覚書通掲歎異抄12条・第10の金言   通掲の趣旨および資料頁へクリックOK!

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)に成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべきや。

まことにこの(ことわり)に迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

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(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

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作品1 お念仏の詩

 

「心」と「言葉」(引用)

 

古今集仮名序の冒頭に

1やまとうたは、人の心を種として、(よろず)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

 

2) 花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

 

3) 力をも入れずして、天地動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和らげ、(たけ)武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。

とある。

 

「やまとうた」という語は勿論、漢詩(からうた)を意識して用いられるものである。ここでは「やまとうた」の(1)歌の発生、(2)歌の本質、(3)歌の効用が

述べられている和歌は「人」の心にあるものが言葉を通して現れてくる、という。

 

 Yahoo! JAPAN検索  「やまとうた」と「からうた」  参照08.04.04

 

 ここに示されるように、

私あるいは私たちの“人の心・お念仏の心”を源泉として念仏詩の河が生れる。個人が人生の日暮らしのなかで折にふれ見るもの聴くもの、そして思うことにつけてお念仏を伴い或いはお念仏に伴って言い出す行為である。ご高承の通り、このお念仏の心は、阿弥陀仏より回向されているのである。

 

作品1古人の言を引いて本作品集の性格を表示した発起序的一篇として自選に及ぶものであり、この詩活動が拡がる(だけの価値がある)ようにとの願いをも後半に込めている。ただ注意すべきは、この篇における詩活動の本旨・力点は後半に示す広布にあるのではなく、あくまでもプロセスでいうと自己と仏との対話、問いかけ、感謝・報謝と帰依の表白といった自己啓発的なところにあり、“広布”の趣旨は、“普遍性を伴いたい”という願いであるにすぎない。

 

私作詩中“うつつ”は現存の意。ここでは現世。(旺文社古語辞典新版‘84年)参照08.04.04

 

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