、下放された痛ましい過去があり、白い三角頭巾をかぶせて、人民裁判を繰り広げた、暗く、重い歴史がある。
その日の夕方、山本は勤務先から歩いて五分足らずの中華料理店「龍昇」に行った。そこは客席が三十席程度で、料理の値段も安く、簡単な酒の摘みも少量ずつ注文できるため、入社当時は編集部の同僚たちとよく来ていたが、最近は少し足が遠のいていた。山本は、席に着いてから、注文を頼み、店のオーナーを呼び出してもらった。
「山本さん、お久しぶり。最近はご無沙汰ですね。仕事が忙しいのですか。町田さんたちも、ここのところお見えになっていないしね」
下腹を突き出し気味のオーナーが、山本の側に立った。
「マスター、相変わらず麻雀をやっているそうだね。この間、町田がカモにされたと嘆いていた。所帯持ちの貧乏なサラリーマンからかすめ取ったら犯罪行為だ……。ところで、今日はちょっと、私からマスターにお願いがあるのです」
「急に改まって何? お金を貸してくれというのは駄目だよ。こちらは、麻雀の軍資金で困っているくらいだからね」
マスターは、優しく微笑んでいる。
「違います。実は今日、感動的な話を持ってきました」
山本は、今日の出来事をかいつまんで話した。ただし、変な誤解を与えてはいけないので、民主化運動のところはぼかしておいた。
「北京大学といえば中国一の大学で、エリートの集団だ」
マスターは驚いている。
「マスターは中国語も話せるし、この店では何人か中国人を雇っているから、勤め人が日本語が不自由でも、皿洗い程度なら使えるでしょう」
現に、「龍昇」では中国本土や台湾からの留学生を幾人か雇っていることを、山本は知っていた。
「コックなら雇ってもよいけれど、素人ではねえ」
マスターは渋い顔になる。
「そこを何とか、日本と中国の友好のためと思って、私からこの通り、お願いします」
山本は、テーブルに額を擦りつけんばかりに頭を下げた。
「そこまで山本さんが仰るのなら、その方にお会いしましょう。いつ連れて来る?」
マスターは、苦笑いしていた。
「有り難う。それなら一日も早く、マスターの気が変わらないうちに連れて来ます」
山本は、一安心して、マスターにビールを勧めた。
翌日、山本は午前中に趙陽光と連絡を取ろうとして、趙の友人が住むというアパートに電話した。しかし、応答がなかった。時間をずらして午後と夕方にも試してみたが、連絡が取れなかった。山本は、肩すかしを喰らったようで気が抜けた。
山本たちが編集している電機業界紙は、週刊紙であった。常勤の記者は五人前後のため、週によっては一面を一人で書きまくらなければならない場合もあり、残業も多くなった。その上、海外視察の企画物が入ると、誰かがそちらの専任になるので、二人分の仕事を一人でこなすほどハードワークになった。趙のことは、頭の隅に引っかかっていたが、山本は仕事の忙しさに追われて、あえて趙に連絡を取らなかった。
趙の来訪から一週間ほど経った午後、取材先から会社に戻ると、女性事務員が山本のところに来て、
「中国人らしい方から電話がありました。内容はよく分かりません。お電話して下さい」と伝えた。
山本は、再び趙の連絡先に電話した。しかし、不在だった。その日は午後九時頃まで残業をしていたので、再度、電話をすると、中国語で応答があった。
「すみません。そちらに趙陽光さんはいらっしゃいますか」
山本は慎重に訊いた。
しばらくあって、趙が電話口に出た。
「趙さん、私の方から、あなたに何度も連絡したのです。しかし、タイミングが悪くて連絡が取れませんでした。少しは落ち着きましたか」
山本は、穏やかに訊いた。
「はい。山本さん、アルバートの方はありましたか」
「そう。その件で連絡をしたかったのです。私の勤務先の近くに中華料理店があります。そこでよかったら、マスターがあなたを面接したいと言っています。あなたは今週、都合のよい日がありますか」
山本は、手短に言った。
受話器から中国語で何か話し合う声が聞こえてくる。
「明日なら午後、大丈夫です」やっと趙が応えた。
「それなら、また私の会社に来て下さい。なるべくなら、私は仕事がありますので、午後五時過ぎがよいのですが……」
と山本は言った。
「分かりました。それでは明日、会社へ伺います」
趙は約束して、電話を切った。
翌朝、山本は龍昇に電話をかけてマスターに連絡し、趙の面接を申し出た。趙は、午後四時頃に来社した。山本は原稿の締め切りが迫っていた。趙に応接室で待ってもらった。ちょうど社長の伊藤茂雄がいたため、来訪者に関心を示した。
「彼は、山本君の知り合いかね? 中国の電機工場の人?」
と、伊藤は訊いてきた。中国での移動先で知り合った、大学教授の紹介で来日して、仕事を探している人らしいので、近くの中華料理店に面接に行かせることなどを、山本は伊藤に掻い摘んで話した。ただ、話をこれ以上は、複雑にしたくなかった。そのため、民主化運動については伏せておいた。
「えっ、北京大学院の研究生なの?」伊藤は驚いて、
「そりゃあ、エリートだ。そんな立派な人が、本当に皿洗いなんかでいいのかねえ」
と付け加えた。
「本人が希望していますから、面接だけでも受けさせてみます」
と山本は応えた。
それでも伊藤は不満らしく、趙と応接室で面会している。しかし、伊藤は中国語はもちろんのこと英語も話せないので、二人の会話は成立しないため、すぐに伊藤は応接室から出て来てしまった。
龍昇に向かう途中で、山本は趙に日本のアルバイト事情を簡単に説明した。趙は、この一週間で日本における外国人の労働事情をある程度理解したらしく、容易には仕事が見つからない現状を承知したようだった。
夕食の時間のため龍昇は込んでいた。マスターは山本と趙を事務室へ案内し、一通り中国語で趙に質問している。山本は邪魔にならないように狭い部屋の中を眺め回していた。
「山本さん、この人の保証人はどうなっている?」
ふいにマスターが訊いてきた。
「えっ。趙さんは何と言っているの?」
山本は、ちょっと不安になった。
「山本さんにお願いしたい、と言っている」
マスターが応えた。
「確か書類上では、タクシー会社の社長になっているはずだが……。マスターが私でもよいのならかまわないけど」
山本は趙に確認した。趙は書類上の保証人に会っていないだけでなく、電話連絡もしていない様子だった。保証人について、趙は孫教授から詳しい紹介をされていないという。
「いま、不法在留外国人が多くなり、まともな外国人を雇うのでも、お役所がうるさいので、身元保証人は、はっきりしておかなければならないからね。何しろ、先月に中国であのような騒ぎが遭ったばかりだし、不法滞在者が不法就労するケースが増えているのでね」
マスターに説明されて、山本は思案した。趙の書類上の保証人に連絡をする必要が出てきた。
「趙さん、保証人に電話連絡してみましょう。電話番号の控えはありますか」
山本が訊いてみたものの、趙は手ぶらで来ていたため、電話番号が分からなかった。山本はタクシー会社名を覚えていたので、番号案内で調べてかけてみた。残念ながら経営者は帰宅した後らしい。
「マスター、私の方から書類上の保証人に明日、確認しておく。龍昇に対する保証人は、私でよろしければ使って下さい」
山本は、覚悟を決めて、申し出た。
「山本さんの紹介なのだから、そうしてもらった方がよい。何かあったら、近くの方がすぐに連絡できるしね」
マスターは寛大だった。
「それでは、趙さんを雇っていただけるのね。有り難う、マスター」
山本は趙に、採用になった、と告げた。趙は喜び、マスターと山本に感謝した。勤務時間や日給などは、本人とマスター間で決めていた。
翌日、山本はタクシー会社に電話した。経営者が電話口に出てから、山本が事情を説明すると、相手は要領を得なかった。
「何、その人は既に来日しているの? 何もまだこちらに連絡がないけど……。私は、孫さんのことを直接には知らない。知り合いから急に頼まれて引き受けただけで、詳しい事情は何も分からない。仕事の保証人は、もちろん断る」
先に本人から連絡がなかっただけに、相手は明らかに不機嫌になっていた。これ以上、民主化運動などの話をしても、相手は強く拒絶するばかりであろう。孫教授が緊急避難的に趙を日本へ送り込んだ状況を考えると、趙がなぜ山本のところに直接やって来たのか、分かったような気がした。窮鳥懐に入るというではないか。山本は、胸の奥から義侠心がふつふつと湧いてくるのを感じていた。
面接の日から三日後、山本が龍昇に行くと、趙は前日から勤め始めていた。白い上下の作業着、白長靴姿の趙の髪は、いくぶん短めにカットされて、すっきりしていた。そうするように、マスターが命じたのだろうか。山本の前に挨拶に来るなり、自分の制服姿を意識して、趙はちょっとはにかむ素振りを見せた。
「趙さん、頑張って下さい。私が応援します。あっ、それから趙さんの保証人と連絡がついて、私に仕事上の保証人になってもよいと言ってくれましたので、安心していいです」
山本は、保証人から拒絶された事実を隠した。趙は何かを察したらしく、感謝の言葉を述べてくるのだった。
天安門事件の影響で、「第七回中国電機廠視察団」は中止になり、当分は訪中の機会は巡って来ないだろう、と山本は予測し、半分諦めていた。だが、思わぬところから俄に単独での訪中の話が持ち上がりつつあった。
山本の会社のスポンサーであり、電機部品工場の経営者である西田信一が、伊藤に相談を持ちかけてきた。西田は「第一回中国電機廠視察団」の参加者で、山本が同行した第四回では、西田の一人息子の信吾が中国留学のための下見として、加わっていた。
西田信吾は東洋医学系大学を卒業して、さらに中国語を習得するために、伊藤の計らいで、中国河南省の鄭州大学に入学していた。伊藤が西田信一から聞いた情報によると、信吾には三人もの世話係が付けられており、中国での優雅な留学生活を続けているらしかった。少なくとも天安門事件が起こるまでは、
「可愛い子には、旅をさせる」
と、西田信一は伊藤茂雄たちに豪語していた。しかし、一九八九年五月二十日、北京に戒厳令が敷かれて以降は、西田信一を一挙に不安の底へ引きずり込んでいった。
「中国は恐い。やはり共産党の支配する国家だ。何があるのか分からない」
と、西田信一が思い直すのも親心からだった。
「それで、西田社長は、信吾君に帰ってこいと連絡したのですか」
山本は、伊藤に相談を持ちかけられて、訊いた。
「西田は困っているらしい。息子に帰ってこいと言ったのだが、はっきりしないのだ」
伊藤は、曖昧に応えた。
「なぜですか」山本は驚いた。
「どうやら、信吾君が現地の女性と恋仲になってしまったらしい。西田はこの結婚に反対しているようだ」
伊藤は、口許を少し弛めた。
「大事な跡取り息子だからな、信吾君は――」
と伊藤は言った。
色白で、ほっそりした顔の、いかにも生真面目そうな西田信吾が、女に手が早いことを、山本は今まで知らなかった。山本は、中国で現在、恋愛中の信吾の気持ちを忖度した。
「西田は、『中国に行って、信吾の首に縄を付けてでも引っ張ってくる』と息巻いている。だが、これまで信吾君を預かってくれた、鄭州電機廠の周劉方廠長の立場もある。仲介をした私としては、西田と周廠長が対立したり、気まずくなるのは、望んでいない。本来ならば私が訪中して、事を丸く収めてくればよいのだが、私は今秋の欧州視察の企画で忙しい。そこで山本君に取材も兼ねて訪中してもらって、信吾君を説得してほしい。これは西田と私の考えた結論だ」
伊藤は、山本に業務命令を伝えてきた。兄弟でもない他人の自分が行っても、西田信吾の恋心を変えさせて、帰国を促すのは無理だろう、と山本は予測した。
「今回の天安門事件が、どれほど中国に悪影響を与えているかも知りたい。中国電機機械輸出入公司の高夏琳女史は、視察団の中止を残念がっている。当社としても、中国視察団の企画が、このまま中断するのは本意ではない。訪中して、高女史とその点をよく話し合ってほしい」
訪中のたびに何かと世話になっている、高夏琳女史の名前を伊藤の口から出されると、山本は躰に温かいものを感じた。少女時代に毛沢東を信じ、文化大革命の混乱を体験して、五十歳を過ぎてから、いままた新たに、天安門事件を目の当たりにした国際派の高女史は、何を考えているのだろうか。
高女史は、中国電機機械輸出入公司の秘書長で対外担当の責任者も兼ねている。日本から中国へ電機機械などを輸出する際に、その公司の許可が必要になる。このため、視察団の機械、材料メーカーなどの参加者は、高女史と親しくなることを望んでいた。
高女史は、北京市内の大学を卒業した後、ロシアの大学へ留学して電機関連の学位を得た。ロシアから帰国後に当時の電機工業部(日本では省に該当)に勤務し、数カ所の電機工場に派遣された後に再び北京に戻ってからは、対外交渉の責任者として働いてきた。
東京・四谷に、中国電機電子工業部系列の在日機関である、電機機械輸出入公司日本支社がある。中国視察団の企画の時は、必ずその支社に協力を求めていた。ある日、山本は訪中の相談のためにそこへ訪ねて行き、李志英に会った。
李は、三年前に通訳として北京から東京に転勤して来た。三十歳代の妻帯者で、気安い性格のためか、来日当初から伊藤に重宝がられて、幾度となく酒席に現れていた。着任当初は、中国式の堅さが会話の節々に残っていたものの、一年も経つと、日本のルーズな習慣と資本主義国での享楽を覚え、山本たちと新宿の風俗店などにも遊びに行き、単身赴任の生活を楽しんでいた。
「李さん、中国は今年、混乱していますね。天安門広場で民主化運動を進めた民衆を軍服姿の者が銃器で脅かし、戦車で踏みつぶしてしまった。同じ中国人として、どう思われますか」
山本は、李に直接的な訊ね方をした。
「天安門動乱は、一部の不良分子が引き起こした暴動です。反革命分子を抑えるのは、人民解放軍の仕事です。中国政府の判断は正しかった、と思います」
李は中国人特有の癖のある日本語で、役人が用意したような模範回答をした。李が共産党員であるのかどうかは、確かめていなかった。恐らく党員だろう、と山本は推測していた。
山本は、十月過ぎに中国に単身で取材に行くのが可能か、と李に訊いた。
「大丈夫、心配ない。日本からの旅行者も減っていません」
李は自信ありげに応えた。
「天安門事件後に中国に残っている日本人は、大使館関係者と商社のビジネスマンぐらいだと報道されている。本当に大丈夫かね?」
山本は念を押した。
「大丈夫、大丈夫。天安門動乱は一時的な騒ぎで、いまは北京も平常通りになっています。私が保証するよ」
李は正面を向き、自信たっぷりに言った。
「それよりも山本さん、最近私を飲みに連れて行ってくれないね。どうしたの?」
李は「飲みに連れて行け」と暗に要求してきた。中国の政府関連の事務所で、日本人と個人的な話をしているのが苦痛になっているらしかった。
山本は、新橋駅地下にある行きつけの居酒屋に李を案内した。その店に着くと、李は生ビールを飲み、満足そうに言った。
「日本の生ビールは、よく冷えていて美味しいなあ。酒の摘みも色々あって、食べ飽きないよ」
「中国では青島ビールがブランドになっているだろう。ただし、初訪中の時に、夏なのに生温いビールを出された時には、正直に参った。苦情を言うと、ビールを注いだコップに氷を入れて冷やせと言われた。冷蔵庫の普及率がまだ低いのだね」
と山本は指摘した。
「北京市内は、以前よりもよくなっている。地方へ行くと、まだ電力供給が十分でなく、冷蔵庫の普及率も極端に低くなる」
李は、冷やしトマトを旨そうに頬張りながら応えた。
「中国が近代化に遅れたのは、文化大革命による十年間の混乱が原因だね。李さんは、下放を経験しているのかい?」
山本はストレートに訊いた。
「私は、下放を体験していない。しかし、その頃、私は学生でしたから、大きな影響を受けています。中国の開放は、一九七五年頃から始まっており、まだ十年足らずです。中国の社会主義は発展途上にあります」
李は、堅苦しいことを好む伊藤がいない席なので、普段よりビールを飲むピッチが早かった。山本は確認しておきたい情報があった。
「李さん、もし中国人が日本へ亡命して来たらどうなる?」
山本は、仮定形で訊いた。
「亡命? なぜ中国人が日本へ亡命するの?」
李は、不思議そうな顔を向けてくる。
「例えば、今回の天安門事件で当局の弾圧を逃れて来たら……」
山本の質問に、李は少しの間、何かを考えていた。そして真剣な顔になって言った。
「亡命は家族に迷惑がかかる。たとえ日本に亡命したとしても、すぐに見つかってしまう。中国で犯罪者になっていれば、日本での在留許可が取れず、中国へ強制送還されてしまう。山本さんは、誰か中国からの亡命者を知っているの?」
李は疑り深い視線を山本に向けてきた。李も密告社会の中国からやってきた人間だと気づき、山本は、趙陽光の置かれた危うい立場を改めて認識するのだった。
山本の単独訪中の話は、ほぼ決まった。視察団の継続の話し合いというよりも、西田信一の息子に対する愛情が勝っていた。中国では、民主化運動の参加者に対する取り締まりがますます厳しくなっていた。二十歳代の西田信吾が、追い詰められた民主化推進の学生たちに同情して、誤認逮捕されないとも限らない。
「やはり、共産党が独裁を続ける国家は、何が起こるか分からない。危なくてとても見ていられない。あのようなところに置いていたら、息子は共産党に殺されてしまう。私が費用を出すから、信吾を連れ戻してほしい。頼む、一生に一度の男の願いだ……」
西田信一は、伊藤との酒席で涙を流して頼んでいる。その席に山本も同席していた。西田信吾からの手紙に、「民主化推進の学生たちを支持する」という文章があったので、西田信一の不安をさらに増幅させた。
「共産主義と結婚させるために、私は息子を中国に留学させたわけではない!」
西田信一は中小企業の経営者として、保守党を支持しており、共産主義を嫌っていた。一人息子がその主義に染まっていると考えるだけでも、耐えられなかった。しかし、中国の民主化運動は、共産主義国家の矛盾点を改善しようとしているのではないか。試しに山本が、そのことを遠回しに西田信一に訊いた。すると、西田信一は大声で喚いた。
「どちらでも同じだッ。ゴチャゴチャ言わずに、私の頼みを聞いて、中国に行って来い!」
山本は、西田信一の親心も分からないではなかった。ただ、西田信吾を説得できる自信はなかったものの、民主化運動で揺れ動く中国を肌で確かめたかった。
訪中の窓口となる高女史からの返事がなかなか届かないので、山本をやきもきさせた。山本は、李志英を何度も急き立てて、本国に確認させた。九月下旬にやっと返事が届き、出発の日は十月二十日で、中国の政府機関への取材を予定して、約一週間の日程が組まれた。
山本は訪中前に会っておきたい人物がいた。写真週刊雑誌「シャッターチャンス」専属カメラマンの前島秋夫だった。前島は、今回の天安門事件によって、日本人で唯一の被害者になっていた。
天安門事件を報じた六月五日の全国紙朝刊一面「邦人カメラマン重傷 軍隊が狙い撃ち」という見出しに、山本は惹きつけられた。記事の中に前島秋夫の懐かしい名前を発見し、山本の驚きは倍加された。
前島が天安門広場付近で取材中に、戒厳部隊の銃撃を右太股に受けて銃弾が貫通した、とその記事は伝えていた。一週間後、右足にぐるぐる巻きの包帯、松葉杖をついた痛々しい姿で、前島は成田空港に降り立ち、報道陣に取り囲まれ、自らが「シャッターチャンス」の被写体になっていた。
山本が現在の会社に入社する前、フリーランスで物を書いていた時期があり、カメラマンの前島と組んで仕事をしたことがあった。八年ほど前だった。前島は山本より六歳上で、生まれ故郷が一緒だったために、二人は気が合った。前島の帰国のニュースを見てから何度も彼のアパートに電話をしたが、いつも留守であり、連絡が付かなかった。山本は、訪中を目前にしたために「シャッターチャンス」の編集部に電話して、前島とコンタクトを取ろうとした。
深夜、山本の部屋に前島が電話を掛けてきた。
「やあ、しばらく。山本さん、お元気ですか」
前島の電話の声は、山本が予想していたよりも明るかった。
「前島さん、このたびは大変な事件に遭遇されましたね。その後、怪我の具合はいかがですか。ニュースを見て、驚きました、あなたが天安門事件を取材していたなんて、全く知りませんでしたから」
山本は、前島を気遣った。
「いやぁ、みっともないことになって、恥ずかしいです。スクープを撮る方が主役になってしまったようで……」
前島は、自分に降りかかってきた災難に恐縮しつつも、どこか楽しんでいるような感じだった。
「事件後に、お見舞いを言おうと思って、前島さんのご自宅に何度も電話をしていたのですが、うまく連絡がつきませんでした」
山本は、経緯を伝えた。
「それは、大変失礼しました。中国から帰国後にマスコミから取材が相次いで、忙しかったのです。それに、しばらく通院していましたから、留守にすることが多かったので、みなさんにご迷惑をかけました。もう、大丈夫です、再び取材現場に戻っています」
前島は、自分に言い聞かせるように言った。
「前島さん、近く私は訪中します」
山本は事実を告げた。
「取材ですか、天安門事件のその後のような――」
前島がすぐに反応する。
「いま、私は電機業界紙に勤めていますので、政治的な話や事件物は追いかけていません。産業情報が中心です。しかし、今回の天安門事件については、個人的に関心があります。前島さん、久しぶりに飯でも食いながら、情報交換をしましょう」
山本の申し出に、前島は快く同意した。
週末、山本は以前に前島と利用したことがある渋谷の居酒屋で待ち合わせた。夕方六時の約束で、山本の方が先に着いて待っていた。前島は三十分ほど遅れて、右手に松葉杖を一本持ち、右足を少し引きずりながら現れた。彼はカメラマン・チョッキを着、首にはライカらしい小型のカメラが紐で吊され、彼が歩くたびに左右に揺れていた。
「やあ、遅れてすみません。道路が込んでしまって、神田で乗ったタクシーがなかなか前に進まないものですから」
前島は、すみませんと二度付け加え、短く刈り上げた頭を下げた。前島秋夫は身長が百七十センチ程度の細身で、怪我のためか頬が以前よりも引き締まり、精悍な顔つきをしていた。
「大丈夫ですか、名誉の負傷者を呼びつけてしまったようで、悪かったですね」
山本は、椅子に座ろうとする前島に手を貸そうとして、彼の側に行った。前島は、大丈夫、大丈夫、と言いつつ、右足を庇いながら慎重に腰を下ろした。
「まさか自分が、事件の当事者になろうとは、夢ゆめ思っていませんから、このような姿になってみて、初めて分かったこともあります。今度ばかりは、取材現場で殺されると思いましたよ……」
前島は、お絞りで手を拭きながらしみじみとした声で言った。
「前島さんは私と仕事をしていた頃、ベトナム戦争でカメラマンとして名をあげた、沢田教一のようになりたいと口癖のように言っていたから、本望でしょう」
山本は、懐かしさを込めて言った。
「いやぁ、彼ほど格好よくないですよ。それにまだ彼のような立派な仕事をしていない。いまだに芸能人の追っかけごっこですから」
前島は自嘲気味に言った。
「そんなこともないでしょう、『シャッターチャンス』でのお仕事をいつも誌面で拝見しています。裁判所での隠し撮りや政治家と愛人の不倫現場を激写するなど、ますます腕が冴え渡って、評価が高まっているではないですか」
山本は、前島を称讃した。
「山本さんからそう言われると、恥ずかしいなあ。あなたは僕のような軟派と違って、一貫して硬派ジャーナリストだからな」
前島は照れ笑いを見せた。
「そんなこと関係ありませんよ。前島さんは、メジャーの雑誌の特派員として、現在も積極的に活躍されているじゃありませんか。そして、今回、天安門事件の現場で名誉の負傷者になられた。少しずつ沢田教一に近付いているのではないですか」
山本の称讃に対して、前島は声に出して笑い、そんなに煽てないで下さいよ、と言って、旨そうにビールを飲み干した。
前島の話によると、彼は五月二十三日に他のカメラマンたちと中国に入り、天安門広場に集まった学生たちの様子を写していた。
「当初は、学生たちも穏やかに街の中を行進していたのです。あまりにもデモの統制が取れているので、これは中国共産党がときどき仕掛ける国民のガス抜きのための官制デモなんじゃないか、と疑ったくらいです。広場に集まった連中は、まるでピクニック気分で、北京の戒厳令の現場を撮ろうと日本から駆けつけた我々は、些か拍子抜けしました」
前島は、ショールダーバックから分厚いファイルを取り出してから、天安門事件の取材ネガや写真を山本に見せ、事件の経過を時系列的に一通りの説明を行った。
「流れが変わったな、と気づいたのは、六月三日頃でした。それまで北京郊外に展開していた人民解放軍が二日の夜から三日の朝の間に、大きく移動して、学生たちが占拠する天安門広場に近付いてきたのです。我々は三日の昼、宿としていた北京飯店の近くで学生たちと戒厳部隊の動きを注意深く眺めていました。これから何かが起こる予感がしました。両者は睨み合ったままで、長い間、膠着状態が続いていたのです」
戒厳部隊は、三日深夜、市中心部制圧の実力行使を始め、四日午前零時から一斉に天安門広場に向かって進み、一時間足らずで戦車や装甲車が突入した。
「我々は軍隊と学生たちの衝突現場を撮ろうとして、三日午後、広場から西方向に約二キロほど離れた西長安街に行ったのです。そこでは兵士たちを乗せた二台のバスが群衆に取り囲まれて、立ち往生していました。兵士たちは群衆の包囲網を解くために、催涙ガス銃を発砲し、学生や市民たちを警棒などで殴りつけて、排除しました。僕は、その現状をつぶさに見て、久しぶりに興奮しました。よおしっ、と自分に気合いを入れて、物陰に隠れて飛んでくる鉄砲玉を避けながら、撮影に最も適した場所を探し、カメラを持つ手が震えました」
前島は、その時の興奮が蘇ったのか、下唇を頻りに舐め、瞳を大きく開いている。
「連続的な発砲が開始されたのは、三日午後十一時頃からでした。四日午前零時を過ぎた頃、新たに戦車や装甲車が広場付近に次々にやってきて、集中的な発砲を始めました。僕は、ぎりぎりまでシャッターを切り続け、身の危険を感じて、市民たちと共に東方向に約二キロほど逃げて行きました。午前二時頃、長安街で逃げまどう市民たちの様子を撮っていた時、いきなり右太股に激痛が走ったのです。僕は、呻き声をあげて、その場に蹲り、右太股に掌をあててみると、温かい血が掌にべっとり付いてきたのが分かりました。やられた、と思いました。銃で撃たれたのは、生まれて初めてです。けっこう痛いものです」
幸い前島は、側にいた市民に助けられて、近くの協和病院に運ばれて手当を受けた。
「最初は、威嚇射撃や催涙ガス銃だと思っていたので、自分の血の感触に初めて触れて、冷や汗が出るほどびっくりしました……。迂闊にも自分が被害者になるまで、人民解放軍は、人民に対して銃を向けないと思っていたのです。僕はお人好しでした。人民解放軍もただの軍隊であり、威嚇射撃などではなく、銃を水平に構えて、我々を狙い撃ちしてきたのです。もし右太股でなく、銃弾が運悪く胸を貫通していたなら、僕は既にこの世にいなかったでしょう。そのことを想像すると、いまでも生きた心地がしません」
前島は、そこまで話すと、喉の渇きを癒すためにビールを勢いよく飲み始めた。
山本は頃合いを見計らって、今回の事件は、学生の暴走が原因ですか、と前島に訊いた。
「うーん、どうでしょうかねえ。そういう風に分析している新聞記事もありますね。学生たちの行動を嘲笑うかのようなアメリカの特派員のリポートも読みました。ただし、中国は、十二億の人民を約五パーセントの共産党員が支配しているのですから、我々の常識が通用する国ではありませんよ。報道の自由もありませんし、選挙制度すら、未だにまともに整えられていないのですから、学生たちが今回怒ったのも分かるなあ」
前島は、学生たちに同情的な口振りだった。
「ところで、山本さんは、今度、訪中するんでしたね」
前島が話題を変えようとした。
「ええ……」山本は慎重になった。
「何か目的があるのですか」
前島は、探るような目で山本を見てくる。
「現在の勤め先が電機業界紙で、これまで中国に視察団を派遣したりしているものですから、今後のことが気になるのです。その調査のために、北京に行って来いと上司から言われているのです」
山本は、事務的に応えた。
「ふーん。そうですか」
前島は、疑り深そうに山本を見つめた。
「実は、新聞の広告スポンサーの一人息子を、中国から連れ戻すという目的もあるのです」
山本は、本来の目的を告げた。
「それはまた厄介な話ですねえ」
前島は小さく頷いた。
山本は、西田信一からの依頼の件をかいつまんで前島に話した。
「えっ、日本人の留学生が、天安門事件に関係しているのですか。そりあ、面白いなあ。もう少し詳しく教えて下さい」
前島は西田信吾の存在に興味を示し、身を乗り出して、瞳を大きく見開き、山本を見た。山本は、そこに前島のカメラマン魂の片鱗を見たような気がした。
「彼が直接、関係しているかどうかは、まだ分かりません。向こうで女の問題を起こしたような優男ですから、民主化運動に参加するほど勇ましくないと思うのです。所詮、日本のブルジョアの跡取り息子ですからね」
山本は少し慌てて、前島の関心を冷まそうとした。
「山本さんが訪中して、その人について何か新しい情報をつかんだら、是非教えて下さい。僕は今回の事件を自分の身体と頭で記憶したのですから、少しでも可能性があるのならば、一人のカメラマンとして、追いかけてみたいのです」
前島は謙虚な姿勢になった。
実は前島さん、民主化運動の学生リーダーが、中国当局に目を付けられて、私のところに亡命してきているのです、と言いそうになる気持ちを山本は辛うじて抑え込んだ。前島の仕事に対する情熱は分かるものの、山本は、懐に飛び込んできた中国からの窮鳥について、いまはまだ前島に話す気になれなかった。
二時間ほど前島の話を聞いて、山本は天安門事件の概要を理解した。さらに学生たちの行動を知りたければ、当事者である趙陽光に直接訊けばよい。山本は、中国から帰国後に、再び前島に連絡することを約束して、渋谷駅で彼と別れた。
翌日、山本は久しぶりに龍昇に出向いた。ビールと料理を注文してから趙陽光を呼び出してもらった。
「趙さん、今月中に単独で私が訪中することになった」
「取材ですか」趙は、瞳を輝かせて訊いてきた。
「それも半分ある。もうひとつ目的は……」
一体、どこまで趙に正直に話してよいものか、山本は思案した。民主化運動に取り組み、当局の弾圧を逃れて異国に亡命して来た者に対して、西田信一のような民主化運動や学生たちの行動を、一方的に批判する言葉は、あまりにも厳しすぎる。
「河南省の鄭州大学に留学している知り合いが、民主化運動の支持に回って、困っているらしい。その人を助けに行く」
山本の話に、趙はたちまち興味を示した。
「その方は、中国語が話せるのですか」と趙は訊く。
「日本で東洋医学を専攻し、中国に留学して三年以上経つから、多分、日常の会話は困らないだろう」
山本は推測で答えた。
「その方とは、北京で会いますか」
趙は、矢継ぎ早に質問してくる。
「北京空港まで迎えに来てくれる予定になっている。その後、河南省の鄭州に同行する」
山本が応えると、趙は何かを考えていた。そして、決心した顔で山本を見た。
「山本さん、私の願いを聞いてくれませんか。明日の夕方、もう一度店に来て下さい」
趙は、縋るような目で山本を見詰めてきた。
翌日の夕方、山本が龍昇に行くと、趙は茶封筒と三十センチ四方の包みを差し出した。
「私の家に行ってくれませんか。これを家族に渡してほしいのです。自宅は北京市内です。住所と地図をここに書いておきました。お願いします」
趙は、そう言って頭を深々と下げた。
山本にそれを断る理由は見当たらなかった。
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