性の監獄
     The prison of sex

                     小松崎 松平
                     by Matsuhei Komatsuzaki



第一章 北京赴任

 ホテルの部屋に妙な電話がかかり始めたのは、九月初旬に訪中して一週間ぐらい経ってからだった。初めは発展途上国にありがちな電話の混線だろうと推測していた。その部屋は、駐在事務所も兼ねており、日本の会社からの仕事上の連絡も入るので、電話が何時にかかってきても、対応しなければならなかった。
 最初、夜九時過ぎに電話がかかってきた。くぐもった艶のある女の声で、何か言っている。川村勇一は咄嗟に、フロントからの連絡だろう、と判断した。相手は、中国語で喋っている。川村は日本にいる間に、中国語の専門学校に通って、日常会話程度は習得していたため、多少、中国語は解るつもりだった。しかし、その女の発音には、聞き取りにくい癖があり、長いフレーズになると、意味をつかむことが困難になる。

「英語か、日本語で喋って下さい」
 川村は、英語で要求した。外国人を客としているホテルの従業員ならば、こちらが何人なのか予め判っているはずだし、英語ぐらいは理解できるだろう、と予測した。
 相手は、再び中国語で同じ言葉を繰り返し、こちらの反応を窺っている。
「何か用ですか」
 川村は簡単な中国語で訊いた。
 女は、ひとつひとつの単語をゆっくり喋った。耳を澄まして聞いてみると、しきりに何かを勧めていることがどうにか判る。北京市内でも電話勧誘が流行り始めたのだろうか、と川村は気づき、
「不要(ブーヨウ)」と言って、電話を切った。
 再び電話のベルが鳴ったのは、一時間程してからだった。先程の声で同じ台詞を繰り返し、こちらの返答を待っている。
「不要!」川村は再び断って、受話器を置いた。
 
 翌日の晩も、同じ声の女から、九時過ぎに電話がかかってきた。話す内容は、昨夜とほぼ同様だった。川村の聴覚が相手の発音の癖に少し慣れて、意味が解るまでになった。女は、「聊天(リヤオテイェン)」と発音している。これは、雑談や喋り合うことを意味していた。
「そちらの部屋に行って、お話しをしてもいいですか」
 女は事前に、川村の部屋に訪ねる許可を求めていた。川村は少しの間、考えた。女はこちらにコンタクトを取ろうとしている。たぶん、セールス・レディーか何かだろう。日本ならば、新興宗教への勧誘が思い当たる。社会主義国の中国まで来て、壺や判子を売りつけられるのは願い下げだが、川村は、艶のある声の持ち主の正体を確かめてみたいという衝動に駆られた。

「あなたは、今、どこからこの電話をかけてきているの?」
 川村がゆっくり中国語で質問すると、女は一瞬、答えに詰まったような間があった。
 女は、川村がいるホテルの名を告げて、
「近くにいます。五分ほどで、そちらに行けます」
 と答えてきた。
「あなたは、私に何を売りたいの?」
 川村は、女の目的を確かめようとした。
「お話しがしたいのです。詳しいことは、そちらに行ってから話します」
 女はしたたかだった。こいつは手強いぞ、と川村は警戒した。
「ホテルのロビーで会おうか」
 川村が提案してみる。
「駄目です。部屋でなければいけません」
 女は強い口調で言い返してくる。
「私は、日本人だ。中国語が自由に話せない」
 川村は、守りを固めた。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ」
 女は急に日本語で話した。
「あなたは、日本語を話せるの?」
 川村は、日本語で試しに訊いてみた。
「スコシ、スコシナラ」女は応えた。
「それなら、なぜ私に会いたいのか、理由を言って欲しい」
 川村の日本語による詰問に対して、女はしばらく無言だった。それから女は強い口調で、中国語で何か叫び、電話を一方的に切った。川村には、女の捨て台詞のような言葉が理解できなかった。
 
 翌日の午後、川村は大手ケーブルメーカーの北京事務所に届け物があり、タクシーで三十分ほど行った所にある、日系の企業が数十社入居しているビルに向かった。そこの所長は、以前に日本で勤務していたころ、川村の会社が企画した「中国ケーブル産業視察団」に参加し、その時、川村は記者として同行取材していた。視察期間は三週間にも及び、東北部から南部の経済特別区まで中国各地の大型ケーブル工場などを、三十人ほどの人数で視て回った。その時の団員たちとは、同じ釜の飯を食べた戦友同士の仲になり、いまでも親交があった。

「川村さん、待っていたよ。この度は無事に北京支局を開設され、初代の支局長にご就任されたそうで、おめでとう」
 磯崎所長は笑顔で川村を迎えた。磯崎は川村より一回り以上も年上で、四十七歳だった。
「磯崎さん、お元気ですか。こちらに来られて、二年以上経ちましたね。少しは中国の水に慣れましたか」
 川村は、『ケーブル新聞』の縮刷版の三年分を磯崎に渡した。
「あっ、有り難う。これがあると助かる。何しろ、こちらには業界に関する資料が少ないのでね」
 磯崎はソファに座ると、縮刷版を手に取って、捲っている。
「しかし、川村さんまでが北京駐在になるとは、夢にも思わなかったな。私があなたの引率する視察団に参加したのは、確か六年前だったね」
 磯崎は、視線を川村に向けて、訊いてくる。
「そうです。天安門事件の前の年でしたね」
 川村は、懐かしさを感じながら応えた。
「早いものだねえ……」
 磯崎は、遠くを見つめるような目つきになった。

「天安門事件のときは、本当に驚きました。それ以前には、何の兆候もなかっただけに、酷いことが起こったな、と思ったものでした」
 川村も当時を振り返った。
「あの事件は、チャイナ・ウオッチャーの川村さんでも、事前に予測がつかなかったのかい?」
 磯崎は、ちょっと皮肉を込めた目で川村を見た。
「ええ。あれは、嵐のように突然にやってきましたからね」
 川村にとっても、その事件は青天の霹靂(へきれき)だった。
「あの事件のお陰で、我が社の中国向け輸出量も減ったし、西安にある光ケーブルの合弁会社の存続も危ぶまれたほどだったからね」
 磯崎は、北京事務所所長の顔に戻って言った。
 
 女性がお茶を運んできた。中国茶だった。
「紹介しておこう。ここで、翻訳や通訳をしてくれている趙芳春さんだ。こちらは、新聞記者の川村勇一さん。今度、北京支局長になられて、北京に駐在することになった方だ。彼はまだ三十代で独身のはずだが、そうだろう、川村さん?」
 磯崎は川村に確認を求めて、二人を紹介した。川村は、北京支局の住所が入っている刷り立ての名刺を趙芳春に渡した。
「趙です。川村さんの記事は、日本から送られてくる『ケーブル新聞』で、毎回読ませていただいています。中国のケーブル工場にも、何度も取材されていますね」
 趙芳春は、にこやかに挨拶した。
「あっ、川村さんは私より中国で有名な人なんだ。恐れ入りました」
 磯崎は右手で後頭部を軽く叩きながら、苦笑いを見せるのだった。

 夕方、磯崎は歓迎会をやってやるからと言って、川村を近くのレストランに連れて行った。磯崎の部下が二人同行した。
「御社の社長も、英断したね。北京に支局を置くなんて、業界紙では珍しいことなんだろう?」
 磯崎は酒があまり強くない体質で、ビールの後の紹興酒で頬が紅くなっていた。
「中国に第一回の視察団を派遣したのは、開放後の一九八二年でしたから、支局を設けるには十年以上かかったのです」
 と川村は答えた。
「ああ、そんなに早くから中国に目を向けていたのですか。悲願成就だね。おめでとう」
 磯崎は、川村のグラスに自分のグラスを軽く打ち付けてきた。磯崎の部下たちも、それぞれ祝ってくれた。
「さあ、これからは川村さんも我々と同じ街に住む。何でも困ったことがあったら、相談にのるよ。君たちも協力してやってくれ」
 磯崎は二人の部下に命じた。二人は頷いている。

「相変わらず、北京では、お湯が必要なときに、まともに出ないのですね。一週間足らずで、三日も冷たいシャワーで済ませましたよ」
 川村は愚痴をこぼした。
「それぐらいで一々驚いていては、この国には長く住めないよ。北京では、やっと停電がなくなったけれど、地方に行くと、まだ電力事情が悪いらしく、週に三日も停電で工場の生産ラインが止まることだってあるからね」
 磯崎は当惑気味の表情で言った。磯崎の部下が、内陸部へ営業に出掛け、一日中停電に巻き込まれ、電話連絡もできなかった体験談を話した。
 
 川村は、部屋にかかってきた電話の件を話してみる気になった。経緯を話し、質問した。
「中国でも、新興宗教が流行り始めているのですか、日本のように」
 目の前の男たちは、少し考えていた。磯崎が何かに気づいた顔になった。それからちょっとくだけて、
「川村さん、それはたぶん、売春婦だよ。中国語で俗に『野鶏(イエーチー)』と言っている。私の部屋にも、ときどき、『打不打洞(ダープダートン)?』、つまり『ベッドインする?』という誘いの電話がかかってくるよ」
 という磯崎の目元が笑っていた。
 僕のところにもあった、と二十歳代の部下が言った。
「磯崎さんは、体験されたのですか」
 川村はストレートに訊いた。磯崎は日本に家族を残して、単身赴任していた。
「冗談を言うのじゃないよ、こう見えても、私は所帯持ちだぜ。そんなことができるかい? もうそれほど若くはないよ。独り者の君たちは体験したのかい?」
 磯崎は二人の部下に視線を向けた。

「所長、冗談はやめて下さい。いまは、中国でもエイズが問題になっているんですよ、とても怖くてそんなことはできません」
 若い方の部下が反論した。
「あれ、この前君は、姑娘(クーニャン)と寝た、と言っていたのじゃなかったかね?」
 磯崎か訊いた。
「僕じゃありません、それは伊藤さんです」
 若い方の部下が主張すると、いままで黙って紹興酒を飲んでいた、眼鏡をかけている伊藤と呼ばれた三十歳前後の男が、自分の顔の前で片手を振りながら、
「あの話は嘘ですよおー」
 と、慌てて否定した。
「伊藤さんは、広州に行ったとき、プロの女と遊んできた、と言っていたじゃありませんか」
 若い部下が追い討ちをかけた。
「嘘、うそです! コラッ、前田、所長の前で、言って良いことと、悪いことがあるぞ!」
 伊藤は、告げ口をした部下の背中を軽く平手で叩いた。
「伊藤君、大丈夫か、心配ならエイズ検査に行って来い!」
 磯崎が部下を冷やかした。
「所長、脅かさないで下さい。大丈夫です、ちゃんと日本製のコンドームを使いましたから」
 伊藤は、苦笑いして応えた。
「ほら、やっぱり、伊藤さんはやったんじゃないですか」
 前田と呼ばれた部下が勝ち誇ったように言った。男たちは、笑い合った。

「中国でも、売春婦が増えているという記事を、日本の雑誌で読みましたが、やはり本当なのですか」
 川村が訊いた。
「増えているらしいねえ。中国政府の開放政策によって、性の開放も進んでいるらしいね。内陸部から出稼ぎにやってきて、いわゆる盲流(マンリュウ)と呼ばれる放浪者になり、手っ取り早く躯を売って、食いつないでいる者もいるようだからね。何しろ、売春は元手のいらない職業だから」
 磯崎が答えた。
「所長、それだけではなくて、経済特別区や沿岸地方では、外国人たちを選別して客にする高級コールガールもいるらしいのです。広州あたりの外資系ホテルには、常時三十人前後の売春婦が、長期滞在していて、それでも需要に供給が間に合わないほど、繁盛しているそうです。当局も、女たちが外貨を稼ぎ出す貴重な手段なので、大目に見ているのでしょうね」
 伊藤は、得意顔で言った。
「さすが、伊藤君は経験者なので、詳しいねえ」
 磯崎が笑った。川村たちもつられて笑った。
「いまは、北京のホテルの周りにも街娼がたむろしていますから、川村さんも今度、注意して見て下さい」
 伊藤は、川村のグラスに紹興酒を注ぎながら言った。
「オイ、オイ、北京に住み着いたばかりの新聞記者に、悪いことを教えては駄目だぜ。君たちの夜のお遊びの実態を、紙面に書かれてしまっても知らないぞ」
 磯崎が脅かした。
「あっ、そうですね。川村さん、ここでの話は聞かなかったことにして下さい。お願いします」
 伊藤は、川村に向かって掌を合わせ、拝みのポーズを作って見せてきた。その表情が様になっているので、笑いを誘った。

「しばしの快楽も良いけれど、ホテルの部屋で売春婦と何しているところを公安に踏み込まれて、みっともない姿で捕まらないでくれよ、伊藤君。そうなった時には、刑務所行きか、国外退去だからね。上場企業のエリート社員が買春で捕まって、新聞ネタになるのは、いただけないから。その場合は、私の首を会社に差し出したぐらいでは、済まないからね」
 磯崎は、話の途中に手刀で自分の首を切る真似をした。
「所長、捕まるだけならいいですが、まかり間違うと、公開裁判で、死刑の宣告を受ける場合もあります」
 前田が鋭く指摘した。
「そういう前田君も若いんだから、くれぐれも気おつけてくれよ」
 磯崎は念を押し、
「さっ、お腹が満腹になったら、次は川村さんに三陪(サンペイ)を体験していただこう」
 と言って立ち上がり、
「川村さん、三陪をご存じですか」と訊いた。
「えっ、何ですか」川村は解らなかった。
「伊藤君、説明してあげなさい」磯崎が促した。
「はい。三陪は、いわゆる日本のピンクサービスのことで、陪坐(ペイヅオ)、陪酒(ペイジウ)、陪舞(ペイウー)のことです。最近では、カラオケのときにデュエットする陪唱(ペイチャン)が加わっています。これらのサービスに当たるホステスたちは、小姐(シアオジエ)と呼ばれています」
 伊藤は、口許を弛めながら説明した。
 
 中華レストランを出てから、男たちは王府井(ワンフーチン)通りにあるカラオケ店に向かった。磯崎たちの話では、一九九〇年代になって、北京の街にも日本に倣ってカラオケ店が急増したという。川村が初訪中した一九八〇年初期には、カラオケどころか、珈琲を飲ませる喫茶店もなかった。まして売春婦の存在すら、見聞きしなかった。その中国が一九八九年の天安門事件の嵐の後に、中国政府が締め付けを強化したにもかかわらず、遊興の場が増えていったのは、どういうことだろうか、と川村は考えた。夜の王府井通りを闊歩する女性たちは、以前のくすんだ色を基調にした洋服から、明るい色のファッションに替わり、まるでモデルのように、ミニ・スカートから、長い脚を誇らしげに出している者もいた。一九八九年初夏に天安門広場で、学生たちがハンガー・ストライキまでして求めた中国の「民主化」が、西側の最先端のファッションを導入することなら、それで良いのだが……。
 
 磯崎たちがときどき利用するカラオケ店は、ビルの地下にあった。店内は客が百人ほど入れそうな広さで、正面に日本製のレーザー・ディスクセットがあり、ダンスを踊れるほどのフロアーが設けられている。その店のホステスたちは、三十人ほどいるようだった。金曜日の夜のためか、店は込んでいた。東洋系の客の他、白人の客もいる。磯崎たちはその店の常連客らしく、空いているテーブルに着くと、指名をした四人の小姐たちがやってきて、代わる代わる挨拶した。四人とも二十歳前後の若さで、二人が制服、後の二人は私服のようだった。
「川村さん、ここには日本語のレーザー・ディスクもあるので、遠慮することなく歌って下さい。あなたとは、東京にいるとき、カラオケにご一緒したことがあるから、低音のハスキーな声を覚えています。川村さんは、昭和三十年代から四十年代のムード歌謡曲が得意でしたね」
 磯崎はそう言ってから、部下たちの方に視線を向けて、
「こいつらは、最近流行りのダンス・ミュージックのような曲ばかり歌うので、とても私にはついていけないんでね」
 と言って、苦笑いを見せた。
「所長も覚えて下さい、僕たちの歌うアップ・テンポな曲を」
 伊藤が勧めた。馬鹿言ってんじゃないよ、と磯崎は軽く受けた。
 
 水割りを三杯ほど飲んだ頃、伊藤がまず最初にマイクを握り、流行りの歌を歌った。失恋の痛手から睡眠薬を飲み、自殺未遂事件を起こしたことのある少女の歌だった。次に前田が『乾杯』を少し悪ぶるスタイルで歌った。川村の番になり、迷った末に、中国で映画スターとしても人気のある少女の曲を歌った。これが意外に小姐たちに受けて、拍手をもらった。磯崎は『夜來香(イエライシャン)』をリクエストして、馴染みのホステスに「陪唱」させた。その後、各々が何曲か選曲して、代わる代わる歌っていると、まるで東京の銀座か赤坂の洒落た店にいるような気分になってきて、川村は、久しぶりに異国に赴任した緊張感から開放されるのだった。
 
 翌日、川村は目を覚ましたのが、午前十時過ぎだった。日本では、完全週休二日制なので、公休日だ。いつまで流しても二十度前後以上に熱くならないシャワーを浴びていると、電話のベルが鳴った。川村は、慌てて浴室から出て、受話器を取ると、
「あっ、川村さんですか。周です。おはようございます。いま、フロントに来ています」
 元気な声で挨拶したのは、中国電子電気機械工業省電気機械局所属の周民岩だった。
「周さん、おはよう。いま、シャワーを浴びていたので、悪いけれど、部屋まで上がってきて下さい」
 川村はバスタオルで濡れた躯を拭きながら話していた。
「解りました。いま、そちらへ伺います」
 周民岩は、六年前に中国電線電纜工業会が、日本へ視察団を派遣した際に、通訳として派遣された。その視察団が日本に滞在する約二週間、川村は添乗員のような立場にあった。周は北京の理工系大学で電気絶縁材料を学び、まだ役人になって三年ほどしか経ってなく、日本語も覚え立てで覚束なく、ケーブル業界の専門用語はほとんど通訳できなかった。大阪方面の工場視察を終えて、自由時間を利用して夜の街に繰り出した際に、周はピンクキャバレーや性風俗店の看板やネオンを見て驚いていた。試しに川村が
「周さん、いままでに何人の女とセックスしたことがある?」
 と訊ねたとき、周は緊張と驚きの表情で質問者を見た。
「いいえ、まだありません!」
 周は頬を赤らめて、慌てて強く否定するのであった。
 
 川村がシャツを着始めたとき、ドアがノックされた。開けると、周がネクタイを締めた背広姿で立っていた。
「さあ、入って、入って」
 川村は周を招き入れた。
「この度は、北京支局の開設、おめでとうございます。これ、縁起の良い置物です」
 周は、包装紙で包まれた長方形の土産を寄こした。
「有り難う。周さんと再会するのは、三年ぶりですね。お元気でしたか、その後」
 川村は、久し振りに見る周に懐かしさを感じた。
「ええ……」周の様子がおかしかった。元気がない。
「さっ、どうぞ、中へ入って下さい。いま、お茶を入れますから」
 川村が再び招き入れても、周は入り口に立ったままだった。やっと決心したのか、恐る恐る部屋に入ってきた。
「支局と言っても、ホテルの一室ですから、必要最低限の備品以外は、何もありません。ベッドが二つあり、部屋の中が狭くて困っています。まるで、動物園の檻の中に閉じこめられた人寄せパンダみたいです。食っちゃ寝、食っちゃ寝の連続ですよ」
 川村は苦笑いした。周は相変わらず緊張気味だった。

「王先生たちは、お元気ですか。来週、電子電気機械工業省には伺うのですが、今回は支局開設に当たり、皆様には、大変にお世話になりました」
 川村は頭を下げた。王は、同省出身で関連機関の中国電気機械輸出入公司の秘書長であり、視察団派遣の際などの窓口になっていた。日中戦争後にロシアの大学に留学して、電気分野の学位を取得した女史で、やり手として日本の業界関係者の間でも知られていた。
 日本から持ってきた紅茶を入れてあげても、周の緊張はまだ続いていた。川村の問い掛けに対しても短く答え、落ち着きがなかった。今日は、これから川村が通うことになる、大学付属の中国語学院の諸手続きに、周が同行してくれる予定になっていた。
 川村は日本で一年間ほど、夜間の中国語学院に通っていたものの、中国語特有の四音のマスターに苦労し、三十歳過ぎてからの語学修得は容易ではない、と認識していた。それでも、北京に赴任してからも中国語を学ぼうと思っていた。これから取材対象となる中国の国営ケーブル工場などには、日本で発行された文献の翻訳に携わっている者もいて、取材の際に通訳をしてくれるはずだが、ときどき数字や単位を間違えて初歩的なミスを犯す。川村は、できれば現地語で取材をすることを望んでいた。
「さあ、周さん、それでは行こうか」
 川村が立ち上がり、促すと、周はゼンマイ仕掛けの人形が弾かれたように立ち上がった。
 
 ホテルの前からタクシーに乗り、大学の前で降りるまで、周は何故かほとんど喋らなかった。以前の周は、こんな雰囲気ではなかった。何が彼をぎごちなくしているのだろうと推測し、川村は一瞬、想い出したことがあった。
「中国で外国人が利用するような高級ホテルには、盗聴器や監視カメラが密かに備え付けられているらしい。ときどき、電話が混線したり、誰かに付けられているような雰囲気になったら、気おつけるんだね。間違いなく当局から監視されているから」
 今回の訪中前に、酒の席で誰かから聞いた話だったが、その時は半信半疑で聞き流していた。いま、川村は北京在住になり、しかも産業技術分野の記者である。電線業界の技術革新もめざましく、通信ケーブルに革命的な発展をもたらした光ファイバーケーブルや半導体レーザーなどは、いまでもココムの対象品に指定されており、最先端のテクノロジーに含まれている。中国でも、光ファイバーケーブルの国産化が着実に進みつつあり、技術情報は何としても欲しい。逆に、国内の研究開発の最新動向は、あまり外に洩らしたくはない。中国国内の、その分野の取材に際しては、電子電気機械工業省外事弁公室の事前許可を取らなければならない。その時に同席する通訳は、
「特別な任務を帯びている。外国人の監視と上部機関への報告が義務づけられているそうだ」
 という、まるでスパイ小説のような話を、川村は信じたわけではなかった。だが、いま、側にいる周の横顔を改めて見て、川村は背筋が寒くなった。周の名刺には、エリート技官の称号である「高級工程師」の肩書きが付いていた。
 
 大学の事務局で川村が入学手続きをしている最中、周は書類の書き方などを懇切丁寧に説明してくれた。その上、周は事務局の責任者に「この方は、電子電気機械工業省のお客様ですから、大切にしてあげて下さい」と言い添えてくれている。実に好意的だ。周は、川村に学生証の取得を勧めてきた。
「これがあれば、中国国内の公共機関は、フリーパスです。鉄道やバスなどの料金も、中国人と同額になります」
 周は学生証の効能を説明した。川村には、その時解らなかったが、後にいろいろな場面で学生証は威力を発揮した。何しろ、対外開放後に、外国人にだけ義務づけられていた兌換券の使用が、今年から廃止になったとはいえ、依然として食堂や交通機関などの「外国人価格」は存在していた。学生証の提示により「中国人並み」の扱いを受けることになった。
 
 周と北京の街を歩いた。周によれば、北京の城門跡の位置を知っていると、外国人でもまごつくことがないという。一九九〇年のアジア大会を境にして、北京には地下鉄が開通した。この地下鉄の駅名には、城門跡の名を使ったものが多かった。つまり、現在の地下鉄の上にかつては城壁と城門が築かれていた、と周は説明した。
 昼時になると、周は行き付けの地下食堂に川村を連れていった。観光客などには判らない場所にあり、客の大半が普段着の中国人で、身なりの良いのは華僑か香港人と見て取れた。周が注文した中華料理も申し分のないものだった。
「川村さん、ここが何のために造られた場所か想像できますか」
 周は思わせぶりに訊いてきた。判らない、と川村は答えた。
「かつて核戦争の危機が叫ばれたとき、各地に大規模な防空壕が掘られました。その跡が、現在ではこのような食堂やホテルの施設として利用されているのです」
 周は自慢げに言った。裏を返せば、いまでも核シェルターとして、使用可能な施設だった。
 
 周がビールを飲んで気を少しゆるめた頃合いを見計らい、川村は訊いた。
「周さんも三十歳を過ぎましたね。まだ、独身ですか」
「ええ、そうです。川村さんもまだ結婚をされていないのでしょう?」
 周の質問に川村は頷き、
「中国でも、晩婚化が進んでいるようですね。ちょっと伺いますが、独身の男性が遊べるような所はあるのですか」
 と訊いた。周は少し考えてから、
「舞庁(ダンスホール)、カラオケ、夜総会(ナイトクラブ)はあります」
 と徐ろに応えた。
「そういう所だけでなく、もっと開放的な雰囲気の所はないのですか。例えば、日本のような……」
 川村は、具体例を口にして良いものかどうか、一瞬、躊躇った。
「女性と淫らな行為をして遊ぶような所ですか」
 周は軽蔑をこめた視線で、川村を見てくる。川村は頷いた。
「そういう所は、中国にはありません。少なくとも現在の北京には存在しません」
 周は強く否定した。

「しかし、三陪などは大目に見られているのでしょう。北京在住の日本人の話では、野鶏などがこの街にも存在しているようですね」
 川村の指摘に対して、周は少し動揺の表情を浮かべた。
「川村さんは、その話を誰から聞きましたか。野鶏という言葉は、中国でも随分古い言葉です。北京にも南や内陸部から流れてきた女たちはいます。その女たちは、商売女で、知識もなく、資本主義の悪い影響を受けただらしない者たちです。そのような女たちとは、絶対に関わり合いにならないほうが良いです。古い友人として、私から忠告しておきます」
 最後のほうで、周は厳しい目つきになった。
「ご忠告感謝します。もちろん、私はそんな女たちと関わり合いたくはありません。エイズになるのは怖いですからね」
 川村は、ちょっと笑いを含ませて言ったつもりだった。
「日本でも最近、エイズが流行り始めているでしょう。中国だけではありません、どこでもエイズが問題になっているのです」
 周がムキになって言い返してきた。
「もちろん中国だけではありません。人類の共通の病気です」
 川村は、これから世話になるであろう周と、それ以上気まずい雰囲気になることを避けるため、仕事のことに話題を変えざるを得なかった。
 
 翌週から川村は忙しくなった。午前中は、中国語学院に通い、午後一時から午後八時までが勤務時間となった。日本との時差や中国語の学習を考えて、会社側と何度も話し合った結果、そのような変則的な勤務体系になった。支局と言っても、川村一人なので、時間の遣繰りは自由にできるだろうと思っていた。
 事前に「月票(ユエピァオ)」と呼ばれている定期券のようなものを購入して、市内バスに乗った。日本のようにどこからどこまでと、乗車区間が限定されていない上に、郊外市内共用は一ヶ月五元の安さだった。市内バスは通勤などの労働者で込んでおり、車掌はいちいち月票を点検していない。月票を持っていない者に対して、切符を配るだけで精一杯である。下車するときも検札の習慣がほとんどないことが判った。込んでいる乗り物に乗るのは、東京の地下鉄やJRなどで何度も経験済みなので、何とかなりそうだった。
 語学学院では、初日に簡単なペーパーテストとヒアリング及びスピーチの試験を兼ねた面接があり、川村はどういう訳か、初級コースが免除されて、いきなり中級コースのクラスに入れられることになった。中国語の基礎である四音も、まだろくに発音できないため、これからの困難が目に見えていた。
 
 午後、川村は電子電気機械工業省に行き、王秘書長や関係者に着任の挨拶を済ませ、取材等の協力を求めた。中国では、あくまでも上から降ろしていかないと、仕事が進まない。それは過去の視察団企画や中国国内のケーブル工場の取材などで身に染みて解っていた。中央の行政機関にうまく食い込んでいくことが、川村の記者としての課題になっていた。
 夕方、王秘書長は近くのレストランで歓迎会の席を設けてくれた。通訳として、周民岩も同席していたが、役人たちは英語も話せるので、川村は中国語と英語を混ぜて会話を交わし、ほとんど周の助けを借りずじまいだった。
 午後九時過ぎ、ホテルに戻り、冷たいシャワーを浴びても、アルコール度数の高い酒を飲んでいるので、酔いは冷めきらなかった。ベッドに倒れるように寝て、しばらく経ってから電話のベルが鳴った。また、あの艶のある声の持ち主からだろう。とても、立ち上がって受話器をつかむ気力がなく、そのままにしていたら、ベルは鳴りやんだ。
 
 川村は、訪中して一ヶ月も経つと、脂こっい中華料理に飽き始めて、無性に和食が恋しくなった。高級ホテルの日本料理店にも行っては見たが、満足のいくものではなかった。はっきり言って飯がまずい。中国人は、毎日食べる米をなぜもっとうまいものに改良しないのだろうか。小粒のジャポニカ米を食べ慣れた川村にとって、中国の飯はぱさぱさで、箸の隙間からぽろぽろこぼれ落ち、噛んでも甘みがなかった。
 ある夜、磯崎の紹介で、川村は北京在住の日本人会に出席することになり、そこで、現地での飯のまずさを話題にした。誰しも同じ思いをしており、日本からわざわざ食べ慣れた米を送ってもらって、自炊をしている者もいることが判った。磯崎も炊飯器を買い込み、ホテルの部屋でミネラル・ウォーターを水代わりにして、自ら飯を炊き、毎朝温かい飯を食べていると聞き、川村は驚いた。
「それなら、磯崎さんの真似をして、私も自炊してみます」
 川村が宣言すると、出席者たちは笑い、拍手した。家族同伴で赴任している者たちは、
「しょうがねえなあ、にわか独身者たちは」
 と言って、苦笑いしている。
 
 その会からの帰り道、磯崎の部下の伊藤と同じ方向になり、一台のタクシーに二人で乗った。
「川村さん、困っているのは食事だけですか」
 車中、伊藤が訊いてきた。
「いや、いろいろ戸惑っている。デパートなどの店員の態度は悪いし、品物もあまり良くない。ホテルの掃除もいい加減だし、何からなにまで気にし始めたら、きりがない。この国では、サービスの概念が全く存在しないのかねえ」
 川村は、運転手が聞き耳を立てているのではないかと思って、声を低くして訴えた。
「そういう生活全般のトラブルは確かにあります。もうひとつ、僕が困っているのは、この国ではセックスの捌口がないことです。いい年をして、異国の空の下、毎夜、マスターベーションではあまりにも惨めですよ」
 伊藤の最後の台詞に泣きが入っていた。

「伊藤さんは、プロの女と楽しめる度胸があるんじゃなかった?」 
 川村が冷やかすと、伊藤は唾を飛ばして、ムキになりながら、反論してきた。
「とんでもない! 選り好みしないで、次から次に手当たり次第にやっていたら、エイズに引っかかりますから、とても怖くて楽しめませんよ」
「それじゃ、当分の間は、我慢するしかないね。少なくとも、質の悪い娼婦には、手を出さないことだ」
 川村が忠告すると、伊藤は大きく頷き、優越感を味わうような表情になった。
「その上、素人の姑娘は、少しでも関係ができると、日本へ連れて行って欲しいと、すぐにねだり始めますよ。女たちだけじゃありません。この国の若者たちは、外国人と見たら、親しい関係にならなくても『保証人になって下さい』と、言い寄ってきますから、油断も隙もあったものではありません」
 伊藤は、そう言って、呆れ顔になった。
「娼婦も姑娘も駄目なら、完全にお手上げだ。私はこの国では、禅寺の修行僧のように、ストイックに生きていくつもりだがね」
 川村は、投げ遣り気味に言った。

「まだ、諦めるのは早いですよ、川村さん」
 伊藤は急に小声になり、さも得意そうな顔になって言った。
「中国にも、『黄色録像帯(ホアンソホレーシアンダイ)』と言って、ポルノビデオがあるぐらいですから。そして、今年六月に出版された『廃都(フエイドウー)』というセックスをテーマにした小説が、話題になり、飛ぶように売れています」
「えっ、『廃都』?」
 川村は、まだその本の情報を得ていなかった。
「ほら、川村さんの目つきが変わった。街の書店では手に入りにくくなってますから、今度、闇ルートから調達してあげますよ」
 伊藤は、たちまちにやけた顔になり、
「もうひとつ、近いうちに川村さんにいい人を紹介しますよ。楽しみに待っていて下さい」
 と謎めいたことを言った。
「誰なの、その人は? あなたの知っている野鶏は、不要だぜ」
 川村は、苦笑いしながら、頭を左右に振った。
「いいじゃありませんか、そのうち、そのうちに判りますよ」
 伊藤は卑猥な笑いを見せ、自分が使っているホテルの前でタクシーから降り、別れを告げた。
 
 夜、川村の眠りの周期が以前よりも短くなり、寝付いてから九十分ほどで目を覚ますようになっていた。陰茎が十代の頃のように勃起して、硬くなっていることに気づく。明らかに、性的な欲求が高まっていた。躯は正直だった。川村が日本で住んでいた頃は、翻訳業やフリーランスの海外添乗員を生業とする女と、月に二、三度逢って、食事をした後などに、肌を重ねていた。その女とは二十代の頃に知り合い、十年近く、束縛しない男女の関係が、細々と続いていた。三十歳を過ぎたあたりから、互いの仕事が忙しくなって、すれ違うケースが増え、セックスの回数も減っていた。女は既に、自宅兼事務所のマンションを横浜に所有しており、結婚は望んでいなかった。川村も女の癖を知り尽くし、今更新しい女に乗り換えるつもりはなかった。そこへ急に、川村の、北京への赴任の話が持ち上がり、ある夜、ベッドの中で事情を川村が恐る恐る告げると、
「やってみたら? 面白そうじゃないの、その話」
 女は冷めた声で言った。
 川村は迷った。その女に対して、愛着があった。北京赴任期間が何年になるかは定かではなかった。恐らく、最低三年間は覚悟する必要があろう。
「なに言っているのよ、北京からなら四時間ほどで戻ってこれるでしょう。いまは、日帰りで海外ビジネスを展開している人もいるのよ」
 女は海外添乗員をしているだけに、時代遅れの、川村の困惑を笑った。川村は、北京赴任が決まってから、意地でも一年間は日本に戻るまいと思っていた。
 
 だが、赴任して一ヶ月も過ぎると、躯が生理的に反応していた。殺風景なホテルの固いベッド上で、勃起した陰茎を手で握り締める自分が、酷く惨めだった。ここから女に電話をして、ヘルプ・ミーと言えば助けてくれるだろうか。川村は、枕元に置いてあったグラスにブランデーをつぎ、薬でも飲むように口に含んだ。さらにラジ・カセに子守歌代わりにしている女性ジャズシンガーのCDを差し込み、甘く切ない歌をヘッドホーンで聴きながら、再び眠りの世界へ入ろうとするが、なかなか寝付けない。困ったことだ、と川村は思った。口当たりの良いフランス産のブランデーは、二杯、三杯と酒量が増えていった。
 漸く浅い眠りについたかと思うと、約九十分経ち、また目が覚め、陰茎の硬さに驚く。そういうことの繰り返しで、二ヶ月が過ぎていった。
 
 十月中旬を過ぎた頃、川村は行政機関に取材しての帰り道に、懐かしい匂いが漂っていることにふと気づいた。辺りを見回してみると、空き地に石炭が山積みしてあった。懐かしさの正体は、数十年前の小学校の冬の教室で嗅いだ石炭の匂いであった。
 北京市の一般の住宅では、窓ガラスが二重になっていることが多い。ホテルの窓ガラスも頑丈そうなものなのだが、隙間風が入り込み、部屋にいても肌寒かった。フロントの従業員に言って、スチームを使えるようにしたが、ほとんど役に立たなかった。部屋には冷たい風ばかりでなく、砂塵も容赦なく浸入してくる。ホテルの従業員が、一日一度、部屋の中を掃除してくれるのだが、それだけではきれいにならない。川村はタオルを濡れ雑巾代わりにして、拭き掃除をした。だが、何度拭ってみても、その拭った跡がすぐに乾燥して、かえって泥の波紋が、汚らしく残る結果になった。部屋ばかりではなく、川村の鼻の中も、外から帰って、ティシュー・ペーパーで掃除をしてみると、ペーパーが真っ黒になった。北京の街は、煤煙や車の排気ガスで覆われていた。

 十月下旬の寒い夕方、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ、開いてます」
 ホテルの従業員がポットの湯の代わりを持ってきたものと思って、川村は、いつものようにノート型パソコンに本社へ送る記事を打ち込んでいた。二分ほど経ってから再びノックされた。川村は椅子から立ち上がり、扉のほうへ進み、扉を開けた。そこには灰色の上着、緑色のセーター、黒いスラックス姿の見たことのない女が立っていた。
「川村勇一さんですか。わたしは、毛彩華と申します。新川電工の伊藤さんから紹介されて本日参りました。こちらの会社では、中国文から日本文への翻訳者を求めているそうですね。わたしは、そのご要望に応えられます。なにか仕事をいただけませんか」
 毛彩華は、丁寧な日本語で訪問理由を告げた。
「あっ、伊藤さんの紹介ですか」
 川村は、毛彩華をもう一度素早く見た。黒髪は肩くらいまで伸ばしている。細身で、身長は一メートル六十五前後、年齢は二十五歳過ぎぐらいだろう。
「狭い部屋ですが、とにかく中へ入って下さい。お話は伺いましょう」
 川村は、毛彩華を部屋に導き入れた。
 
 川村は、北京日本人会に出席した折りに、アルバイトで翻訳をしてくれる人がいないか、と会のメンバーに相談していた。簡単な観光通訳の程度なら、いくらでもいるが、技術用語や専門用語を訳せる者は、なかなか見つからないという。川村は、予め電子電気機械工業省など行政機関から集めた基礎資料を辞書にあたりながら、日常の仕事を進めていた。中国文献の翻訳の練習ならそれでも良いのだが、一週間に記事を三、四本出さなければならない身にとっては、単語の意味に悪戦苦闘する翻訳の時間がまどろっこしかった。ただし、会社には、北京支局で常勤の翻訳者を雇うゆとりはなく、出来高払いなら構わないだろう、との許可を本社の上司から得ていた。
 
 部屋には机が二つあり、空いている椅子に毛彩華を座らせ、川村は紅茶を用意して、彼女に勧めた。
「毛さんは、どちらかの企業に勤めているのですか」
 川村は一口紅茶を飲んでから、質問した。
「いいえ、大学院の博士課程に在籍しています」
 毛は中国でも有名な大学の名を口にし、学生証を見せた。
「ほう、超エリートじゃないですか。それで、毛さんは何を研究されているのですか」
 川村は毛の身分が判り、興味を持った。
「日本近代文学です」毛は、さらりと応えた。
「えっ、日文?」川村は、驚いた。
「主に大正時代から戦後世代までを、研究テーマとしております」
 毛彩華は、真直ぐ川村を見て、言った。
「そうですか。私も中国人の通訳を何人か知っているが、日本文学を研究している人に出会ったのは、初めてだね」
 川村は、嬉しい気持ちになった。
「中国では、この分野の研究者は多くはありません。たまたまわたしの大学に日文のコースがあったのです」
 と毛彩華は遠慮がちに言った。
 
 川村は、毛に仕事内容を教えて、ケーブルや電子分野の専門用語の知識が必要になることを手短に説明した。川村は、机の上に置いてあった『中国機械報』という雑誌を毛に渡し、この程度の記事の翻訳でよい、と告げた。毛はその雑誌の数ページを捲り、
「解りました。わたしにもできると思います。技術用語は専門の辞書を調べれば解るのでしょうか」
 と訊いてきた。
「電気、電子分野ならばどうにか辞書に載っているのですが、光ファイバーやレーザー関連の最先端の技術用語は、関連言葉から類推するしかありません」
 と川村は応えた。
 川村は毛と雑談してみて、毛の生真面目さが気に入った。電子電気機械工業省がまとめた『中国ケーブル産業年報』があったので、その中の十頁ほどの翻訳を試しに依頼した。
「一週間ぐらいでやってみて下さい。そのあと、また仕事があれば、お願いするかも知れません」
 川村は、毛彩華に期待し始めていた。
 
 その仕事を毛彩華は三日目に終わらせて、事務所に持参した。川村がさっと目を通してみると、要領よくまとまっていた。
「良くできています。これなら大丈夫でしょう。次は、この論文を訳してみて下さい」
 それは、中国郵電省の武漢郵電研究所などがまとめた光ファイバー関連の論文集だった。川村は自社で編集した光ファイバー用語集を毛に渡した。
「これに載っていない用語は、原文のままでも構いません。後で私が考えますから」
「この用語集は、戴いてもよろしいのですか」
 上目遣いに、毛が訊いてくる。
「どうぞ、お持ち帰り下さい。私もこれを参考にしています」
 と川村は答えた。
 
 毛と出会ってから、一週間ほどすると、伊藤から確認の電話がかかってきた。
「川村さん、どうですか、あの人を気に入ってくれました?」
「気に入るも、気にいらんもないよ。すごいエリートじゃないか。伊藤さんは、あの女性とどこで知り合いになったの?」
 川村は、探りを入れた。
「ハッ、ハッ、ハ。どうでもいいじゃないですか、そんなこと。詳しいことは電話では話せません。今度会ったら、川村さんに一杯奢ってもらいますよ、いいですね」
 伊藤は、次に会う日取りを決めると、機嫌よく電話を切った。
 
 毛彩華は、また三日目に支局に来て、論文集の翻訳を川村に提出した。流石に今度は、原語のままの箇所も所々あった。しかし、川村が記事を書く上で参考にするものとしては、それで十分だった。川村は、毛の翻訳力を認めて、続けて仕事を発注するようにした。それから二週間ほど経つと、毛は午前中に支局に来て、翻訳をするようになった。川村が日本から持参した辞書類が部屋に置いてあった。それを翻訳する際に使うので、支局で仕事をさせて欲しい、と毛が申し出てきた。机は空いているのだし、午前中、川村は中国語学院に通っているので、毛が支局を使うことに異論はなかった。毛は大学内にある学生寮のような所に住んでいるらしかった。中国では、自宅から大学に通う者のほうが少なく、ほとんどが寮に入っていた。
 毛は熱心に仕事をした。翻訳だけではつまらないだろうと思って、一九八〇年代に製作された『中国電線電纜廠名鑑』の廠長名、生産品、設備の稼働状況などについて、電話や書面で確認させる作業を、川村は毛に試しに命じてみた。中国では、国営工場でも、広報部のような部署はほとんどない。川村は、これまで視察団として訪問した工場を中心に取材を進めてきた。支局が設置されたならば、それを大幅に拡大する必要に迫られていた。毛は代表的な工場に電話をかけ、必要事項を次々に聴き出し、一級品の基礎資料を作っていった。その過程を横で見て、川村は驚いた。
「毛さん、あなたは新聞記者としての才能があるよ。私には、とても電話だけでこんなに細かい数字まで聴き出せない」
 川村の称賛に対して、毛は、はにかんだような微笑みを返してくるのだった。

 毛彩華が大学院に出る日以外は、支局に常勤するような状況になってから、川村は毛に伊藤との関係を訊いた。
「伊藤さんとは、新川電工の北京事務所に勤めている趙芳春さんを通じて知り合ったのです。趙さんは大学の後輩です」
 毛は、あっさり応えた。
「ああ、そうだったんですか。それなら、つながりがあるはずだ。趙さんは、あなたの後輩だったのですか」
 川村は納得した。その後の毛の話では、趙芳春は伊藤と付き合っているという。
「へえ、そうなの。それは意外だねえ」
 川村は驚いた。広州あたりで娼婦と寝た、と自慢するほどの男が、事務所の女に手を付けるなんて、安易すぎるのではなかろうか。川村はよいネタを握ったと思った。ぜひとも伊藤に会って、冷やかしてやりたかった。
 
 川村は週末に伊藤と会って、一杯やることにした。王府井通りの小さな酒館に入って、ビールと焼酎のような強い酒を飲んだ。川村は、毛をしばらく使うことにした、と伊藤に報告した。
「彼女、優秀でしょう」
 伊藤は満足そうに言って、気分良く酒を飲んでいた。
「伊藤さんも隅に置けないねえ。趙芳春さんと、親しい仲になっているそうじゃないの。さんざん、私には野鶏の話をしておきながら、自分はちゃっかり、事務所の雌鳥に手を出しているなんて」
 川村は、ここぞと思って攻め込んだ。
「あれ、もうそんな情報が入ってしまったのですか。手を付けたなんて、オーバーですよ、まだ飯を食いにいったぐらいですから」
 伊藤は、満更でもなさそうな顔で答えた。
「別に私は、伊藤さんが誰と付き合おうと構わない。それに他人の恋路を詮索するほど、野暮でもない」
 川村は相手の出方を見た。
「どうか、磯崎所長には、内緒にして置いて下さい。もう少し話がまとまったら、公表するつもりですから」
 伊藤は、川村の前で拝みのポーズを作った。
「あれ? 伊藤さんは真剣なんだ。これまた、びっくりしたね。中国の女は、きついそうだよ。それでもいいのかい?」
 川村が指摘すると、伊藤は趙芳春との男女の深い関係を、渋々ながら認めた。川村が驚いたのは、伊藤からの毛彩華についての新しい情報だった。

「毛さんは、一九八九年の民主化運動の活動家だったそうです。天安門事件の悲劇の後に国家安全局に捕まり、拘留されて、微罪で出てきたそうです。あの時、見せしめとして処刑されたのは、主に労働者などで、学生たちは、厳しい処罰から免れたらしいね。いま、北京では、反革命分子の経歴を持つ投獄経験者が巷に沢山いますよ。まったく、犬も歩けば、ムショ帰りにあたる状態です」
 毛彩華は微罪で大学に復帰したものの、卒業に際しても就職の口がなく、大学院に進んだという。川村は、毛彩華の活動家としての過去に興味を覚え始めた。
「これからも中国の企業では、かつての活動家をすんなりと雇わないだろうから、川村さんの所で彼女を雇って上げたらいかがですか」
 伊藤はそう言って、毛彩華を積極的に売り込んできた。
「そうすると、趙芳春さんも毛さんの同志だったのかい?」
 と川村は訊いた。
「いや、趙さんは、日本のノンポリ学生のような立場だったから、毛さんほど勇ましくない」
 伊藤は、自信たっぷりの表情で応えてきた。
「解らんぞー、いまは猫被っているかも知れないから。そのうちに本性を現し、『民主化、万歳!』なんて、叫び出すかも知れないからな。怖いなあ」
 川村は、首を小さく振って苦笑した。
「いや、大丈夫ですよ、彼女に限ってそんなことはない」
 伊藤は、無理に笑いを作ろうとしていた。

 毛彩華が週に三日、事務所に来るようになると、外からの電話が増えていった。川村にとって、視察団で知り合った懐かしい人々が電話をわざわざくれたときなどは、嬉しかった。支局開設の祝いの品を送ってくる者もあった。少しずつ部屋内が支局らしい雰囲気になっていった。その都度、毛が通訳をしてくれたり、適切な判断をしてくれた。川村は、状況の変化を本社の上司に報告して、毛の人件費の予算を取って欲しい、と願い出た。上司は熟慮の末に了解した。毛には、翻訳の原稿料以外にアルバイト料として、現地の大学卒業者にしては、多すぎるほどの報酬を支払うことにした。
 毛彩華は大学の寮に睡眠のために戻る以外は、ほとんど支局にいるようになった。川村は毛と食事をするのが楽しみになり、毛に案内されていく小吃店(軽食堂)は、地元の人間しか入らないような店であり、値段が安く、味も上出来だった。ただ、日本人の川村の感覚からすると、床が濡れていたり、食器の縁に脂がこびりついていたりで、衛生的とは言えなかった。中国人は食べることに貪欲で、親しい間柄では「飯を食ったか」と挨拶するのが普通だった。
 毛は、川村に断って支局のシャワーも使うようになっていた。寮の共同シャワーでは、躯の汚れを流すのがやっとであり、その点ホテルには湯槽も備えられているため、ゆっくり湯に温まれる。湯上がりの毛の肌は、美しく輝いていた。毛は給料を得ることで、洋服類も新調したらしく、川村の前で少しずつお洒落になっていった。川村は、毛を女としてなるべく意識しないように心掛けた。しかし、適当なセックスの捌口がないだけに、ときどき、川村は、毛のやや細身の躯に目を奪われる瞬間があった。そのような後で、川村は伊藤らとカラオケに行き、馬鹿話をして、欲求不満を解消しようとした。
 

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